天から舞い降りてきた者
いつも思ってた。
こんな私を愛してくれる人はいるのか……と。
そんな私が出逢った人。
彼はまさに天から舞い降りて来た天使のようだった。
「名前は?」
私は彼に聞いた。
彼は路上に座り込んで、天を見上げていた。
「ねぇ」
「……シン」
彼はそう名乗った。
「何してる人?」
「……」
シンはこっちを少し見て、また天を見た。
「職業は?」
「……言っても信用しないから」
「いいから言って」
「……天使……」
(……天使!?)
まさか……!
天使なんて、絵本だけの存在。
それをシンは照れもせず、マジな顔で言った。
天使なんて存在するわけない。
天使のような人はいるけど、天使はいない。
「……信じてないだろ」
シンは私を見て膨れた。
「だって!天使なんて……!」
いるわけない……。
言葉を呑み込んだ。
シンが今にも泣き出しそうな顔をしたから……。
「ねぇ。ウチ……来る?」
何故か、そう言っていた。
それに寒空の中にいたら、凍えちゃう。
「……おいで。シン」
シンに手を差し伸べた。
シンは私の手をじっと見て、そして黙って立ち上がった。
何も言わずに私の後を静かに着いて来た。
ウチに戻った私は彼を部屋に招き入れた。
その事に、何の抵抗もなかった。
いつもなら男の人をウチには入れたくないって思うのに、何故か自然と中に入れていた。
「そういえば、名前言ってなかったね」
カップにインスタントコーヒーを入れながら、私は言う。
シンは私を見ていた。
その彼を見て私は続けて言った。
「名波はるか。これでも一応、プロのカメラマンよ」
シンにそう言うと、テーブルにコーヒーの入ったカップを置く。
シンはコーヒーを見つめていた。
どうしたらいいのか困っているのかな。
「身体、冷えてるでしょ」
そう私が言うと、カップに手を伸ばした。
私はチェアに座り、明日のスケジュールを確認する。
そんな私を見ている。
そして黙って、コーヒーを飲む。
「ニガイ……」
飲み慣れないようで、シンはそう言った。
「あ……。ゴメン。お砂糖、いる?」
シンの目の前に角砂糖を置いた。
それをじっと見て、シンは手を伸ばす。
「ごめんね。気付かなくて。私、ブラック派だから」
シンにわらいかけて、またスケジュール帳を見る。
シンは角砂糖を四つも入れていた。
(甘党なんだ……)
ぼんやりと彼の取る行動を見ていた。
何だかコーヒーを飲む姿を写真にしたいと、思った。
「ねぇ……。何で?」
目を擦りながら、シンは漸くセリフらしい言葉を発した。
私を見て……。
シンが言ってる意味は分かっていた。
「さぁ……?」
自分でも分からない。
何で、シンを連れ帰ったのか……。
分からない。
だけど、あのままほっといたら、消えてしまいそうだったんだ。
だからほっとけなかったのかもしれない。
シンは私の言葉に疑問を感じただろうか。
その日、シンは私のアパートの隅で毛布にくるまって眠った。
ベットを使うように言ったのだが、シンは部屋の隅に行った。
「せめてソファで眠ったら?」 と言う私に首を振って隅っこで眠った。
すぐにシンは眠りについた。その寝息を聞きながら、私は夜空を見上げた。
都会には珍しいキレイな星空だった。
「……一体、誰なんだろう……」
シンの寝顔を見て、そう呟く。
子供みたいに眠るシン。
彼は誰なんだろう。
そう思いながら、ベットに潜り込んだ。
(明日、どうしよう……)
私はそう思った。
ひとりでこの部屋に残して大丈夫か しら……。
でも、行き場もないみたいだし、悪そうには見えないし。
ひとりで留守番させてみようか。
私は小さな賭けに出た。
シンをこの部屋に置いて、仕事に出掛けるという賭け……。
「シン。仕事が終わったら直ぐ帰ってくるから」
私はシンにそう言って、アパートを出る。
