第30話 対峙(後篇)
タワーズ一階まで全ては思うがまま、自分の勘頼りで強引かつ無茶と言える方法でたどり着いた陽光はついさっきまでの異音など忘れて朱美との距離が8メートルとなっていることに興奮していた。
「おっ、目の前じゃねぇか! 朱美ちゃん。待ってろ。絶対に助けるからよ」
この時モニターには立体地図で詳細な位置までガイドする矢印が表示され、それは陽光の目の前にあった大きなシャッターで閉じられた地下へ降りる階段を示していた。
「どうやらこの先の階段に閉じ込められてんだんな」
低いしゃがれ声の独り言を口にすると即座に二つのアームを勢いよくシャッターへぶつけた。
その陽光の行動を注視しつつゆっくりとガラス扉を開ける操作をするモリタ。
ハムスターにはサイレント・モードというものが付いている。モーターの回転数を落とし、脚、腕などすべての動作が10分の1の速度、もしくはもっとそれよりも遅い動作になるように設定させることで可能な限り音を出さない状況にできる。
モリタはサイレント・モードを利用して両開きガラス扉を音をほとんど立てることなく全開にした。
(一体何が目的なのだ?)
ヘヴィ・ワーカーがシャッターへと近づく動きに疑問を抱くモリタはゆっくり、ゆっくりとハムスターを前進させた。
陽光は手慣れた操作でアームの爪を使って簡単にシャッターへ穴を開けるとそのまま軽々とシャッターをむしり取り、その破片を勢いよく後ろへと投げた。
「何だと?!」
モリタは陽光の投げたシャッターの破片が目の前へ飛んできたことに驚きとっさの回避運動をさせるよう操作した。が、サイレント・モードが完全に裏目と出る。本来軽量で俊敏なはずのハムスター。モリタの頭でのイメージではすでに軽々と回避していたはずだが、そのイメージと遠くかけ離れた異様な遅さで回避運動をするハムスター。陽光の投げた破片はモリタの眼前、コックピット正面へと直撃した。
そしてヘヴィ・ワーカーと違い新素材を採用し強固でありながら軽量なハムスターはそれがさらに裏目となり、直撃によって破片の勢いに耐えられずそのまま背面にあった東側出口手前にある二階テラスへとつながるエスカーレ―ターまで7メートルもの距離を弾き飛ばされた。
モリタが飛ばされたエスカレーターの向こう側、東側出口の外ではまだ炎が鎮まることなく赤く揺らめいている。
「なんだ?」
陽光は異常な衝撃音を耳にするとコックピットを右へ90度ほど旋回させ自分の背後を見た。すると陽光の目にガラス扉の前で四つ脚を広げうずくまったような姿をしたライトクラスのヘヴィ・ワーカー、すなわちモリタの乗るハムスターの影が炎を背景にして見えると陽光は思わず叫んだ。
「オマエか!」
モリタのハムスターは今の衝撃でさらに電子迷彩の故障範囲が広がり脚だけに迷彩映像が映し出されていた。
モリタはあまりの不意とジェルバッグの圧力を受け一瞬の目眩を喰らった。そして怒りをあらわにしたモリタは吠えた。
「モード切り換えが咄嗟にできないようでは使い物にならんではないかっ!」
そうモリタが言っている間に正面、左右から飛び出したジェルバッグは吸い込み音をたてながら勢いよく収納されていきハムスター自身も自動で立ち上がり体勢が整っていた。
『中佐! 大丈夫ですか!?』
ハセガワはモリタが飛ばされる姿を目の当たりにすると、ただちに勢いよくガラス扉を破壊してモリタへと近づきそのままスピーカーを通して叫んだ。
「そこのヘヴィ・ワーカーのパイロット! ただちに停止して降りてきなさい!」
その声を聞いた陽光は顔をしかめ対抗するかのように叫んだ。
「なんだぁ! このクソふざけた可愛い女の声は!? ナメてんじゃねぇぞ! オラァ!」
陽光にはハセガワの存在が分からない。ガラス扉が破壊されたことに全く気付いてなかった陽光はコックピットをさらに90度旋回させモリタへと近づいた。
「止まりなさい。もう一度警告します。止まりなさい! 止まらないと即刻強制拘束します!」
ハセガワの甲高く丸みある声はこの緊張した空気とは相反した陽光の言う通り可愛い声であった。そのハセガワは自身の鼓動をしっかりと感じながらもゆっくりと深呼吸をし陽光のヘヴィ・ワーカーの脚の付け根へと照準を合わせていた。
陽光にはハセガワの声がモリタの機体から出ているように聞こえている。電子迷彩は普通5メートルも近づけば見破ることができるはずであるが陽光の眼中にあるのはモリタが乗るハムスターのみ。
陽光の今の姿は大声を張り上げ脅しているだけの柄の悪い男としか外からは見えないであろうが中は違った。狂気溢れた状態。単なる柄の悪い男などむしろ可愛いものだ。目の前に映る機体をすぐにでも自分のマシンで粉砕する準備ができているのだから。中身もろともに。
その狂気の気迫に満ちた陽光を暗視モードで凝視するモリタとハセガワ。この緊迫した空気に二人ともシミュレーションとは全く違う本物を味わい固唾を飲んだ。そしてその認めたくない恐怖心が沸き起こっていることを隠すようにモリタは声を張り上げた。
