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親父のくせに  作者: 佐野隆之
第四章 親父のくせに
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第32話 極み(後篇)

「男は放っておけ。種はそこら中に転がってるからよぉ。女が大事だ。女がいないと男はこの世の中にはいねぇんだよ」

 陽光の大音量のしゃがれ声が陽光から発している光をちらつかせさながら暗闇の階段にこだまし眠りについていた者をも目覚めさせた。

「でも、お年寄りで怪我されてますよ……」

 疲れ切った表情に血の流れたあとを残した中年男が陽光に向かって弱々しく言った。

「今までやりたいことやってきたんだ、後回しだ。助けたいんだったらテメぇがしょってけ、アホ! 俺は体一つしかねぇんだ。田分け!」

「そんな言い方ありますか……」

 陽光の声に押され少し怯える男。

「オマエが動けるんだったらオマエが何とかしろ!」

 陽光節を生存者に容赦なく浴びせてきた陽光の迫力に負けた男は口をつぐんだ。


「シぃぃぃぃン!」


 陽光が階段中間あたりで生存者とひと悶着やっているところに朱美と確信できる声が陽光たちのいる空間に響き渡った。

「朱美ちゃん!」

 陽光は生存者の顔も声も無かったかのように自分の耳を便りに階段に倒れている人々の隙間を見つけながら勢いつけ階段を下っていった。

「朱美ちゃんどこだい? シンの親父の陽光だ! 朱美ちゃん!」

 陽光は一旦シャッターが閉まっている地下まで下りて階段を見上げた。改めて知る惨事に陽光は思わず大きなため息を出した。そして下から一人一人顔を見て回った。その間に何人かの息のある者と出くわすと陽光は息のある者だけの体を起こし数々の抜け殻の上へ楽な体勢にしてやり朱美を探し続けた。

 そしてついに老女の遺体に隠されていた朱美を陽光は見つけた。

「おおぉ、朱美ちゃん! 大丈夫か? おい」

 頭を下にうつ伏せ状態で寝ているかの表情をしていた朱美。綺麗だった艶やかな白い肌は汗と埃で汚されていた。

 陽光は老女を軽々と持ち上げ横へと退かすと朱美の口元へ耳を近づけるとともに首もとに指を当てた。

「よし」

 朱美の状態を確認した陽光は表情変えることなく朱美をゆっくり持ち上げ肩へと載せると近くから女の弱々しい声が聞こえた。

「私たちは?」

 陽光は息苦しいそうにしている声の主である女にライトを当てると苦々しい顔つきで言った。

「まずはこの子を連れてかなきゃ。そのために来た。って言っても見殺しにするつもりはねぇからよ。できることはやっていく。」

 陽光はそう言ってぐったりとした朱美を担いでヘヴィ・ワーカーへと戻り朱美をシートへとそっと座らせた。そして陽光はすぐに背面ドアから階段下へと向かって叫んだ。

「生きてる奴ら! 耳かっぽじってよく聞け! とにかく一階はダメだ! 俺は朱美ちゃんを助けに来たぁ! とてもじゃねぇがお前らを連れて帰ることはできねぇ!」

「そんなぁ……救助隊じゃないの?」と暗闇から聞こえる女の声。

「悪ぃなあ。俺はただのオッサンだ」

「せめて子供たちだけでも……」

 再び暗闇から別の女の声が聞こえ陽光は応えた。

「悪いな。ヘヴィ・ワーカーは一人乗りだ。そこに無理やり一人余分に押し込めて帰るから無理だ」

「じゃ、俺たちはどうなるんだ?」

「怪我人だっている。どうすればいいんだ?」

 何人の生存者がいるか分からない闇の階段がこれをきっかけに急速に人の声が膨らみ騒がしくなった。

 この状態に陽光は苛立ち叫んだ。

「ああー、ぐだぐだウルせぇなぁーっ!」

 陽光の一喝でピタリ声は止んだ。そして陽光は続けた。

「そんだけ喋る余裕があるんだったら自分で考えて動け! いちいち人に聞いてんじゃねぇよ! 自分が助かりたけりゃ他人は置いてけ。助けたいんだったら背負(しょ)うなり引っ張ってくなりしろっ! そんなもんテメェらで考えて判断しろ! ここから俺だって出られるかわかんねぇだ!」

 陽光の威圧感に満ちた叫びに誰もが黙した。苛立ちの収まらない陽光は続けざまに叫んだ。

「自力で歩ける奴は自力で脱出しろ! 俺が持ってる少ないが非常食の入った救急バッグは置いていく! で、救助隊には連絡つけといてやるから!」

 暗闇に隠された生存者は沈黙し続けていた。それを確認すると陽光は軽くため息を出し一呼吸すると言った。

「そんじゃぁ、ちょっとお前らどけ。そこのシャッター壊すからよ。それでここから出れるかは分からんけどな。ま、あと念のため遺書でも書いておけ。ビデオ撮っといてもいいしよぉ。遺書が書けるだけでも幸せだと思っとけ。よく周り見てよ!」