アパートにひとり残すのは不安だった。
シンは何処か陰のある気がした。
(ひとりにして大丈夫かな……)
そんな思いが胸を締め付ける。
心配なのは、シン自身の事。
何かワケがありそうな雰囲気だった。
「はるか」
顔馴染みの取材相手がそこにいる。
今日は雑誌の取材の為、あるスタジオにいた。
相手は今人気のアイドル。
といってももうそんな歳じゃないけど。
デビューの時からの付き合い。
「なんか、元気ないよ」
顔馴染みになってるから、平気で名前を呼び合う。
お互いの事を気遣う。
「何でもないよ。仕事、始めるよ」
私は言って、カメラを出す。
出したのはいいが……。
またいない。
私の一応、仕事上のパートナー(不本意だけど)がいない。
やつはいつもこうだ。
ライターのくせに……。
そう思っていたら、ライターが慌てて走って来た。
このライターはいつも遅刻する。
取材相手を待たせるのは、ライターとして、社会人としてやってはいけない事なのに。
「また遅刻!あんたがいないと始まらないのよ」
私はそう怒鳴り散らす。
「すみません」
頭を下げても、コイツは懲りないのを知っている。
「さ、始めますか」
やつは何事もなかったかのように準備を始めた。
こんな風に仕事してる間も、シンの事が気掛かりだった。
タタタ……!
急いでアパートに向かう。
途中で買い物をする為にスーパーに寄り、野菜やお肉などの食材を買い込んだ。
「シン、待ってるよね」
私はまた走ってアパートまで急ぐ。
こんなに急ぐ家路は初めてだった。
ガチャ。
「ただいまー!シン?」
部屋にいる筈のシンに声を掛ける。
奥からシンが顔を出した。
「あ……。はるか」
「ただいま。お腹すいたでしょ。ちょっと待ってて」
と、買い物してきた物を出す。
たいしたものは作れないけど、とりあえず作り始める。
その姿をシンは見ている。
何がそんなに嬉しいのか、ニコニコとして。
「今日、何してた?」
「何も」
「そっか」
シンはまたニコニコ笑いながら、私を見る。
(ほんと、子供みたいなコ)
私はシンが可愛くて仕方なかった。
男の人をこんな風に想えるなんて、今までなかったかも。シンはどんな育ち方してきたのだろう。
どんな生き方してきたらこんなに真っすぐなコになるるんだろう……。
あの日からシンとの生活が始まった。
私は仕事をし、シンは家にいて家事をする。
私がシンを養ってるみたいだ。
「じゃ、行ってきます」
私はシンに笑い掛ける。
そんな私にシンは答える。
「いってらっしゃい」
そう笑う。そんな些細な事が嬉しかったりする。
(私とシンはどんな関係なんだろう……)
一緒に暮らしてるのに、イマイチ分からない事。
私はシンをどう思ってるのか。
シンは私をどう思っているのか。
まだお互いの事を分かってはいない。
お互いの今までの事。
どこで産まれ、どこで育ちどんな恋をしてきたか……。
私はシンの事を何も知らない。
そしてシンも同じだ。なのに、離れられない。
このままずっと一緒にいたい……。
そう思うようになっていた。
「はるか」
仕事仲間に声を掛けられる。
「今日、飲みにいかない?」
そう誘われる事はしょっちゅう。
「あ……。ごめん。当分は無理だな」
私は仲間達にそう告げる。
最近、仲間からは『付き合い悪くなった』と言われる。
でも、早く帰ってあげなきゃ、シンがかわいそうだし。
何より、私がシンに逢いたいのだ。
シンは私の中で確実に大きい存在になってる。
「シン?」
急に狭くなったアパート。
それでも居心地がいい。
日に日にシンの物が増えていく。
そしてこの部屋にはシンがいる。
「おかえり」
シンはそう迎えてくれるから。
笑って迎えてくれるから。
私はここに帰ってくる。
「ただいま」
シンに抱きつく。
