5月3日、と4日◆13
階段で一階まで上がり、職員通路からエントランスに出ると、先程より人気が増えていた。
稼動しているエスカレータを使って三階まで上がると、これでもかと着飾った来賓でごった返していた。
「すごい人…。」
人混みならではの賑やかさに、ユリは暫し呆然とする。
この一週間というもの、美術館にここまで人がいたことなど、なかったからだ。
自分もそれなりに衣装に気を遣ったつもりだったが、来賓の衣装の中では、格段に地味だった。
少し、悔しい。
「あ、いた! ユリさん!」
ざわざわという雑音にも似た雑踏の中、誰かがユリを呼んだ。
きらきら光る装飾品を身に付けた婦人と婦人の間から、クレアが手を振ってユリを呼んでいた。
その様子は、衣装の異質も相俟ってか、若干場違いにも見える。
だが、それでもクレアの衣装が一番、美しかった。
「クレアのドレスがお客さんの中でも一番綺麗ね。」
駆け寄るクレアに、ユリが笑った。周りの賑やかさに、声をいつもより張らないと聞こえないので、大きくなる。
「ふふ。ありがとうございます」とクレアも笑う。
「あれ、蕪木クンは一緒じゃないのか?」
どこにいたのか、いつの間にかいた匠が言った。
言われて、ユリが辺りを見回す。
「ん? あれ?
さっきまで一緒だったんだけど…。」
と言いつつも、三階についてから、あまりの人混みに気を奪われ、了を意識していなかった。
「そうか、先に配置に着いたのかな。
さて、ボクらはどこにいようか?」
ジャケットのポケットに入れた携帯電話で時間を確認すると、二三時四八分だった。
「あと十分でしょ?
ウロウロしてる時間ないし、そろそろ”紅い泪”がここに運ばれて来る頃だし…。」
ユリが言うと、「ほぅ、やっぱり披露するのか」と匠がニヤついた。
「みたい。
セレモニー開始十分前に地下倉庫から出すって言ってたから、そろそろ出る頃でしょ。」
「ふぅむ。
じゃあ、蕪木クンは、それに付き添ってるのかな?」
「今、地下から戻ったばっかりなのに?」
匠の言葉に、ユリが訊ねる。
そうなら、わざわざ三階まで来なくて良いではないか。
「ま、よく解らないけど、彼は彼で動くのは予定通りだから。
ボクらはここで、”紅い泪”の到着を待とう。すぐにセレモニーも始まるしね。
クレアさんは、ここにいればいいのかな?」
聞かれたクレアはセレモニーホールを見やり、匠に視線を戻して
「私は、菅野のおじさまの近くにいます。
もうセレモニーホールの中にいるので、行ってきます。」
と言った。
「ああ、解った。
何かあったら、ボクらはここにいるからね。」
「はい、ではまたあとで。」
クレアはそう言って、にこりと笑うと、セレモニーホールへ駆けて行った。
そしてクレアがセレモニーホールへと入った瞬間、ふ…と照明が弱まった。
「なに!?」
ユリがどきりとする。来賓も少々驚いたらしく、ざわつきが一瞬大きくなった。
匠も何事かと辺りを見回したが、特に異常を感じなかったようで、
「…大丈夫だ、多分、灯りを少し暗くする演出だろう。」
と言った。その直後、匠の言うとおり、セレモニーホールの中にいると思われる司会役のアナウンスが流れた。
「ただいま、照明を一時的に弱くしております。
設備のトラブルではございませんので、ご安心下さい。
もう間もなくセレモニー開始となります。
来賓のみなさま、セレモニーホール内へお集まり下さい。」
アナウンスに誘導され、来賓の波がゆっくりとセレモニーホールへと流れていく。
「演出…。びっくりしたわよ…。」
来賓の波に飲まれないよう、少し壁際に移動しながら、ユリがぷんすかとした。その様子に、匠が笑った。
「まだ〇時じゃないからね。」
「本当にきっちり予告どおり来るのね?」
「だろうと、蕪木クンは言ってたよ。」
了が言うなら、そうなのだろう…。
「あいつが言うなら、そうなんでしょうね…。」
ユリが納得すると、その声に被さる様に、突如「数秒の差はあるがな」と了の声がした。
突然の声に、ユリがまた驚く。
「!
やめてよ、またびっくりしちゃったじゃない…。」
ユリが頬を膨らませるが、ユリの言葉に了は反応しなかった。
了はユリなど見ておらず、エスカレータを登って来る警備員たちの姿をじっと見つめていた。
警備員の一人が仰々しい金色の脚の付いた台を大事そうに持っている。上には艶やかな艶を放つ白い生地で出来たふんわりとした小さなクッションが置かれ、その中心で赤い光がキラリと輝く。
”紅い泪”だ。
だが、その姿は生身のままで、余りにも無防備に人の目に曝されている。一部の者しか”男爵”による盗難予告を知らないとはいえ、そして幾ら傍に監視の目があるとはいえ、これでは、『盗んでください』と言っているようなものだ。
そんな”紅い泪”を運ぶ警備員の脇には、もう一人の警備員と、飛澤がいる。後ろからも何人か警官がついているようだ。
いつの間にか辺りはしんとして、来賓の多くも了と同じものを見ていた。
「”紅い泪”が来たようだね。」
匠が言った。
「…セレモニー開始ね…。」
二三時五九分。
「”男爵”の登場も、ね…。」
「大変長らくお待たせ致しました。
本日は、純・美術館主催『シリング王国・王家の財宝展』のオープニングセレモニーにお集まり頂きまして、誠に有難うございます。
これより、セレモニーを開催致します。
どうぞみなさま、セレモニーホール中央へお集まり下さい。」
アナウンスが流れると、再び、だが今度はやや抑え気味に、来賓ががやつきながらセレモニーホール中央へ集まって行く。
「始まった…。」
ユリがそう言った刹那…。
〇時。
暗闇になった。
何も見えない。館外や中庭の照明すら落ちている。
さらに今夜は雲があるのか、月明かりがとても弱い。
殆ど何も見えない暗闇の中、了が呟いた。
「来たな。」
「え、演出じゃないの、これ…?」
ユリが慌てると、「みたいだね」と悠長に匠が言った。
そして、暫しの沈黙の後、突然物音がした。
次いで、誰かが何か思い切り吐き出したような「かはっ…」という声。
それでも何事か理解出来ず静まり返る人混みの中で、静かに、ゆっくり、声がした。
「返して頂きますよ…。」