表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
親父のくせに  作者: 佐野隆之
第一章 家族
5/35

第5話 欠落(けつらく)

 陽光が見つけて入ったレストランは夕時のピークからまだ遠い時間だったこともあり待つことなく三人は座ることができた。

「喉渇いたな。ビールでも飲もうぜ」

「いいわよ。私は遠慮しとくけど」

「なんだ、気味悪ぃなぁ。ここはいつもなら『あんた馬鹿じゃない?』だろ? よっぽど疲れてんだなぁ。ここは俺が出すから真珠さんは好きなもんたらふく食べてちょ」

 そう言いながら陽光はテーブルの天板に映し出されているメニュー画面を手のひらでフリップさせ品定めしている。その脇でシンは陽光がさっさとメニューを切り替えていく画面に合わせて目をぱちぱちさせて自分の食べたい物を探す。

「ぼく、これ」

 セットメニューの画面になったところでかるた遊びのようにシンは小さな手をトンとのせた。するとシンの触れたメニューの部分が大きくなり明るい女の子の声が鳴り響いた。

『今日の人気度は2位のキッズランチだよ! 今なら選べるディズニーキャラクターのキーホルダーがついてくるよ!』

「やっぱお子さまにはお子さまランチがお似合いだわな。よっ、お姉ちゃん。大人さまランチはないのかい?」

 ちょうどそこへ水を運んできた30才前後(陽光による推定)のウェイトレスへ陽光はしゃがれ声を飛ばした。陽光の声に少し目を広げ驚き表したウェイトレスだったが、グラスを品よく静かに置きつつ軽い笑顔を作って陽光へ丁寧に応えた。

「申し訳ありません。そういったものは用意いたしておりませんが、この辺りのセットメニューが大人の特に男性の方に人気がございますが」

 ウェイトレスはテーブルの上で手のひらをしなやかに動かし肉類をメインとしたメニュー画面へと切り替えた。

「おお、ガッツリとステーキいっちゃうか。俺、このサーロインのセットで。あと焼きはレアでね。血がぶぁーって感じの」

 陽光は両手を広げ目をも剥きだすド派手なアクションで言ったものの30才前後(陽光による推定)のウェイトレスはゲスト向けスマイルを作るだけで冷静に応えた。

「申し訳ありません。この時期安全上当店ではミディアム以上の焼き加減しか対応いたしておりません。ですからミディアムでいかがでしょうか?」

「そっか。姉ちゃんが言うなら仕方ねえな。じゃそれで」

「はい。ではアメリカ産サーロインステーキのセット。ミディアムで。ライスとパンが選べますがどちらがよろしいですか?」

「もちろん米で」

「はい、ではライスで。あとお飲み物は?」

「アイスコーヒーを食後で。ブラックでいいわ」

「承知いたしました。坊っちゃんはキッズランチセットで良いですか?」

 ウェイトレスは前かがみになりシンと目線の高さを合わせて聞いた。するとシンは「坊っちゃんなんて言うほどのものじゃないです」と妙な落ち着きで応えた。その意表をついた応えに陽光はガハハと大笑いし、シンの可愛らしい声と真顔の受け答えにウェイトレスはメニューシートで口を覆ってくすくすと笑った。

「シン。楽しいこと言ってくれるねぇ。そうだわな。ウチはそんな品の良いところじゃねえからな」としゃがれ声で大笑いする陽光。正面に座る真珠は陽光の話に口を閉じたまま言う。

(品がないのはアンタだけだ)

 真珠は表情一つ変えることなく頬づえをついて暇つぶしでもしているかのようにメニュー画面をフリップさせている。

「じゃあシンくんでいいかな?」

 ウェイトレスは笑いを沈めつつ手にしていたフィルムノートタイプ(フィルム型電子端末)のメニューシートを一枚めくりシンに向けて見せた。そしてその画面の上に表示されていたミッキーマウスのロゴマークを指先で軽く触れるとフィルムノートの前にミッキーマウスやスティッチ、そしてドナルドダックといったキャラクターのキーチェーンの立体映像が現れた。

