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男爵は嘲笑う  作者: 謳子
5月2日
53/87

5月2日◆4

「取り敢えず、警察に提出したのと同じ部分を再生するぞ。」

 飛澤が言い、セキュリティ・ルームのモニタ群の中心にある、一回り大きなモニタの映像を切り替えた。

 一昨日、ここで観た映像と同じものだ。

 了の話では、北代経由で専門機関に解析を依頼したらしいのだが、北代から解析結果は教えて貰えなかったらしい。

 だからと言って、肉眼で観て、一体何が判るというのだろうか。

 映し出された映像には、以前観たときと同様に、右上に白い文字で、『中展示』『4/29』『18:00』と表示されている。

「一昨日、私たちが観せてもらった時間帯ね?」

 ユリが言うと、了が「そうだ」と頷いた。

 少し小さな声だった。

 恐らく、飛澤や他の警備員に、会話を聞かれたくないのだろう。

 ユリも小声で喋るよう、気をつける事にした。

「一昨日、工事関係者を含む、全ての人間がこの美術館から出たのが、二〇時一三分だと確認された。

 そこまでの映像には、タイピンは映っていない。」

 確かに、一昨日観た限りでは、二二時頃の映像に何かの物影が映っていた以外、特に変わった様子は見受けられなかった。

 タイピンそのものは小さく細いものなので、天井近くから見下ろして撮られた映像に、それと判るように映るかというところは疑問ではあるものの、タイピンが映りこんだ映像の前後で見比べてみると、やはり『映っていない』と判断して問題なさそうだった。

「うんうん。」

「二〇時一三分、最後の工事関係者が退館した。

 ここから、一昨日タイピンが映り込んでいたのを確認した〇時までは、誰も映ってはならないはずだが…。」

 了が、何倍速かで再生される映像を眺めながら言う。

 そして、最初に、映像に『怪しいもの』として物影が映り込んだ瞬間で、映像が止まった。

「二二時〇五分から〇六分。

 マントらしきものが映り込んだ。

 このカメラには死角はほぼない。

 なのに、突如としてこのカメラにものが映り込んだ。」

 了が言うように、映像内の様子と、実際の部屋を思い出し、比べてみるが、見えない部分といえばカメラ周辺の壁や天井くらいで、そのほかはほぼ映っているようだった。

「死角…か…。

 天井は、ちょっと離れたところしか映ってないわよね。

 こういうところを伝って、あの部屋まで行けないかしら…。」

 言ってみるが、無理な事くらいはユリでも解る。

「ムリだな。」

 了が即答した。

「カメラの真上は死角でも、それ以外はほぼ必ず映る。

 そのごく限られた死角の中だけを往来出来るようなサイズの人間は存在しない。」

「小人さんなら行けるわね…。」

 すかさず冗談を言ったユリに、了が「バカ」と吐き捨てた。

 だが視線はモニタを観たままで、表情も何一つ変わっていない。いつになく真剣な表情だ。

 言葉でだけでも相手にしてくれた事に、やや嬉しさも感じつつ、だがその言葉にむっとする。

「でもこのマント、あのカメラにしか映ってないのよね…。」

「そうだな。」

 そう答える了の視線の先では、まだ一瞬だけ映り込んだマントのコマで、映像が止まっている。

 画面の端でチリチリとノイズが走って、画面全体が少し揺れているような錯覚を覚える。

「ねぇ?」

「ん?」

「やっぱり、映像に手を加えてあるって見たほうが、自然よね?」

「だな。」

「で、監視映像は、このセキュリティ・ルームの中でしか記録してないんでしょ?」

「うん。」

「なら、手を加えたのは、ここに入る事が出来る人よね?

 この部屋に出入りした人を調べて、そこから何かつかめないの?

 映像に手を加えるには、ここに入って、操作しなきゃいけないわけでしょ?」

 了がきょとんとした顔で、ユリの顔を見た。

 暫く見つめあった後、了が思い出したように言った。

「そうか、お前には話してなかったんだな…。」

 そう言いながら、了は足元に置かれた革製の書類鞄を漁った。

 了の私物だろうか、暗がりのセキュリティ・ルームの中でも、質の良い革で出来ていると判るほど、鞄は滑らかなツヤを放っている。

「なにが?」

 とユリが覗き込むと、了はしゃがんだまま、鞄から取り出した物をユリに手渡す。

 透明のビニール袋に入っているのは、小さな機械のような物だった。

「ナニコレ?」

 ユリが指の先で袋を摘んで持った。がっしりと受け取るのが躊躇われるほど、その機械は小さく薄い。

 袋を指で摘んだまま、目の前に持ってくると、金属製の外見の隙間から、何本もの細い銅線のようなものが見えた。

「これは、改良された小型送受信機。

 距離は限られるが、ある程度離れたところから発信された電子情報を受け取ったり、そこへ送信したり出来る。

 このセキュリティ・ルームは、館内のカメラからの映像を有線で受信して、リアルタイム録画している訳だが、その線がこの室内で集中して束になって、この機械に繋がっている。」

