第17話 混濁
火災の情報を受け取ったタワーズに入っているデパートやホテルの責任者たちは内心大きな動揺を持ちながらも個々の連絡網を駆使して客の避難の指揮をしていた。
最初、火災の連絡を受けた時の責任者たちはタワーズ前一体が燃えていると聞くと誰もが一言目は「冗談だろ」であった。その後窓を覗くと冗談ではない状況に「嘘だろ」と誰もが自分の目を疑った。
一方、現場では上司の指示を受け各スタッフたちが客を誘導し始めようとしていたが地上が炎の海になっているとの情報を受け、誰もが手をこまねいていた。
従業員自身が事態をよく把握できていない中、残念ながら上から伝わってくる情報よりも客たちが手にするネット情報の方が外で起きている事態の情報が豊富かつ正確であった。そのため客たちは自己判断での避難が自然に機能し始めていた。そして客たち各々はとにかく安全にここから出なくてはという思いが一致し、従業員たちの心配をよそに極度なパニックやヒステリーになることなくスムースに避難を開始していた。
そして外で起きている事態に対し従業員側としては定期的に行ってきた災害避難訓練と現実では状況が違い、自分たちが成す事が何かを見失い客にまみれて逃げ出す者も多くいた。
先にその結果なのであるが、彼らの多くは文字通り命拾いをした。完全な想定外の事態が起きていた事にただの火災ではないと誰も感じていた訳で悠長に警察や消防との災害訓練の時のような行動などしていられない。あえてやることと言えば従業員用通路を解放して少し案内の声を出すくらいだ。逃げ道が別にもあると分かると客たちは勝手に分散していく。
そして人は建物から逃げようとするときは地上に向かって逃げていく。よってすべての階段、エスカレーターといった避難経路に群がる人の流れは下へ下へと流れ続いていた。
そこに賢い人物数名はいち早く貴重品とスマートフォンを片手に一部しか知らされていない階段を使って上へと息を切らせながらも上り続けているのも裏で起きている事実であった。
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タワーズから避難する人々の多くは知人や家族からの連絡で外の状況を聞いていた。しかし回線がパンク状態となっているため、情報を直接手に入れられない人たちは周囲から漏れる会話や、直接訪ねるなどして情報収集をしていた。
そして誰もがイルミネーションが一斉に燃え出すなどという事態を事故であるとは到底思えなかった。それも街中が燃えるなど人為的なものに決まっている。つまりテロだ。
しかし、テロとは思うも多くの者たちはなぜこのような場所がテロの標的になるのか解せないと口々にしていた。
そのようなタワーズ内にいた人々はあらゆる不安と恐怖心を抱えた状態でとにかくこの場を離れようと人の群れは少しでも早く安全と思われるタワーズ一階、旧JR西側出口、通称“駅裏”を目指していた。土地勘の無い者は自ずとその流れに従うことが良策だろうとして従っていく。
その頃の朱美はまだ金の時計近くで避難する人々の群れに流されるままゆっくりと歩いていた。一階コンコースはまっすぐ西側出口へとつながっているのだが、途中中央に地下へ降りる階段が用意されていた。朱美は155センチと身長は高くないため周囲の状況が分からないでいた。そして流されるままに歩いていたら地下街へと向かう幅5メートルほどある階段へと押し流されていた。そして朱美は周囲の人達と歩調を合わせながら階段を一段一段降りていく。一階と地下とを結ぶ階段はかなり段数があり、一階と地下までの深さは10メートルはある。
階段を半分ほど降りてきたところで地下街との合流地点で避難する人々が溢れ渋滞しているのが朱美の目に入った。それを目にしたことで状況は差し迫ったものだと再認識させられたが、口からは思わず溜め息が漏れた。普段なら地下へ降りるのに30秒とかからないところへ5分かかってもまだ中間の踊り場辺りだ。そこに輪をかけ人が密集しているせいで12月とは思えない熱気で背中は随分汗ばみ防寒肌着など脱ぎ捨てたい衝動が沸き立つ。
(シンは今どこなんだろ? 大丈夫かな?)
朱美は人の群れに押されながらも右手に握られたたままのスマートフォンで何度もシンと連絡を取ろうとしていたが繋がらず、熱気と相まって苛立ちは募るばかりだ。
「ああ、もう伝言板しかダメなの? ん? って言うより電波切れてるじゃん!」
人混みまみれのど真ん中で大きな独り言を口にすると大きな溜め息を朱美は出した。
朱美は周り一体が人に満ち溢れていてもシンと連絡がつかないことで孤独感を浮き立たせ、大海を独り漂流しているかの気持ちで不安だった。
ぞろりぞろりと歩み進む避難者たち。朱美の目にようやく地下街の通路がはっきり見えるあたりまでやって来た。
「すごい人だ……」
地下街は地下鉄やデパ地下とも繋がっている。そこにいた人々がなだれ込んで来ているんだというのは朱美には容易に想像できた。その地下街との合流地点の渋滞を確認すると仕方ないかとあきらめの気持ちを持つことで落ち着こうとした。
そこに突然、朱美の脚を通して地響きと轟音が伝わり階段にいた人々は一気に体勢を崩し将棋倒しが起きた。
倒れた人々の苦痛を訴えるうめき声があちらこちらで聞こえる。朱美は自分の下に中年女性の背中を押してしまう形で倒れこんだ。「すみません」と言葉にしたかったが朱美自身の背中にも誰かがのしかかり息苦しい状態だった。そして周りの状況がよく解らなくなっていた。
すると一気に照明が消え、辺り一体が闇となった。そしてうめき声が悲鳴に変わった。
朱美には暗くなった事は分かったが苦しさで闇への感覚があまりなかった。それは数秒後再び明かりが点ったこともあるからだろう。
しかし明かりが点ると同時に今度は脳天を突き刺す激しく金属が擦れるような音が朱美を襲った。その音は朱美が人に押し潰された苦しい状態から目を覚まさせるほどのものだ。
そして朱美の目に映ったものは息苦しさをも押さえ込ませる声を朱美の口から出させた。
「イヤァァァァ!」
地下街と階段が交わる箇所に設置された防火シャッターが不自然な速度で天井から降りてきていた。そしてそれに気づいていた数名の者も朱美同様に声をあげた。
「危ない!」
しかしそれぞれの気持ち、止めさせたい、避けさせたいという気持ちを裏切りその下にいた人々を餌食にした。