「オマケはどれが良いですか? シンくん?」

 シンに顔を近づけまろやかな声で聞くウェイトレスに陽光がしゃがれ声で口をはさむ。

「俺はお姉ちゃんが良いな」

 それを耳にしたウェイトレスは間髪入れずに「それはできません」と冷ややかぎみに応えた。手慣れた感じだ。しかしそこへシンが「じゃ僕もお姉ちゃん!」と言うと、その愛嬌ある元気な言い方にウェイトレスは思わず大声で笑ってしまった。

「息子よ。見事だぞ。そうやって女の笑顔を引き出すんだ。今のお前は可愛さが武器だからな。自分をよく知って使えるものはガッチリ使わんといかん」

 陽光はシンの頭をポンポン叩きながら言った。

 そこでウェイトレスは「奥様に叱られますよ」と真珠へと顔を向け「奥様はお決まりでしょうか?」と話の空気を入れ換える。

「おう、真珠さんは決まったかい?」

「私はスパークリング・アイスティーを」

 相変わらずの事だけに真珠は笑う訳でも怒る訳でもなく静かに応えた。ウェイトレスからは良からぬ夫婦関係だなと推察されていることは明瞭であるが今さらここで芝居をする気はもうない。


 料理がやってくるとシンと陽光は互いに分けあい食事を楽しむ中、真珠は時折ストローに口をつけてはスマートフォンばかり眺めていた。陽光は特段その行動は気にはしていなかったがステーキを頬張りながら真珠へ話しかけた。

「なぁ、真珠さん。ホントに飯食わなくてもいいのかい?」

「ん? ええ。……美味しい?」

「おお、でらウマだぜ。やっぱ肉はアメリカものだな。どうだ一口?」

 陽光は一口大に切った肉をフォークに刺して真珠の目の前に。

「いいわよ」

 真珠はそれに目をやることなく、ぼんやり露骨な退屈顔でストローを回している。左手にはスマートフォンが握られたままだ。


 陽光は真珠に男がいることはとうの昔から知っていた。その相手が何処の誰かまでは知らないが。それに知ったところで別に自分の生活が変わるわけでもない。真珠が真珠でそれが幸せならそれで良い……などと言うほど深い考えあるわけでもないのが陽光の本意だ。分かりやすい話が()()()()であるから。それを知っていても知らぬふりで済ますわけである。

 お互いがそのような互いの都合の部分は理解しているため適度な距離感を今日(こんにち)まで維持してきた。正確には維持しているように見せてきた。

 誰に? 息子に。いや、その前に周囲の人々に、だ。言葉を交わさずとも真珠と陽光の意思が一致していたところである。

 では二人の関係が始まった頃はどうだったのだろう? そう考えてみるのは真珠で、昔の思いを引きずることなく現在(いま)だけを満喫するのが陽光だ。その組み合わせが二人の現状をまざまざと物語っている。


 真珠が疲れたからと言って入ったレストランでの食事時間であるわけだが、夫婦二人の行動に変化をみせることなく時間は流れ、約束通り陽光のIDクレジットで支払いを済ませると轟家は店を出た。

 外はもう陽が傾き周囲は華やかなイルミネーションで彩られ、よりファンタジックな世界へと変化していた。

 そのファンタジックな世界に酔いしれる人々の群れは昼間と変わらずごった返している。この時期の夜は電飾パレードと合わせて盛大な打ち上げ花火が行われる。それを目的にナイトチケットで夕方から来る客も多いせいだ。


 そして今轟家がいる場所は真珠が抽選で当てた指定観覧席である。この区域一体だけには透明の屋根が取り付けられている。高さは20メートルを越える場所にあるためこの屋根があることに気づかない人もいる。昼間は紫外線カットや断熱効果に一役買い、雨の日には雨避けとなっている所謂アーケードなのだが、このアーケードには大事な役目がもう一つあった。それが夜のミュージカルだ。屋根全体がスクリーンとなり照明と映像が実際の夜空を背景にして非現実性の高い幻想空間を生み出す。それを観たいがために指定観覧席は競争率が非常に高い。

