5月3日、と4日◆12
夜のせいか、気分のせいか、いつもより重い空気を感じる地下通路を通ってセキュリティ・ルームへ向かうと、扉が少し開いていた。
「こんばんは~。」
声をかけて中を覗くが、いつぞやと同じように、誰もいなかった。
「あら…?」
首を傾げるユリの後ろで、了が眉間に皺を寄せて考え込んだ。
すると、今し方聞いたばかりの北代の横柄な声が背後から聞こえた。
「見回りかね? ご苦労。」
「お疲れ様です。」
振り向いて了がぶっきら棒に答えると、北代はそれ以上何も言わず、無言で立ち去った。
通路の奥なので、恐らく地下倉庫へ向かうのだろう。
「北代さん、熱心ね…。」
ユリが何気なく言うが、了の表情は相変わらずだ。
「よう、嬢ちゃん。」
続いて、背後から陽気な声がユリを呼んだ。
振り向くと笑顔の飛澤がいた。
「こんばんは。」
ユリもにこりと笑って挨拶する。が、すぐに笑顔を引っ込めた。
「北代さんがここに来るなんて、珍しくない?」
ユリの問いに、飛澤は満面の笑みを浮かべた。
「ん? ああ、そんな事もないさ。
あの人は大抵、美術館に来ればここに寄るんだよ、うん。」
「へぇ、そうなんだ…。
案外と仕事熱心なのね。」
当たり前と言えば当たり前であろうが、普段どこにいるかと思えば、地下にも来ていたのか、という思いはあった。
「ところで…。」
と飛澤が話を切り替えた。
「何か用かい?」
了が何か答えるかと思ったが、何も答えなかったので、ユリは適当に、
「迷子になったときのために、道を確認しに来ました。」
と誤魔化した。
十分納得の行く答えだったのか、飛澤が大笑いした。
「どうだい、道順は覚えたかい?」
「ばっちり!」
そんなやり取りに、さすがに了も考え込むのをやめたようだ。
呆れた顔をして、腰に手を当ててユリを見た。
「階段下りて道一本なのに威張るな…。」
「うるさいわね!」
ユリの反応を見て満足したのか、了は瞬時に真顔に戻り、飛澤を見上げた。
「飛澤さん、何か変わった事はありました?」
了につられてか、飛澤の表情からも笑顔が消えた。
「特にないなぁ。
今日はいつもより気を遣う客が多いってくらいで、あとは普段どおりだと思うぜ。」
が、そこまで言って、にやりと笑う。
「あっと。そういえば、”紅い泪”がついさっき、やっと搬入されたぜ。」
それを聞いて、ユリが「おっ」という顔をする。匠から聞いてはいたが、飛澤から聞くと少し赴きも違って聞こえる。
「そうですか。
随分直前の搬入なんですね。」
了は然程興奮する様子もない。
「だなぁ。
俺もギリギリだったんで驚いたんだがな。
館長からは、セレモニーで披露するから、準備だけしておいてくれって、連絡があったところだよ。」
「セレモニーホールへは、何時に、どういう経路で運ぶんですか?」
「セレモニー開始十分前に小部屋から出して運ぶ予定と言われてるよ。
地下からは階段を使って、一階からセレモニーホールまではエスカレータを使うと指示されたぜ。
俺と、もう一人うちの社員が運搬役。」
地下倉庫には、地上階へ移動出来る搬入用のエレベータがあるが、使わないようだ。
「付き添いには、北代警部補の部下が二名付くって言ってたな。」
「北代さん、付き添わないんだ?」
ユリが言う。
「ああ、なんかボソボソ言ってたなぁ。
『〇時前だから、大丈夫だろう』とか何とか…。」
その一言で、大体考えは解った。
〇時まではチャンスがあろうが”紅い泪”には手を出さないつもりでいると踏んでおり、セレモニーホールの警備さえ抜かりなければ、”男爵”は捕まえられると考えているのだろう。
そして、相変わらず、飛澤は知らないままのようだ。
”紅い泪”の移動スケジュールが解ったところで、了が頷いた。
「そうですか。
何かあったら、報せて下さい。」
「おう、了解したよ。」
飛澤は笑って了解し、セキュリティ・ルームへ入って行った。
飛澤の姿が消え、セキュリティ・ルームの扉がしまったところで、了が携帯電話を見た。
地下のせいか圏外になっていた。時間は既に二三時三〇分を過ぎていた。
「さて、そろそろセレモニーが始まるぞ。」
「うん。ドキドキしてきた…。」
ユリが胸に手を当てて言うと、了がニヤリとした。
「帰ってもいいぞ。」
「帰んないわよ!
何としても男爵を捕まえてやるわ!」
拳を握って言うユリを見て、了は笑った。