「止まれ! 三度目だ。もう一歩でも動いたら強制拘束を実施する!」
モリタの叫び声がこだました金の時計広場。かつては日常を日常の空気として誰もが当たり前のように通り、人を待ち、人と去る。その様な場であったはずの場所が過去の思い出とはできない残酷な景色が煙と共に存在し、今もなお外では炎が治まることなく赤い光が背景として残酷な風景を演出していた。
「テメぇら何様のつもりで言ってんだよ!」
陽光は言うより早くヘヴィ・ワーカーをモリタのハムスターへと近づけアームを右から左へスイングさせてモリタの乗るハムスターを勢いよく叩いた。そのあまりの早さに反応できなかったモリタはそのまま軽々と吹っ飛び、その横で構えていたハセガワもまた不意をつかれモリタの機体がハセガワの機体へと音を立ててぶつかると軽さが災いし、二人一緒に北側のデパート入り口までへと弾き飛ばされた。
「キャーァァ!」
ハセガワは堪らず悲鳴を上げた。しかし彼女の両手にあった操作グリップからは手が離れることなく吹き飛ばされている状態の中でトリガーを引いていた。すでに照準が固定されていたハセガワのハムスターの両手は吹き飛ばされながらも陽光のヘヴィ・ワーカーを自動追尾しておりダダダッと音を立ててガム弾が連射された。
がしかし、ハセガワの撃ったガム弾は照準固定されていたものの宙を浮いた不安定な状態では狙い通りとはいかず、結果ただの乱射となり本来当てるべきヘヴィ・ワーカーの関節部分を大きく外し、ヘヴィ・ワーカーの本体とコックピットガラスへ数発当たっただけであった。
陽光はコックピットに張り付いたガム弾を拭おうとワイパーを動かしたがワイパーがガム弾へとへばりつき糸を伸ばすようにぎこちなく動いた。
「なんだよこのネバネバ。俺は納豆が嫌いなんだよぉっ!」
役に立たないワイパーとその奇妙なガム弾の粘りが視界を遮り陽光の怒りを増幅させ、はり飛ばした二体のハムスターに向かって大声で叫んだ。
「テメぇらかっ! このクソ田分けなことをやりやがったのは!」
陽光の肉声は辺りの壁を震わすほどのものであった。
すると、その時であった。陽光の声か、それともモリタ、ハセガワの機体が建物へぶつかったことがきっかけであったのかは分からないが音を立てて床が大きく揺れだした。
『地震でしょうか?』
ジェルバッグに包まれた状態のハセガワが言った。
「違うな。この揺れ。不自然すぎる」
小刻みな振動は普通の地震とは違い、たしかに不自然なものであった。この揺れに神経を尖らせつつモリタはハセガワの機体にのし掛かった状態であったハムスターを即座に床へ着地させ通常姿勢となった。そこに今度は天井からアルミパネルが崩れ落ち始めてきた。
「急げ、ハセガワ!」
モリタはハムスターのアームでハセガワの機体を立ち上げる手助けをした。この頃にはハセガワの機体の電子迷彩は完全に死んでおり、その姿をあらわにしていた。
「なんだこいつら? 二匹いたんかよ!」
陽光は揺れも天井の落下にも気をとられることなく二人の機体を睨み付けて言った。そして揺れは治まることなく次々と天井からあらゆるものが落下し始めてきた。
そこへコウノトリで待機していたエンドウ中尉の声がモリタの耳に入った。
『中佐! 大丈夫ですか!? どうなされました!?』
「土建のヘヴィ・ワーカーがいた。いやそれは良い。今地震が起きているか?」
『いえ。こちらは何も』
その間にハセガワも機体を立ち上がらせ陽光とモリタ、ハセガワが揺れの治まらない中、一瞬のにらみ合いとなった。しかしそれはまさに一瞬でしかなかった。対峙したとたん双方の間に鉄骨が落ちてきたからだ。これには陽光も慌てて後ずさりし治まらない揺れが気にかかった。
「なんだい、この揺れ?」
そう言って陽光が上を見上げると鉄骨が大きく広がる姿が見えた。
「ヤバい!」
陽光は一気にヘヴィ・ワーカーを全速後退させた。そして陽光の勢いに任せた後退はそのまま陽光が壊した半壊状態のシャッターへとぶつかり突き刺さった。
「ハセガワ。後退する」
『あれは?』
「いい。脱出が優先だ」
『はい』
モリタとハセガワの二人は落下物にぶつかりながらもそのまま勢いよく東側のガラス扉へと突っ込み、タワーズの外へと脱出した。そして二人の搭乗する二体のハムスターはまだ炎にまみれた道路を駆け抜け帰還の途についた。
帰還途中、落ち着きを取り戻しつつあったハセガワは陽光の個人データ入手ができていたことに気が付き言った。
『遅くなりましたが、先ほどのヘヴィ・ワーカーのパイロット分かりました。データ転送します』
「頼む」
モリタの耳に軽いチャイムが鳴り響くと同時にモニターにはハセガワから送られてきた陽光のプロフィールが表示された。
「轟陽光48歳。尾張建設勤務……災害支援実績がすごいな……。単身で……ほぉー、これまたすごいなぁ」
モリタは薄い笑みをこぼし言った。
『すごいですね、色々と……』
ハセガワもモリタと合わせるように苦笑いを出した。
「録画はもちろんできているな?」
『はい。大丈夫です』
「よし、私の方と二つ十分な証拠があるからあとは簡単だな」