第13話 疑惑的憂鬱
朱美は最近シンがつれないなと何処となく感じていた。きっと試験が日に日に近づいてきて神経質になっているからだと自分に言い聞かせてみたもののどこかすきっきりしない。
「もう冬だからね。どんよりと薄暗くて肌寒くなってきたから憂うつな気分になったりするよ」と天気のせいにして冗談めかした慰めを言うのは朱美の大学友達、佐々木ユリだ。二人は学校帰りに二人がいつも別れる金山総合駅にあるカフェにいた。
「朱ちゃんが神経質になってるんだって。私からしたら二人はちょっとくっつきすぎ」
ユリがストレートの長い髪に指を絡めながら言うと朱美はユリの意見に素直に驚いた。
「何、くっつきすぎって? 私達がベタベタしてるってこと?」
朱美のリアクションがあまりにも真面目なのでユリは可笑しく思った。
「じゃなくて、しょっちゅう彼のところに行ってるんでしょ?」
覗き見るような表情でユリは朱美を見た。その表情に朱美は何か自分が悪い事か隠し事でもしていたかのような焦りを感じながら「しょっちゅうってほどは行ってないって」と慌てて応えた。
朱美の応えに大きな否定を入れ尋問に入るユリ。
「嘘だあぁ。週に何回会いに行ってんのよ?」
「んー……週に二回くらいかなぁ?」
「また嘘言ってぇ。行かない日が二回くらいじゃないの?」
「うーん……」
「いくら好きだと言っても殆ど毎日顔見てたら飽きもするわよ」
ユリは自分の好きなチーズケーキを頬張りながら朱美の反応を楽しむかのような笑顔を作っていた。
「何、シンが私に飽きたって言うの!?」
「それは無いだろうけど大抵の男は独りの時間を持ちたがるものだって」
「分かってるわよ、そんなの」と拗ねた顔を見せて朱美はダージリンティーを静かに口にした。ユリは半分からかい口調でそんな朱美へと続けた。
「分かってるって言いながら、朱ちゃん、いつも私に昨日はどうだったとか言ってるじゃなーい。朱ちゃんが彼にくっつきすぎだと思うな、やっぱり」
「かなぁ?」
朱美はユリを凝視する。
「私だったら、ちょっとぉ……って思うけどね」
苦い顔つきで首を傾げて言うユリ。
「でもさぁ、ここのところ電話かけても出る回数が減ったし、メールも返しが遅くなったし」
「そりゃあ勉強にバイトにって忙しければそうなるでしょ」
「いや、だからさ、家事ぐらいは手伝いたいってわけなのよ」
頬杖をついて今もなお口を尖らせながら言う朱美をユリは可愛らしく羨ましいなと思いつつ朱美に笑って言った。
「あら、もう妻気分?」
「またそうやって意地悪言う」
「少しは私の気持ちは考えてよ。シングルベル鳴らす身にね」
ユリは右手の指先をつまむような形をさせ鈴をならすかの動作を見せ言った。それを見た朱美は舌を小さく出して肩をすぼめると思い出したように言った。
「あ、イヴは一緒に過ごそうよ」
「あれ? 彼とじゃないの?」
「うん。今年は忙しいからっていうことで。でも25日は約束してるけどね」
「そっかぁ。よしっ。じゃあ、どうせなら皆で集まって盛り上がろうよ。彼ナシ淑女が多いから。でも今から店予約できるかなぁ」
朱美の言葉を受けユリは意気揚々とフィルム・ノート(超々薄型ノートパソコン)を鞄から取り出し店を探し始めた。
ユリの言う通り私は少しシンに構いすぎだろうか? と自分自身に問いかける朱美。しかし最近、シンが家にいない事が多いのは事実だ……。
12月最初の日曜日の昼下がり。抜けるような青空が朱美を誘惑していた。
「ああ、家でじっとしているなんてもったいないよなぁ」
窓を開け空を仰ぐ朱美。テレビでは紅葉狩り特集をやっている。
「そう言えば花見はしたけれど紅葉狩りはまだ無いよなあ。ああ、行きたいなあ。シンと。じゃない?」
朱美は独り言をソファーの横で行儀よく佇んでいる大きなアルパカのぬいぐるみに言った。
「どうしよう? 今日は別に約束してないし。っていうか今日はバイトだったかな?」
そう言って朱美はソファーへストンと腰を下ろすとローテーブルの上に置いてあったスマートフォンを手に取り予定表を見た。
マメにシンの予定を聞いて自分の予定表にきっちり書いていた朱美は今日の予定を見る。
「今日はバイト入れてないな」
自分もシンもフリーだと一人浮かれた。
早速シンの家へと向う準備に入った。普段なら部屋着同然のラフな格好で行くところだが今日はシンとデートする気満々でアンバーカラーのニットチュニックをベースにレギンススタイルのアンサンブル。メイクは面倒だから手抜きスッピン風メイクが標準の朱美なのだが、今日はたまにしか引かないアイラインを入れ、合わせて滅多に入れないシャドウにチークをやんわりと加え、さらにはナチュラルピンクのリップグロスで仕上げた。そして肩には先月セントラルパークの全面改装前セールで手に入れたショルダーバッグを合わせて姿見でバランスを確認する。
