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男爵は嘲笑う  作者: 謳子
5月2日
52/87

5月2日◆3

 地下倉庫に辿り付いたユリは、またも首を傾げた。

 地下倉庫の扉も開いていたのだ。

 ドアを開けて中を覗くが、誰かがいる気配はない。

 警備員くらい置いておけばいいのにと思いながら、ユリはそっと、忍足で倉庫に足を踏み入れた。

 倉庫内は、廊下の比ではないくらいに、薄気味が悪い。

 ざっと見回すが、飛澤に案内されたときと、様子は何も変わっていないようだ。

 そういえば、”シリング展”の展示物の搬入は、いつ行われるのだろうか。

 館内が未だ改装中なので、展示自体は改装終了待ちでも、搬入はそろそろ行われてもよいはずだ。が、既に搬入されたとも聞かない。

 展示物の納入は、駐車場と直結している扉を開いて行われる。

 普段は当然、何重もの錠がかけられ、分厚く重い鉄扉によって、その口は閉ざされている。

 ユリはさらに一歩踏み入れ、倉庫内へ入った。

 まさに、コンクリの匣の中、という閉鎖空間。しかし空気は空調によって循環し、廊下とは一変して、重苦しい空気感はない。

 きょろきょろと見回したあと、序でにと奥の”小部屋”に歩み寄る。

 その”小部屋”の扉も、人が一人通れるくらい、開いていた。

「あら? 開いてる…。」

 ムクムクと好奇心が湧き上がる。

「覗いちゃお。」

 隙間から顔を入れ、覗き込む。

 扉の隙間から差し込む一筋の光に照らされ、金属製の床と、”紅い泪”が鎮座する台座が見える。が、あとは見事な暗闇で、空気は淀み、少しだけ生暖かかった。

 ユリがさらに首を突っ込み、片足を床に乗せたそのとき、突然声をかけられた。

「おい。」

「うわ!!!」

 不意に背中にかけられた声に、ユリは大層驚き、足を滑らせた。

 そのまま前のめりで倒れこみ、扉を掴んでいた手もが汗で滑って、ユリの体は支えを失った。

「あ! バカ!」

 さらに後ろで声がして、次いでぐい、と腕を力いっぱい掴まれたが、その掴んだ手と声の主ですらバランスを崩し、ユリともども”小部屋”の床に倒れ込んだ。

 それは一瞬の出来事でどうしようもなく、正面から倒れたユリは、痣でも出来ているのではないかと思うほどに痛む腕を摩りながら、よろよろと起き上がった。

 床にぺたりと座り込んだまま、体に傷がついていないか手のひらで調べる。

「っつ…。

 誰よいきなり…。」

 不機嫌にユリが呟くと、聞き慣れた声がすぐ傍で聞こえた。

「お前ね…。」

「む!

