第27話 侵入sideA
陽光はタワーズ西側の線路上にいた。目の前には駐車場入口ゲートが黒々とした煙の中に見え隠れしている。
「うっ、やっぱ臭うな。臭ぇわ」
陽光は口を手で覆いひどく顔を歪ませた。口の中まで焦げ臭さの味が染みわたる異臭だ。
「邪魔くせぇけどマスクつけるか」
陽光はシートの下から防護マスクを取り出し装着した。
「オマエはこれで我慢しろ」
そう言って陽光は股上の猫に薄汚れた自分のハンドタオルをズボンの前ポケットから取出し猫の口元に巻きつけた。
「さて。中に入るのに手っ取り早いのはここかな、やっぱり。西口からというのもありか?」
陽光はモニターに展開された地図とにらめっこしながら考えてみた。
「とにかく最短距離で行くか。この状態じゃどこもグチャグチャだろうしな」
陽光の今いる高架線路と駐車場入り口までは数メートルの空間があったが陽光は何の躊躇もなくヘヴィ・ワーカーをカエル跳びのようにジャンプさせ駐車場入り口へと飛び移った。
「おおぉっ、やるじゃぁあん、轟陽光ぉ!」
内心不安が無かったわけではない陽光だが、落ちてもそれはそれでヘヴィ・ワーカーは丈夫で死ぬことは無いだろうし、タワーズに入れれば何でも良いという極上の楽観主義がこの場で活きたと言っていいだろう。
幸いな事に炎は駐車場入り口周辺には拡がっていなかったが煙が酷くそのため視界は極めて悪い状態であった。
「これは肉眼じゃまともに見れねぇなぁ。ここはどうなってんだ?」
陽光はモニターの地図をタワーズ内の立体地図へと切り替えた。すると陽光の乗るヘヴィ・ワーカーに搭載された探索専用センサーが朱美の位置をより正確に探知しモニターには詳細が表示されていた。
「朱美ちゃんはどうやら一階辺りか……でもこのザマじゃ建物中が実際どうなってんのか分かんねぇなぁ……」
自分のいるこの状況下から想像できる朱美のいる場所の状況は陽光とはいえ楽観視できるものではなかった。そのためこれまでの陽光と違い声にハリはなく、疑いがかった弱さが言葉に出てきていた。
1メートル先もほとんど目視出来ない状況の中、陽光は朱美のIDを目的地としてナビに設定させここは慎重に進むことにした。
陽光はヘヴィ・ワーカーを歩行形態に変えて慎重に進んでいくとすぐに駐車場ゲートのストップバーと出くわすが構わず突き進む陽光。そしてここはタワーパーキングのため上へ昇っていく道が続いていた。しかしその先は煙で全く見えない。
「真面目に上に上がるバカはいねぇよな」
そう言って陽光は駐車場へと続く上り坂に目もくれず目の前の壁に二本のアームの爪を突っ込ませた。ここで陽光を驚かせたのが巨大な建築物の壁が一回の衝撃で大きくヒビ入ったことだ。陽光は目を丸くして「こいつはどういうこっちゃ? かなり脆いじゃねぇか。いつまでもつか分かんねぇぞ」と硬直した表情で呟いた。
そしてさらに鉄の爪で3回突くと壁に3メートルほどの穴が開いた。同時に中からは煙が溢れ出てきた。陽光は構わずそのまま開いた穴をさらにヘヴィ・ワーカーが通れるだけの大きさにするためアームでむしり取るように外壁を破壊して広げていった。そしてある程度の大きさを確保すると陽光はヘヴィ・ワーカーでそのまま穴へと向かって突入するとあっさりと外壁は破壊されタワーズの中へ入ることができた。
屋内は煙が立ち込めており、まともな視界が得られなかったが、しだいに煙は陽光の入ってきた穴へ吸い出されて行き辺りの状態が確認できるようになってきた。
所々に点々と点る非常灯。その非常灯に照らされた煙に満ちた暗い屋内には陽光でも見たことのあるデザイナーズブランドのロゴが入った鞄や女性ものの服が散乱しているのが薄ら見えた。意外にも屋内に火の手が回り込んでいないことに陽光は気が付いた。が、それは陽光にとって気になるべきものではなかった。目的を阻害するものでなければ気に掛ける必要はない。
この煙で満たされた屋内での移動を容易にするために陽光はオモチャ程度とは分かっていながらも赤外線カメラを使うことにした。
