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男爵は嘲笑う  作者: 謳子
あのとき、とそれから
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あのとき、とそれから◆12

 それから数十分、高遠から聞かされた話は、三文小説でも読んでいるような、現実離れしていて、筆舌に尽くし難い奇妙でややこしい話だった。

 状況証拠だけではあるが、真犯人は特定出来た状況で、それでも高遠は別れ際、「待っていてくれ。耐えてくれ」と言って匠に頭を下げた。

 高遠の立場を考えれば、ここで”爆破事故”を事件として無事解決したところで、国内事情がただでは済まなくなる。

 諸々一斉に片付けるためには、少なくとも数年かけ、元から崩さなければならなかった。

 その事情は、十分理解出来るものだった。

 遺族感情とは、こんなところで燻るのかという発見を、匠は今している。

 探偵事務所を開く前、警視庁の公安部外事課の捜査員をしていた。

 その頃は、遺族感情は捜査に入れてはいけないと徹底された。

 法と差異が生じるからだ。

 無機質に振る舞う事を教えられ、無感情になる事は禁じられた。

 そのやり方に反抗しなかった訳ではない。

 どうあっても、行く先々の現場には感情が溢れていた。

 静寂な筈の殺人現場に、耳が痛くなる程の悲鳴を聞いた時もあった。

 耐えられなくなったと言えば嘘になるが、確かにそれに近いくらいの絶望感を背負い込んだ時期もあったし、この積み重ねによって、仕事への熱意を失った事は事実だった。

 高遠とは、大学を卒業してからも、こういった仕事で関わり合った。検事になった高遠は東京地検特捜部員、刑事になった匠は外事課員として。時には敵を演じなければならない事もあったが、変わらず友人として付き合う、無二の親友だ。

 精神的に崖縁に立った時、退職を奨めたのも高遠だった。

 その頃から、高遠には構想があった。

「国内権力の総てを、一瞬でも超えた権限を持てる捜査機関が欲しいんだ。」

 高遠は今、その構想のために検事をやっている。

 その実現のために一番重要な人物もまた、今回の保護対象である蕪木 一穂法務大臣だった。

 高遠は、その息子まで駒に挙げた。本気だと言う証拠だと思った。

 だから口出しは出来ない。

 ただ解決を待つしかない。

 匠は帰って来て即座に座ったダイニングテーブルの椅子の上で、小さく溜め息を吐いた。そして、項垂れた。

 外事課にいた頃も、よくこうして項垂れたものだった。

 そんな匠の様子に構いもせず、隣のキッチンで洗い物をしていたカナエが声をかけた。

「高遠さん、元気だった?」

 カナエも、高遠とは大学の同期だ。

「うん、相変わらずだったよ。

 もうあのオカマ口調は抜けないんだろうね…。」

「うふふ。

 いつからあんなになっちゃったかしらね…。」

「いつからだっけ…。」

 言われて、ふと頭を上げて記憶を探る。

 そう言えば、兄夫婦が結婚して暫くしてからではなかったか…。

「あの人、ナツの事好きだったのよねぇ。

 でもナツはずーっと、貢センパイの虜だったから。」

 カナエが優しく呟いた。

「…そうだったのか…。」

 知らぬ事実だった。

 そう思うと、あの口調も理解出来ぬものでもない気がしてくる。

 そんな話をしていると、何にせよ、どんな事情があるにせよ、親族の関わる事件の調査をしてくれるというのならば、有り難いと思うべきなのかと、思えてきた。

「任せちゃっていいかなぁ…?」

 匠が呟くと、カナエが水道を止めた。

「いいわよ。」

 恐らく、何についてなのか全く理解していないと思われるカナエだが、不思議とカナエに言われるとそれでいい気もして来た。

「いいか。」

「大丈夫よ。」

「そうか。」

 ならば、それでいい。

 匠はそう言い、窓の外を眺めた。

 姪が独りで住む兄夫婦の家の灯りが見えた。

 一つだけ、恐らく姪の部屋の照明だ。

「ユリはどうだった?」

「んー?

