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男爵は嘲笑う  作者: 謳子
あのとき、とそれから
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あのとき、とそれから◆11

 六年前。


 カランと軽やかな音の鳴るカウベルがぶら下がるドアを開けると、愛想の余りよくなさそうなウェイトレスが匠を出迎えた。

「お一人様ですか?」

「ううん、連れが来てます。」

 片手をひらひらして、店内を素早く見回し、”連れ”を見つけると、匠はそそくさと席へ向かった。

「やぁ。」

 陽が燦燦と降り注ぐ窓辺の四人席を陣取った高遠に声をかける。

「やぁ。」

 高遠が同じように返した。

 いつも通りに、ピンクを基調としたコーディネートが、乙女チックだ。

「悪いね、呼び出して。」

 高遠がそう言いながら、隣の椅子に置いた薄っぺらな革鞄に、手にしていた書類の一部を仕舞った。

 昔馴染みにも見せられない書類なのだろう。

「いいや。

 暇してるからねぇ。」

 匠がのんびりと返し、高遠と目を合わせ、二人でにやりと笑う。

「お兄さんの…。

 落ち着いたかな?」

「うん。何とかね。」

 つい先日、兄の貢とその妻の奈津子の四十九日が終わったばかりだった。

 まだまだ航空会社との協議などやる事は残っているが、葬儀を済ませた事で、心にも一つ区切りがついた気がしていた。

「姪っ子ちゃんは、相変わらず…か。」

「うん。そこはもう、自然治癒力に任せる事にしたから。

 カナエもいるしね。」

「そうか…。」

 声ほど余裕のある状況ではない事は、高遠にも解った。

 こんな時ほど、自分の職業の難儀さを感じる時はない。

「それで?」

 柄にもなく落ち込む高遠に、匠が切り出した。

「…うん。

 どうにも、状況が動きそうなんでね。報せに来たのよ。」

 早々に気分を切り替え、高遠が返した。口調も、いつものオカマ口調に戻る。いつの間にか癖になってしまった口調だった。自身にそういった趣味はない。

「?」

 首を傾げる匠に、高遠がにやりと笑って一枚の書類を手渡した。

「今、目をつけてるコ。」

 「その口調で言われるとぞっとする」と苦笑して、匠が書類を受け取り眺めた。

 明らかに隠し撮り風な斜め角度の顔写真に、氏名、簡単な経歴がまとめられた資料だった。


 蕪木カブラギ トオル


 …

 国立帝都大学校 国際法科学科 英語圏専攻 次席修了

 国立帝都大学院 法科学科 次席修了


 新司法試験 次席合格

 国家I種試験 次席合格


 取得資格

 国内総合馬術競技 二位

 小笠原流弓馬術礼法 会得

 弓道小笠原流 準師範

 弓道本多流 準師範級(推定)

 茶道裏千家 茶名取得

 …


 内容に目を通して、「なにこれ?」と匠が笑った。

「”次席の君”。

 今、法務省をほんの少し賑わせている、現職刑事のオトコノコ。」

「へぇ。」

 尚もその気の感じる口調に含み笑いをしながら、匠が高遠を見た。

「狙ってるの?」

「うん。」

 即答する高遠に、匠がにやりとした。

「この間うちに来たよ。」

「知ってる。あの事故調べてるんでしょ?」

「うん、そう言ってた。」

 匠が頷いた。

 まさか、同級の口からこの名前を聞くとは。

「話は一旦変わるけど、今、野党議員の一部が法務省と内閣府の一部官僚と談合して、政権与党潰しを企んでるの…。」

「おいおい。」

 即座に、高遠の話を、匠がぶつ切りにした。

「そんな話…。」

「まぁまぁ。」

 周りの一般人に躊躇う匠を、お気軽に高遠が制した。

「もちろん内密な情報なのよ。まだマスコミにも漏れてないのコレ。

 んでね、法務省官僚は、次期法務大臣を狙う、大鳥和良とその取り巻き。

 内閣府は、誰だか知らないけど。」

「大鳥って、純・フォーラムの?」

「そそ。アソコの御曹司。

 その大鳥の活動資金、メインの出所が面白いのよ。」

 近所のおばちゃんよろしく、高遠は向かいに座る匠にぐいと顔を近づけて、片手を上下にひらつかせた。

「”中東の小国”なの。」

「中東? 外国なの?」

 思わず、高遠の口調が伝染った匠も、高遠に顔を近付けた。

「そうなの。

 ”シリング王国”って言うんだけど。

 そこ、王政国家なんだけどさ、面白い国なのよ。

 既に亡くなってるんだけど、当主の王妃がバツイチなの。」

「は?」

 何が面白いのかと匠が眉を顰めると、それまでニヤニヤと笑っていた高遠が、ふっと真顔になった。

 だらりと背中を丸めて頬杖を突いて、窓の外を眺め、くしゅくしゅと口髭を弄る。

「一度死んだ事にして、双子の姉妹として国王に嫁いだの。

 二人子供がいたんだけど、その子供は母親が死んだと思っているらしいよ。

 実際その後、服毒自殺して亡くなっちゃったんだけど。

 その毒を入れた容器は、元夫から貰ったもので、何とか言う宝石を容器と判らないよう加工して作ったらしいんだけどね。元夫と対で作ったとか言ってたな。

 その宝飾品は今は国宝になってるとか言ってて…、名前は何だったかなぁ…。”双子の泪”とか”紅い泪”とか言ったかなぁ…。

 まぁ、そんなゴシップはいいか。

 そこの国がさ、今海外に向けて観光やら企業やらを誘致してて、便宜を図って貰う理由で大鳥に資金援助をしているらしいのね。

 正確に言うと、大鳥本人には金は行ってなくて、法人への金なんだけど。

 法人と大鳥間にも金の流れはないんだが、法人の金は大鳥の実家に入るからね。

 実質、金が入っていると見ていいでしょう。」

「へぇ。まぁ、よくある事だよね。」

「まぁね。

 でも問題はここから。」

 姿勢を変えず、斜め上目遣いに匠を見て、高遠が言った。

「与党潰しは基本的にマスコミと世論を使うでしょ?

