第1話 疑似家族旅行
『どうしてお袋は俺を産んだんだ?』
『どうしてお袋は俺を置いて親父に?』
『どうして俺が親父の世話してるんだ?』
『だから俺は生かされてるのか?』
なんて事を最近考えるようになった。もし、こんな自問自答をしている俺を笑いたかったら笑ってくれて大歓迎だ。自分でも笑えるから、ホント……。
でも、そんなこと考えた事無い奴なんているのか?
あ、思い出した。いるよ。親父だ。親父がそんな事を考える人間だったら俺はもっと目に見える世界が明るく見えて来れたんじゃないか? そうつくづく思うこの頃だ――
轟シン十八才の心には彼固有の思考がくどくこびりついていた。もしこれを聞くことができたり、見ることが出来たりしてしまう邪魔な能力が人々にあったとしたら飽き飽きするほどの論争が起きるかも知れない。もしくは人々がどれほど他人に対して思いの外無関心であることが露呈するのではないだろうか。
西暦2046年8月13日、轟シン五歳の誕生日。曖昧さが雑じりつつも忘れられないシンの記憶。
この時、シンの父、陽光は三十四歳。母、真珠は二十八歳。この三人の家族は名古屋からリニア新幹線に乗り東京へと向かっていた。
リニア新幹線“みらい”の小振りな窓へ張り付くようにして外を眺めているシン。その目は見事などんぐり眼で無邪気さと純真さを持つ子供そのものであった。そのシンに覆い被さるようにして外を眺める陽光は特徴的な低いしゃがれ声で演説でもしているかのような大声で言った。
「丁度俺が高校の時にこいつが出来てよぉ、修学旅行で東京まで行ったっけなぁー!」
陽光の大声に訝しげな表情を露骨に作る真珠。そして窓の外の景色は勿論のこと自分の息子の無邪気で愛らしい姿にも興味の片鱗を見せることなく溜め息を出し、腕組をしたままレインドロップスタイルの茶色いサングラスの中の目は閉じていた。
ワクワク感一杯だったこの時のシンには自分がお母さんと呼んでいたこの人物の内的感情は知る訳も無い。だから無邪気な子供であり、子供は無邪気なのである。しかし無邪気さとは裏腹と言える、自分の『お父さんとお母さんの仲は良くない』『タロウくんやミキちゃんのところとは違うんだ』ということは確実に理解し、それを口にすることは子供として不利な立場になることを感覚的に悟っていた。それがこの頃のシンであった。
そのシンはハンドルを握って車を運転する動作をしながら陽気に歌っている。
「リニア・モーターカー♪ リニア・モーターカー♪」
それを聞いた陽光はニッコリ満面の笑顔で言う。
「お、懐かしいCMソングだがや。平成おばさんアイドル3人組でやってたやつだろ?」
「もう、大きな声出さないでよ。だいたい、なんであんた朝から酒臭いのよ?」
父と子のやりとりに容赦なく無常な言葉を差し込む真珠。真珠の呆れ顔はサングラスの中だ。それに対し陽光は真珠の横顔へ言う。
「これから遊びに行く時にそんなキンキンカリカリ声でつまんねぇ事言うんじゃねぇよ。つまんねぇ女だなぁ」
車両内に響くほどの声で諭す陽光であるが酒臭いのは事実であったし、非常識と周りからも非難される態度でもあった。しかしまたそれに対し「あなたの常識が欠けてるからよ」と真珠が言えば「常識があったら俺はここにいねぇえっつぅーの」と返す陽光。売り言葉に買い言葉。その予想通りの返事と自分自身の対応に真珠は可笑しくなり「ふ……そうね」とだけ言ってショルダーバッグからイヤホンを取り出し外界を遮断した。
真夏の突き刺す光が眩しい快晴の下、リニア新幹線“みらい”の窓からは軽快に流れていく風景が映し出されている。それは人々の群れが生活する街から町へと続き、次第に人々の腹を満たすものが生まれる田畑へと変化していく。そして人をも寄せ付けないような神々しい山々へと。それらの風景は五才のシンには大海そのもののような広大な新世界、別世界に映ってみえた。
その中でもシンを釘付けにさせ心打つほどの景色は、シンの目いっぱいに入った富士山だった。
「うわぁ、でっかい山! きれい!」
シンと同様にその景色を見て感動した陽光も思わず声が出る。それはイヤホンで音楽を聴いていた真珠にまで聞こえる音量でだ。
「おおー、ひっさしぶりに見るフジヤマだぜぇ。いいねぇー。なぁ、シン。男はよぉ、どんな時でもああいう風に、デーンと構えてなきゃいけないんだぞ」
そう言って陽光はシンの小さな肩を優しく掴むとカクカクと揺らした。シンは少し頭がクラっとして一瞬止めて欲しいという気持ちが沸いたものの、肩から伝わってくる父親の熱さが“これは我慢しなくちゃ”と無意識に思った。
「あ、またトンネル……」
二人の目の前は暗くなり、父と子の間を繋いでいた富士山が目の前から消えた。
しかし数秒も経たずに再び二人の前に富士山が現れた。シンの目には実物その物を見ている事にしか思えないその景色は衛星映像を元に作られたCG映像である。
「リニアは景色が楽しめねぇから、つまんねぇなぁ。やっぱ何でも生の方がいいぜ。なぁ、真珠さんよぉ。別に“のぞみ”ちゃん(新幹線)でよかったんじゃねぇの? リニア高ぇし」
孤立を決め込んでいた真珠へ周りの目など構うこと無く大声で話かける陽光。
「早く着くからリニアの方がいいのよ。それに早く着けばそれだけ長い時間向こうで遊べるでしょ?」と真珠は独り言でも言っているかの様な調子で淡々と渋々応えた。だがその真珠の態度をいちいち気にする陽光ではない。シンから体を離すと自分も真珠のようにリクライニングシートに体を預けて続けた。
「まあ、そりゃそうだけどな。しかし気前がいいなぁ、お前の奢りとは」と変わりなく大声で口にする陽光。
「アンタはケチだからそうでもしなくちゃ遠出なんてできないでしょ」
「倹約家と呼んでくれよ」
「全部、女と酒に使って私達のところにはろくに回って来やしないじゃないの」
「何を見たようなこと言いやがって」
淡々と言葉を発していたはずの真珠だが簡単に陽光のペースに乗せられてしまい言葉の汚れ具合と声量が増していた。
こういった自分の状態の悪化の原因はすべて陽光にあり、そして若き日の陽光へ一時の安息のために心と体を委ねてしまった過去の自分をすべてかき消し去りたいという思いだけに真珠の心は満たされてしまっていた。
そのせいでこの空間にいることに息苦しさを感じていた真珠は化粧室の入室ランプが消えるのを確認すると黙ったまま立ち上がり化粧室へと向かった。
「なんだ、しっこか?」
(ったく……)
陽光の品のない言葉が真珠の耳に掛かり口を開きかけたが、それに反射することの繰り返しが自分の弱さなんだと自分へ言い聞かせた。そして真珠は知的で懐深く能動的に自分を愛してくれるカイルの元へと向かう事だけを胸に秘めていたのだった。
真珠は化粧室へ入ると今まで汚染された空気を吸い続けていたものを浄化するために大きく三回深呼吸した。そしてショルダーバッグから手のひらほどのコンパクトスタイル・スマートフォンを取り出し彼からのボイスメールを確認した。
彼女が東京行きを言い出した理由はここにあった――