第4話 父の陽光。母の真珠。
轟一家は品川駅からディズニーリゾート直行シャトルバスに乗り換えた。すべては真珠の計画通りだ。後は現地で適当に時間を潰し、夕方適当なところで二人とはぐれて終わり。
家族の一人がいきなり消息不明になれば普通世間では事故か誘拐かと家族親戚は大騒ぎするかも知れないが真珠にそれはないと100%を越えるほどの自信があった。
真珠は母親に育てられ父親は物心ついた時からいなかった。そして真珠が成人し働きに出るようになってからすぐに母親は男を連れ込み同居させた。年頃の娘の存在を気にかけることの無い行動をとる陰気で嫌な男で、その男を今更父親として認める気にもなれず、男の見る目の無い自分の母親が情けなく真珠は早々に息苦しい家を出た。それから一度も連絡を取っていないし、あちら側からもない。
陽光自身も真珠の存在をどうとも思っていないのは分かっている。家政婦か子供のお守り係くらい。月に一、二度しか家に返ってこないような男が外でまともなことをやっているとは考えられない。
そんな男との間に子ができ、婚姻関係を結んでしまった自分もまた母親の血を引き継いだセンスのない女だとつくづく思っていた。しかしまだ自分には未来がある。時間はある。そう強く思い生きていれば活路に出会うものなんだともつくづく思っていた。
盆休み真っ只中のディズニーリゾートは説明不要の人だかりだ。
「こいつはまさに芋洗い状態だなぁ」
面倒臭そうな口調で言う陽光だが顔は喜びひとしおで朝の雰囲気とは違っていた。酒もすっかり抜け陽光的華々しい充足感を味わう。
「やっぱ若ぇ女が多いのぉぉ」
鼻の下を伸ばすという言葉は遥か昔から彼のような男が必ずどこかしらに存在していたから定着した表現だろう。
陽光はそんな表情で何かを物色しているかのように辺りを見回しながら歩いている。そしてシンは陽光の肩の上だ。
「お父さん、恥ずかしいから降ろして」
「何言ってんだ。こんな人混みの中でお前を普通に連れて歩いてたらすぐ遭難だ。首輪に紐つけられるよりは良いだろ?」
身長175センチの陽光に肩車されたシンの姿は人の群れの中でも際立ってよく目立つ。時折すれ違う西洋人からは笑顔で握手を求められシンは困惑していた。陽光はというと肌の色が違う人種の人達には何でも「ハローハロー」と大声で応えていた。そして真珠はその超旧世代的な対応をしている相変わらずの陽光に呆れていた。
今になっても思い出すこの時のシンの気持ちは恥ずかしくも楽しく、優しい父親として陽光のことを素直に感じていた。シンにとってはむしろこの賑やかで楽しい雰囲気の中でピリピリとした険しい表情をしている母親のことが不思議であったし、嫌いであった。
しかしそういう母親が意外な行動をとった時もあった。
「あ、お母さん! ドナルドだよっ!」
シンは陽光の肩車のおかげで遠くまで見通せる。人だかりの向こう側にドナルドダックの着ぐるみを見つけた。そして陽光はシンを肩車したまま人だかりを掻き分けドナルドダックへと近づいた。その時の真珠は陽光を避けるような仕草は消え、陽光の後ろでウキウキしながら張り付くようにしてついていった。
実は真珠は『ミッキーよりもドナルドダックがだーい好きっ!』なのだ。真珠の性格ではずかずかと人垣を掻き分けて入っていくことができる勇気はない。ここは陽光の活躍を利用して大接近する。
大勢の人たちに囲まれたドナルドダックとグーフィーの着ぐるみ。二人がひとつポーズを作るたび、いちいち女性たちの黄色い声が響く。
「おお、モテモテじゃねぇか。着ぐるみのくせに」と難癖付ける陽光。
その陽光と一緒にいること自体に嫌気が差していた真珠であったが、ここでは今日一番と言って良いだろう柔らかい声で陽光へと囁いた。
「写真を一緒に撮ってもらおうよ」
それを耳にした陽光はすぐさま叫んだ。
「おおぃ! ウチらと一緒に撮ってくれぇぇ!」
陽光の低くしゃがれた声が黄色い声を見事に引き裂きドナルドダックたちとその横にいたサポート役の女性の視線を一気に引き付けた。
その視線を確認すると陽光は女性に向かって両手を大きく振る。その上にいるシンも陽光と同じように両手を振ってアピールする。
女性スタッフはシンの必死で可愛らしいアピールを見つけると手を振ってこちらへ来るようにと促した。
(やった! やっぱりこういう時は図々しさと子供の愛嬌は武器になるわね)と真珠は思いつつ「すみませーん」と口にしながら小走りで陽光を追い抜きドナルドダックへと近づいた。
「ほら、あなた。これで撮って」
真珠はスマートフォンを持った手を伸ばし陽光に向かって言った。
「あ、いいですよ。私が撮りますから」
それを見て女性スタッフはすがすがしい笑顔を見せて言った。
「いいですか? すみません」
と遠慮気味に言って真珠は女性スタッフにスマートフォンを手渡す。
がしかし、(余分なものが入る……)というのが真珠の真意だ。そこで「シン、ほら降りて。一緒に並んで撮りましょ」とシンと陽光を離して後で陽光の映っているところを切り取ることにしようとした。
