5月2日◆8
暗闇。
暗闇だ。
足元を見下ろすが、何も見えない。
自分の姿すら見えない暗闇なのに、闇自体は白んで、少し明るく感じる。
ここはどこだろうと思いながら、ユリは探し人をしている。
「…あさん…?
お…うさ…?」
意識が朦朧とする。
声がきちんと出ない。
闇を見回すと、遠くで白い人影がぼんやりと浮かんだ。
「…あ!
おかあさん!
おとうさん!」
呼ぶと、手招きをされているような気がして、ユリは駆け寄ろうとした。
すると、突然、呼ばれた。
『ユリ!』
「! 誰…?」
誰とも知らぬ『声』に問いかける。
誰だか判らないのに、知っているような気がした。
見回しても、誰もいない。
両親だと信じた人影すら消えて、『声』だけが、闇中に響き渡る。
『ダメだよ。』
『声』が言った。
「なんで!?
おかあさんとおとうさんがいるのよ! 邪魔しないでよ!」
ユリは何故か苛立った。
やっと両親を見つけたのだ。
…やっと…?
苛立ちながら、妙な感覚に戸惑っていると、尚『声』がユリを呼び止める。
『駄目だ!
戻って来てくれ!
生きて、笑うんだ…。』
言われ、目の前に、否、頭の中かも知れないが、何かが一瞬映り込んだ。
一瞬なのに、目に焼きつく。
崩れ落ちて膝間付き、両手で体を支えて項垂れ、懇願するあの人。
あの人は…、
『君の手足になる。』
この声は…、
『頭にも、口にも、目にもなる。』
いつも眠そうで…、
『君のために何でもする。』
時々不機嫌に睨み…、
『君がもう一度笑ってくれるなら…。』
時折優しく笑う…、
『なんでも…。』
あの…。
闇の中で、響き渡る『声』が徐々に大きくなり、そして急に、目の前が真っ白に光った。
「…!!!」
驚いて目を瞑る。
ぐっ、と全身に力を入れ、緊張する。
肩を竦ませ、拳を握り締め、どのくらい経っただろう。
ユリはゆっくりと目を開けようとする。
瞼が開くのと同時に、意識も戻ってくる。
すぅっと風が流れたような気がして、思い切って目を開けると、見慣れた夜景が見えた。
寝てしまったのか…。
窓の外をよくよく見てみるが、空はすっかり暗闇に包まれ、ビルは灯りも数個が輝くだけで、黒い影として聳え立っているだけだった。
窓と梯子を隠すカーテンを除けると、館内もすっかり照明が落とされ、非常灯の小さな灯りと、非常口の緑色の灯りがぼんやりと辺りを照らしている。
一体何時だというのだ…。
そう思いながら、手の違和感に気付く。
ぎゅっと拳を握り、開いてみると、べっとりと汗を掻いていた。
そういえば、なにやらとても緊張した気がする。
「夢…。
何だろう、ものすっごく知ってる人が出てきた気が…。」
思い出そうとするが、思い出せない。
とても大事な事のような気もするのに。
ユリは急に不安に駆られ、もう一度窓の外を見た。
「どうしよう、帰らなきゃ…。」
取り敢えず、梯子を降りる。
暗闇の中で降りる梯子は、昼間とは一変して、妙に不安定に思えた。
不意に足場が消えてしまうような気がして、膝が震える。
やっと床に辿り付き、フロアロビーに出るが、やはり真っ暗だった。
「明かり落ちちゃってるわ。
どうしよう、警備員さんに怒られないかな…。」
言いながら、飛澤に聞いたセキュリティの事を思い出す。
「床上三〇センチの警報装置とか、鳴らないけどどうしたのかしら…。
あ、もしかして、まだ誰かいるのかも!」
警報装置を解除するセキュリティ・カードを持っている事をすっかり忘れていたユリは、そう思い、取り敢えず一階に向かう事にした。