5月1日◆3
職員通路に入ると、突き当りの館長室のドアの前に、警官が二名、立っていた。
昨日も一昨日も館長室に見張りは居らず、昨日の菅野の件を期に、見張りを立たせたのかと思った。
また止められるのではなかろうかとユリがおどおどと近付くと警官が会釈をしたので、ユリはほっと胸を撫で下ろし、館長室のドアを思いっきり開けた。
「叔父さん、ごめん。立ち話しちゃった…って…。」
いつもいるソファセットに匠の姿はなく、次いでガタリとデスクのほうから物凄い音がして、ユリは驚いた。
「…!!」
見ると、見知らぬ中年の男性が一人、ユリと同じように目を見開いて、ユリを見ていた。
が、男性はすぐに気を取り直したようで、すっと冷たい表情をすると、「何者だね…?」と問うて来た。
ユリはまだ驚いていて、「え…あ…」と声を出すので精一杯な状況だった。
(どうしよう、探偵って言っていいのかな…。)
悩んでいると、さらに男性が「こんなところで何をしているのかね?」と、あからさまに嫌悪感を湛えた態度を取ったので、勝気なユリの性格が、つい出てしまった。
「あなたこそ、どちら様ですか?」
「名乗れない者に名乗る必要は認められないな。
警官を呼ぶぞ。」
この手のやり取りは、初日に了との事で免疫がある。
ユリが鼻で笑って「どうぞ、ご自由に」と言うと、その言葉に被さるように、匠の叫び声が聞こえた。
「ああぁ!!っと。」
バタバタと足音もして、振り返ると、入り口で匠が物凄く慌てていた。
「叔父さん!」
ユリが泣き付くより早く、匠が男性に深々と頭を下げた。
「申し訳ありません、大使!
彼女は私のアシスタントでして。」
匠が『大使』と呼んだ男性は、匠の言葉を受け、ユリを睨み付けた。
「アシスタント?」
凡そ信用していない口ぶりに、尚も言い返そうとしたユリの頭を、匠ががしっと掴んで無理矢理お辞儀をさせようとする。
「コラ、ユリ、ご挨拶しなさい!」
「え? あ、えと…、芳生 ユリです。」
言われて、悔しさと唐突さに口篭って挨拶をすると、大使と呼ばれた男はまだ納得していない表情を浮かべたまま、しかし、口の端をきゅっと噤んで、「シリング駐日大使のバークレイだ」と答えた。
「クレアがお世話になっているようだね。当日までよろしく頼むよ。」
娘の話だというのに、表情も、傲慢な態度も変わらない。
ユリは言い返す代わりに、きっとバークレイを睨んだ。
「お任せ下さい。」
バークレイは気に入らないものでも見るようにユリを一瞥したあと、匠を見て、
「芳生さん、病院へ向かう前にこの部屋で調べ物があるので来たのだが、ちょっとデリケートな物でね、人には余り見せたくない物なんだが…。」
と言った。
出て行ってくれと遠まわしに言っているのは、ユリにも解って、余計な怒りが沸々と湧き上がる。
そんなユリの様子を十分察している匠は、早口で返事をする。
「解りました。
では、私たちは暫く部屋を離れますので、何かありましたら、外の警官にお知らせ下さい。」
「わかった。」
バークレイが頷くと、匠はユリの手首をぐっと掴んで引っ張った。
「さあ、ユリ。」
「あ、うん。」
促されるまま、館長室を出、ドアが閉まったのを確認して、ユリが匠に詰め寄る。
「叔父さん、何なのよアレ…。」
一瞬怯んだ後、「いや、参ったね。」と苦笑して、匠はエントランスへと歩き始めた。ユリも追う。
「今朝早くね、蕪木クンに連絡が来たんだ。
急遽、大使が美術館を来訪するって。
で、蕪木クンはその裏の事情を探るべく、職場に戻っている、と。」
少しだけ声を潜ませて、匠が説明をした。
「裏の事情?」
「そ。
館長と大使が友人関係なのは知っているだろ?
