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親父のくせに  作者: 佐野隆之
第三章 1225
14/35

第14話 朱美と陽光

 西暦2059年12月25日。

 この日、死者およそ2千人。負傷者は6千人。国際的組織によるテロ事件が日本で起きた。

 これにより20世紀末に起きた地下鉄サリン事件を大きく凌ぐ日本史上最悪なテロ事件として日本の歴史に記録されることとなった。

 あらゆる痕跡を残すことなく全てを焼きつくし戦後のような状態を一瞬にして作り上げたこの大惨事は世界的に見ても新しいテロ攻撃として世界が注目した。

 そしてこの日を知る人の数だけ様々な形で記憶され、その記憶の断片が語り継がれて行き、いつかは錆びて朽ち、人類の歴史を形作る単なる一片となっていく……のだろうか?


       *


 12月25日18時53分。朱美は名古屋駅にある二つの高層ビルからなるタワーズの一階、中央コンコースにある金の時計の下でスマートフォン片手にやや大げさな声のトーンでシンとの会話をしている。

「あっ、シン? もしかして遅れそうって感じ?」

 今日はクリスマスであるのはもちろん、朱美の誕生日でもある。

『ごめん。正解。ちょっと電車に乗り遅れちゃって』

 心持ち元気の無いようにシンの声が聞こえた朱美。彼女はその元気無い声の原因と、シンの心情、本当のトコロをシンから聞き出したくて軽めに聞いてみた。

「ねぇ、シン。なんか私に隠してなーい?」

 朱美の周りでは朱美と同様の人待ちしている人々で溢れている。その中でも自分と同じ様に人待ち顔した独りの女性が時間を気にしている姿が朱美の視線を奪った。

『え? いきなり変なこと言うなぁ』

 朱美の耳にはシンの声と人の喧騒が聞こえている。

「だってさぁ、シン、家にいなかったでしょ?」

 朱美の声は自然と大きくなっていた。

『え? ごめん、電車の音でよく聞こえなかった。もう電車乗っちゃうからまた後で聞くよ』と言い残してシンとの通信は途絶えた。

 朱美の手にあるスマートフォンにシンの顔写真と0分32秒の通話時間が表示された画面を眺め、小さな溜め息と共に「シンはどこから来るんだろ?」とぽつり独り言を口にした。

 スマートフォンをコートのポケットへ納め視線をふと前へ向けると、さっきの女性と彼氏らしき男性が腕を組んで立ち話をする姿が映った。女性は朱美と同世代のように見える。対して男性は肌の感じと雰囲気からして30代半ばだろうか? 朱美はこれまで同い年と年下しか付き合ったことがない。

(一回りも年が離れた男性ってどんな感じなんだろう?)

 久し振りの友人との再会と思われる一行や若年カップルから老年カップル、そして家族連れに何処かのサークル集団までと朱美の周りには老若男女、様々な人々が待ち合わせの様子で溢れている情景を目にし、その人々の顔を見ていると平凡な幸せってこういうものだよなと朱美は思ったりした。そしてそういった中にも何処と無く陰りを感じるカップルも目に留まる。そうすると自分の前彼との苦い記憶がふと蘇って少し胸が締まる。

 まだ約束の時間までには5分ほどあるものの朱美は待ちぼうけの感覚を胸に金の時計から少し離れた時計周辺が見渡せる百貨店入口付近へと移動し気の抜けた感じでガラスの壁にもたれかかった。

(いつものシンなら私より早くいるのに……)

 朱美の目の前を人々が流れている。


 2時間前――

 朱美はシンとの約束時間が待ちきれずシンの家に寄った。イヴの夜も今年は一緒に過ごせず少々朱美は不満であった。だからこれくらいのフライングは付き合って2年半にもなるんだからいいじゃないかと思いシンの家に顔を出すと、現れたのはシンの父、陽光であった。

