第6話 父の陽光47歳と息子のシンの関係
西暦2059年。シンは普通科高等学校へ通う十八才の少年と成長し、父、陽光はヘヴィ・ワーカー乗りとして働き轟親子は父と子二人で生活をしていた。妻でありシンの母親である真珠が失踪したと言うのに陽光は何の行動も取ることなく……失踪から三年を過ぎた時、真珠から離婚承認申請を受けていた陽光であったが、それすら放置したままであったため自動的に離婚が成立していた。親権は陽光に渡すということで。
『シン、いいか? 人間はどんだけ頑張ったって自分独りだ。どんだけ惚れた腫れたで女と抱き合ったところで他人は他人で自分じゃない。生きるには自分独りでなんとかしなくちゃダメだ。食い物の調達、着るもの、住むところ、それを守るためにお前は勉強やら何やらをやらされているんだ』
陽光の教えは洗脳と言えるようなものだったと今のシンには言える。しかしそれがどういう性質のものであったとしてもそういう形で育てられてしまい、それに気づいたところで今さらやり直しはできない。
古典ハリウッド映画のように過去へ行くことができるのならば少なくとも自分を置いて消えた母親に接触して真相を知りたいし、まだ小さかった自分をなんとか今のようにならないように助けられるのに。いっそう自分を産まずに済むように陽光と真珠の出会いを阻止するのに。
もちろん現実は車が空を飛ぶようなことすらない今現在だ。そんな陳腐な思いを考える自分が馬鹿馬鹿しい。今は今を耐え忍び、馬鹿な親との関わりを絶つことだけをシンは考えている。
何であれ、今のシンは家事を簡単にやってのける技術は身に付けている。アルバイトでわずかながら自分のIDバンクに貯金もある。
『それが親父のお陰だなんて全く思っちゃいない。誰にもそうは言わせない……』
――なぜ?
『どうして小学生の子供が親の世話をしなくちゃいけないんだ?』という疑念を持っているからだ。
シンの止まない親に対する思考のこびりつきは激しく、今、そしてこれからの彼の原動力となっていくこととなる。これは幸福な事なのか? それとも不幸な事なのか? それを決めるのはずっと先のシン自身になるであろう。
*
今日の夕飯は残り物で作ったあんかけ野菜炒めだ。あとは同じ具材で作った赤だし味噌汁。自分で食べるだけのものだ。別に自分の腹が膨らめば問題ない。シンには味に拘っているだけの余裕はない。しかし今日はそれを二人分用意していた。
突然、普段連絡のつかない陽光から『今日ちょっくら帰るから飯頼むわ』とメールが入るとシンは気が向かないが陽光の分を一応用意していた。それを十年以上やってきた。だから慣れているかと言えば真逆である。
シン自身の自我が芽生え、思春期にもなれば反抗心も当然芽生える訳で自分の父親の勝手気ままな傲慢さを腹立たしく思っていた。しかし今の自分は腹立たしい父親の金で生活している。結局 いつもそこを突かれてシンが従うしかなかった。
この卑怯な父親のやり口にやり場の無い憤りを強く深く蓄えていたシン。せいぜいたまに顔を合わせる父親に対して口答えをして気を晴らすのが今シンにできる精一杯であった。
シンは食事を済ませると食器をシンクへ運びそそくさと手洗いする。隣のリビングでは陽光が缶ビールを飲みながらリモコン片手にテレビを観ている。
「親父、少しは手伝えよ。俺、受験勉強で忙しいんだから」
毎回このシチュエーションで言っている言葉だが今日は“受験”という言葉を付け加えてみた。
「受験って、お前、大学行くんか?」
シンは食器を洗いながら、陽光はテレビを観たままでの会話。
「ああ」