赤外線画像をモニターにマルチ画面として表示させる。オモチャ程度というのは画質が取り敢えずそこに何か物なり人なりがありますよということが確認できるレベルものであるということだ。そのため目視重視とならざるを得ないところに陽光に歯痒さを覚えさせる。
「チッ」
使えない代物だと分かっていながら自然に出る舌打ち。陽光は一応モニターを通して周囲の状況を眺める。
かつて「人物探索システムが工事用重機に搭載されているだけでも立派なものだ。レスキュー隊じゃないんだから」と口にした業務課の畠山の顔を思い出した陽光は「脅して買わせりゃあ良かったぜ」と低く呟いた。
そして陽光は渋い表情を作りモニターに映し出された映像を頼りに足元がしっかり見えるようライトを下向きにして注意深くゆっくりとヘヴィ・ワーカーを移動させることわずか数歩で陽光の目に想像していたものが入った。
「……だわな。無いわけ無いわな……」
陽光はそう言ってモニターに熱反応チェックモニターを立ち上げた。
「……」
陽光はモニターを確認するとそのまま黙って眠りこけている猫を無造作に持ち上げシートに寝かせるとヘルメットとマスクを装着した状態でヘヴィ・ワーカーを降りた。
すると陽光の足元に黒色基調の落ち着いたスーツ姿で倒れていた二人の女性がいた。恐らくここで働いていた店員だろう。陽光はヘルメットに装着されているライトにスイッチを入れ身を屈めると周りを見渡した。やはり目に映ったものは陽光の思い描いた通りの景色であった。床一面に埋め尽くされた散乱した衣料品と一緒に倒れている無数の人々。
「一酸化炭素中毒か……」
かつて東海大震災に始まり、規模の大小に関わらず災害支援活動に積極的に参加してきた陽光。そこでは残酷で無残な多くの亡骸を目にし対処してきた。そして活動の回数を重ねて行くうちに自分の中で「自分のやれることは結局こういうことしかないんだな。こんな寂しいところで眠るのは良くないことだ。悲しいことだ。せめて静かに眠れる場所へと運んでやりたい。これが俺のやるべきことなんだな、きっと」と思い馳せてきた。そして今、自らで踏み込んだ惨劇の現場にいる。
「いや違う……」
これ程までに大勢のまとまった遺体など目にしたことない。それもどれも無傷だ。ただ寝ているように見える。それは奥へ進むほどその数も増えていく。
「何が楽しくてこうなるって!? これがテロってやつかい!? なぁあ!?」
マスクで抑え込まれた口から陽光の怒号が出る。そしてその素直な怒りが拳を握り込ませた。
時間がないことは分かっていた陽光だがこの状態ではとても先に進めないと思い、ヘヴィ・ワーカーへ急いで戻ると黙々と横たわる無数の遺体をヘヴィ・ワーカーのアームを器用に操り、遺体を傷つけないようにと丁寧に左右へ並べながら建物の奥へと進んだ。
「ここから降りるしかないな」
陽光は4基並ぶエスカレーター前にいた。モニターの地図から見ても下へ降りる広さが確保できるのはこの4基あるエスカレーターのところしかない。だがしかし、簡単に陽光を朱美に近づけさせない障害がそこにはまだあった。
「当然か」
エスカレーターにも大勢の息のない人々が折り重なるように連なっていた。陽光は時間を気にしつつも一人一人の遺体を360度旋回できるアーム付きのコックピットを利用して前から後ろへ、前から後ろへと移動させ寝かせていった。そしてある程度の余裕ができるとエスカレーターへと脚を踏み入れた。が、エスカレーターにヘヴィ・ワーカーの全重量がのしかかった瞬間。陽光に体が浮くような感覚が襲った。
「まずい!」
エスカレーターはヘヴィ・ワーカーの重量に耐えきれず、エスカレーター上端があっさりと床からもぎ取られエスカレーターごとヘヴィ・ワーカーは下の階へと落下した。その瞬間、陽光は反射的にアームを更に左右にあったエスカレーターへと伸ばす試みをしたが間に合わず轟音と煙を立てて下階へと落ちた。