可愛くて仕方ない。
可愛くて……。
抱きつくと、シンも抱きしめ返してくる。
こんな幸せ、今まで感じた事はなかった。
今までは、どんな男の人と付き合っても、こんな風に優しい空気は流れなかった。
いつもピリピリした感じで、イライラしてた。
私には恋愛は無理だと思っていた。
でも……。
シンは違う。
シンは私を迎え入れてくれる。
どんな事があっても、優しく微笑んでくれる。
それがすごく、好き。
その人となら大丈夫って思わせられる。
私は知らなかった。シンが現れた目的を……。
シンは一体誰で、何の為に現れたのか。
シンとどうして出逢ったのか。
出逢わなきゃいけなかったのか……。
ひとり、何も知らずに、幸せに浸っていた。
それが今でも哀しい。
シンの抱えていた事に、なぜ気付かなかったのか。
「シン」
いつものように私はシンに声を掛ける。
シンはベットの中でうずくまっていた。
「朝だぞ。もう起きなよ」
シンに声を掛けても返事はない。
体調を崩しているのかな。
ただ、眠いだけなのかな。
(眠いのかな……)
仕方なく、シンをベットに寝かせたまま私は仕事に出掛けた。
この時、シンをひとりにしなければ良かったんだ。
ひとりにしなければ、こんなに後悔する事はなかったんだ。
仕事をしている間、私は考えもしなかった。
シンの身に何が起こってるのか……。
「ゆいちゃん!いいよ。とても素敵」
私は今売り出し中のアイドルのゆいちゃんを撮っていた。
その間も何も考えず、夢中で写真を撮る。
シンの事も考えずに……。
「お疲れ様!」
スタジオにそう声が響く。
スタッフも片付けを終え、みんな帰路につく。
私はひとり、会社に戻り、写真を現像する為に暗室に入る。
私の仕事はまだ終わりそうになかった。
「はるか。まだ終わらないの?」
同僚のコは暗室にいる、私に気遣ってくれている。
休憩のために暗室から出てきた私は彼女に言う。
「まだちょと……ね」
「彼、待ってるんじゃない?」
彼女には、シンの存在を話していた。
「うん。でも……。途中にしたくないし」
「頑張りすぎるなよ」
彼女はそう言って、デスクの戻る。
自分も仕事の為に、社に残ってるのに。
「そっちもね」
こんな会話をしてる時は、すっかりと忘れていた。
仕事に熱中してると、周りが見えなくなっている。
いつものクセ。
社を出たのは0時を回っていた。
「はるか!お疲れ。気をつけてね」
「そっちも」
同僚は私同様に0時過ぎまで仕事をしていた。
急ぎ足でタクシーを拾う、同僚を見送って、私もアパートに急いだ。
シンが待ってる、アパートに……。
バタバタ……。
ガタン……。
部屋に物音が響いた。
持っていたカメラやバッグを落としたのだ。
「……シ……ン……?」
部屋に声を掛ける。
いないのは分かった。
静かに私の声が響く。
シンの物もシンの姿もすっかりと何もかも彼に関する物は残されてなかった。
シンはいなくなったのだ。
ぼんやりとした頭でそう理解した。
だけど……、それがどんな意味を表してるのか、分からなかった。
いない。
私が大切にしたいと、願った、シンは……。
今朝、眠っていると思った時、ほんとは起きていたのかもしれない。
シンは私に顔を合わせずらかったのかも。
でも何で……?何で急に……。
そう自問自答しても、答えなんか出てはこない。
だって、シンはもういないから。
何も言わずにいなくなったから。
たったひとつの手紙を残して……。
“はるかへ
僕はもう行かなければならない。僕はもうはるかの傍にはいられないんだ。
あの日、はるかと出逢ったあの日。僕は天から降りてきたんだ。僕はほんとに天使なんだ。愛を与える天使。愛の天使。
だけど僕は愛を知らなくて分からなくて。どんなものなのか分からなくて。神様が地上へ降りて愛を知ってこいって。だから、地上に降りてきたんだ。