 その声は、蕪木 了!」

「フルネームで呼ぶな。」

 間違いなく、了の声だった。

「ったく、アンタが脅かすから、びっくりしたわよ!」

 ユリが言うと、了が冷たく言い放った。

「ビックリしただけで済めばよかったな。」

「え?」

 言われて、ユリはやっと気付いた。

 周りが、真っ暗なのだ。

 傍で声の聞こえる了の姿も確認出来ない。

「………あ、何で暗いの?」

 状況が把握出来ないらしいユリの言葉に、暗闇の中で了が呆れた。

「お前ってやつは…。

 さっきセキュリティ・ルームでここのセンサーの確認をしてて、扉を開放してたんだ。

 それをお前が入ったから、センサーが作動して閉まっちまったんだぞ…。」

 了の呆れる様は、悔しいほどに想像出来た。

 きっと深く項垂れているのだ。

 言われて、ユリは肩をすぼめる。

「う…。

 あ、でも館長いるし、セキュリティ・ルームにも人いるんでしょ?」

 さきほどはいなかったが、了がいる今なら、いるような気がした。

「そりゃいるにはいるが、アラームが付いてない時点で、閉じ込められた事に気付いてない可能性だってあるだろ…。」

 センサーが正常であるかの確認中故、何者かが侵入した際に鳴る筈のアラームは、一時的に切っているのだと、了が補足した。

 了の息遣いや、空気によって感じる身動きから、それなりに緊張せねばならない状況だという事だけは判ったユリは、一瞬身動ぎ、そして叫んだ。

「ど…、どおおすんのよおおお!!」

 ユリに責められ、了も思わず怒鳴り返す。

「うるさいな! お前のせいなんだぞ!」

「急に脅かしたアンタのせいでしょ!?」

「なっ…。」

 了が言葉を詰まらせた。そのまま黙り込んでしまう。

 暗闇で、はぁと小さな溜め息を吐いた。

 どうしたらいいか、そもそもこの中に閉じ込められたが最後、外から開けてもらう以外、出る方法はない。

 だから考えても無駄なのに、了は考え込んでいた。

 こんな状況に陥った原因だとか、これからまず何をすべきなのかを考え始めて、一瞬でどうしようもない状況に気付き、苛立った。

 そこで、ユリに責められた。

 だから、思わず声を荒げた。

 大人気ない。

 細心の注意を払わなかったのは、確かに指摘されたとおり、自分なのかも知れないと、自責の念が込み上げる。

「言い合っててもしょうがない…。

 取り敢えず、中にいる以上、待つ以外何も出来ないからな。

 大人しくしてろよ。」

 了が静かに言うと、ユリも了に怒鳴られたショックが今更来たのか、素直に「わかったわよ…」と従った。

 目を開けていても、閉じていても、見えるのは暗闇ばかり。

 外部の音すらも入り込まない、完全な密閉空間の中で、二人はお互いの、微かに聞こえる息遣いだけを頼りに、存在を確かめ合っていた。

 近付きすぎないよう、しかし離れないよう、距離を取り、並んで座る。

 そうやって、どのくらい時間が経っただろう。

 不意にユリの目の前に、光が映った。

「!」

「…?

 どうした…?」

 ユリが突然息を飲んだのを気にした了に声をかけられ、その光が、今目の前に広がるものではなく、記憶のフラッシュバックだと気付く。

「な…なんでもない…。」

 答えながら、ユリはぎゅっと自分の体を抱いた。

 今見えたのは、昔見た、あの記憶だと、すぐにわかった。

 深く広がる青空に立ち昇る、真っ黒の煙。

 紅々と燃える炎。

 溶けて行く真っ白い鉄の翼…。

 ユリは体を抱いた腕に顔を埋め、体を小さく丸めた。

 手に力を入れると、腕に爪が食い込んで、痛む。

 記憶とともにどっと押し寄せた絶望に、喉が締め付けられ、息が苦しい。普段は意識などしない、思い出しても何も感じなかった記憶なのに、何故今突如思い出し、激しく心揺さぶられたのか解らず、ユリは少し動転していた。

