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親父のくせに  作者: 佐野隆之
第一章 家族
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第2話 非家族的食卓

 発信日時 2046年8月13日 月曜日 午前8時33分

 発信元 Kyle Chandler

『おはよう真珠。君からのメールの予定通りなら今頃はリニアの中かな? 僕は今起きたところだよ。何だか昨日は落ち着かなくてなかなか寝つけ無かったんだ。今夜は食事の後、ひとまず君との暮らしに必要なものを一緒に買いに行こう。真珠の好みはある程度解っているつもりだけれどまだ少し自信が無くてね。ははは。でも目星はつけてあるんだ。じゃあ、今夜。またメールするよ』


 イヤホンを通して真珠の耳に響く低くまろやかながらも爽やかさを感じる声。青年という言葉がしっくり来る男。紳士的な振る舞いにもまったく嫌味がなく自分と同い年の男とは思い難い品格ある男として真珠はカイルを捉えていた。それは陽光との比較によるものも大きいとは思うが、それを差し引いても真珠にとっては自分にふさわしい男だと決め付けていた。それはかつて学生時代に男子達から黒真珠とあだ名され持てはやされた若き日のプライドが呼び覚まされているせいかもしれない……


 時は移り今から二ヶ月前。久しぶりに陽光と真珠そしてシンの三人で夕食を家で迎えた時だった。


「シンの誕生日なんだけれど、ディズニーリゾートでしない?」

 真珠は柔らかい口調と朗らかな表情で陽光へ問いかけた。明らかな媚びだ。

「藪から棒かい。なんでわざわざそんな遠くてめんどくせぇとこまで行く?」

 自分の気持ちに寸分気遣うことなく応える陽光の言いぐさに真珠は媚び声と表情を瞬時に吹き飛ばし刺々しく言い放った。

「すぐ何でも『面倒くさい』だわねっ! ほら、シンは喜んでるじゃない」

 真珠は陽光の隣に座るシンを(あご)で指して言った。そのシンはと言うと、目を丸くしてぽっかり口を開けて真珠と陽光の顔を代わる代わる見ている。

 シンを見て陽光は「この顔は意味不明の顔だろ」と言ってバカ笑いした。その陽光の態度に真珠は顔をしかめるも陽光の見方もあながちではないと思いすぐさま自分の提案に同意させるためにシンを見やった。

 シンの気持ちはというと真珠の意に反することであろうが陽光の言ったことの方に近く、その時のシンの心内(こころうち)は「ディズニーリゾート? めんどうくさい?」であった。

「ディズニーリゾートってナニ?」

 シンは真珠に聞いた。が、真珠が口を開く前に陽光の言葉が入った。

「だろ? 女じゃねぇんだからあんなチャラついた所に興味ねぇんだよ」

「あなたがちっとも遊びに連れて行ってあげないから知らないのよ」

「何言ってんだ。そういうお遊戯関係はお前の仕事だろ。俺は運んでくるもん運んでんだからいちいちグチグチ言うんじゃねぇよ、田分け。だいたいそんなもんだったらわざわざ東京まで行かなくてもナガシマでいいじゃねぇか。俺が車出してやるよ」

 大人の男と女の醜い言い争いを聞かされているシンだが、この会話の中から自分に必要な情報だけを聞き分け推理すると飛び出す様な勢いで声をあげた。

「ゆうえんち!?」

 シンは以前、真珠に連れられて真珠の友人数人と一度ナガシマスパーランドへ行った記憶が残っていたからそう推理したのだ。しかしこの時は太平洋と濃尾平野が一望できる大観覧車に乗っただけで、あとは手を引っ張られて大人の壁の迷路を連れ回された記憶しかない。真珠達はアウトレットモールでのショッピングの方に夢中だったからだ。今度は遊園地内で目にした見たこともない恐ろしく大きくて動いて回る乗り物や他の子達が乗っていた自分で動かせるクルマに乗れるんじゃないかという期待感が無意識にシンの気持ちを興奮させた。