 それが何がそうさせたのか、いつかは観たいと思っていた真珠はダメ元で予約を入れておいたら取れてしまっていた。これを皮肉に感じた真珠であったが、それも今の彼女にはもうどうでも良い思いだ。パレードもミュージカルも。この溢れる人だかりに紛れ自分の姿を消す時が刻々と近づいていることだけに気持ちは向いている。


 午後7時。どこからか深く雄大に響く鐘の音がシンたちの耳に届いた。するとシンはもちろん陽光やパレードを待ちわびていた人々がざわつき始める。そして鐘の音は次第にゆったりとしたテンポとなってくるとそれに同調して周辺のイルミネーションの光が弱くなってく。それは日が沈んでいく様のように。そして最後の鐘の音の残響が消えると同時にイルミネーションが消え一瞬の闇ができた。

「おっ?」

 陽光や初めてこのショーを見るものたちがその闇に声を出すがその続きを言わせないかのようにすぐさま今度は陽が昇るかのごとくにふわりと明るさが舞い戻り、やがて昼間のような強い光がシンたちのいる観覧席一帯を包み込んだ。

 そして観客たちの歓声をもかき消す程の音量の音楽が園内に流れ始めるとともに、その音さえも割って入ってくる声になっていない悲鳴と言える声がシンたちのいる場所から遠く離れた別の場所から聞こえてきた。

「おお、なんだなんだ」

 陽光は声の方を見るものの人の頭ばかりしか見えない。

「ねえ、お父さん。あれ、ミッキーだよ」とシンは真正面へ指差した。

「お、いつの間に」

 シンが指差した先には巨大なスクリーンがセットされておりパレードの様子が写し出されていた。

 待ちに待ったパレードを陽光とシンはスクリーンを見ながら周りの客と一緒になって手拍子をして楽しんでいる。その二人の姿を横目で見る真珠。もう彼女の目には知人よりも遠い存在。ただの見知らぬ仲の良い親子のように映っていた。

 そこへ真珠の手に握られたスマートフォンが蛍のような柔らかい光を発しながらバイブレーションした。カイルからのメールだ。真珠は即座にスマートフォンのカバーを開き内容を確認する。そしてすぐカバーを閉じてショルダーバックへとしまう。

 真珠はその後パレードに興奮している陽光のかくばった横顔へ目をやると『ようやくお別れね』と呟いた。しかしその声は観客の声とパレードの音で誰の耳にも入ることはない。そして真珠は無邪気な笑顔を見せているシンを見やった。

(シン。ごめんね。私はこういう人間なの。そしてあなたはこの私とコレの間に出来てしまった不幸な子……ごめんね。私は不本意な人生を続けるのが苦しすぎるの。ごめんねシン。私の事は忘れてちょうだい)

 真珠には愛する者との別れの寂しさ、苦しさといった心を締め付けるような感覚はなかった。この瞬間は悲しい時ではなく、目映いほどの明るい未来への第一歩として踏み出す人生の転機の瞬間であり、むしろ胸踊る瞬間であった。

 このシンの笑顔と呆れ返るほどのはしゃぎようを見せる陽光を見れば二人をここへ連れて来たことは餞別として役にはたったのだろう。

 真珠はそんな思いだけを残してこの場から消え去った――


 陽光とシンはパレードから花火とのコラボレーションミュージカルまでたっぷり堪能すると一旦人の少ない通りへと移動した。

「なんかつい俺まで夢中になっちまったがやぁ。やられたね、ただのお遊戯事と思って舐めとったわ」

 と言ったところで陽光の胃袋が大きな悲鳴をあげた。

「腹減ったなぁシン。シン、何が食いたい?」

「ラーメン!」とシンは即答する。

「おっ、いいねぇ。さすが俺の息子だ。ここまで来てラーメンが食いたいって言うのは俺とお前くらいだな。ラーメン食えるところはあるか? 真珠?」

 陽光は360度見渡す。

「お母さんいないよ」

 シンは陽光を見上げて言った。

「きっと便所だわ。そのうち連絡来るだろ。俺達はラーメン探しに行こうぜ」

「うん」

 陽光とシンはぶらぶら手を繋ぎながらさっきのパレードで覚えたミッキーの歌を陽光はでたらめに。シンは陽光の間違いを一つ一つ指摘しながら歩いて行く。


 陽光はコッテリした汁に分厚い焼豚がのったラーメンを求めていたがやはりここはディズニーだ。小綺麗で洒落たレストランやカフェばかり。陽光の望む現実的かつ庶民的なものは一切ない。

