第20話 陽光のクリスマス
陽光にとってクリスマスだとか何とかデーといった記念日の類には興味なかった。金と面倒がかかるだけで面白いことはまず無い。しかし大抵の女はそういった日に何かイベント染みたことをやると喜ぶので若い頃は面倒くさいと思いながらも色々とやった。
陽光の経験でいうと4割の確率でやれる。陽光の連れは4割なら十分じゃないかと言うが陽光には不満だった。時間と金と神経を使ってそれだけの成果は納得できない。その上マグロもたまには良いが続くと疲れる。
陽光はベッドの上では下から女を眺めるのが好きだった。ほとんどの女が自分より背が低いからか見慣れない角度で眺められることに旨味を感じていた。
しかしそれはもう遠い過去の話である。いい加減飽きたという言い方がしっくり来る。今でもたまに抱きたくなるような陽光好みのいい女に遭遇することはあったが面倒が付いてくる気がして手が延びなかった。また陽光は金で買うというのは嫌だった。女を機械のように扱いたくなかったし、金が動いたとたん契約臭さが浮き立ち、結局自分がコントロールされている感覚になることが不愉快であった。
そういった訳で今では陽光にとって12月24日も25日もただの一日。今年も同様だ。寂れた小さな古風居酒屋でちびちびやってあとは家に帰って寝るだけだ。
居酒屋エミちゃんの店主、柳田エミリィはイギリス人と日本人のハーフでグラマラスな体つきに陽光は夢中であった。が、これも遠い過去の話である。今の陽光からは年老いたエミリィへの興味は消え失せている。地球の重力に負けた体つきに魅力はもう無い。
しかしそれでも今も彼女を慕っていた。それは気ままに居られる空気感。結局、彼女を抱けなかったわけだがのんびりとここで酒と肴を口にし、時には馬鹿話をしあったり、時には愚痴を溢しあったり。そして時にはただ黙って時間を共にするだけ……という過ごし方ができる空間であった。
もしかしたら世間一般では理想の妻と言えた相手かも知れない。ただ過去の陽光にはそう言う関係を作ると疲れるのが関の山だと分かっていたので彼女の店で時間を過ごすことに癒しを感じていた。他にもそう言う思いを持ってこの店へやって来る客も多かったが、今もまだこうして通い続ける客は陽光だけになっていた。
陽光とエミリィだけの静かな空間。ほんのり漂う醤油と出汁の香り。二人の大人がカウンターを挟んで静かにたたずむ風景。
昔話に花を咲かせた後の二人の間にほんの空白ができるとエミリィはグラスのビールを軽く口にし冗談交じりの口調で唐突に言った。
「轟さん、もう今年いっぱいで店、閉めることにしたわ」
「は? おい、まじかて?」
陽光は突然の告白に驚き、一瞬姿勢を正した。
「もう馴染みのお客さんは轟さんだけだし、一時期この手の店もリバイバルブームで若い子らも来たりしてたけど、もうダメね」
「で、後はどうするんだい?」
「まだ年金生活は出来ないから貯金切り崩しながら何かパートでも探すわ」
「エミちゃんにこの仕事以外にできることあるんか?」
「分かってるわね、轟さん。だから私を養ってくれない?」
冗談に満ちた流し目で言うエミリィ。
「たわけ。10年言うのが遅ぇんだよ。10年前だったら考えてたけどよぉ」
陽光としては本気の言葉だ。10年前までなら面倒事を引き受ける元気と勢いがあったと自負している。
「冗談よ。私の性格分かってるくせに」
エミリィはカラカラと笑い、飲みかけのビールを一気に喉を通すと思いつくままに話をつないだ。
「ところで息子さんたちは元気?」
「おお。特にシンの奴は俺に似てるのか似てねえのか大学行くって言って意地になって勉強なんざ頑張っててよぉ、最近じゃ連絡もつかねぇぜ」
「似てるって言うのは意地にってところが?」
「そりゃ当たり前だろ」
今度のエミリィはクスクスと笑った。
「何がおかしい?」
「轟さんはただの頑固でしょ?」
「意地も頑固も同じじゃねーか。だいたい今日は奴の彼女の誕生日だ、っつうのに彼女放っぽり出してどっか行ってやがる」
「あら、たしかにそんな日ぐらいはねぇ。でも何でそんな事知ってるの?」
「今日の午後家でぼぉーっとしてたら朱美ちゃんが来てよぉ」
「息子さんの彼女?」
「おお。まぁ何つーか、若い女っつうのは面白ぇなあ。あれこれポンポン喋るでよぉ」
