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男爵は嘲笑う  作者: 謳子
5月2日
50/87

5月2日◆1

        ◆


 その青年は、とても哀しそうに顔を歪めながら、追い詰められたように、深夜のオフィスで明かりを点けるのも儘ならない程に、書類を読み漁っていた。

 どう入手したのかしらないが、聞いた話によると、手にしただけで法的に危うい類の、かなり際どい内容のものまであるらしい。


 僕は足音を忍ばせて入り口に近付き、暫くその青年を眺めていた。


 しかし、あまりに僕に気付かないので、段々退屈になって名前を呼ぶと、その青年は目を見開いてこちらを見た。が、僕を一目見るなり、その青年はすぐに鋭い目付きで僕を睨み、静かに立ち上がった。


「どちら様?」


 威嚇をするように僕に問いかけるので、僕は楽しくなった。

 そして、”彼”を調べているんだって、と問いかけると、その青年は一層僕を睨み付けた。

 でも、僕には解る。

 睨む瞳の奥で、その青年が必死に、折れそうな心を隠している事を。

 かなり追い詰められているようだから、僕はきっと、大丈夫だと思った。


「キミが望むなら、キミが手にしたいと願う全ての情報を得られる力をあげるよ。」


 青年にとって、それは悪魔の囁きだったかも知れないと、思うときもある。


 力を求め、実際手にした青年の瞳は、力を得ても揺らぐ事はなく、今でもその瞳は、真っ直ぐ彼女を見つめている。

 これからも、きっと彼女を見つめ続けるのだろう。

 彼女を守る事だけが、彼の償いなのだろうから…。


        ◆


 ピピピ…、と、耳障りな機械音が聞こえる。

「ぐぅ」とも「うぅ」とも聞こえる音を喉で鳴らして、まだ目を閉じたまま、手で音源を探す。

 ひやりと固い何かが手にあたり、指先でボタンを探し、押すと、音が止んだ。

 そこでようやく目を開け、手に持っているものを見る。

「五時十五分…。」

 口に出して、また目を閉じる。

 何故こんなに早くに目覚ましがなっているんだっけ…。

 再び見出した夢の中で、ユリが考える。

 すると、耳元で、

「ダメですよ、ユリさん。起きないとまた蕪木さんに見抜かれますよ。」

と声がした。

「それは嫌だ…。」

 腫れぼったい目を開けると、目の前でクレアが笑った。

「おはようございます。」

「おはよ…。毎度毎度進歩のない目覚めよね…。」

 枕に顔を埋めて言うと、既にドアの前に移動していたクレアが、苦笑しながら振り向いた。

「ふふ。

 朝ごはん出来てますよ。」

「着替えたらいくわ…。」

 ユリが片手を上げて返事をすると、クレアはそそくさと部屋を出て行った。

 すっかり家に慣れたようだ。

 きっと今朝も、カナエの手伝いをしていたに違いない。

「そういえば、クレアはお客様なのに、うちの手伝いとか偉いわ…。

 とか言ってるとカナエちゃんに叱られそう…。

 早く起きよう…。」

 駄々っ子のようにのろのろと起き上がり、ふぅと溜め息を吐いてから、ユリは素早く着替えた。

 顔を洗い、髪を整えて、居間のドアを開ける。

 しかし、

「おはよー…」

と言い終えないうちに、目の前に広がる光景に絶句する。

「……。

 げ。デジャヴ…。」

 眉を顰めて言うユリの目の前には、我が家にでもいるように堂々と食卓に居座っている了がいた。その向かいでは、匠がにやにやと笑っていた。

 了は、ユリを振り返り一目見るなり、

「お前、睡眠障害なんじゃないか?」

と、表情も変えずに言った。

「大きなお世話よ!」

 ユリがむくれると、「いいクリニックあったかな…」などと、さらにからかうので、「若いからよ! あんたみたいに年寄りじゃないの!」と言い返すと、タイミング悪くカナエがキッチンから出てきた。

「また、ユリ! お客様に失礼でしょ?

