1話
この話は、以前出した短編のプロトタイプです。
小さな公園の一角。其処は、この街で一番眺めがいいと言われている展望台だ。
その展望台の柵に寄りかかる俺の姿を、側でチカチカと点滅する街灯が闇の中に映し出したり消したりを繰り返している。時折吹く風は冷たく、俺の身体を震えさせ、赤く紅潮した頬を容赦なく叩いては消えていく。
もう、どれくらい待っただろうか。
手袋に包まれた手は悴んで動かすことがうまくできない。それよりか痛みはおろか感覚すら感じなくなっている。首に巻かれたマフラーを悴む手で少しずらし、ほぅ、と息を吐いてみる。息は白い紐が絡み合ったみたいに空気に躍り出て、直ぐに解けて消えていった。
時計を見る。
「八時四十六分……か」
約束の時間は当に過ぎていた。ぶっちゃけ望み薄ではあったが、こうもはっきりとした態度を取られると結構くるもんだな。
『あの……、話があります!!』
『えっ?』
『今日の夜、八時半に、南高台児童公園で待ってます!!』
この日の昼休み、廊下で彼女にそう言った時、俺はどんな顔をしていただろう? 唐突に声をかけ、用件を言うと逃げるように走り去った俺の姿を見て、彼女はどう思っていただろう?
あの時、俺は相手の顔も確認せずに逃げ去ったことを、もの凄く後悔している。駄目だ、あの時の俺を思い出すだけで気持ちが沈んでくる。
「もうちょっと……、マシなこと言えなかったのかよ……」
いつの間にかそう声を漏らし、俺は握り締めた拳に目を落としていた。冷え切った手には握っている感覚はほとんどない。
握り締めた拳を解き、温めるために息を吹きかけた。白い息が手からスルリと抜けて真っ黒な闇に消えていく。何故か分からないが、闇は俺にこう語りかけてきた。
『諦めろ』
勿論、来る筈がないと分かってた。街灯の明かりだけが照らすこんな寂しいところなんかに、わざわざ来るはずもないって、初めから分かっていたはずだ。
でも、現に俺はこうして待っている。
来ないと分かっているのに、何故か待ち合わせ場所に足を運び、やって来る筈がないであろう彼女をずっと待ってる。来ないと頭で分かっているのに、心の何処かでは、きっと来ると思っているのだろうか?
そんな根拠のない希望に、俺は身を、心を委ねているのだ。いや、願っているのかもしれない。信じているのかもしれない。
その時、不意に鼻に冷たい何かが触れた。それは鼻についた途端、すぐに溶けて消えていった。
いつの間にか雪が降り出していたらしい。俺の周りにあった茶色のタイル張りの道には、雪で作られた真っ白な絨毯が覆い被さっている。
雪の絨毯から目を離し、高台から見える街の夜景に目を向ける。真っ黒な暗闇には、たくさんの光が点々としている。会社等窓から漏れる柔らかい黄色の光。信号が変わった瞬間動き出す車のヘッドライトの光。隅っこのほうで様々な光を放つネオン街の看板たちの光。そんな光たちは、真っ黒なパレットに点々とする赤や黄色の絵の具みたいだった。
その光から、俺は知らない内に目を背け、顔を腕の中に埋めていた。そのか細い光の中に、一人惨めに肩を落とす自分の姿が映ったような、そんな風に見えたからかもしれない。いや、逆に来る筈がない待ち人を待ち続けるバカな俺の姿が映ったような、そんな風に見えたからかもしれない。
夜景から目を離した俺は、何となく側で点いたり消えたりを繰り返している街灯に目を向ける。
「アレが消えたら……、帰ろ……」
そう小声で呟き、俺は何を思ったか、目の前に積もった雪を掬って、その手を傾けていた。今でも、この行動の真意はわからない。説明しろって言われたら、こう答えるだろう。
『何となく』って……。
掬った雪は水っぽくなく、サラサラと砂粒みたいに指を伝って下に落ちていく。俺はその一粒一粒を黙って見ていた。その一粒一粒に、自分の想いを乗せて見ているつもりだったのかもしれない。殆んどの雪が指の間を滑り落ちてから、俺は何回も掬っては落とす掬っては落とすを繰り返した。
そして、何回目かの掬った雪の最後の一粒が下に落ちた瞬間、街灯の光がプツリと消え、俺の視界は真っ黒に染まっていった。