「あほか。そんな金はねえぞ。それに鳶が鷹を産むわけねぇだろう。お前には無理だ。だいたい何のために大学行くんだ? 頭使う前に体使え。ヘヴィ・ワーカーは金になるぞ。金があれば女は寄ってくるしよぉ」
陽光の酔っぱらったたるい声での返事がシンの耳に届くとシンは苛立った。
(何かあればすぐ女だ。この梅毒野郎)
「女が寄って来るんじゃなくて親父が金出して女に会いに行ってんだろっ? くだらねぇ事ばかりに金使いやがって。金があるんだったらちゃんと生活費をきっちりくれよ。先月も家賃滞納しそうだったんだぞ!」
シンは陽光を見ることなく声を上げた。
「悪ぃ、悪ぃ、つい忙しくってお前の口座に入金するの忘れとったわ」
「何が悪ぃ、悪ぃだ。だいたい親父が世帯主のくせしてなんで家のIDバンクに給料入れねぇんだよ? おかしいだろ? で何で俺がバイトした金を生活費に充てなきゃいけないんだよ!」
シンは言葉と同時に洗っていたお椀を強くシンクへと叩き置いた。そして二人の間には沈黙の空白時間ができた。
こんな会話を陽光と顔を合わせる度にしてきたシンは真珠が陽光の元から離れていった気持ちは理解できていた。ただその男に自分を預けていった行動をどう解釈していいのかが解らず、常に頭の裏側でざわついていた。
ビールを飲み干した陽光は黙ったまま缶を握りつぶすとゆっくり立ち上がりダイニングへと来た。
苛立ちを隠せないシンはお椀を割ってしまいそうな力で押さえつけたまま手を震わせている。顔はうつむき視点は定まっていない。
陽光はシンクの横にある冷蔵庫を空け中を覗くと淡々と言った。
「なんだ、シン。ビール買ってきてねぇのか」
この言葉はシンの感情を綺麗に逆撫でた。
シンは陽光を横目で睨みつける。陽光はシンの態度など全く気にかけることなく舌打ちをして冷蔵庫の扉を閉める。
シンはお椀から手を離すと素早く蛇口を開け手の泡を洗い流す。そして陽光がゆったりとリビングへ戻ろうとしている体を濡れたままの右手で肩を掴んで制止させた。
肩に手が乗った事に気が付いた陽光は無意識に振り向く。シンは振り向いた陽光の胸倉を掴み、大声を張り上げ唾をも飛ばしながら陽光の顔に向かって叫んだ。
「そんなんだからお袋がいなくなっちまったんだろうがよぉ‼」
今のシンは気がつけば陽光よりも僅かながら背丈が高かった。僅かながらでも見下げた目線を見せた息子の大声に陽光は目を見開いて驚きの表情を見せた。
髪の毛にも白髪が目立つ歳となっていた陽光。今年で47歳。落ち着き払っていても良さそうな年齢であろうが、そこは陽光だ。所詮ガキの戯言として右から左へと聞き流すつもりでいても、実際は自分よりでかくなったことでさえ気に入らないと思っていた陽光はシンからの気に入らない言葉と態度を受け、低く太く、そして昔と変わらない特徴的なしゃがれ声で自然に言葉が出た。
「誰に向かってその態度だ?」
「アンタだ」
反応の早い挑発的なシンの対応。
「ああ? アンタだとぉ?」
陽光の赤ら顔で眠そうであった目つきがシンの反応で下から見上げる形で脅迫視線を使ってシンへぐっと近づき男臭い争いの幕開けを感じさせる緊張感が静まり返ったダイニングを埋め尽くす。
しかしシンには微塵の緊張も動揺も無かった。それは父親より背も伸び、自分で家事をこなし、家計のやりくりをし、今までの生活を維持してきた事実が生み出す自信が陽光の圧力を撥ね除けているのだろう。
「俺はお前の親父だ。俺がいなかったらお前なんかとっくに死んでただろうが。何様だ? えっ?」
低音を響かせ迫る陽光。それを鼻で笑うシンは静かに怒りの感情を言葉に乗せクレシェンドしていく。