「それに年は関係ないわよぉ」と陽光の話にエミリィはクスクス笑うと続けた。
「でもさすが轟さんね。息子さんの彼女と会話できるなんて。ここに来るお客さんなんか自分の娘の言ってる事が分からないって言う人、結構多いわよ」
そう言ってエミリィは陽光へと流し目を見せてまたクスクスと笑った。
二人の会話がスムースに流れる中、かけっぱなしのテレビから『番組の途中ですが緊急速報です』という言葉がエミリィの耳に入った。するとエミリィは無意識にテレビへと目を移した。
『緊急速報です。今入りました情報です。今現在、名古屋市中村区にあるセントラルタワーズにて大火災が発生し消防が駆けつけ消火活動をしているとのことです。現在の映像はNHK名古屋放送局からのライブ映像です』
テレビに映し出された映像は黒煙と赤い炎に包まれた二つの高層ビル、セントラルタワーズであった。
「えぇっ!? 大変! 何あれ? ものすごい火事よ」
エミリィは目を丸くして驚きをあらわにした。
「おおお、随分と派手な祭りだな。学校はつまらんかったけどよぉ、キャンプ・ファイヤーは面白かったぜ」
酔いの回っている陽光はヘラヘラと笑いながら大声で言った。
「何言ってんのよ。そんな冗談言ってる場合じゃないわよ」
エミリィはあまりの衝撃映像に陽光を叱った。
「何が?」
「名古屋駅で大火災だって。あれタワーズよ」
「タワーズ? タワーズってあんなんだったか?」
「それは燃えてはっきり見えないからよ。すごい煙と炎。中の人達、大丈夫かしら?」
「あの辺はもうしばらく行ってないからよぉ。よう分からんわ」
『この映像はNHK名古屋放送局から西の方角を映しています。セントラルタワーズの二つのビルが炎と黒煙で上の方の階が顔を覗かしているだけの状態です。今、現場近くに到着した野村アナウンサーより中継です』
『はい、こちらはセントラルタワーズより東へおよそ2キロ離れた桜通りは那古野町付近です。すでに消防隊がかなり多く駆けつけ消火活動にあたっています』
映像はアナウンサー越しにパトカーが並べられ、その奥では消防車が数台。そして赤いはずの消防車が黒く見えるほどの炎が燃え広がり、背景はかげろうを帯びている。
『野村さん、被害状況はどうなんでしょうか?』
『ええー、正直、全く分からないのが現状です。消防、警察とも状況が把握しきれていないもようで情報が錯綜しておりまして……』
テレビに釘付けになっていた二人だが、陽光は得意の大声を突如あげた。
「そう言やぁよお、タワーズって名駅だったよな?」
慣れているエミリィは陽光のつまらない質問にテレビを観たまま簡単に答えた。
「ええ、そうよ。なによ今さら」
「こりゃいかん。すぐ朱美ちゃんに連絡せんと」
そう言って陽光は慌てて尻のポケットからスマートフォンを取り出すと朱美へと電話した。
「んん、電波が届かないかぁ」
首をかしげて言う陽光にエミリィはテレビから陽光へ目を移し聞いた。
「まさか息子さんたち名駅にいるの?」
「おお、思い出したんだわ。朱美ちゃんが名駅でシンのやつと待ち合わせしてるって言ってたの」
その言葉にエミリィはアイラインで強調された目を大きく広げて驚くと即座に言った。
「大丈夫かしら? 息子さんには?」
「おお、いっぺんアイツにかけてみるか」
陽光はエミリィの言葉を受けて今度はシンへと電話すると陽光の耳にはいつもの呼び出し音が鳴り続くだけだった。
「まあ、あいかわらず繋がらねぇやあいつは」とスマートフォンにむかって吐くように陽光は言った。
「それは電波届かないって事?」
「いや、受信拒否だ」
「冗談でしょ? いくらなんでも受信拒否は無いでしょ?」
「繋がっても出ないってことよ」
エミリィは陽光の話に眉を八の字にさせ聞いた。
「そんなに仲悪いの?」
「知らねぇーよ。あいつが独りツンテンしてんだよ」
「そうなの……でも心配じゃない…… 災害時伝言板にメッセ残しておいたら?」
エミリィはテレビに映る映像が痛烈に惨く陽光の子供たちが無事でいるか陽光以上に心配になった。
「そんなクソ面倒くさいことできるか。俺が心配なのは朱美ちゃんだ」
子供がすねたように唇を突き出して相変わらずな事を言う陽光にエミリィは「だったら朱美ちゃんにでもいいから。きっと少ししたら連絡があるわよ」と陽光へ強く言って促し伝言メッセージを陽光に残させた。