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男爵は嘲笑う  作者: 謳子
あのとき、とそれから
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あのとき、とそれから◆6

 そこまで、大した息継ぎも間もなく話し続けていた了が、話を止めた。

 窓にやっていた視線を、ユリに向ける。

 ユリは、ベッドの縁に腰を下ろし、じっと了を見つめていた。

 だが、その表情は戸惑い、口元をぎゅっと噤み、緊張している。

「まさか、クレアが思い出せない記憶って…。」

 ユリの問いに、了は俯きもせず無言のままユリを見つめた。それが返事だと言わんばかりに視線を合わせ、そして、また窓を見る。

「恐らく、あの日、クレアが家族と逸れたその後、何事もなく一家の元へ菅野が連れて行ったのか、と言ったら、疑問の残るところだ。」

 了が答えると、ユリは俯いて、小さく溜め息を吐いた。

 教えてと懇願した真実がこれなら、聞かなければ良かったと思う。

 今まで接してきた人々の裏に、こんなに黒いものが蠢いている様など、知りたくない。

 これもまた、この稼業の宿命と言えばそうかも知れないが、それでも、こんな事を知りたかった訳ではないというわがままにも似た思いで、ユリの心はいっぱいだった。

 そんなユリの内心に恐らく感づいている了は、構わないと言った素振りで窓に目を向けたままだ。

 了は了で、あの夜から、既にユリに話す事は覚悟していたのだろうと思う。

「だが…。」

 暫く無言のままだった空間を、了の声が響いた。

「菅野が金を払い続けるには、余りにも大きな額過ぎる。菅野も当然、一生金を払い続けるつもりなどなかっただろう。

 そこで、菅野はある情報を入手する。

 それは、シリシ・バークレイの秘密…。」

「クレアのお母さんの、秘密…?」

 ユリが顔を上げる。「ここからは、時系列を追って説明する事にする」と、了が前置きをして、話し始めた。

「遡って九年前、シリシ・バークレイは交通事故で亡くなった。」

 クレアから聞いたところによると、遺体の損傷が激しいので、家族もその最後の姿を見てはいない、という話だった。

「だから子供たちは疑わなかった。

 シリシ・バークレイの、本当の死因を。」

 ユリが一瞬、目を見開いた。

 了は相変わらず窓を見、しかしその表情は話す毎に段々と険しくなり、眉間の皺も深くなっていった。

 声も幾らか低くなり、先程までの淡々とした語り口調から、少しだけ言葉が重々しくなった。

 ユリが、了の言葉一つ一つを受け止めるだけの準備をした頃合を見て、了がまたゆっくりと話し始めた。

「シリシ・バークレイは、亡くなったとされた当時、まだ生きていた。

 ”双子の姉妹”。

 少し調べればわかる事だったのに、誰も調べなかったから、誰も知らなかった…。

 双子の姉妹なんて、存在しなかった。」

「じ、じゃあ、クレアのお母さんと、王妃は同一人物って事?」

「ああ。

 親族の全員が知っていた事だ。

 知らなかったのは、子供たちだけ…。」

 落ち着いて話す了の声を、ユリが遮った。

「そんな…。

 死んだと見せかけて、別の人と結婚したの!?

