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男爵は嘲笑う  作者: 謳子
5月1日
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5月1日◆7

「おや。お邪魔だったかな?」

 話が終わるなり声がして振り向くと、いつからいたのか匠がドアに寄りかかり、ニヤリと笑いながらこちらを見ていた。

「またそういう下らないこと言う。お帰りなさい。」

 ユリが呆れた。

 了は特に表情も変えず、「お帰りなさい」と出迎える。

 匠は、「ただいま」と言ってユリの隣のソファに座り、前屈みになった。

「さて、今日は僕ら水入らずってところかな? 北代警部補は、今日は来るのかい?」

 朝、了から来ないとは聞いたが、念を押す。

「どうでしょう。昨日の館長襲撃事件の捜査も兼任するそうなので、今日はこちらには来ないかも知れませんね。

 さっき病院で会いましたし。」

 了が答えると、「それはいい感じだな」と匠が満足気に笑った。

「なんで?」

 ユリが訊ねる。

「だって、僕らの捜査ごっこに、茶々を入れる人がいないだろ?」

 「ここにいるじゃない」とユリが了を指さした。了がとても不機嫌な顔をすると、匠が大笑いをした。

「そりゃユリに限った事だから。」

 匠が言うと、了がしてやったりという顔で笑った。

「な…!!!」

 飽く迄もユリは弄られ役のようだった。

 気の済むまで笑ったところで、匠がぽんと手を叩く。

「さて。何から始めようか?」

 匠の言葉に、了が素早く応えた。

「そうですね…。取り敢えず、今日病院で聞いた、菅野館長襲撃事件に関する情報から行きましょうか。」

「そうだね。」

 匠が頷く。

「とはいえ、肝心の捜査状況については教えてもらえなかったんで、館長の話だけですけど。

 結論から言ってしまうと、犯人の事は見ていないのだそうです。」

「え!?」

 了の言葉は、ユリにとっては意外なもので、匠にとっては予想の範囲内のものだった。

「興味深いね」と匠が含み笑いをすると、了が深く頷く。

「はい。昨日はたまたま忘れ物があって、二三時少し前に美術館に戻ったらしいです。

 職員室の前にある職員通用口から入って館長室へ行き、探し物をした後、〇時前に再び通用口から出ようとした時、二階から物音がしたため向かったそうです。」

「なるほど」匠が頷いた。

「二三時より前に美術館に侵入した”誰か”が、たまたま戻ってきた館長の存在に気付かず、つい物音を立ててしまったのが〇時前。

 そこへ館長が現れたので、腹部を殴ったか蹴ったかして気絶させ、屋根上へ運んだのか。

 姿を見られないように、器用に。

 まぁ、方法はともかく、そうなったのならやり方はあるんだろう。

 タイピンもその前後に落ちたんだろうね。」

 夜は警備員の見回りがあれど、灯りは全て落ちている。

 暗闇の中、菅野が二階へ向かう姿を想像する。しんと静まり返り、誰もいないと思っていた館内で物音がした。ユリなら二階へはいけない気がする。

 ユリが小さく肩を竦めると、匠が膝に頬杖をついた。

「しかし、何で屋根上にいたんだろうね?」

「発見を遅らせるために、犯人が上げたんじゃない?」

 当てずっぽうな訳ではないが、人が物を隠すのは、大抵何か『拙い事態』を恐れるときだ。

 今回の場合、襲撃をした相手を隠したのだから、やはり事件の発生を隠すか、事件の発覚を遅らせたかったかのどちらかなのだろうと思う。

 だが、匠が何故かきょとんとして「なんの?」と訊ねてきたので、ユリは言葉に詰まった。

「なんの、って、館長の…。」

 答えると、匠がぐにゅりと頬が凹むくらい脱力しながら頬杖をついて、

「僕だったら、屋根上にわざわざ運ぶくらいなら、殺しちゃうけどなぁ…。」

と物騒な事を言った。

「怖いこと言わないでよ!」

 ユリが身を乗り出して抗議すると、匠が身を退いて降参をするように「すまんすまん」と両手を挙げた。

 が、すぐに姿勢を戻して続ける。

「でも、違わないか?

 確かに、人間ってのは無意識に下ばかりを見るらしいから、上に物を隠すのは証拠隠しには有効なんだ。

 でも顔を見られた可能性はゼロではないんだ。

 気絶した館長を発見されないために屋根上に運んだところで、生きている時点で何の意味もないんじゃないか?」

 言われると、そうだ。

 菅野が生きている時点で、いつかは目が醒める。目が醒めれば、助けを呼ぶだろう。

 事件の発覚を遅らせたところで、目撃者である菅野が生きて証言をすれば、いずれは捜査が身辺へ及ぶだろう。

「…うーん…。」

 ユリが眉間に皺を寄せる。

 困っているユリを見て、「まぁ、これは極論だけどね」と匠が笑った。

 そこで聞き手に回っていた了が口を開く。

「そこの不自然さを疑うなら、それ以前に、館長が襲われた瞬間の映像を、どのカメラも映していないという事です。

 証拠があるのは館長だって解っていますからね、わざわざ嘘を吐くとは考え難い。という事は、殴られた、あるいは蹴られたか知りませんが、襲われて気絶した事も、証言として出てきた時間も、”事実”と見ていいかと。