「アンタがいなかったら俺はいなかったろうよ。でもよ、その前にお袋がいたから俺がいるんだろうが。だいたい、アンタが俺に何をしてくれたって言うんだ? ろくに家に帰ってこないわ、金すらまともに置いてきゃあしない。それもお袋が居なくなった時からなぁーっ!! 小学生の子供をよく平気で独り放りっぱなしできたなぁ! 迎いのキヨ婆ちゃんがいたから俺はなんとか自炊とかしてやってこれたんだぞ! ナニ威張って親父気取ってんだ? 俺はアンタの女か? 飯の世話して金までバイトで工面して。それでアンタが俺の親父だと言うんかよ? 親父なら親父らしくしてみろよ!」
胸倉を掴み上げ陽光を睨みつけるシン。
体が大きくなったと言っても陽光にしてみれば子供は子供だ。精神的余裕はシンの数十倍はある。陽光はニヤリと笑って言う。
「俺が種付けしたんだ。親父だろ?」
「……」
シンを苦しめる陽光のふざけた言葉。シンを抑えていたものが取り除かれた。
「テメェの不逞さに俺は苦しめられてんだよっ‼」
シンはそう叫ぶと陽光を渾身の力で突き飛ばした。
その勢いは陽光の体格からは遠くかけ離れた軽量感で一瞬にしてシンから遠退き、陽光はそのまま足が絡んでしまい鈍く大きな音を立てて尻餅をついた。
陽光は酔っていたとはいえ自分の子供に簡単に突き飛ばされた事実に発狂した。
今さっきまで酒に酔ってゆったりとした動作を見せていた陽光が瞬時に起き上がりシンに向かって一言も発せず左肩から体当たりをした。そのあまりの速さにシンは何が自分に起きたか分からないまま吹き飛ばされシンク前に置いてあったワゴンへぶつかりキッチンの床周りへ食器やわずかな食べ残しが散らかった。
陽光の体当たりは完璧な不意討ちであった。シンのみぞおちへ見事にはまり、シンは息のできない状態で倒れ込み苦しむ。
陽光はそのままシンへ馬乗りになって叫んだ。
「グダグダと文句タレてんじゃねぇーっ! 男っちゅうもんは独りで生きてく力をつけなくちゃいけねぇだ! なんだかんだ言ってお前は独りで生きてく力をそうやってつけてんだっ! 俺のおかげだろうが! この世の中は温々ほんわか社会じゃねぇんだ。分かるか? だからテメェのお袋はお前を置いていったんだ。俺のせいじゃねぇよ。俺は今、ここにいるだろ? 分かるか?」
一気に言葉をシンに吹き掛けた陽光の息遣いは荒かった。
シンにとって陽光の理解不能の理屈は反抗心に拍車がかかる。シンは呼吸を取り戻すと一気に陽光を跳ね飛ばし起き上がった。
息を整えていた陽光は再び不意を突かれて軽々とシンにはね飛ばされ床へと転がった。
「自分の女に逃げられたことを理不尽な理由をつけて自分を正当化してんじゃねぇよっ!」
「なんだとぉぉ!?」
よたつきながらもすぐに起き上がった陽光。
「アンタのだらしなさが全てだろうがぁっ! 俺はアンタらに望まれて生まれて来たわけじゃねぇんだろ? 俺だって望んでアンタらを親に持ったわけじゃねぇんだ!」
「子供っちゅうのは皆ヤッちまったから生まれてくるんだ。理屈じゃねぇんだよ。好きだとか愛してるなんてそんなキレイな言葉で片付けるようなモンじゃねぇんだ。だから頭使うヤツはダメなんだ。すぐあれこれ理屈をつけたがる。ったく顔だけじゃなく性格まで真珠そのものだな」
陽光はそう言って大笑いした。
無駄と分かっていても収まらない気持ちに苛立ちが激しく残っていたシンであったが、これが自分の立場なのかと諦めの気持ちも抱き合わせた状態に疲労感が沸き起こりぽつりと声を漏らした。
「これが自分の親だなんて信じたくないね……」