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親父のくせに  作者: 佐野隆之
第四章 親父のくせに
23/35

第23話 陽光だから。シンだから。

『アルコール呼気中濃度0.00mg確認できました。ロック解除します』

 その音声がコックピットに流れた瞬間、陽光は満面の笑顔で大はしゃぎし猫の頭をもみくちゃに撫で回し叫んだ。

「やるじゃねぇかぁ! にゃんこ! 所詮機械は機械だな。ざまぁみろだぜ、このクソ田分け」

 そんな陽光の興奮をよそに陽光の手にぶら下がったまま大きなあくびをする猫。

「オマエのあくびのおかげだぜ。ちょっと臭いけどな。そんじゃ行くぜ」

 陽光の無謀な方法、猫の息を使うという荒業はいとも簡単にヘヴィ・ワーカーの計測器を騙す事ができた。たまたま居合わせた猫の肺活量が(あなど)れないものだったのが陽光へ幸運をもたらしたようだ。しかし酒気帯び運転であることには間違いないのだが。


 ヘヴィ・ワーカーで陽光がすったもんだとしていた頃、実は尾張建設事務所の中で一人仕事をしている男がいた。

 会社は休日とはいえ平日ならば現場は動いているもので、休日返上でカバーしている者がいるのが現実である。その犠牲になるのが飯島のような独身単身者であった。

 しかし去年のように地味にかつ淡々と仕事をしている状況ではなかった。ネット端末に緊急速報で『名古屋駅大火災』の文字が現れそれを目にした飯島はすぐさま事務所の壁面に貼り付けられた大型フィルムモニターをオンにして地上波放送に切り替えた。そこに映し出されたのは夕焼け空のような橙色に夜空を染める炎を背景に黒煙に見え隠れすセントラルタワーズであった。

 それを見た飯島は仕事どころではないとネット放送による生中継も同時に見ながらセントラルタワーズの大火災に見入っていた。

「何だこれ……これ、ヤバいでしょ? マジかて……?」

 飯島には見慣れた風景である場所が非現実的な世界を作っている。自分の通勤経路であるだけに時間が合致すれば自分もあの中にいたのかもしれない。そう思うと身震いした。

 テレビアナウンサーたちがあれこれと騒いで状況を伝える声が響き渡る薄暗い事務所で一人、飯島は緊張しながらその映像に見入っていると配車専用端末からアラームが鳴っていることに気付いた。飯島は振り向きモニターが点滅していることを確認すると椅子に座ったまま軽快に椅子を滑らせ配車専用端末前へと移動した。

「あ、4号機が動いている。パイロットは轟さんか」

 そのまま飯島はヘヴィ・ワーカー4号機へと通信を入れた。

「轟さん、何やってるんですか?」

『なんだジマっち。いたんか? 相変わらず一人でシコシコやっとったんか?』

 飯島は陽光の言葉に軽く舌打ちを入れると呆れた口調で言った。

「いちいち余分な事言わないでいいですよ。いいでしょ、別に他人(ひと)の事は。ほっといてください」

 相変わらず人の質問に素直に答えない人だなと思う飯島だが、その思いに応えるように陽光は彼女のいない飯島へ言った。

『いい歳して女の一人もいないヤツは可哀想だのぉーせっかくのクリスマスによぉ。そんじゃちょっくら出かけてくるんで』

「出かけるって何です? 今日は轟さん普通に休みでしょ。勝手にヘヴィ・ワーカーを持ち出さないで下さいよ」

 陽光の面白くない言葉に飯島は唇を尖らせながら強い口調で言った。

『ったく、いつも真面目に固いことばかり言いやがって。今度よぉ女子大生紹介してやるから。今からそのために名駅まで行ってくるんだて。じゃな、ジマっち!」

 この陽光の返事に飯島は声を裏返して言った。

「はぁ!? 名駅? 名駅って……」

 はっと振り向きタワーズの火災映像を目に入れた飯島は叫ぶように言った。

「今、めっちゃヤバいことになってる所に何しに行くんですかぁっ!?」と口にした後、小声で「で、女子大生っていうのは?」と付け加えて。

『ったく、いちいち細けぇなぁ。朱美ちゃん救出大作戦だ。そんじゃまたな』

 そう言って陽光の方側で通信を遮断されてしまい不通となった。

「轟さんっ! 意味不明なこと言わないでください! 轟さん! なんだよ朱美ちゃん救出大作戦って?」

 首を傾げ渋い顔つきをしつつもポツリ「女子大生の話は期待できる気がする」と素直な思いを口にした飯島であった。


          *


 シンは地下鉄のトンネルを他の乗客と隊列を組む形でゆっくり歩いていた。こんなところからではダメだと分かっていてもシンの視線はスマートフォンにあった。アンテナの状況にだけに神経を向けて。そしてスマートフォンに映る朱美が声なき笑顔でシンへと応えている。

(会いたい……)

 溜め息を漏らし焦りが募る。焦りと言う恋しさ。そして一歩一歩と足を進めるたびに増していく後悔の思い。

 地下鉄のトンネルは想像以上に起伏のあるものであった。地上を歩いていたらどれほど早く簡単に着いただろうか。そう強く思うほど足にだるさを覚え歩き疲れを感じていたシンの目にようやく丸の内駅ホームの明かりが見えてきた。そして両手でしっかりと握り続けられたスマートフォンが電波をそこでキャッチした。