「うん」と素直に真珠へ従うシン。
「おう、そうだな。それにちょっと疲れたわ」
と言って陽光はシンを軽々と持ち上げ肩から下ろした。
女性スタッフは着ぐるみ達と轟家族を位置につかせると、「撮りますよぉ! 一緒にぃ! せいの、ハッピィ!」とボタンを押した。そして心地よい発声に合わせて笑顔を作る三人。立ち位置はドナルドダック、陽光、そしてシンをはさんで真珠とグーフィー。なぜか真珠の意思と反してドナルドダックが陽光の方にいる。おかげで真珠は笑顔でいたくても笑顔になりきれずにいる。
「ありがとうぉーっ! 姉ちゃんっ! そしてこの暑い中ご苦労さんよ、中の人!」
そう大声で言いながら着ぐるみの二人をポンポンと叩く。陽光の言葉を受けて二人の着ぐるみは額の汗をぬぐう動作をしてからガッツポーズを作った。
「またまたぁー、ムリしちゃってー。熱中症には注意しろよ。俺も外で働いてるからよ、辛さ分かるぜ」
とまた大声で言って陽光は着ぐるみ達にサムアップを見せた。
陽光が着ぐるみへ語りかけている間に真珠はそっと女性スタッフへ近づき言った。
「あのぉ、すみません……。私とドナルドで撮ってもらえませんか?」
「はい。じゃあ」と快く女性スタッフは真珠のわがままを聞き入れ再びスマートフォンを手にした。
「やった」
と思わず声を出すと同時に小さく飛び上がり真珠は我を忘れて「きゃあーっ」と言いながらパタパタと小走りでドナルドダックへ大きく手を広げて抱きついた。
どうしても家族写真というスタイルが我慢できずに口に出たことだったが結果満足いく写真が撮れていた。真珠はそれを確認するとその前に写っていた写真は即座に削除した。
今回の行程はすべて真珠が決めた。彼女の動機からしても当然であるが陽光は思いつきで行動する人間なので手早く事を成すが無駄も多い。そして何よりシンが生まれてからはまともな宿泊旅行はない。と言っても今回も形だけの宿泊旅行だが。
真珠は少しでもアトラクションは楽しんでおきたいと思い、あらかじめ入場と同時にアトラクションの予約を入れておいた。しかしそれでも最初のアトラクションまで1時間弱の待ちがあった。
真珠は陽光がグチグチ言うんじゃないかと内心思っていたが、陽光はそれにはケチつけることなく真珠が気づかないうちに買っていたポップコーンを頬張りながらまわりにいる若い女性をサンプルにしてシンヘイイ女の見分け方を教えてやると言って能天気な独り言を喋っていた。五歳になったばかりのシンには全く意味が分からず父親の言うことに頷くだけであるのに。
そして真珠はというと、アトラクションを楽しみにしていたはずなのだが、やはり自分の望む人と一緒に楽しむことで本当の楽しみが得られるものなんだとここへ来て改めて認識し、ドナルドダックと別れてからはさっきの嬉しさの反動か余計に陽光といることにつまらなさを感じた。そしてカイルの事を思うばかりだ。
――彼だったらどんなことを言うのだろうか?
――彼だったらどんな表情をするのだろうか?
真珠はその気持ちをそのままカイルへとメールで送った。カイルはきっと家で仕事に熱中している頃だろう。邪魔するのはよくないと思いながらも気持ちを文字に表し送信するだけでも気持ちは安らぐ。
シンたちは真珠の手際良いアトラクションのコース設定と予約で最初のアトラクションだけは待ったがその後はスムースにいくつものアトラクションを楽しんだ。と言っても、楽しんだのは陽光とシンの二人だけで真珠は二人を見送り出口で待つことのほうが多かった。理由はもう述べる必要はないだろう。
「真珠さんよう、お前がここが良いって言ってわざわざ来たのに全然楽しんでねぇなあ。少しはシンのことも考えてやれよ」
飽きもせずまた別のポップコーンを買って頬張っている陽光。そして陽光とシンの頭にはミッキーの耳が。真珠の思った通り陽光は来る前はぐだぐだと言っていたものの、結局は誰よりも一番楽しんでいる。
彼の良いところはこういった場では明るく賑やかで楽しみを膨らましてくれるところだ。しかし真珠として鼻につくのが明るく振る舞うのはいいが普段はまともにシンの面倒をみない男が父親ぶってシンのことを気遣う言葉を口にすることだ。
「ごめんなさい。ちょっと歩き疲れたみたいで」
心にもないことを言う真珠。カイルとの約束の時間が刻々と近づいて来ていることからの余裕が生み出しているからだろう。
単純と言っていい陽光は「そうか」と言って簡単に納得した。そして続けて「そうだ。時間早いけど飯にしようぜ。休憩がてらに。なぁ真珠さん?」
と陽光は気を使って言ってくれているかのように思い素人は騙される。相手の意思を聞いているようで実際はもう自分の中で決めたことが絶対でこっちが何を言おうが変わらない。昔でいう亭主関白。
という真珠の胸の内通り、真珠が返事を返す間もなく「お、ちょうどあそこに飯屋があるがや」と言ってさっさと店へとシンを連れて行ってしまった。