 そう言って、了は、モニタの下にある操作パネルをトントンと指で叩いた。

「簡単に説明すると、その線の束を伝って来た情報が、この機械に記録される寸前の場所に、この送受信機が設置されていた。」

 てんで機械には疎いユリが、首を傾げる。

「そうすると…?」

 了も承知の事と、「うん」と短く言ってから、続ける。

「例えば、ユリの目の前に、外の景色が一望出来る大きな窓があるとする。」

「うん。」

「でも、近付いてみると、実は、その窓はただの壁で、実に写実的な絵画が貼ってあっただけだった。

 この送受信機はその絵画の描かれたキャンバス、と言ったところだ。

 カメラの映像を、この送受信機で受け取り、同時に換わりとなる別の映像も受け取っておき、差し替えながら録画させる。

 これが一昨日の夜に行われていたわけだ。」

 リアルタイムで上書き録画されていたという事か、とユリが言うと、了が頷いた。

「このセキュリティ・ルームは、外部電波の遮断処理は施されて入るものの、警備用の無線を一旦館内に設置された専用の受信機で受け取って、有線でこの部屋の機械に送られ、それぞれの処理がなされるようになっている。どうやらそれを利用して、館内の受信機を経由して、映像を加工したようだ。

 きちんと説明をすると、別の小型機械が無線を送受信する館内の無線受信機に設置されていて、そこで映像に『加工する』と命令を埋め込んで、この部屋に有線で送られた情報をこの小型受信機が命令どおり『加工』して、この部屋の機械が録画した、という流れだ。」

「へぇ…。

 でもさ、ならなんで、マントがちらっと映っちゃったりしたの?」

「一見、不思議だろ?」

「うん。」

「でも、その謎は比較的簡単に解けるかも知れない。

 さっきも言ったように、これは非常に小型で、受信精度も大して高くはない。カメラに取り付けられた機械もそうだが。しかも無線だ。

 一瞬でも電波が途切れれば、その瞬間は正常な情報が流れる。

 電波であるが故に、証拠を伴った解明は難しいが、恐らくは、あの夜、何らかの理由で電波が途切れる時間帯があった。

 そのときに、カメラがリアルで映していたものが記録された。

 この原理であの人影も説明はつけられる。

 意図的に残したのではなく、残ってしまったんだ。

 と言う事は、その場でハッキングなりなんなりをしなかった事はやや不審ではあるが、この機械を仕掛け、映像に手を加えた犯人は恐らく、マントの主だ。」

 と言う事は、だ。

「タイピンも、本当なら映ってなかったかも知れないってこと?」

 ユリが了を指さした。指された了は、「そう言う事だろうな」と、にやりと笑う。

「タイピンが映ったのは、〇時だったな。」

 飛澤に聞こえるように言いながら、了が飛澤を振り返った。飛澤は了の言葉を汲み、〇時頃まで映像を早送りし、止めた。

「と言う事は、マントが映った時間から約二時間、誰かが確実にこの美術館にいた。

 そしてその人物がタイピンを落とした。

 タイピンは、ほぼ一〇〇%”男爵”のものだと思うから…。」

「一昨日の夜、”男爵”がこの美術館に現れた…?」

 だが、今まで完璧なまでに盗難を繰り返してきた”男爵”が、自ら証拠が残ってしまうような状況を作るだろうか。

 怪訝な顔をするユリに、それでも了が深く頷いた。

 瞳は真剣そのもので、ユリを力強く射抜いている。

「俺はそう思ってる。

 もう一つ、実は黙っていた事があるんだが…。

 この送受信機、一昨年の”男爵”の事件で関係した施設の監視設備にも、同じものが仕掛けられていた。

 内部構造とか調べる必要があったんで、この辺の確認が遅くなって、今までは同一と断定出来なかった上に、俺の手元にこの遺留品があると情報が入ったのも、今朝の事だったんだが…。」

「でもどうして?

 だって、予告までまだ日もあったし…。」

 前例はあるのか?

 予告日以外の日に、”男爵”が現場に現れるという事が…。

 なかったのなら、何故今回、”男爵”は現れたのだ?

「どう考える?」

 了が、ユリの手元から、送受信機の入った袋をゆっくりと取った。

 聞かれて、ユリは「うーん」と唸る。

 どうして現れたか、そんな事は判る筈がない。

 どれだけ想像したところで、その答えは当人以外知り得ない事だからだ。

「あのマントは、さっきの話を事実だとするなら、”男爵”のマントって事になるのよね。

 マントの主がこの送受信機を仕掛けた犯人なんだから、この送受信機をつける事が出来た人物、イコール”男爵”は、当然この美術館に普通に入り込める人物である可能性が高いわけよね。