 陽光は朱美が来たのをインターホンで確認すると「おお、シンの彼女かい? さあ、入った入った。外は寒いだろ」と言ってドアを開け快く朱美を迎え入れた。

 朱美は陽光について行くと陽光はそのままリビングの炬燵に入り込んだ。

「まあ、入ってちょうだい。よかったら一杯飲んでいくか?」

 陽光が手招きするも朱美は「いえいえ」と素早く首と手を横に振って断りその場に正座した。

「おいおい、そんなに固くなっちゃいかんて(ダ メ だ)。俺の方が緊張しちまうがや。まあ、炬燵ぐらいは入りゃあ。別に襲やしないって」

「えっ?」

「女好きの俺でも息子の女には手出さねぇよ。しかも未成年の子供じゃなぁ」

 赤い顔した陽光はしゃがれた大きな声でそう言うとガハハと独り笑った。

 潔癖な人は陽光の言葉を下品で嫌悪するところだろうが朱美はシンから充分話を聞かされていた事に加え、品の有る無しよりも率直に思った事を言葉を選ぶことなく口にする所は案外気持ち良かった。それは自分に無いものだからだろうか? 朱美は不思議とすんなり陽光に対し「実は今日で私、二十歳なんです」と気兼ねなく応えていた。

 その言葉を聞いた陽光はすぐさま何かに叩き起こされたかのように目を大きく見開き特徴あるしゃがれ声で言った。

「なんだ、じゃあ正規解禁じゃねぇか。一緒に飲もうぜ。おっ、そうだ。出前とるわ。そんなめでたい日なら寿司をとるか。ちょっと待っててくれよ、お嬢ちゃん」

 陽光の子供のような無邪気な笑みは朱美の気持ちに余裕を生み出し、つい朱美は自分の家の様な振る舞いをしそうになったが自制心を維持させ、この人はシンのお父さんだと言い聞かせた。

「ちょ、ちょっと、おじさん。いいですよ、そんな気を使わなくて。今夜はシンくんと約束してるんで」

「まあまあ、お嬢ちゃんこそ気ぃ使わず気楽にしてちょ。どうせシンはいないし、前祝いだ」

 そう言って陽光は尻のポケットからスマートフォンを取り出し、出前寿司の電話番号を調べ始めた。

 朱美は陽光の言った“どうせシンはいない”という言葉が頭の中をかすめはしたが、目の前の陽光の行動に気をとられ足の痺れを忘れる勢いで立ち上がると陽光の手を押さえた。

「本当に気持ちだけでいいので。代わりにコップ一杯だけ頂きます」

 朱美は陽光へ念を押すように言うと直ぐ様グラスを台所から持ってきた。

「そうか。あんまり無理言っちゃいかんな」

 そう陽光が言っている間に朱美はコップを手に陽光からお酌を受ける準備が出来ていた。

「慣れた手つきだなぁ。だいぶ飲んでんだろ?」

(しまった)

 グラスの傾け具合は隠せなかった朱美。そしてそのまま陽光からビールを注がれると「ほれほれ」という催促にコップ一杯を一気に喉を鳴らして飲んでしまった。無意識の緊張があったのかそれとも陽光の勧め上手なのか朱美自身自分の行動を変に感じた。

「しかしシンは彼女をほったらかしてお勉強とは許せんな。今度会ったら拷問しといたるわ。どんなんが良い? とりあえず体を縛り上げてベランダに吊るすか?」

 陽光のまんざらでもない口調が少し怖く感じさせたが朱美はここでシンがいないという言葉を思い出した。

「本当にシンはいないんですか?」

「おお、いねぇわ」

 朱美は来た時まさかと思ったが、まさかがまさかだと分かると大きく落胆した。そしてそのまま朱美のグラスの手は陽光に向かって遠慮無しに突き出していた。

「おじさん、もう一杯いただいていいですか?」

「おお、いいぞいいぞ。きゅーっと行っちゃって」

 陽光はそう言って自分が飲んでいた500mlの缶ビールの残りを全部朱美のコップへと気分良く注いだ。

 再び喉を鳴らして一気にビールを飲み干した朱美は自分の知らないところでシンは何をやっているのかと腹立たしさを覚えた。

「で、シンと付き合ってどれくらいになるんだ?」

「二年半くらいです。おじさんはご存知無いと思いますけど実はシンくんが小学一年生になった時から一緒に遊んでたんですよ」

「マジかて?」

「同じ分団だったんですよ。それで私が小学校卒業してからはちょっと疎遠になったんですけどね、これがびっくり! シンくんが私と同じ高校に入って来たんですよ!」

「おおぉ、マジか? それは知らんかったなぁ」

 朱美の身振り手振りのオーバーアクションとテンションの上がったリズミカルな話し方に陽光も同じようなオーバーアクションで話に聞き入る。陽光にとって朱美の話は新鮮で、それも今時の女子大生というものに接点のがないだけに尚更だ。そしてシンの彼女という立場である目の前の女の陽気な話しぶりは単純に面白い。