 この陽光の言葉に息のあった者たちは暗闇の中、黙って道を開けた。


         *


 陽光との連絡を済ませてから1時間余り経過していたシンは、丸の内駅出口に群がっている人にまみれたまま茫然としゃがみこみ佇んでいた。そして今もなお目に見える現実の姿が信じられず手にあるスマートフォンの中の朱美と会話していた。

「なぁ、朱美ぃ。こん時楽しかったな。俺、最初行くの嫌がってたけどさ」

 画面に映るのは今年の夏に行ったディズニーランドでの二人の写真。画面ひとつひとつを丁寧に眺め、そしてゆったりと画面を切り替えていく。その様は故人を惜しむ姿に周りに映るだろう風景であった。しかしそれはシンだけではなくその周囲にいる人々の中に同様の姿を見せている者は多数いた。もっと言えば日本中に。世界中にだ。

 シンはひとつひとつの愛おしい過去の世界に入り込んでいた。戻れない過去。朱美と過ごした時間。

 そして耐えきれずシンはついに嗚咽した。留まることの知らない涙。哀れなほど顔を歪め手の中にある朱美が写る写真が何を写しているのか見えなくなったシン。もう何もかも分からない。シンの思考はすべてを止めた。

 今という時間がすべて架空のものであるかのような真実味のない虚無の世界にひとり舞い降りただひたすら幼児のように泣きわめき続けているシン。


 しかしもうひとりのシンは諦めずにいた。


――どうしてもう会えないと決めつけるんだ?


――まだ何もはっきりしてないじゃないか。


――何泣いてんだよ。


――馬鹿じゃねぇか?


 馬鹿じゃねぇか?


 このシンの気持ちに被さる様に父、陽光の声が聞こえた。

「馬鹿じゃねぇか?」

「分かってるよそんなの。まだ分からないって! でもさぁ、でも、もう親父だってどうなったか分からないんだぜ! あんなの見せつけられて、もうどれだけ経ったか分からない。分からない。分からない事だらけだよぉ!」

 シンの滴り落ちる涙は枯れることなく今もなお溢れ出ている。そしてシンはもうすべてを破壊してしまいたい、もう何もかも消えてしまえばいいと。項垂れ独り叫び続けた。

「オマエはアホか。何こんなところで一人、芝居やってんだ?」

 この聞き馴染んだ力強い音圧あるしゃがれ声がシンの耳を通し頭へと入り込んで来た。

 シンはおもむろに見上げるとそこには人をあざけ笑っているようなシンの認めたくない父、陽光が立っていた。そして陽光の顔の横にはおぶられ疲れ果てた朱美の顔があった。

「朱美ぃっ!」


 夢見心地――


 瞬間にして悪夢のまぼろしが至福のまぼろしとして信じがたい、夢の世界ですべての縛りから解放され自由に戯れる温かな心地よさがシンの胸を一杯にさせ言葉がこぼれた。

「夢でもいいよ……」

 涙と鼻水で顔をぐちゃぐちゃにしたシンを見て陽光は鼻で笑い言った。

「オマエはアホか。夢じゃねぇよ。ちゃんと朱美ちゃん連れて来たったぞ」

 その陽光の声にシンは涙をしっかり両手で拭い目を見開いた。

「朱美……」

 そのままシンは勢いよく立ち上がると朱美の頬をそっと撫でた。そして確かめるように何度も朱美の頬を撫でると垂れ下がった髪をゆっくり持ち上げ覗くようにして朱美の顔をしっかり目に入れた。

「朱美……」

 朱美は疲労しきって半分眠りの感覚でいたがシンが自分の頬に触れた感触、その冷え切ったシンの手が朱美の中で待っていた感覚を蘇らせ意識を戻した。

 朱美の目に映るシンの顔。またその朱美の顔を愛おしさに満ちた涙目で見つめるシン。朱美はシンの存在を確認するとゆっくりと囁くように発した。

「シン……良かった……また、会えたね……。もう……ホントに、会えない、かと……思って……た……」


 この時、ようやく今までの過酷な待ち時間はシンと朱美を解放し、二人に幸福の絶頂を味わわせた。

 シンはすぐさま朱美を陽光の背中からそっと下ろしふらつく朱美をゆっくり座らせた。そして感情の赴くままにシンは朱美へ何度も力強く口づけて朱美の存在を確認した。そしてただひたすら強く抱きしめ続けた。

 その姿を見て陽光は呆れ顔を作り言った。

「ちょっとは俺にありがとぐらい言え。あと電話にはちゃんと出ろっつーの。このクソ田分け!」

 陽光はそう言い放って満足げな笑顔を作ると二人の前から消えた。

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