 ごめんなさいね、毎度粗忽な娘で…。」

 叱りながら、カナエが了に苦笑する。

「いえいえ、奥さんがお気になさる事では…。」

 了は調子に乗って、からかい続ける。

 ウンザリして、「あああ! もう!」と床をダンと踏み鳴らすと、クレアが堪らず吹き出した。

「さあさ、いただきましょ。」

 もうすっかり朝食の準備は出来ているようで、カナエの声を合図に食事が始まった。

「蕪木クン、今日は?」

 了を見ることもなく、物を口に運びながら匠が尋ねると、手早くサラダを片付けた了が、コーヒーを一口啜り、

「みなさんを美術館に送ってから、一度職場に向かいます。」

と答えた。

「何か手間取ってるのかな?」

 パンにかぶりつき、少し篭った声で匠が続けると、了は「いえ…」と言った後、カナエをチラリと見た。

 カナエはにこにこしながら了と匠を見ている。

「ああ、食事中に仕事の話はやめましょう。」

 了が微笑んで言うと、カナエは満足気に頷いた。

「そうよ?

 同じ口を動かすなら、いっぱい食べてってくださいな。」

「はい。」

 素直に食事に戻る了に、隣で了の食べっぷりに呆れていたユリが呟いた。

「あんたの胃袋のどこに、それだけの量が入るのよ…。」

「体中、胃袋なんじゃないの?」と続けるユリに、「君も似たようなもんだろ」と了が即言い返す。

「美味しい料理は遠慮なしに食べるのがマナーってもんだ。」

「…。

 前半はムカツクけど、後半には賛成だわ…。」

 言われて、確かに一理あると素直に認めたユリに、了が留めの如く言い放った。

「君が口で俺に勝とうとするのは十年早い。」

「むっ!」

 ユリが頬を膨らますと、眺めていた匠が大笑いをした。

 みな、もうそれなりに馴染んでしまったのか、それ以降、食事中は静かなもので、早々に食べ終えた面々は、クレアとカナエを家に残し、美術館へ出発する事にした。

 了が一足早く事務所を出、駐車場へ向かう。

 やがて了の車が戻ってきて、事務所前で止まると、了が一言「お待たせしました。」と言った。

 いつもどおりに「ほんっと待ったわ。」とユリが言うと、了は空かさず反論する。

「その怒りっぽさは、若年性更年期障害だな。」

「むっ!」

 何故かユリは、それ以上口答え出来なくなってしまう。

(くっそう…。

 いつか口で言い負かしてやりたい…!

 昨日少しでも優しいとか思っちゃったのが悔しいわ!)

 ユリは唇を尖らせ、了を睨んだ。

 了は今日も満足気に、ニヤリと笑う。

「お気をつけていってらっしゃい。」

 車に乗り込んだ三人を、クレアが見送った。

 ユリが窓越しに手を振ると、車はすぅっと走り出す。

 そして路地を少し走ったところで、匠が何の前触れもなく「それで?」と切り出した。

 食事中の会話の続きだろうか。

 聞かれた了も、すんなりと答える。

「言い訳は、昨日のままを使うとして、それでも外務省が首を縦に振るとは思えませんので、捜査を外務省を経由せずに出来るよう、部下が手配しています。

 早ければ今日の午前中には、その準備が出来るかと…。」

「なるほどね。」

 何度か頷く匠の後ろの席で、ユリは、昨日のバークレイの調査の事だろうと推測した。

 ユリは考える。

 あまり深く聞いても答えてはくれないだろう。そして、言い負かされたままでも悔しい、と、止せばいいのにユリが突っ込む。

「あんたの部下が働いてる中、あんたはうちでのうのうとご飯食べてたわけ…?」

 ユリの言葉に、了が不機嫌な顔を造った。

「何か文句でも?」

 さて、どう返そうかと悩み始めた矢先、匠が珍しくフォローする。

「その代わり、蕪木クンは寝ないで仕事してるからなぁ…。

 部下の彼らは夜、少なくとも蕪木クンの倍の睡眠時間は保障されてるからね。」

 匠に言われてしまうと、何の文句も言えなくなってしまう。

 ユリは、「ふぅん。」と素っ気無く言った後、

「よく眠くならないわね。」

と続けた。

 了も匠のフォローの手前、あまりふざけて出られなくなってしまったのか、表情を元に戻し、静かに答えた。

「随時寝不足だが?」

「いつ寝てるわけ?」

 ユリが訊ねると、信号が赤に変わったので、了は車を停めて、わざと溜め息混じりに答えてみせた。

「信号待ちのときとか。」

「ちょ!!!!!!」

 了の答えがふざけだと判っていても、突っ込まずにはいられない。

 ユリが身を乗り出して、後ろから了の顔を覗き込むと、了は疲れたような顔で、横目でユリを見た後、面白そうに鼻で笑い、右手をユリの頭に添え、後ろへ押して戻した。

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