 予告状は”男爵”が自分で出している訳だし、そもそも男爵がここに出入りしている人間なら、”紅い泪”がまだ搬入されてない事も、知ってた可能性が高…。」

 言いかけて、搬入が終わっているのか確認すると、了は「明日のセレモニー直前だと聞いている」と答えた。

 それでも、タイピンが落ちていた事が、”男爵”がここへ来た事を証明しているというのなら、考えられる理由は、そう多くはない。

「”男爵”は”紅い泪”のほかにも、何か狙っているものがあるんじゃないのかしら?」

 ユリがモニタを見上げた。

 〇時で止まった映像の端のほうで、タイピンと思しき物が光っている。

 ユリは、思い馳せる。

「きっと、こうね。

 ”男爵”は、その『他に狙っている何か』のために、あの夜、この美術館に入り込む計画を立てた。

 スパイがいるのか自分で調べたのかはわからないけど、どういう監視カメラが設置されているかとかは当然知っていた。

 だから、小型の送受信機を予め設置して、自分が忍び込んでいる間、監視映像に手を加えた。」

 予告日を待たずに、忍び込み、手に入れたかった『何か』。

 不安定な機器を使用する事から考えて、その『何か』を手に入れるのに、そう時間がかかるとは思っていなかったのかも知れない。

 しかし、何らかの事情で長時間の滞在を余儀なくされた。

 その理由は、菅野の襲撃事件と関係があるのか?

「はっきりと改竄されていると判っているのは、今のところ中庭側の中展示室と、小展示室。

 あと、館長が出入りしたって言ってる職員通用口と、非常階段付近…?

 と言う事は、用事はその近辺にあった訳ね。

 タイピンが落ちた理由は判らないけど、落ちていた場所が、この機械によって映像が改竄された展示室と重なっていると言う事も含めて、あの夜この美術館に”男爵”がいたという状況証拠くらいにはなるんじゃない?」

 言い終え、ふと、不安にかられる。

「でもさ…。」

「ん?」

「実際に送受信機を仕掛けたのが”男爵”でも、カメラに映ったのは別人って可能性もあるじゃない?

 それに、あの夜、マントの他にもあの時間に誰かいて、その人が”男爵”でタイピンを落としたとか、そういう可能性だって…。」

 そう。

 ユリと了、匠が話し合ってきた事は、全て想像の域を出ない。

 なのに、了は何故か、自信満々に自論を確信しているように見える。

 可能性などと言うものは、広げれば広げただけ広がってしまう。

 捜査をする上では、無限の可能性ほど足を引っ張るものはないのだろうから、可能性の中から、高いものを優先して追って行くのは理解は出来る。

 だが、それでも了の確信はどこから来る物なのだろうか。

 数日ともに過ごして思う事は、”男爵”について、了はとても『感情的になる』、と言う事だ。

 ”男爵”が関わっている可能性が少しでもある事は、真っ直ぐに関連付けてしまっているような気にもなる。

 ユリの心配を察しているのか、了が表情を和らげた。

 『俺はそれほど馬鹿じゃない』、とでも思っていそうだ。

「”男爵”のタイピンをどこかで拾った誰かが、それを美術館に落としたって可能性もあるしな。」

「アンタのほかにも、”男爵”のタイピン、見たことある人いるかもしれないじゃない?

 そしたら、レプリカ作る事だって、出来なくはないと思うの。」

「受信機つけた人物も、カメラに映っていた人物も、”男爵”に全く関係ない人物である可能性だってあるしな。」

「…。

 うん…。」

 今までの了の意見を、全て否定するようで、ユリの声は段々小さくなって行った。

 そして言い終わる頃には、傍にいる了ですら、聞き取り難いほどになってしまっていた。

 了は、やはりユリの懸念を察していたようで、ユリの意見に否定はしなかった。

「でも…、蕪木さんは、”男爵”だって信じてるんだ?」

 ユリが問うと、了は深く頷いた。

「間違いないと思ってる。」

「それって、カン?」

 それでは困る。

「そういうと身もフタもないが…。」

 了は苦笑しながら言い、しかしふと、哀しい表情を浮かべた。

「ただ、何となくな。

 ”男爵”が本当は誰だか、判ってきたような気がしてるんだ。」

「え?」

 判ってきたというのに、何故そんな顔をするのだ…。

「誰かはまだ言えない。

 根拠もまだない。

 ただ…。」

 了の言葉は、そこで途切れた。

 その様子は、最近よく目にする、ユリを呼んで、「なんでもない」と言い、去って行くときの様子と重なる。

「ただ?」

 教えて欲しい。

 了が考えている事を。

 自分に、何を言いかけ、止めてしまうのかを…。

 ユリが急かすと、了がまた苦笑した。

「…いや、やめておこう。

 ………だからな…。」

 最後は聞き取れなかった。

(え? 今なんて…?)

 問いかけて、それを察した了に防がれた。

「取り敢えず、続きを観よう。」

 了はそう言って、ユリから視線を外してしまった。

 表情は元の真剣なものに戻り、これ以上その話はしてはいけない、という空気を作ってしまった。

 ユリは仕方なく、「ああ、そうね」と言い、モニタを見上げた。

 やはり、了とは共有出来るものが限られているのだ。

 ユリは哀しくて仕方がなかった。

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