4月28日◆5
飛澤が、鉄扉の脇の装置に胸ポケットから取り出したカードを掲げると、軽やかな電子音が鳴って、次いでカチャリと錠が外れる音がした。
セキュリティ・ルームへの立ち入りは、専用のカードで制限されているのだろう。
飛澤はカードを元のポケットに入れ直し、ノブを捻った。ぐいっと押すと、見た目どおりの重い金属が擦れる音を立てながら、扉が開いた。
先に中に入った飛澤が、扉を大きく開けて二人を中へと促す。
一歩足を踏み入れると、ヴン…という独特のモーター音が聞こえた。薄暗い照明が、場を異空間のように演出している。無数のボタンやらツマミやらが並ぶ操作版を挿んで、美術館内に置かれた全ての監視カメラの映像が映し出されたモニタが、チラチラと蒼白い光を溢れさせながら並んでいる。
「わぁ! かっこいい! 中はもっと秘密基地って感じ!」
ユリがはしゃぐと、「はしゃぐな」と了が呆れた。
さらに飛澤が、
「そう怒るなよ、刑事さん。可愛いじゃねぇの。若いってのはいいもんだよ。」
と茶々を入れたので、了は目を瞑って思いっきり鼻から息を吸った。
そして、「…もういいです…」と一気に鼻から空気を吐き出す。
粗方呆れ果てたのち、ふっと了が顔を上げる。
「地下の保管倉庫について、お話を伺いに来ました。」
「おう、聞いてるよ! 案内しろって言われてる。
すぐに見に行くかい?」
了に、飛澤が軽快に答える。
「そうですか。
では、折角なので、このセキュリティ・ルームについて教えていただいた後にでも。」
「あいよ! で、何が聞きたいんだ?」
「ユリ。」
このやり取りの間、面白そうに辺りを見回し、緊張感もまるで持ち合わせていないユリを、了が呼んだ。
勝手に話を進めた挙句、突然呼び捨てで呼ばれ、ユリはムッとした顔をする。
(ちょっと! 何てヤツ!)
内心いきり立っているユリを、了は涼しげに眺めている。
「名探偵さんのお手並み拝見と行きたいんだがな。」
言葉とは裏腹な、「先に質問させてやる」という横柄な態度が滲み出ている。
(何よその態度は! んもおおお! 目にもの見せてやるわ!)
探偵としての初仕事、開始だ。
「飛澤さん、このセキュリティ・ルーム、かっこいいですね!」
了に対する態度とは一変、にこりと笑って、ユリが切り出した。
了は冷ややかな表情で見守る。
「だろ! お嬢ちゃん、解るねぇ。」
「ハイテクって感じ!」
「だろ!?
実際、今年の初めに導入された新しいセキュリティシステムを管理してる部屋だ。
ま、言ってみりゃ、秘密基地の司令室だな!」
特撮マニアによくある発想である。
「新しいシステム?」
「おう。
シリングの展示会が決まったんでな、以前から薦めてた新システムの導入を、館長が決定したのよ。」
「どういう?」
「まずは、高解像度監視カメラの導入だな。
以前は解像度も低くて、録画も七二時間おきにデータを重ね撮りしてたんで、遡ろうとしても最大三日前までだったんだが、新しく導入したヤツは、特殊データ圧縮技術とやらのお蔭で解像度も高くなって、おまけに一六八時間までデータを遡れるようになったのよ!」
興奮気味に説明をする飛澤に、ユリも「すごい!」と興奮してみせる。
「すげーだろ!」と、飛澤も上機嫌だ。
実際、ユリは何が凄いのか理解していないはずだ、と了は思う。
そんな了の胸の内を察する事もなく、飛澤が続ける。
「んで、夜間赤外線センサーだ。
館内中の床上三〇センチのところにセンサー網が張ってある。
天井からぶら下がって来ない限りは、移動には困難な仕掛けだな。