 相変わらずね。

 でもあの子も大丈夫でしょ。

 ちょっとビックリしてるだけよ。」

 手を拭きながらリビングへ戻ってきたカナエが、笑った。

「頃合を見て、引っ張ってあげないといけないけどね。」

 そう言って、カナエも匠に倣って窓の外を見た。

 この頃は未だ、これから約六年に渡り、この事件が続いて行くとは二人も思っていなかった。


 それから、定期的に高遠に呼び出され、匠は状況を報告された。

 頼んだ事ではなかったが、望んでいた事だったので、匠も嬉々として向かった。

 着々と自体が動き、進んでいく中で、高遠念願の『特別調査室』設立も決定した。

 そこへ噂の蕪木 了も召喚する方針が決定した。

 あとは大鳥の資金源を潰し、野党幹部の揚げ足を掬えば、総ては高遠の望む方向へ、そして、それぞれが丸く収まるべく、進んでいく。

 姪のユリもすっかり立ち直っているようだった。

 風向きは完全に追い風のように思える。

 あとは駆け抜けるだけだろう。

 ならば、自分も立ち止まっていてはいけないだろう。

 匠は、何度目か高遠に呼び出された日、言った。

「次機会があったら、僕が加わる事を許してくれ。

 どんな役でもやるよ。」

 匠の要望は、高遠が待ち望んでいた事だった。

 高遠は快諾し、しかし俯いた。その表情は、笑顔は浮かぶものの、いまいち冴えない。

 問うと、高遠が俯いた。

「とーるちゃんがさ、入院してるんだよね。」

 今回の待ち合わせで、まだ報告を聞く前だった匠は、この言葉に眉を顰めた。

「”男爵”に刺されたの。結構危ない。」

 ”男爵”については、既にバークレイ一家のトラブルから、正体はエルシだという情報も高遠から聞いていたし、了が捜査に加わる事も聞いていたが、まさかそんな危険な目に遭うとは、考えもしていなかった。

「危ないって…。」

「まだ意識が戻らない。そろそろ一週間になるのよ。」

 話す高遠は、いつもの調子をすっかり失い、幾らか憔悴していた。

「出血が酷くてね。意識が回復したところで、捜査に戻れるかどうか…。」

「…。」

 それ以上語る気になれないらしい高遠とは、その日は早々に別れた。

 その数日後、高遠から電話で了の意識が回復した事を告げられ、そのまま音沙汰なく数週間経ったある日、高遠から呼び出し受けた。

 いつも会う喫茶店に向かうと、やや弱弱しく笑いながら手を振って匠を迎える高遠がいた。

「退院したんだって?」

「うん。まぁね。」

 頷く高遠の声に、覇気がなかった。

「何?」

「計算、ちょっと違ったかな…。」

 匠が問うと、そう言って、高遠が話し出した。


 意識が回復したと聞かされた日、業務を早めに切り上げて病院に向かった高遠を、了は笑顔で迎えた。

「すみませんでした。」

 謝る了に、高遠が「謝る事じゃないよ」と答えると、了は静かにリハビリを始めた。

 その時、すぐに了の様子が変わった事に気付いた。

 今まで様々な人間を見てきた高遠にとって、今目の前にいる了は、とてつもなく危険なものに思えた。

 人間、死を目の当たりにすれば、暫くは自身が生きる事に執着するものだと思っていた。それ故、過剰な行動や発想は避けるとも。

 しかし、了は違った。

 一見、生きる事に前向きに見えるが、高遠には死に急いでいるようにしか見えなかった。

 顔つきすら変わっていた。

 何かを悟ったような、そんな表情をするようになった。

 高遠が時折、悪戯に「三途の川を見たんだから」と茶化したが、内心はスウェーデンへ捜査に行かせた事を後悔していた。高遠が素直にそれを詫びると、了はにこりと笑った。

「これが仕事でしょ? アイツはもっと辛いだろうし。」

 高遠はその一言で、本当の了を理解していなかった事に気付いた。

 了は、全てを背負い込んでしまう。

 生い立ちがそうさせたのか、そこまでは解らなかったが、高遠にとってこれは危険な事だった。


「あのコをあんなに怖いと思った事はなかったよ…。」

 高遠が言うと、匠はきょとんとした。

「そう?」

「え?」

 匠の反応に、今度は高遠がきょとんとした。

「うちに来た時、そう思ったけどな。

 この人は背負い込むの得意なんだろうな、って。

 どうかな、一つ提案があるんだけど。」

 匠はそう言うと、高遠ににやりと笑った。

「次、”男爵”から予告が来た時も、彼が担当するでしょ?

 そのとき、うちのユリを同行させて貰えないか?」

「ユリちゃんを?」

「うん。

 彼は、ユリに思いの外、感情移入してるみたいだから。

 性格矯正に、使えるんじゃないかな。」

「粗治療じゃない?」

「うちのユリの治癒力を舐めてもらっちゃ困るよ。」

 困惑する高遠に、匠が再度にやりと笑った。

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