でも、館長が今入院している事は、大使の耳にも入っているんだ。現に、さっきもちらりと言っていたけど、このあと大使は病院に向かうらしいしね。
なのに、わざわざ美術館に来るのは何故か?」
くるっと首だけ回して、匠がユリを見た。「わかる?」と言いたげな表情だが、実際ユリには何故かわからない。と言うより…。
「…それって、そんなに怪しいこと…?」
正直な感想だ。
「うん、一見特に怪しくはないんだけどね。
まぁ、色々と秘密を知っている蕪木クンにとっては、怪しさ溢れるってところみたいだな。」
「考えすぎだと思うけど…。」
ユリがつまらなさそうに言うと、匠がふふと笑った。
「蕪木さん、職場で調べ物してるの?」
食事中の会話では、高遠が了を呼び出していた風だったが。
「みたいだね。
今朝、連絡が来るまでは、昨日と同じようにこっちに来る予定だったんだけどね。」
「ふぅん…。」
生返事をして、ユリが続ける。
「そういえば、昨日夜遅くまで起きてたみたいね。アイツ。」
すると、匠が意味深にニヤリと笑って、ユリに振り返った。
「ほぅ。ユリもやるなぁ…。」
「何考えてるのよ!
目が覚めちゃったから、お水飲もうと思って下降りたら、たまたま起きてたのよ!」
半分照れながら本気で言い返したユリに、匠が悪戯っぽく笑った。
「ま、冗談はともかく、彼はあんまり寝ないらしいからねぇ。」
その言葉に、ユリがどういう事か訊ねる。
「やる事が沢山あって、寝る時間がないらしいよ。
一日三時間くらいの睡眠時間で生きてるらしい。」
言った後、匠はしみじみと「若者は凄いねぇ」と感心した。
「そういう問題じゃなくない…?」とユリが突っ込む。
それにしても…。
「一日三時間しか寝てなくて、死なないものなのね。人間って凄いわね…。」
妙な点で感心をすると、匠もいい加減なもので、「凄いねぇ…」と頷いた。
そして間を開けて、ふと思いついた。
朝、言っていた事の意味を漸く理解したのだ。
了は、バークレイがいるから美術館に来たかったのだ。
しかし、館長室で、大使ともあろう人物が探し物とは、一体どういう事だろう…?
「ねぇ。
昨日の件で、館長室って捜査が入ってるんじゃないの?」
何か聞けると思い、ユリが訊ねると、匠が肩を竦めた。
「入ってると言っても、押収物は精々、スケジュール帳とか、日記とか、そういう類に留まったようだからね。
特に怪しいものは出なかったらしい。」
「って事は、一見怪しくない物だけど、見られたくない物を探してるって事ね…。」
ユリの推測に、匠は振り返りもせず「そういうことになるねぇ」と答え、「ま、ああいう人が相手のときは、深く詮索しない方が身のためだけどね」とさり気なく忠告する。
察していたようだ。
「だって気になるじゃない!
あんな態度取られて!」
ユリが言い返すと、匠が歩きながら振り返り、面白そうに笑った。
「それはお前が、大使の弱みを握りたいだけだろ?
そういうのは、危険だよ。」
顔は笑っているが、最後の一言は本気のようだった。
探偵と言う職業柄なのか、元々の素質なのか、匠は妙に勘がよく、危険を察知する能力に優れていた。
それを思い出すと、匠の忠告は、ユリにとってとても怖いものだ。
すっかり意気消沈してしまったユリは、「否定はしないけど…」と、それ以上突っ込まなかった。
すると、ユリが落ち着くのを待っていたのか、匠がわざとらしく声を上げる。
「おっと。
適当に歩いてたら、中展示室に来てしまったな…。」
見ると、いつの間にか二階に上がり、展示室をほぼ一周してしまったようだった。と言う事は、それなりに時間は経っているのだろう。
「そろそろ探し物終わってるんじゃない?」
ユリが言うと、匠も頷いた。
「そうだな。戻ってみるか。」