このセンサーは、IDカードを持った人間が引っかかってもうんともすんとも言わないが、持ってないヤツが引っかかると、アラームが作動するようになってる。
このアラームは、この美術館を壊すか、このセンサーを完全に取り外すかしない限り、解除出来ないようになってる。
で、もう一つが、これから案内する保管倉庫よ。」
ここで、それまで満面の笑みを浮かべていた飛澤も顔が、悪巧みをしているようなニヤリ顔に変わった。
「行ってから説明するが、あそこにゃ、一度入ってセキュリティが働いちまったら最後、このメインルームで許可を出すまで、扉は開かないようになってる。」
ここだけの話、とでも言いたげな声で話す飛澤に、よく理解していないユリが「へぇ…」と相槌を打つ。
「まぁ、あとは行って説明したほうが解り易いし、どんだけ強固かってのも納得いくだろうからな、向こうで説明するよ。」
といい、飛澤は再び満面の笑みを浮かべた。
責任者だけあって、機能はしっかりと把握しているようだ。
理解はしていないが、そのところは汲めたユリは、ふと、飛澤の経歴が知りたくなった。
「飛澤さんは、いつからこの仕事を?」
「この美術館の担当になったのは、三年くらい前だな。」
「担当?」
「オレは警備会社の人間で、この美術館の職員じゃねぇんだよ。」
「ああ! そうか。
じゃあ、その警備会社には三年前から?」
「いやぁ、この美術館に来る前に、七年くらい別の施設の警備担当をしていたからな。
今の会社には十年か。」
ユリの問いに、飛澤が答える。
「へぇ、長いんですね。」
「古株の一人って感じだな。」
確かに十年もいれば、それなりに会社での位置付けも上がるだろうし、社員の出入りも数多く見てきただろう。そんな事を考えていた了は、ユリをちらりと見た。
何か考えているのか、何も考えていないのか、世間話でもするように、ユリはにこにことしている。
「この美術館の担当になった切欠って、ありました?」
これではインタビューである。切欠と言われても…。
「ん~。
前の施設の紹介があったって聞いた事はあるが…。
オレは言われた仕事をこなすだけだからな!」
と、当然の答えが返ってきた。
了は”紹介”という言葉が気になった。業者を斡旋、という事なのだろうが、どういう経緯があっての事か、情報として得ておくべきだと思ったのだ。それはユリも同じだったのか、「前の施設って?」と聞いた。
”前の施設”と一度は伏せたので、言い淀むかと思ったが、意外にすんなりと飛澤は答えた。
「シリング大使館だよ。
いやぁ、偶然ってあるもんだな!」
悠長に笑う飛澤を、ユリの陰で了が睨んだ。
シリング大使館から、この美術館へ業者の斡旋がなされた。そんな事があるだろうか。どこかで何か繋がっているのだろうか。そこに何か思惑があったのだろうか。
飛澤が笑うように、ただの偶然かもしれない。
シリング大使館から、美術館へ警備会社が斡旋された事も。
飛澤の担当が変わった事も。
今回シリング王国の展示会が行われる事も。
男爵が、そのシリングの国宝を狙っている事も。
否、職業柄とはいえ、考えすぎなのか…。了は小さく首を振った。
そんな了の疑惑を他所に、ユリが話題を変えた。
「そうそう。菅野館長について、聞かせて下さい。」
急に質問染みた口調になった。関係者の人柄を知る事も、捜査には無用の事ではない。かもしれない。
ユリの口調に合わせるかのように、飛澤の表情が和らいだ。「あの人は、よく出来た人だよ。」としみじみ言う。
「いつも冷静で人当たりもよくてさ、騙され易そうでもあるけどな。
今回の”シリング王国”の展示会がこの美術館で出来るのも、元はといえば館長の人徳のお蔭なんだぜ?