「そういやぁ、名前を知らないなぁ。何て言うの?」

「あ、そういえば自己紹介してませんでしたっけ? すみません。改めまして、上甑町(かみこしきまち)朱美です」

「はぁ? カミコチキマチ? なんじゃそりゃ?」

「言いづらい変な名字ですよね。名字は無視してください。朱美です。よろしくお願いします」

「アケミちゃんね。で、シンと付き合ってて面白いかい?」

 陽光の聞かれなれない質問は朱美を少し驚かせた。

「え? 面白い? そう聞かれると答えにくいかも」

「いやぁ、つまらん男じゃねぇかと思ってよぉ」

「面白いとかは思った事ないですけど、一緒にいて楽しいですよ。つまらないことはないです。最近はちょっと時間が合わないというか噛み合わないというか……」

 朱美の曇った表情に陽光は聞いた。

「なんだ、で悩んでんのか?」

「悩むというほどでもないですけど……シンとは仲悪いんですか?」

 朱美は空きっ腹にビールが効いてるようで少し酔った感じで陽光へお返し的な質問をぶつけた。

「いきなりそういう質問か?」と楽しげに応える陽光。

「す、すみません」

「いや、別にいいけどよぉ。俺的には悪いと思っちゃいないけどな。男同士仲がいい方が気持ち悪ぃだろ?」

「気持ち悪いとまでは思いませんけど……」

「朱美ちゃんは俺とシンと仲良くして欲しいのか?」

「いえ、別にお願いしているわけじゃないですよ。ただどうなのかなと聞いてみただけです……」

 陽光は朱美の語り半分のところで黙って立ち上がり冷蔵庫へ向かい缶ビールを取り出すとその場で口にした。その様子は朱美に陽光の触れてはいけないところだったのかと思わせた。

 そしてわずかな沈黙。陽光が再び炬燵へと潜り込むと口を開いた。

「しかし、彼女の誕生日をないがしろにするとは何様だアイツは? よく黙ってんなぁ」

「ないがしろって言うのはちょっと大げさですよ。今夜は一緒に名駅で食事しますし。」

「予約してあんのか?」

「うーん、どうだろう? 多分」

「せっかく誕生日祝いに下準備もしねぇのか。ヤツは?」

「そーですね。シンはそういうのは苦手かな? 私もあまり気合い入れられてもどうかなと思うからいいんですよ」

「いやぁー、前戯は大切だぜ」

 陽光は大きく首を横に振り朱美へ真剣な眼差しで言った。

「それはちょっとまた別かと……」

 朱美はさすがにこれには照れた。

「女をどれだけ気持ち良くできるかが男の価値だからな。シンには教えてきたつもりだったんだがなぁ、悪ぃなぁ朱美ちゃん。デキの悪い息子で」

「そんなこと全然ないですよ。シンは今のシンだから一緒にいられるんです」

「まぁ、相性ってのがあるからなぁ。あけみちゃんが無理してないんだったらいいんだけどよ。なんかあったら俺に言ってくれや。何でも協力するぜ。そうだ、俺の連絡先教えとくわ」

「あ、じゃあ、私の連絡先も」

 朱美は連絡先を交換したところで立ち上がった。

「もうそろそろお(いとま)します。約束の時間に遅れるといけないんで」

「おぅ、そうか。シンに会ったら、ちょっとは俺の電話に出ろって言っといてくれ」

「そんなに電話でないんですか?」

「おお。だから会ったらよぉ、とりあえず俺の代わりに蹴り入れといてくれよ」

「はい。じゃあそうします!」

 陽光と打ち解けた感じになれて気分良くシンの家を出た朱美。朱美のいなくなった家の中が一気に暗くなった気がした陽光。

「やっぱ女がいると違うな」

 そう独り言を言って続いて陽光も家を出た。

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