第10話 スペシャリスト(前編)
尾張建設は愛知県名古屋市に拠点を置き中部地区で活動している従業員20人程度の小企業である。
社長の平川は四本の足と二本の手を持った新世代重機、ヘヴィ・ワーカーが開発されているとの情報を目にした時から自分が子供時代に見ていたアニメのロボットがついにこの世の中に出てきたと興奮し、発売したらどこよりも早くウチに導入する、これからはこいつが無くちゃ何もできんと毎日取り憑かれたように口にして意気込んでいた。そして世界初のノン・キャタピラー四足型重機、ヘビィ・ワーカーが2030年に市販化されると即座に大きな借金をして2台購入した。
がしかし、導入したものの悲しいことに、これを使える者がいなかった。今までのショベル類とは全く勝手が違い、“外科手術でもするかのような操縦テクニックが必要じゃないか”と文句が殺到。平均年齢が45歳という従業員たちには酷であった。平川自身もすでに60才という年齢であり、二十歳の頃から重機を操ってきたが、それは同感するほど難しいものであった。しかし、経営者として多額な投資をした機械を遊ばせておくわけにはいかないのは当然であり、社内の狭い敷地で特に難しいアーム操作の練習を皆して積み重ねたが努力むなしく一人も試験に合格せず2年余りが過ぎてしまった。
そこへやってきたのがすでに免許を持っていた轟陽光という威勢の良い若者だった。そして陽光英雄伝第一章は入社直後に誕生する。
西暦2032年4月6日。午前5時45分。起きる起きると言われ続けていた東海大地震が発生した。震度7。マグネチュード9.1。30年以上前から国と自治体で対策は施してきたものの自然の脅威は人類の英知という自尊心を簡単に驕りに変えてしまうものであった。
それほどの震災でありながら尾張建設の事務所棟は補強工事が十分にしてあったため書庫が倒れる程度の被害しかなかった。また平川が最も心配していた高級品であるヘヴィ・ワーカーも傷つくことなく無事であった。
そして平川は社員たちも全員無事だと確認すると民間の災害支援事業組織に加盟していたことから、即座に社の全重機を災害支援のために出動させた。そこで大きな活躍を見せたのが陽光操るヘヴィ・ワーカーであった。
自衛隊も全国の駐屯地で保有していたヘヴィ・ワーカーを全機投入したわけなのだが、いかんせん全く新しい機械だ。当然自衛隊員も経験が浅いわけで期待されているだけの仕事量がこなせないのが実際であった。
しかし、陽光は違った。自衛隊をも唸らせる手さばきで瓦礫の山を丁寧かつ素早い動きで崩していく。そのおかげで従来なら時間遅れで恐らく助けられなかったと思われる被災者を助け出すことまで成した。この経験は陽光にとっても大きな自信となり、この陽光の活躍のおかげで尾張建設の名はたちまち日本はもちろん世界へと知らしめた。
その後、当然だろう。陽光へ引き抜きの話がいくつか舞い込んで来たが陽光は「面倒くさい」という理由でそのまま尾張建設で働き続けた。
*
2059年12月も半ばに入り寒さが本格化してきたある日。朝陽もようやく目覚める時間に陽光は地下鉄駅から体を縮ませながら会社へ向かって歩いていた。
昨夜は付き合いのある企業の忘年会に呼ばれて参加した陽光だが、義理で顔を出すだけのつもりが若い女が多かったという理由により簡単に羽目を外しドンチャン騒ぎの深酒をしてしまいホテルからの出社となった。陽光としては珍しい事ではないのだが。
深酒したとはいえ目覚めは良い陽光。会社へ到着するとそのまま重機置き場にある陽光愛用の中型ヘヴィ・ワーカーへと向かった。出社、退社の記録はヘヴィ・ワーカーを通して出来るので大半の者は事務所に顔を出すことなくヘヴィ・ワーカーに乗り行動指示を受ける。
陽光はしっかり冷えたヘヴィ・ワーカーのドア・グリップを握ると「うへっ」と特徴あるしゃがれ声に酒やけ声が混じった低く濁った声を白い息と共に出した。
オートロックが解除されると急いでドアを開けコクピットへと飛び込む陽光。中は冷蔵庫状態だ。
シートへ体を納めた陽光は冷えきった手に息を吐きかけ手を擦り合わせながら大きな独り言をコクピット内に響かせる。
「おおーさぶっ。早く暖まりてぇ」
陽光は体を縮めながらもシートの下からヘルメットを取り出すと素早く被り、そしてヘッドレストの左右からヘルメット固定ベルトを引き出し耳の後ろあたりにあるヘルメットの固定ピンへ留めた。そして腰へはシートベルトを。この辺りは雑だとかいい加減だと陽光を言う者には意外に映るだろう。
「よっしゃ! 今日もお仕事頑張りましょうかねぇ!」
気合いの入った一声を口にすると足元にある四つのペダルのうち一番左端のペダルを左足で一気に踏みつけそのまま右端にあるアクセルペダルをリズミカルに二回踏んだ。すると陽光を囲っている計器類や後方確認モニターに灯が点りエアコンも同時に作動を始め、温風が勢い良く足元へと吹き出した。
陽光のヘヴィ・ワーカー起動のための儀式は無駄なくプロフェッショナルらしく流麗だ。そして陽光はドアについているID認識パネルに掌を当てると張りのある女性の声が響いた。
『ID確認できました。おはようございます、轟陽光様』
「おっす、マイ・ハニー! 今日も仲良く行こうぜ!」
『轟陽光様からアルコール呼気中濃度0.28mgを検出しました。操縦不可能です』
「何ぃー? ウソだろぉ。もう一回チェックしてみぃ」
陽光はそう言ってヘルメットに装着されているミニマイクへ息を吹きかけた。
『アルコール呼気中濃度0.29mgを検出。操縦不可能です』
陽光の賑やかな声に対しヘヴィ・ワーカーは暖かくも冷ややかでもない端正な女性の声で応える。
陽光の目の前のマルチモニターにも同様のメッセージが点滅している。陽光は今さらながらマズいと思い慌てて両手で口と鼻を必死に塞いだ。すると陽光の察した通りヘルメット内臓スピーカーから上司の怒鳴り声が陽光の耳を通して脳天を叩いた。
『おい、轟! いつもどれだけ酒飲んでんだ? アルコール反応で起動拒否受けるのはお前しかいないぞ!』
口と鼻を手で塞いだまま喋る陽光。
「こいつが壊れてるんじゃないっすか?」
『馬鹿野郎。口と鼻塞いだって変わらねぇぞ。っていうか、お前、それ酒臭いって認めてるんじゃねぇか! さっさとそこから降りろ! 今日は欠勤扱いだ』
陽光にも負けない低音の効いた上司の声に陽光はフロントガラス上部に付いているバックモニターディスプレイに向かって甘えた声を出した。
「そいつは勘弁してくださいよぉ。いつも有休使わしてくれるじゃないっすかぁー」
『いつまでも甘い顔してるわけにはいかねぇんだ。ワーカー乗りが不足してて困ってるんだ。そんなことで何度もヘヴィ・ワーカーが出動できないとゼネコンさんに申し訳立たねぇんだよ。俺がどれだけ苦労してると思ってんだ。少しは反省しろ! 下のモンに示しがつかんだろうが!』
上司のお叱りの言葉に陽光はあっさりと先生に叱られた小学生並のしょんぼり顔を作り黙ってヘヴィ・ワーカーを降りた。外は小雪が降り始めていた。