大した人だよ。ほんっと。」
何度も頷きながら、飛澤は感慨深げに言った。
「どういう事?」
気になる。女の子だから、井戸端会議のような噂話や、人の過去の話には興味がある。
「詳しくは知らないがな、ちらっと聞いた話だと、昔、今の在日シリング大使がまだただの大使館職員だった時分、家族旅行で来日した事があったらしいんだけどな。
ある日、大使の末娘が逸れて迷子になったらしいんだ。」
”迷子”と聞いて、ユリは了をちらりと見た。了はユリの視線に気付かず、腕組をした。ユリが視線を戻すと、釣られたのか飛澤も腕組をしていた。
「んで、家族も日本にはそれほど詳しくないし、娘も日本語なんて話せないから、一向に見付からなくてな、交番やら何やらに届けつつ、右往左往しているところへ、館長が娘を連れて、シリング大使館に現れたらしい。」
偶然、出会ったのか。
「何でもその頃、シリング王国周辺の地域の文化について研究してたらしくて、偶然その日、公園でシリングの歴史書を読んでたんだと。
そこへ迷子の娘が、その本の表紙を見て、館長に話しかけた。」
「きっと藁にも縋る気持ちだったんだろうなぁ。」と、飛澤が付け加えた。
「でも偶然にも、シリング国語も勉強してた館長が相手だった。
母国語しか離せない娘と、何とか会話が出来て、大使館に連れて行った。
と、そういう訳らしい。
大使一家とはその後、時折手紙のやり取りをする仲になったらしくてな、美術館の館長になったとき、いつか自分の国の展示会をやってくれって、大使から頼まれたらしいんだ。」
ユリは、偶然とはここまで繋がるものなのかと、ふと思う。
何気なく聞き流してしまいがちな、この”偶然”の話が、何故かとても気になった。
しかし詳しく知らないと言うわりに、話の内容はずいぶんと具体的だ…。
「その後、まぁ色々あって、やっと今回、展示会の開催まで漕ぎ着けたって訳さ。
きっと、あの日、あそこで本を読んでなかったら、娘にも会えなかったし、展示会も出来なかっただろうって、館長も大喜びだったよ。」
飛澤がまとめにかかったので、ユリも大袈裟に驚いてみせた。
「へぇ! そんな事が!」
普段のユリなら、本気で感心していた事だろう。
だが、探偵と言う立場を意識すると、それに付随して、色々な情報の裏を探りたくなる。内心では、「よく出来た話だわ」と思っていた。
が、一方で、真実だとして、別に感心すべき事はある。
「まさに仁徳ね!
誰かさんにも見習って欲しいわ!」
そう言って、ユリが了をキッと見た。
了は知らん顔、という表情で、目を閉じて聞いていない振りをしている。
二人のやり取りに、飛澤がニヤリと笑って「そろそろ、行くかい?」と聞いた。
ユリは「そうね」と口にしかけて再び了を見た。
『先に質問させてやる』という言葉を思い出したのだ。
”先に”と言う以上、了も聞きたい事はあるのだろう、と瞬時に判断した。そこには、また嫌味を言われたくない、という防衛本能のようなものが働いた可能性がある。
ユリの視線を合図に、「最後に、一つだけ。」と、今まで黙っていた了が口を開いた。
「館長から、我々にここを案内する理由について説明は受けましたか?」
了の質問に、ユリが眉を顰めた。どういう意味だろう。
「おう、なんか、消防法の関連で、設備の見学だとか難しい事言ってたが?」
と、本当にそんな説明だったのかと驚くほど、無茶苦茶な説明が飛澤の口から出た。
思わずユリが「え?」と声を漏らす。
その傍らで、了は邪悪に口の端を上げて言った。
「そのとおりです。
有難うございます。とても参考になった。
この調子で、保管倉庫についても教えて下さい。」
「勉強して帰りたい。」と続ける了に、飛澤も満更ではない笑みを浮かべた。
「任せときな!」
答えて、飛澤は鉄扉を開いた。
内側からは、鍵の操作は必要ないらしく、すんなりと扉を開けて出て行った。了も続く。
数歩遅れてセキュリティ・ルームを出たユリの頭の中では、どういう事かという疑問が回っていた。
そして、了のあの笑みの意味も、よく解らなかった。