でも、地上に降りても、どこに行ったらいいのか、何をしたらいいのか分からなくて……。
そしてはるかに逢った。はるか。僕ははるかと一緒に生活していくうちに楽しくなっていたんだ。天使だって事を忘れていたんだ。
そして君に恋をしたんだ。
天使が人間に恋をしちゃダメなんだ。掟で、天使同士の恋も、天使と人間の恋もダメなんだ。神様にバレたら、罰が下る。双方に……。
だから……。これ以上、はるかに迷惑かからないよう、これ以上、深みにはまらないよう、消えるよ。
さよなら……。はるか。
僕の大切な人。
シン”
ポタ……。
ポタ……。
涙が溢れた。
止まらなかった。
「……ン……。シ……ン。……シン!!シン!!」
私はシンの名前を呼びながら泣いて眠った。
その日。
シンがいなくなった、その日。
夢を見た。
シンの夢。
シンには大きな真っ白い翼が生えていて、地上に愛をふりまいてる。
キラキラとした愛を……。
そして、私のアパートへとやって来た。
泣きながら眠った私の傍に来て、そっと涙を拭いた。
シンは愛の天使だった。
誰よりも素敵な愛の天使。
こんな私に人を愛する、本当の意味を、本当の素晴らしさを教えてくれた。
私にとっては、シンは最高の天使……。
いつも一緒にいて欲しいと願った、天使なのに……。
目が覚めると、部屋にはシンがいたという空気が漂っていた。
証拠はない。
でも、確かにシンはここに来た。
私は……。
シンを本当に愛していた。
シンがいなくなって、初めてその強さに気付いた。
シンがいない事の寂しさが、こうまで私を落ち込ませる。
でも、もう……。
「こうしてても仕方ないよね。いないんだもの」
私は会社へと向かう。
シンとの事、なかった事にして生きていかなきゃいけない。
私は私の生活がある。
シンはシンの生活がある。
私がどんなに願っても、私から離れていった、シンが戻る事はない。
シンの事、思い出にしていかなければいけない……。
出来るかどうか分からないけど、そうやって生きていく。
「名波!」
上司が叫んだ。
「新人、入ったぞ。お前のアシに使え。おーい!森山ー」
森山と呼ばれたコが振り向く。
そのコは背の高いコだった。
シンと同じくらい、背の高いコ。
(え……。嘘……)
私に近寄ってきた、彼。
シンにそっくり……。
言葉を失った私に彼は頭を下げた。
「森山心です。よろしく」
そう言うと、彼はにっこりと笑った。
その笑顔もまた、シンに似ていた。
あの天使の笑顔に……。
「じゃ、頼むぞ」
上司が去ってから心君は私を屋上に連れ出した。
ほんとによく似てる。
これじゃあ忘れようとしても、忘れられそうにないじゃない。
屋上には誰もいなかった。
心君は振り返り笑った。
「久しぶり。はるか」
「シン……?ほんと……に?」
頷く、シン。
「追放……。されたんだ」
「え?」
「バレたの。はるかに……。恋した事。はるかが……。僕に恋した事」
顔が赤くなるのを感じた。
「神様は何でもお見通し。僕を追放して人間にしたんだ。それが罰だって……」
「じゃあ……」
「ずっと一緒だよ、はるか」
シンはそう言って、私にキスをした。
離れる事はしない、約束のキス……。
シンはまさに天から舞い降りた者だった。
私にとって最高の贈り物だよ……。
Fin
何年か前に、クリスマス用に書いたものです。
クリスマスと言えば“天使”と単純な思いからこれを書いたんです。
天使と人間の恋……なんて、ちょっと素敵かな……なんて、夢見がちなテーマを持って来たんです。
天使とか好きだったりします。
でも、昔に書いたものなので、文がメチャクチャ。
それは勘弁してくださいね。
次はこのお話の番外編として書いたものを載せます。これより短いお話です。