「うん、悪くないわね」
仕上げとして去年の誕生日にシンから貰ったリングを指に。
「あっ、爪」
気分的にはデコレーションしたいと一瞬悩んだ。
「ま、いいや。また今度で」
そこまでの時間はかけられないと朱美は階段を軽快に駆け降りると朱美の母がリビングで朱美が見ていた同じ番組をくつろいで見ていた。
「あら、シンくんとデート?」
朱美の姿に爽やかな笑顔で聞いた。
「そう。今日はご飯、外で食べてくるね」
「うん分かった。遅くなりそうなら連絡するのよ」
「はい。お父さんは?」
「大須に行ったわ」
「また? 本当に好きだねぇ。たまには二人でデートくらいすれば良いのに」
「そうね。私が出不精だからね」
「今夜は外で食事でもしてきたら?」
「そうねぇ……たまにはそれもいいかな?」
「私からお父さんにメールしといてあげるよ」
「そんなのいいわよ。朱美、いいの? 時間?」
「あ。じゃ行ってきます」
朱美は久しぶりにブーツを取り出すと足早に家を出た。
デートする気満々の朱美はスキップする勢いくらいの気持ちでシンの家へと向かった。
朱美の頬をかすめる北寄りの風は本格的な冬の訪れを知らせてくれる。世間はクリスマスに年末年始と忙しさを増していく雰囲気が漂う時期である。シンは受験を控えているから気持ちにゆとりが無いかもしれないがそんな時こそ外の空気を吸って気分転換して欲しい。その気持ちの強さが朱美を動かしている。それは澄んだこの青空が朱美にそうしなさいと語りかけているようで、そんな気持ちを持たせてくれる清々しい天気の下、朱美からは鼻歌が出てくる。
朱美はシンの家に到着するとドアホンを鳴らした。
が、返事はない。さらに二度押してみたものの反応がない。
「この時間に寝てるってことは無いだろうし、お手洗いとかかな?」
ドアの前で朱美はボソッと独り言を口にするともう一度押してみる。
しかし反応はない。
「まさか前みたいに?」
朱美の脳裏に親子喧嘩の時のことが思い浮かぶ。ハッと慌ててドアノブに手をかけた。
「閉まってる」
朱美はすぐさまバックからスマートフォンを取り出しシンへ電話した。するとシンはすぐに出た。
『もしもし』
「あ、シン。私。ねぇ、今、家?」
『図書館』
シンの口から聞き慣れない、それも予想もしなかった返事に思わず朱美の声が裏返った。
「図書館っ? 何で?」
『何でって、勉強してるんだよ』
「いや、なんで図書館で?」
『気分転換』
シンの意外な気分転換に朱美は何だか焦った。
「そ、そうなんだ……今、シンの家に来たらいないもんだから変だなと思ってね」
体から一気に力が抜けた朱美は同時に自分の気持ちの空回り具合を思い知りドアに手をかけ項垂れた。
『何で変なんだよ? 俺が家にずっと引きこもってる方が普通か?』
シンの声が刺々しく聞こえ朱美はその場でしゃがみこんだ。
「いやあ、そんなじゃないんだけど……そんなに突っかからなくても」
益々朱美は自分が恥ずかしくなってきた。
とは言え、一度や二度はそんな空回りがあったっておかしくはないだろう。付き合いも長くなればなるほど良いことも悪いことも増えていくものだ。と頭の先では分かっていても、その後三回も約束無しで家にいないと言うのは今まで無かった事だけに無性に嫌な予感がした朱美。
(シンに限って浮気なんてないだろうし……)
「そうとも限らないでしょ」
朱美の心配と不安に同情の色を見せないユリはキッパリ言った。その言いぶりに意地悪なユリだと思った朱美は唇を尖らせて言う。
「ちょっとぉ、他人事だと思って」
「だって前彼がそうだったじゃん」
「もうぉ、思い出させないでよ。否定はしないけど」
「でしょ? 朱ちゃんはホント真っ直ぐだよね。好きになると」
「やっぱり重い?」
朱美は様々な不安な気持ちにぐらつき、ユリへ救いを求める。
「正直、私は相性の問題だと思うよ。朱ちゃんは朱ちゃんでそのままで良いんじゃない? 疑心暗鬼になったら終わりよ。今は彼のことも考えてメールと電話中心にしとけば。それまで私の相手してよ」
朱美は思った。
疑心暗鬼―― 暗闇というだけで鬼がいるかのように恐れること。
確かに目に見えない人の心や見えないところでの行動に対して疑う気持ちを持ってしまったらなかなか元の気持ちに戻るのは難しいと思う。
別にシンを疑ってるわけじゃないんだけれど何かが違うんだよね。何かが。何かが変わった気がする。でも何かはよく分からない。
ユリの言う通り25日までは大人しくしておこうかな? メールだけにして。