「お、ほれ。シンもナガシマが良いってよ」

 シンの反応に弾むように言った陽光。それを無視してシンの説得に励むは真珠。

「シン、ディズニーリゾートはね、もーっと広くて今まで見たことないものがいーっぱいあるのよ。ミッキーマウスや白雪姫もいるし」

 真珠はシンにグッと近づいてオーバーアクションまで付けて言うとシンはその言葉に「ホント!?」と笑顔で聞き返した。シンは自分の想像が実現するかと思うと一層ワクワクした。

「ナガシマで十分だがや。ナガシマにはアンパンマンがいるぜ、シン。それに天然温泉があるしよぉ。お、そうだよ。温泉があるじゃねぇか。温泉でのんびりっていうのも悪くないんじゃないの? 家族風呂でゆっくりっていうのはどうだい? 真珠さん。ひっさしぶりに? シンがデカくなるともうできねぇだろ?」

 相手の気持ちや周囲の状況など考えた事もない男。むしろ相手を挑発して楽しんでいるかのような喋りっぷりをして自分を苛立たせる男。真珠は夫と呼ぶには恥ずかしいこの男とまともな会話を最近した覚えがない。抱き合うなどもっての外だ。陽光の話に聞く耳を持たずにシンへと話し続ける。

「リニア新幹線にも乗れるのよ?」

「リニア・モーターカー!?」

「そう、シンの大好きなリニア・モーターカー」

「リニアって、オマエ、俺にそんな金ねぇぞ」

「この子の前でそういうの止めてもらえる? いいわよ、私が払うから」

「なんだ、そんな余裕があるんだったら来月分の生活費は無しってことで頼むわ。ちょっとここのところ余裕無くてなぁ」

 陽光の無責任でだらしない物言いに真珠はキレた。

「何言ってるのよっ! とにかくこの子の前でそういうことを言わないでくれる?」

 “家族の食卓”という空間を見事な金切り声で切り裂いた。その瞬間、シンは肩をすぼめ耳を手の平で塞いだ。陽光もシンと同じ動作をした。シンの方は目をしっかりと閉じている。そしてシンと陽光の二人は耳を塞いだまま顔を向け合い目を合わせると二人揃ってニヤリとした。

 真珠は二人の動作の意味など気にかけることもなく、すでにシンの前でキレた自分をどこかへ捨てた状態でシンへ選択を迫った。

「シンはどっちがいい?」

「リニア・モーターカー」

 シンは即答した。

「リニア見るくらい金城ふ頭の鉄道館で良いがや。俺もガキのころ親父に連れられてそういや行ったわ。面白れぇぞ。よしっ今度連れってってやる」

 陽光は陽光でシンを自分側につけようと躍起だ。

「いつ?」

 シンは自分の父親は約束しても守らないことを無意識でよく理解していた。だから反射的に確約のために日時を決めるよう陽光に迫った。

 息子に見透かされていることを知らない陽光はズボンのポケットからスマートフォンを抜き出し予定表を見て応える。

「うーん、来週の日曜の午後はどうよ?」

 それに対して「ホント?」としっかり確認をとるのが当然のシン。

 それに対して「また連絡するわ」と曖昧なまま締めるのが当然の陽光。

 それに対して「本当に実現するのかしら」と嫌味たっぷりで真珠は言った。


 そして結果は真珠の思った通りで、シンとの約束はリニア新幹線の玩具(おもちゃ)で誤魔化し、東京行きには賛同してついて来た。

(現金な男…… 言動も行動も安易に読める陳腐な男……)

 真珠の思惑通りに事が運び、自分の身を轟家から抜け出す準備はこうして整った。


 この時の記憶を元に思考するシン――


 親父とお袋の会話。いつも罵りあい。

 明るい家庭。明るい食卓。笑顔のある風景。

 家族三人揃っている時間はわずか一、二時間程度のことなのに……


 夫婦円満、家庭円満。父親と母親の間で子供の手を取って歩いている姿を見て不思議だった。


 俺にとって家族という括りが未だに理解できずにいる。

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