 しかも、国王と…!?」

 その言葉に、了がユリを見た。

 表情は、話の内容にそぐわず穏やかで、優しかった。

「…俺らのモラルでは、非常識な事だ。

 だけど、文化がそうである以上、俺たちはそれを責められないよ、ユリ…。」

「でも…。」

 言われて、そこでユリが言葉を飲んだ。そして、そのまま深く俯いてしまった。

 拳は強く握り締められ、膝の上で微かに震えていた。

 自宅で、クレアにバークレイが殺された事を話した時もそうだった。

 ユリが持ち合わせる言葉の種類では語り尽くし難い感情を、何故そうも簡単に受け流す事が出来るのか、疑問だった。

「…そんなのないよ…。」

 そう言うのが精一杯だった。

 ユリがぽつりと呟いた一言に、了が俯いた。

「でも、そんな嘘は、当然隠し通せるわけないんだ…。」

 やがて、子供の一人が真相に気付いた。

「…否、気付いたというより、気付いていた事が確信に変わった、と言うべきなんだろうな。

 エルシ・バークレイ。

 クレアの兄だ。」

「エル…シ…?」

 名を聞いて、一瞬思考が止まった。

 顔を上げたユリに、了が優しく微笑んだ。

 思い描いている記憶は、お互い同じだった。

「おまじないをしてもらってたな、エル・シの。

 エル・シはシリングに伝わる天使の名。

 シリングを護り、雨を司る。

 伝説によれば、柔らかな金髪の美少年だそうだ。」

 何故かふと、ユリの頭の中を、一瞬だけ誰かの顔が過ぎった。

 それは何度も会っているのに、誰と認識せずにいた、見覚えるのある顔だった。

「その姿と、伝説に基づいて命名された彼は、突然、真実を手に入れた。

 七年前の国王と叔母の婚約のとき、王妃を前に、それが母親だと確信したんだ。

 でも、恐らくそのときはまだ、彼の中では、何事も隠し通して無言を貫くつもりだったんだろう。

 誰にも話さず、彼はずっと隠し続けた。

 そして、王妃が死んだ。

 婚約から一年に満たなかった。

 悲しみから、国王はすべての王妃の遺品を手放した。

 それらは解体され、再築され、加工され、方々へ散らばった。

 それを見た彼はすぐに行動を起こす。

 元々兵役に着く事を望んでいた彼は、華奢な見た目とは正反対の身体能力を持っていた。

 そして頭脳明晰。

 その賢さが仇になったのかも知れない。

 闇ルートと繋がりのある古物商を何十件も経由して偽造パスポートを数十冊入手した彼は、世界を巧みに飛び回り、母親の遺品を集め始めた。

 これが…、”男爵”誕生の瞬間だ。」

 いつの間にか微笑みの消えた了の表情には、険しさと、鋭さが入り混じっていた。

「…”男爵”は、クレアのお兄さん…。」

「”男爵”の調査を開始した当初は、俺らの中では単なる希少品集めだと思われていた。

 だが、どうにも、異様な執念を感じる。

 いつかも、ユリが言ってたな。

 何かを恨んでいる気がする、って。」

「うん。」

「後に解る事だが、その希少品は、”男爵”にすれば遺品という言葉に置き換えるべきところだ。

 王妃としての母親と対面して、真実を知った後も、彼は無言を貫いた。

 そんな彼が、わざわざ犯罪を犯して母の遺品を集める理由。

 ただ手元に置いておきたいだけで、犯罪を犯すだろうか。

 彼の性格を鑑みるに、それはないんじゃないかと思った。

 なら理由は何だ?」

「…その遺品の中で、何かを探してた…?」

 ユリが言うと、了が真剣な眼差しで頷いた。

「鋭いな。

 そう、恐らく彼は、特定の遺品のみ手に入れたかったんだ。

 だが、彼がそれを手に入れるには、色々な障害がありすぎたんだと思う。

 ”男爵”になると決めたきっかけは、その遺品を手に入れるためだった。

 一刻も早く、確実に、そして何より”自分”が手に入れたとわからない形で手に入れる方法。

 彼にとっては、それが”男爵”だったんだろう。」

「…でも、なにを…。」

 そう言い掛けて、「あっ!」とユリが小さく叫んだ。


『”紅い泪”、私にいただけませんか。

 それはとても大切なものなので…。』


「”紅い泪”。

 もっとも、予告状がこの美術館に届くまで、誰も”紅い泪”を注目してもいなかったがな。

 だが、何か一つの遺品を目的にしているだろうという仮説を元にして、”男爵”になったところで、これを真っ先に狙っては身元がバレてしまいかねない。

 何より、これはよりによって、当時まだシリング国内にあった。

 そして、幸か不幸か、既に母の他の遺品は別物に姿を変えている。

 これらを全て盗んだとしても、一見するとただ”高価なものを盗んだ”だけで、真意は明るみに出ない。

 隠密に入手したかった彼は、これを手に入れるために、数年かけて世界中を飛び回った。」

「たった一つの遺品ために…?」

「ああ。」

「しかも予告状まで出したら、自分の身元が解っちゃうんじゃないの?」

「狙いはそこなんだ。

 予告状を出したところで、盗まれているものの関連性に気付かない限り、エルシにはたどり着かない。現に、誰もそれがわからなかった。

 だが、関係者なら解る。それはそのまま、牽制に繋がった筈だ。

 真実を追う者がいる。その意思表示が、予告状だったと思う。

 話を戻して、特別調査室での捜査でも、”男爵”を調べるに壁が見えた。まだ、俺たちは”男爵”の正体に気付いていなかったからな。

 捜査も、方向転換を一時余儀なくされた。」

 了が、大きく息を吸って、そしてゆっくり吐いた。

 次々出て来る記憶を、本来丁寧に紡がれた時間の糸に従って、順々に言葉にし、整理する作業。

 溢れ出る感情を、ぐっと抑えながら語る仕草は、あの一週間でユリが見た了と、全く同じだった。

「俺は、あの”爆破事故”が何故起きたのかを考えた。

 恐らくは、犯人はアレン・バークレイだろう。

 そのアレン・バークレイについて、もう一度情報整理をする必要があった。

 アレン・バークレイと、あの”爆破事故”に、まだ何の接点も浮かばない”男爵”に関するヒントがあるかもしれない。

 あのときでは解らなかった事が、”男爵”を絡める事で違う事件になるかもしれない。

 乗客名簿、その乗客の身元調査、バークレイの入出国記録、国内外の買い物記録…。

 ありとあらゆる情報を洗い直した結果、ある複数の乗客が、あの日シリングへ向かうために、あの飛行機に搭乗していた事がわかった。

 あの日、シリングへ向かう乗客は三人いた。

 ひとりは著名な遺伝子工学の研究者。もうひとりは毒物研究で、特に毒物死については海外で、当時も今ですらも高い評価を得ている研究者だった。

 そしてもうひとり…。

 菅野だった。」

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