不必要な感情〜失敗作の内部構造〜
失敗作は人を信じない。
信頼も信用も他人が勝手にするものだ。本人には関係ない。勿論他人に仕事などを任せる事はあるがそれはどうでもいいことだからだ。大切な用は決して他人には任せない。
ここで言う他人とは本人以外の人である。それが身内だろうが恋人だろうが一切例外なく他人と呼ぶ。
失敗作は他人の悪口は言わない。人の事など興味が無いからだ。しかし決して下に見下しはしない。失敗作より下の完成品が無いのは当然だ。
人が失敗作に対して何を思おうが関係ない。失敗作は他人への興味が全て欠けているのだ。しかし失敗作は他人の視線は気にするのだ。
矛盾だ、矛盾、矛盾、矛盾矛盾矛盾矛盾矛盾矛盾矛盾矛盾矛盾矛盾矛盾矛盾矛盾矛盾矛盾矛盾矛盾矛盾矛盾矛盾………矛盾。失敗作は矛盾の塊だった。人の視線を恐れるがその『人』には全く興味がない。
失敗作と張り合う人がたまに周りにいた。失敗作はそれをいつも不思議に思った。失敗作と張り合ってどうするのか?失敗作はいつも思っていた。
失敗作は自己愛者であり自己嫌悪者である。
失敗作は人が苦手である、いや、嫌いである。苦手は克服できるが嫌いは克服できない。
失敗作は感情を表に出すことは無い。いつも仮面を被っている。それを何重にも重ね失敗作自身も本当の失敗作は判らない。だから失敗作は感情を表に出せる人を尊敬し軽蔑する。
失敗作は他人に理解してほしいとは思わない、他人を理解しようともしない。
失敗作はいつも表面上でしか付き合わない。
友達とは何か。失敗作の『友達』の定義は仲の良い知り合い。失敗作には友達と呼べる人は沢山いた。しかし『親友』と呼べる人はいない。
失敗作は孤独をとは苦には思わない。人は皆孤独なのだ。
失敗作は一から失敗作ではなかった。製作途中は周りと同じ様に組み立ていたはずだ。しかしそれはずれていた。目には判らないとても微少なズレだった。しかしそれは月日を重ねるごとに大きなズレになっていた。気付けばそれは失敗作になっていた。
失敗作はそれで完成なのだ。もう修正することも組み直すことも出来ない。
失敗作にとって人生とは死ぬまでの暇潰しなのだ。
失敗作は他人に中身を知られたくなかった。他人の中身も知りたくない。
失敗作は八方美人でいるようにしていた。それは誰からも悪く思われたくないからだ。
失敗作は偽善者である。他人を悪く言わないのも八方美人でいるのも良く思われたいからいや、悪く思われたくないからだ。
人の感情で一番強い感情は憎しみや怒りといった負の感情である。
人を好きになるのも嫌いになるのも特定の人を心の中で強く想うことでは同じなのだ。
失敗作は言葉を遣うのが巧くはない。言葉は一度発したら後戻りは出来ない。そして言葉は真実とは限らない。
この世には嘘が溢れている。建前と云う名の嘘。お世辞と云う名の嘘。言い訳と云う名の嘘。偽装と云う名の嘘。虚勢と言う名の嘘。夢と言う名の嘘。希望と言う名の嘘。
失敗作には他人を想う心が無い。他人に共感することがないのだ。どんな感動的な映画を見ても、どんな悲劇を観ても、どんな悲しい物語を読んでも泣くことがない。
失敗作には何も無い。
失敗作は完成品の振りをし続ける。今日も明日も明後日もずっとずっと……………………………………………………………………………………………………永遠に………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………失敗作が壊れるまで。
あなたの周りにも失敗作は居るかもしれない。
でも完成品のあなたには判らないかもしれません。もし見つけてしまったらあなたはどうしますか?
励ましますか?
希望を与えますか?
それとも『お前は失敗作なんかじゃない』と叱咤しますか?
そんな事はしないで欲しい。失敗作のことを可哀想とか哀れむことはしないで欲しい。
何もしない、
何も思わない、
何も干渉しない。
それが失敗作の唯一無二の望み。