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男爵は嘲笑う  作者: 謳子
5月3日、と4日
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5月3日、と4日◆9

 日が暮れてからの美術館とは、おぞましさを醸し出すものだとユリは思った。

 街頭とビルの灯りに照らされ、樹木の向こうに浮かび上がる純・美術館は、正門から毎朝見るそれとは、全く別物のように思える。

 敷地内に大勢の警官が見える。

 正門には両脇に一人ずつ、中庭に点々と数名が見回りをし、そのうちの何名かは大型の警察犬を連れている。ここからでは見えないが、恐らく館内にも警官は溢れているのだろう。

 いつもと違う雰囲気であるのは、その所為なのかも知れないとも思った。

「ユリ。」

 気圧された訳ではないが呆っと突っ立っていたユリに、匠が声をかけた。

「クレアさんを連れて、一階の喫茶店で待っていてくれ。

 当然だが、館長室は出入り禁止だからね。

 クレアさんは、着いたらすぐに着替えてくれて構わないから。」

「はい。」とクレアが頷くと、匠は途中でクレアに向けていた視線をユリに戻して、

「ああ、でも、館内は自由にうろうろ出来ないだろうから、静かにしていてくれよ。」

 とにやりと笑って付け足した。

「うん。

 叔父さんはどこか行くの?」

「ああ。

 ちょっとだけ用事があるんだ。

 この近所だから、すぐ合流するよ。」

 それなら来るついでに寄れば良かったものをとも思ったが、ユリは口には出さず、「わかったわ」と頷いた。

 匠も頷き返して、足早に公園の方へと歩いていった。

「さ、いこうか。」

「はい。」

 クレアを促し、正門前の警官に声をかける。警官には話が通っているようで、すんなりと入る事が出来た。

 中庭を抜け、美術館へと向かう。

 セレモニーがあるのでエントランスは開いており、館内も煌々と灯りが点いている。

 弱弱しく足元を照らす街灯だけの暗闇の中で、美術館の窓やエントランスから漏れる灯りは、とても強烈に思えた。

 そのエントランスにも警官が両脇に立っており、ガラスの回転扉の向こうには、制服姿の警官に混ざって地味な色のスーツを着た男性の姿もちらほらと見えた。

 私服の刑事だろうか。

 ユリは肩を竦めながら正門の警官に言った事と同じセリフを言い、やはり同じ対応を受けて館内へ入る許可を得た。

 クレアに目配せして、回転扉を押す。

 心なしか重い扉を押して入ると、外で見た印象より館内は薄暗かった。

 バタバタと忙しなく走り回る警官や、二、三人で円陣を組んで小声で話す刑事など、思った以上に賑やかな館内は、ついさっきバークレイが殺された現場だという雰囲気など微塵も感じられず、どちらかというと賑わっているように、ユリには見えた。

「流石に、警察の人がたくさんいるわね…。」

 明らかに場違いなユリとクレアは、エントランス脇の喫茶店へ入った。

 数段の階段を下り、エントランスより更に薄暗いオレンジ色の照明の灯る店内で、適当に席を決めて座る。

「とりあえず、ここで暫くお休みね。」

「はい。」

「着替えはどうする?

 すぐ着替えるなら、着替えられる場所、聞いてきてあげよっか?」

「もう少ししたらにします。

 白い服なので、汚れてしまうといけないし。」

 そうか、白い服なら直前で着替えた方が良さそうだ、とユリは納得し、「そうね」と返して窓の外を見た。

 ガラスにユリとクレアが映り、その向こうに暗い中庭が見える。先程すれ違った警官たちは、暗闇に紛れてよく見えなかった。

 それが何となく監視が外れたように思え、柔らかく大きなソファに深く座りなおした。

 肘掛に凭れながら、暫く無言で、二人は窓の外の闇を眺めた。

 しかしふと視界に入ったテーブルに、心が踊る。

「こんなテーブルが私の部屋にも欲しいな。」

 言いながら、ユリはつるりとしたテーブルを、キュキュと音を立てて撫でた。

 未だ傷一つない、木目の綺麗なテーブルだ。

「ステキなテーブルですね。」

 クレアもにこりと笑う。

「ね、ステキよね。

 でも私の部屋狭すぎて、このテーブル置いたら私の居場所がなくなっちゃうわね…。」

 ソファ四つに囲まれたテーブルは、円形で大きい。

 喫茶だけでなく食事も兼ねる、というよりは寧ろ、来場客は食事をメインに訪れるであろう事を考慮して、テーブルも大きなものを選んだのだろう。

 そのテーブルが八つに、横三人がけの長椅子二脚に挟まれた四角いテーブルが六つ並ぶ店内は、改めて見回すと結構な広さだった。さらに八人がけのカウンターの向こうにあるキッチンも、相当な広さに見える。

 この喫茶店自体が小展示室たった二つ分なのだから、美術館自体の大きさに驚く。

 間抜けに口を半開きにして、ユリは天井までを見回した。

 そして壁に、小さいがキラキラと照明に輝く金色の時計がかかっている事に気付いた。

 アールヌーボーの装飾を施された、店内の雰囲気と照明の色に相応しい、しかし存在を過度にアピールしない上品な時計だった。

 振り子などの付属品はなく、縦長の四角形で上下中央に白く丸い盤が填め込まれ、黒くて華奢な長短針が時を刻む。

 今は、短針が八、長針が一二を少し回ったところだった。

「二〇時か。

 セレモニーは二三時開場だから、あと三時間ね。」

 ユリが言うと、クレアも時計を見上げた。

「着替えは、二二時頃にしようと思います。」

「そうね、そのくらいが良さそうね。

 男爵の予告は、セレモニー開始の〇時。

 四時間なんて、あっという間ね、きっと…。」

 緊張感もなくユリが言うと、クレアの表情が少し曇った。

「そうですね…。

 何もないといいのですけど…。」

 何もない。

 それがどれだけ正常な状況であるのか、ユリには想像が出来ない。

 何かあって当たり前だと思っている今の自分が、ユリは腹立たしかった。

 本来は何事もなく終わるはずのものなのだろう。

 だが、今回は違う。

 館内について、何故か思考から消えてしまっていた”男爵”の事を思い出す。

 昨晩、この喫茶店の壁を挟んで隣にある館長室で見かけた、あの不気味な白い仮面。

 思い出すと、背中が寒くなった。

 目が合った。そう思う。

 だから、本当はあの時、自分も殺されていても不思議ではなかったのだろう、と今更に思った。

 顔が隠れていたから。急いでこの場から離れたかったから。何の理由で自分は今、無事でいるのだろうか。

 あの咽るような鉄の臭いの中で、ただ気絶するだけで済んだ事は、運が良かっただけなのか、それとも見逃されたのか。

 窓の外に視線を戻すと、夜の闇が心の中にまで入り込んで来るように重いものに感じた。

 何事もなく終わればいい。

 ユリは唇を噛んだ。

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