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男爵は嘲笑う  作者: 謳子
あのとき、とそれから
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あのとき、とそれから◆5

「蕪木さん、ちょっと…。」

 罰が悪そうな、眉に皺を寄せて非常に困惑している様子で、ある日部下が了を呼んだ。

 その日は妙に薄い雲が空全体に広がっていて、凍て付くような冷たくて強い風が吹いていた。

 その空を眺めるように、背後にある大きな窓に向かって、了は自分のデスクで、その日予定として組まれていた裁判の資料を読んでいた。

 特別調査室は検察庁の十三階にあって、眺めはいいが数字が良くないと他部署がこぞって使用を拒否したため、フロアの半分ほどの面積が特別調査室に宛がわれていた。十四階の構造の関係で一部がロフト状になっており、下には膨大な資料を保管する資料棚が並び、その上を合計四台のパソコンを使用する部下ニ人が使っていた。

 その部下は短髪で少し色の黒い、凡そデジタルには無縁な雰囲気の若者で、歳は了より五つほど下だった。二十台もそろそろ半ばだと言うのに、字が下手糞だった。

 その部下が、了を呼んだ。

「ん?」

「気になる口座情報が手に入っちゃったんですけど…。」

 非合法な手段でも使ったか、或いは言葉通り、偶然その情報が手に入ったのか解らなかったが、とにかくこの情報を手にしている事に困惑している様子の部下に、了が真正面で向き合った。

 敢えて何も言わず、了が手を差し出すと、部下が資料を乗せた。

 そのまま黙って資料に目を通す。

 資料はドイツ語で書かれており、資料作成者の癖なのか、所々スイスドイツ語と見られる方言表記が確認出来た。しかし、大元は七桁の数字列で、横に幅広い表に並ぶ数字は、毎行同じものだった。

「スイス銀行の口座だな。

 この間のマネーロンダリングの情報開示対象顧客に、無関係者を混ぜたんだろ?」

 資料から目を離さず、了が言うと、部下が肩を竦めた。

「…はい。すいません、何かないかと思って…。」

 言い回しから、試しに特定の顧客について問い合わせたものらしかった。

「おんなじ額が入ってるな。」

「はい。

 それ、スイス銀行の二つの異なる口座間で流れてる金なんですけど、金を送っている方の名義…。」

 後は見れば解ると言いたげに、部下が言葉を切った。

 了が二ページ目にある送金者口座の資料を見ると、そこにはローマ字で、”AKIKUNI SUGANO”とあった。受金側は、アレン・バークレイだった。

「”スガノ…”。」

「バークレイの友人に、日本人がいるって、蕪木さん気になってたじゃないですか?」

 そう。確かに、バークレイの交友関係に関する資料に、スガノという名前の日本人がおり、気になって、秘書の女性に友人全員について調査をさせていた。

「蕪木さんのカン、よく当たるんで、スガノについて調べてたんです、俺。」

 少しだけ誇らしげに言った後、部下がデスクに両手を突いた。

菅野(すがの) 章匡(あきくに)。五十五歳。

 財団法人 大鳥純忠会の役員で、現在”純・美術館”の館長をしている人物です。

 元、歴史研究員。主に、中東の小国の歴史について研究をしていたそうです。」

 部下が特に『中東の小国』という言葉に力を入れたので、了が不機嫌に言った。

「ちゃんと言え。」

 叱られて、部下が再度肩を竦めた。

「すいません。

 まぁ、大まかには本当に中東の小国専門なんですけど、研究員時代後半は”シリング王国”専門みたいな感じでやってたそうで…。」

 了の眉がぴくりと動いた。

「じゃあ、バークレイと友人関係になったのはいつか、と調べてみたら、凡そ八年前。

 バークレイ一家が日本へ家族旅行に来た折に、出会ったそうなんですよ。

 それまでは、バークレイに日本人の知り合いがいたという証言は、今のところありません。」

 自慢げに報告する部下に、了が上目遣いに見上げて言った。

「そこまでか?」

「はい。」

 当たり前と頷く部下に、了が資料を裏返して部下に見えるようにし、

「金。

 その頃から流れてるんじゃないのか?」

と言った。

 部下が「え?」と言いながら資料を見る。

「送金記録は、一部抜粋なのか?」

「違います。全件です。」

「なら一行目が”始め”だよな。」

 そう言われて、部下が送金記録の一行目の日付を見る。

「あっ…。」

 本当に気付かなかったのか、日付は八年と半年近く前の日付になっていた。

「菅野の刑事記録を調べろ。

 任意聴取から、告訴記録まで、全部だ。

 その金の流れは、おかしい。」

 そう言って、了が立ち上がった。

 椅子の背に掛けていたスーツのジャケットを羽織る。特別調査室に来てから頻繁に着るようになったスーツには、必ず胸元に検事バッヂが付いている。

「寄付って事は…?」

「なんの?」

「いや…、寄付ってのはおかしいか。

 美術館へ美術品を優遇提供してもらうための金とか…。」

「それならそれで、そういう結果が出るだろ。

 いいからやれ。」

 了のカンか、一度決めたら、了の決断は揺るがない。

 部下は「はい」と言って、自席に戻った。


「何か理由があるにせよ、送金されている額は途方もない金額だった。

 金が流れた経緯、これが次の情報に繋がるかも知れない。

 調べていくうち、菅野に、”児童猥褻罪”に関して取調べを受けた過去がある事がわかった。

 もしかしたらと思った。」


 その情報に並行して、別の部下が発見した情報に、八年前のバークレイ一家の旅行の際、末娘のクレア・バークレイが家族と一時逸れ、菅野が保護したという、何気ないものが含まれていた。

 了はそれを見逃さなかった。

 記録こそないが、その情報はすぐに、菅野の猥褻関連の取調べと関連付けられ、程なくして、クレアに対する猥褻行為と、それによる金の流れという仮説が、特別調査室内で立った。

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