 遊び疲れていたこともあり陽光はラーメン屋探しを早々に諦め、園内にある真珠が予約しておいたホテルへ向かうことにした。そしてそこで見つけた中華料理店へ入ると腹を空かしていた陽光は目についたものを手当たり次第に頼み5、6人前はあったであろう分量を簡単に平らげた。


「お会計は1万6千860円になります」

「マジかよっ! そんなに食ったか? 臥龍園(がりゅうえん)だったら半分だぜ、きっと」

 陽光はそう言いながらも右手を出しIDクレジットで会計を簡単に済ませた。

「ああいう店はお品良くていかんな。一皿の量が少ねぇんだ」

「僕はちょうどよかった」

「だな。お子様向けだ。にしちゃあ、ぼったぐり価格にしか思えん」

 陽光は爪楊枝を口にシーシーやりながら店を出るとシンを引き連れてそのままエレベーターに乗って部屋へと向かった。


「しかし真珠のヤツ何やってんだ? テメェの旦那と息子を放り出して」

「電話してみたら?」

「おう」

 Tシャツにジーパンのみの陽光がパンツのポケットを一通り漁ったあとTシャツの胸までも撫で回しスマートフォンを探す。

「あれ? 俺、スマホ家に忘れて来たか?」

 それを見てシンは小さな溜め息をひとつ出して言った。

「しょうがないなぁ、お父さんは」

 シンはたすき掛けしていた真珠のお下がりであるCOACHのミニショルダーバッグから自分のスマートフォンを取り出す。

「おい、シン。お前どうしたんだ、それ?」

「お母さんが買ってくれた」

「あの野郎。ガキにこんなもん要らねぇっつぅーの。シン、まさかエロ画像とか持ってないだろうなぁ?」

「エロ画像って?」

「貸してみろ」

 シンからスマートフォンを奪い取る陽光は素早い動作でデータをチェックする。内心期待していたが、残念ながらその手の画像は無く、いつ撮っていたのか陽光には記憶が全くない自分や真珠が写っている今日の画像とシンの友達の画像と動画が少し入っているだけだった。

「真珠のTEL番はもちろん入ってるよな?」

「うん」

 陽光はシンのスマートフォンから真珠に電話する。それをじっと見つめるシン。

「出ねぇなぁ。まぁいいや。そのうち帰ってくるわ。あぁー今日はマジ仕事より疲れたわ。まぁ、面白かったけどな。シン、風呂入ってサクっと寝ようぜ」

 陽光はスマートフォンをベッドの上へ放り投げるとそのまま服を床へ脱ぎ捨てていきバスルームへと入った。

 シンはその脱ぎ捨てた服を見て短い溜め息をつくとそれらを拾い上げてベッドの上に簡単に畳んで載せ、自分もバスルームへ入った。自分の母親がここにいないことに少しの不安を感じながら……


 クィーンサイズベッドが二つあるこの部屋。一つは荷物置き場となり、真珠が持って来た旅行カバンと陽光の脱ぎ捨てた服と、きちんと畳まれたシンの服が並んでいる。そして残りのベッドにはトランクス一枚の陽光とミッキーマウスのシルエットパターンが散りばめられた青い浴衣を着たシンが眠る。陽光の筋肉質な硬く太い腕はシンの枕となって。


――この時どんな夢を見ていたかなんて覚えちゃいない。

――こんな薄っぺらな男女関係で産まれ出てきた俺。親って何者なんだ?

――その薄っぺらな大人は大人なのか?


 思春期が近づくにつれ沸き上がる疑問。それは数珠繋ぎとなって答えなんて意味があるのか無限の輪を作りシンを襲う。


――そしてお袋は俺達の前に二度と現れなかった……

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