 しかし映像には残っていない。」

 飽く迄も、菅野が”記録が残っていない事を知らない”事が前提ではあるが。

「誰かがカメラに細工した?」

「細工するなら、最初から全てが映らないようにすればいい。今回の場合、『一部、何かが映っている事』が不可解なんだ。」

 ユリと了の二人で確認した監視映像。

 全てをきちんと確認したわけではないが、確かに決定的な瞬間を映した映像は見当たらなかった。

 改竄された可能性のある映像は、証拠能力がないと見做される。

 映るべきものが映っていないのは、何がしかの不具合が起こった場合を除いては、手が加わったものとみるべきなのだろう。

 だが菅野の場合、改竄されたという事実を知らなければ、証言は信頼できるという根拠になる。

「そして、もう一つ、三時頃の監視映像に人影が二つ映っている事です。

 館長の証言が真実である場合、少なくとも三時の映像に映った人影のどちらも、館長のものではない事になります。」

「謎かけだな。素直に犯人は二人いたと見るべきか、否か…。」

 匠が顎を摩った。事態をめいっぱい楽しんでいる表情をしている。

「バタバタしていて、全ての監視映像をチェックした訳ではないので、館内に設置されたすべての監視カメラの、昨夜二三時~今朝四時までの間の映像を、今警視庁で解析しています。

 結果は、明日には出ているかと。

 暗視モードは備わっていないようなので、あの暗闇の中を動く人影やら何やらは、思ったほど詳細には解析出来ないでしょうけど…。

 ただ、それでもやはり館長の証言の真偽くらいは判断出来ますからね。

 それにここは、職員通用口に警備員の配備がない代わりに、通用口の開閉を例のセキュリティ・カードで行う事になっています。これは必ず使用すれば記録に残る。この記録を改竄するには、セキュリティ・ルームと、警備会社のシステム両方に手を加えなければなりません。

 ただ、まだこの記録システムの確認が終わっていませんが…。

 状況を考えると、やはり嘘は吐いていないと見るべきかと。」

 了はどうしても、この状況で菅野が虚偽証言をするとは思えないようだ。

「うんうん」と匠も頷く。

「新しい情報はこのくらいです。

 ユリは何か質問あるか?」

 一度区切って、了がユリを見た。

「なんでもいいの?」

「なんでもいいぞ。」

 了がにこりと笑った。

「結局、館長襲撃事件に”男爵”は関係あるの?」

 ユリは、一番知りたい事を真っ先に聞いた。

 菅野が襲われた事より、寧ろその現場に”男爵”のタイピンが落ちていた事のほうが、重要度としては高い気がする。

「そのあたりは、まだなんとも言えないな。タイピンも、”男爵”本人がそこにいたという確証にはならない。

 監視映像に映り込んでいたマントのような布状の影にしてもそうだし、人影に至っては関連付けるほうが難しい。」

 改竄された可能性のある映像は、証拠能力がないと見做される。

 映るべきものが映っていないのは、何がしかの不具合が起こった場合を除いては、手が加わったものとみるべきなのだろう。

「半々って感じだなぁ。」

 状況とは裏腹に、了は暢気に言う。

「ねぇ、例えば、館長が証言した時間が間違ってるって可能性はないの?」

 ユリの問いに、了が首を傾げる。

「?」

「映像による証拠がない以上、館長の証言だって一〇〇%真実とは言えないじゃない?

 もちろん今の時点で、の話だけど。」

 本人が嘘を吐いていなくても、勘違いによって、結果証言に信憑性がないと判断されるケースは、決して珍しくない。

「館長の証言した時間が嘘だと…。」

「うん。嘘か、勘違いかは判らないけどね。

 まず、タイピンが落ちた〇時、つまり館長が物音を聞いて、二階へ行って、襲われた時間ね。

 実はその時間には、まだ館長は美術館にいなかったとしたら、どういう事が考えられるかしら?

 つまり、美術館に来たのは本当で、二階に行ったのも本当だけど、その時間は〇時前じゃなくて、もっと後、例えば、二つの人影が映った三時頃だったら?」

 それこそ、匠は元より、了や警察が想定していない訳ではないだろう。でも、ここにいる誰も、それを疑う仕草を見せなかったのが、ユリには解せない。

 「つまり…」と匠が促す。

「そうしたら、二二時に二階を歩いていたのは誰?

 三時の人影のうちの一つが館長なら、犯人の顔は本当に見てないの?

 時間について嘘を吐く、あるいは勘違いをする理由って何?」

 言いながら、もしかしたら、この推測をユリにさせたかったのではないかと思えてくる。

「もし、ユリの仮説こそが真実だとしたら、昨日の出来事に関係しているのは、二人しかいない可能性も出てくるね。

 つまり、二二時に映った人影と、三時に映った人影のうちの一つが、同一人物である可能性。」

 実に楽しそうに言う匠に、了は真顔で「そうですね。」と答える。

「ま、いずれにしても、解析結果待ちかな、この辺りは。」

 匠があっけらかんと言うと、ユリも頷く。

「そうね。私も思いつきで言っただけだし。」

 そう簡単に真実を推理出来るほど、ユリは自分に才能はないと思っている。

 ただ可能性は可能性として認識しておくに越したことはないと思う。

 菅野の証言が全て正しい可能性。

 菅野の勘違いが含まれる可能性。

 菅野が偽証している可能性…。

 真実までは、まだまだ辿り着けそうもない。

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