「ユリ?」

 暗闇で様子が判らない了が、ユリを心配していた。

 声はか細く、少しだけ体を近付けて来ているのが解った。

「ご…ごめん…。

 なんで…今…こんなもの思い出しちゃったんだろ…。」

 見えないのに、ユリが強がって笑顔を浮かべた。

 だが、それを察した了が、呟く。

「…お前…。」

「ま、待って…。忘れるから…。」

 そう言って、ユリは丸めていた背中を伸ばし、深呼吸を何度も繰り返した。

 了は、闇の向こうで必死に取り繕うユリを見つめていた。

 やがて、落ち着いたのであろうユリが、笑った。

「あはは…、ごめん…。

 昔の事、思い出しちゃって…。」

「…。」

 了は返事をしなかった。

 だが、まだ若干取り乱しているのだろう、ユリの言葉は続いた。

「私、昔、両親が目の前で死んじゃったのね…。

 六年前、空港で突然飛行機が爆発しちゃったって事故があったの、知ってる?」

 問うたが、聞いていなくても続けるつもりだったユリの耳に、了の声が聞こえた。

「…ああ…。

 事故原因も判らなくて、結局航空会社の整備不良って事になったな…。」

 了の声は、静かに、ゆっくりと発せられた。

 言葉を選んでいるようだった。

「うん。

 さすがね、よく知ってるわ…。

 あの飛行機に、両親が乗ってたんだ。

 私はその日、見送りで、一緒に空港に行ってて…。」

「…。」

 了はユリの言葉を待つように黙っていた。

 ユリはユリで、了が聞いていても聞いていなくても、どうでもよかった。

 ただ溢れ出してしまった記憶に、言葉と声を当て、吐き出してしまいたかった。

 つい昨晩、クレアに語ったときは、こんな感情など湧かなかったのに。

 相手が了だからなのか…。

「あの日、あれからどうなったのか、私よく覚えてないの。

 叔父さんから聞いた話だと、ただ呆然と前を見ているだけで、どんな言葉にも反応しなかったし、涙も流さなかったって。

 数ヶ月、そんな調子で…。」

 他人に語るような事ではない。

 でも語るにつれ、解ってきた。

 了に、聞いてもらいたいのだ。

 何故かは解らない。

 でも、聞いて欲しかった。しかし同時に、聞いていなくても構わないとも思う。

「気が付いたら、お葬式も終わってて、骨壷の前で正座してた。

 だから、今でもね、あの事故が現実か、よくわからないんだ…。」

 ユリの言葉が途切れたのを確認するように、間を空けて、了が一言呟いた。

「今でも…?」

「そう、今でも。

 両親の遺体は、ほとんど原形を留めてなかったらしいから、見てないし。

 お葬式もして、毎年法事もやってるし、毎日位牌にも挨拶してるのに、あの事故だけが、現実じゃないの…。

 何か、別の事故で死んだんじゃないか、って思う事も、たまにあるんだ。」

 それとわかるほど、きちんと形の残った遺品すらなかった、らしい。

 というのも、警察からの報告や対応は全て匠やカナエがやっていて、ユリはそのとき、ただ茫然自失の状態で毎日を過ごしていたから、何も知らないも同然だった。

 落ち着いてきた頃に、匠が少しずつ教えてくれた話によると、どうやら、そういう事らしかった。

 言葉にして、漸く確信を得た。

 今まで両親が死んでも涙が流れなかった理由…。

 現実味がない、その通りだったのだ。

 何も残っていないから、死んだ事になっていないのだ。

 ユリは不思議と満足していた。

 話が出来たからか、泣かなかった理由が判ったからか、自分でもわからなかった。

 もう一度背筋を伸ばし、ふ、と息を小さく吐くと、隣で了の声がした。

「…そんな話したら、また思い出すだろ…。」

 了の声は、小さく、囁くように発せれ、同情でも、哀れみでもない、別の感情が込められているように聞こえた。

「うん…。ごめんね、つまらない話して…。」

 言い終えたら今度は申し訳なくなって、ユリが謝った。

 すると、了の息遣いが一瞬戸惑い、しかし、とても優しい声で呟いた。

「…いいよ…。わかってるから…。」

 その言葉に、ユリが「…え?」と聞き返す。

『わかってる』…?

 それは、ユリの事を調べて、知っている、という意味か…?

 問おうとして、また目の前が光った。

 が、今度は記憶ではなかった。

「無事かい? お嬢ちゃんたち。」

 声がして、光の筋を辿ると、開け放たれた扉の向こうで、飛澤がにかっと笑っていた。

「飛澤さん!」

 叫びながらユリが飛び出すと、飛澤がユリの肩をぽんぽん叩いた。続いて出てきた了に「助かりました…」と声をかけられると、飛澤は豪快に笑いながら謝った。

「すまんすまん。

 館長が席外してて、なかなか連れてこられなくてな!」

「いえいえ、そもそも悪いのはコイツですから。」

 了が恨めしそうな顔でユリを見、顎でしゃくった。

「なっ!」

 ユリが頬を膨らませた。

(なに…? さっきと全然態度が違う…!)

 わざとである事は明確なのだが、相変わらずの態度の急変に驚く。

 恐らくそのユリの内心すら察している了は、ユリに睨まれながら、飛澤を見上げた。

 背の高い了がさらに見上げるほど、飛澤は大きい。

 飛澤が了の視線に気付いて、胸を張った。

「それはそうと、蕪木さんよ。

 監視映像の再生準備出来たぞ。」

 視線は合図だったのだろうか、了が頷いた。

「ありがとうございます。

 取り敢えず、セキュリティ・ルームに戻りましょうか。」

 了が言うと、飛澤が「おう」と言ってセキュリティ・ルームへと向かって歩き出す。了も飛澤に続いて歩き出したので、ユリは慌てて了の袖を掴んだ。

「何するの?」

「館長が襲われたと証言している時間帯の監視映像を、再確認してみようと思ったんだ。

 解析結果が周って来なくてな。

 観るか?」

 了がニヤリと笑った。訊ねてはいるが、恐らく観るだろうと予想しての問いだった。

「観る!」

 ユリは掴んでいた了のジャケットの袖を、さらにぐしゃりと掴んだ。

 暫く無言で歩き、セキュリティ・ルームに到着すると、薄暗い室内に菅野が佇んでいた。

 モニタを背中に立っているので、顔が逆光になってよく見えなかったが、朧気に困惑している様子が窺えた。

「ああ、蕪木さん、ユリさん、大丈夫でしたか?」

 了とユリを見るなり、声をかけてくる。

「お手数おかけしました。」

「ごめんなさい、館長。」

 各々頭を下げると、菅野が苦笑した。

「いえいえ、すぐに来られなくて、申し訳ありませんでした。

 急な来客がありまして、すみません、そろそろ館長室に戻らなければ…。」

 丁寧に了とユリに頭を下げた後、菅野がそわそわとし始めた。

 了がその様子を見て、にこりと微笑む。

「どうぞ、お気になさらず行ってください。

 わざわざありがとうございました。」

 その笑顔は、ユリからすると胡散臭い事この上ない。

 菅野はもう一度頭を下げ、「では」と言って出て行った。

 ユリと了は、菅野を、扉が閉まるまで見送っていたが、菅野が出て行き扉が閉まった瞬間、了が浮かべていた微笑をふっ、としまい、一転して扉を睨み付けた。

「客、ね…。」

 口も然程開きもせず、ボソボソと呟く了の声を、辛うじて聞き取ったユリは、小さく首を傾げる。

 すると、少し離れたところにいた飛澤が、「おう、兄ちゃん」と了を呼んだ。

「始めていいかい?」

「お願いします。」

 答えた了の表情は、いつの間にか普段と変わらないものに戻っていた。

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