「来たっ!」

 周りの人々の存在を忘れ大声を張り上げたシン。それに呼応するように周囲でも手持ちの携帯端末を見て嬉々と騒ぎ出し各々が連絡を一斉に始めた。

 しかし電波が入ったもののシンの耳に聞こえてきたのは不安を煽るだけの味気ないメッセージであった。

「……」

 今の気持ちのやり場が見つけられないシン。徐々に冷静さを失っていることが自分で分かる過剰な苛立ちと胸騒ぎ。どれほど窮屈で息苦しいほどの避難する人々に囲まれようとも朱美が見えない、声が聞こえない。あの温かい手と肌の温もり。そして匂い。幼き日のシンの心情が蘇り究極の孤独感に(さいな)まれる。

(朱美……どこにいるんだよ……)


 そのまま地下鉄から避難してきた人々は丸の内駅で散らばる形となりシンはただひたすらリダイヤルを繰り返しながら無意識に地上へと上がった。そしてそこでシンを待ち構えたていたのはまたもや人の群れであった。ただし今までと違っていたのは誰もが同一方向に顔を向け、悲壮感に溢れた顔つきで立ちすくむ人々ばかりであったことだ。

 朱美の状況だけに気が向いていたシンも異様な空気が引っ掛かり目をスマートフォンから移動させた。

「んっ!」

 赤い夜空にふたつの黒い影。シンの目には信じられない光景が入り込んできた。

「なんだよあれ……火災って……火災ってもんじゃないじゃないか……」

 シンの中での常識を遥かに超えた光景が朱美への想いを激しく募らせた。

 そして間もなく、シンの目の前で悪夢の光景が展開された。


 それは、あるべきものが一瞬にして消えて無くなること――


 炎と黒煙に包まれていたセントラルタワーズが数キロ離れているシンのいる場所でも聞こえる轟音と共に突如パズルを崩すかのごとくいとも簡単に今もまだ燃え盛っている炎の海へと一瞬にして沈んで消えた。

 シンはその光景に時間(とき)の感覚を麻痺させられた。


――これは現実なのか?


「朱美ぃぃぃぃぃぃぃっ!」

 シンは未だかつて出したことのない大声を張り上げた。

「嘘だろ? 嘘だろ? 朱美! 何処にいるんだよ! 朱美ぃっ!」

 同じ言葉を繰り返し繰り返し口にするシンは何度も何度も震える手でリダイヤルを繰り返す。

「どうしてなんだよ! どうしてこうなるんだよ! なんで一緒にいられなかったんだよぉ……なんで俺だけこんなところで、こんなところで……なんであんなものを見てんだよ……朱美、お願いだから連絡くれよ……繋がってくれ……お願いだ……」

 繋がらない電話に何度も話しかけるシン。勝手に溢れて出てくる涙。現実の世界から遠ざけるかのように目の前のものすべてがぼやけにじみ映る。

「朱美、朱美、朱美、朱美、朱美……朱美、朱美、あけみ……」

 シンは声を震わせながら言葉を吐き続けそのまま膝から落ちた。

「一体今まで俺は何をやってたんだよ? 何のために何をやってたんだよ? 朱美、どこかにいるんだよな? 俺は、俺は……ただ親父から逃げることばかり考えて、朱美がいたことに……どれだけ……甘えていたんだろう……。お願いだよ、朱美。繋がってくれ。応えてくれよ。会いたい……朱美ぃぃぃぃ!」

 すべてが崩れた。シンの頭の中で描かれていたこれからの時間、今までのものから抜け出して新しい自分の道を行くんだとやってきたこと全てが崩れた。この時のシンにはそうとしか思えなかった。


 その姿を見て誰が慰めの言葉などかけられようか?


 今もなお信じることのできない現状にシンは跪き項垂れていると、シンの手から離れ地面に置かれたスマートフォンが光放ち振動する姿を見つけた。するとシンは高揚し貪るようにスマートフォンを手に取りすぐさま電話に出た。

「朱美!」

『おおー、やっと出たかよ、このクソガキが』

 シンの耳に聞こえたのは父、陽光の声であった。

「お、親父?」

『シン、急ぎだ。ちょっと教えてくれ。朱美ちゃんのIDナンバーとプラベート・キー・ナンバーを教えろ』

 予期せぬ人物からの電話と内容に慌てたシンはどう答えていいのか分からぬまま無意識に会話した。

「は? なんでそんなもん親父に教えなくちゃいけないだ?」

『オマエ、一人でいるんだろ? 朱美ちゃんはそこにいないんだろ?』

「なんで分かるんだよ、そんなこと?」

『オマエがアホだからだ。名駅で待ち合わせしてたんだろ? 今、朱美ちゃん名駅にいるんだろ!?』

 陽光はシンの心境に構うことなく言葉を浴びせる。それに弱々しく応えるシン。

「わからない……けど、連絡は……つかない……未だに……」

『ハッキリしねぇなぁ。どう考えてもそういうことになるだろうが。このクソ田分け! だったらなおさらだ。早く教えろ!』

 陽光の理解できない質問と容赦ない言葉に反抗心が湧き上がったシンは今度は食いつくように応えた。

「お、親父にそんなん教えてどうするっていうんだよ!?」

『オマエじゃどうにもできんだろうから俺がなんとかしてくる』

「訳わからねぇ適当なこと言いやがって。親父に何ができるって言うんだよ?」

『とりあえず伝言なんちゃらってとこに朱美ちゃんへメッセ残しといたでよぉ。IDナンバーとプラベート・キー・ナンバーがわかりゃコイツでだいたいの居場所はつかめるからよ。教えろ』

 陽光が言い終わるとシンは濡れた顔を袖で拭い「うん」と言って陽光に従った。

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