 一先ず汚い金の流れを全部暴いちゃおうってやってるらしいの。

 今あの党も少しぐら付いてるから、ちょっと突っつけば崩れるのは早いと踏んでるんだろうね。

 ただ、それで世論が完全に野党側にぐらつくかと言ったら、有り得ない訳。」

 言い切るほどに、今の政権を握る党の支持率は高い。

「そこで、メインターゲットを大殿様ではない、優良武将に絞ったのよ。」

「うん。」

「現、法務大臣。」

 ”法務大臣”という単語を聞いて、やっと匠の中で突っかかっていた事が流れた。

「あ、”カブラギ”…! どっかで聞いたと思ったら…。」

「何よ、匠、法務大臣の名前も忘れたの?」

 高遠に突っ込まれ、匠が困惑した表情で頭をぼりぼりと掻いた。

「忘れてたよ。ぽろっと…。」

「駄目だなぁ。元公安の敏腕捜査官がそんなんじゃ。」

 高遠がかったるそうに笑った。

「ごめんごめん。世間に興味ないのよ。」

 匠が肩を竦めて苦笑した。

「でも、蕪木大臣って、金に関してはジャンプさせたって小銭の音すらしないくらい無駄な金は持たない使わないで有名じゃない。

 自己資産だけで活動資金は賄えるから、汚い取引には断固応じない、そのクリーンイメージで支持率は国内議員ナンバーワン。

 そのお蔭で十年間、法務大臣に着任してるじゃないか。」

「そのとおり。教科書通りだね。

 実際、金の動きに疚しいものはないの、あの人。」

「じゃあ、どうやって…。」

「噂立てちゃえばいいの。」

 高遠が即答する。

「噂って…。」

「何かつまらない、小さい噂をいっぱい。」

 大きな噂では、嘘だと気付かれるのも早い。

 しかし、電車の釣り広告を見る程度の大多数の国民へ、確認出来ないくらいの小さな噂を流し続けると、その噂は国民の中で、”真実”になってしまう事は、しばしばある。

「そんな時間かけてやるつもりなの?」

「みたいだよ。

 あの人が崩れちゃうと、東京地検特捜部(ウチ)は困っちゃうのよね。

 ウチ、あの人の派閥だから。

 そこでね、このコなの。」

 そう言って、高遠が先程の資料を指差した。

「蕪木大臣には五人の息子さんがおられてね。

 この息子たちも面白いんだけどね。

 長男の(さとる)と次男の(かける)が双子、三男の(わたる)と四男の(いたる)も双子。最後の五男も本当は双子だったの。六男は生後すぐに死んじゃったんだけど。

 さらに、長男、三男は裁判官、次男は弁護士、四男は司法書士。

 まぁそんな話はいいか。

 で、五男の(とおる)がこれ。」

「蕪木一族は、現法務大臣の一穂(いちほ)の父親も、その父親も、代々司法関係や法曹界に偉人を輩出してる家だぞ。

 そこの息子じゃ、サラブレッドじゃないか…。」

「古臭いでしょ?」

 呆然とする匠に、高遠が笑った。

「あの”爆破事故”の日さ、このコ、空港にいたのね。」

「え?」

 唐突な話に、匠は今度は驚いた。

「しかも、件のシリングの外交官を連れて空港にいたのよ。

 爆破された飛行機に乗るはずだったんだって。でも到着後に爆破された。

 しかも、しかもね。

 どうやら、こいつが犯人みたいなんだよね。」

「…。」

 匠はあんぐりと口を開けたまま、高遠の話の続きを待った。

 頭の中では、先日、あの”カブラギ”という青年が、何故あんなにまで姪のユリに詫びていたのか、やっと合点がいったところだった。

「いい偶然でしょ?」

「偶然じゃないと思ってるだろ。」

 おちゃらける高遠を、匠が叱った。

「偶然にしなきゃいけないんだよ。

 このコ、今、警視庁国際課の刑事なんだけどさ、あの当日、シリングから外務省に、大使を空港へ送迎して欲しいと謎な要請があってさ、不信に思った大鳥派の担当…、名前なんて言ったっけな…、北…、まぁいいか。

 その担当が、このコに送迎任務を依頼したのね。

 内々で、さっきの噂は立っていたから、カンが働いたんだろうね。」

 暢気に言って、高遠は醒めたコーヒーを啜った。

 ”爆破事故”のニュースは、のほほんと平和なこの世の中でゴシップを乞う連中には打って付けのニュースだった。

 航空会社や乗客の一部に関して、ある事ない事噂の火を炊き付け、マスコミが面白おかしく書き立てていた。

 そんな中に蕪木の名が挙がれば、大した噂を生み出すだろう。

「罠に填ったのか…。」

「そう。まんまと。

 警視庁は噂知らないし、来ちゃった以上引き受けなきゃいけないから、機転の利いた担当の勝ちって感じだね。」

 未だだらだらとする高遠が、そう言って漸く姿勢を正した。が、今度は両腕で頬杖を突いた。

 そして、不敵ににやりと笑う。

「でもね、動いたからこそ、あっちの負けよ。」

「シリングの大使?」

「うん。シリングについては、主要官僚や外交官の口座は粗方洗ってあったんだ。

 その中で、ちょっと不思議な金の流れる口座を持ってた外交官がいてね。

 それがその大使だったの。」

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