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男爵は嘲笑う  作者: 謳子
4月30日
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4月30日◆17

 眠たさもあって、早々に風呂から上がったユリが部屋に戻ると、クレアは寝息を立てて寝ていた。

 きちんとベッドの半分を開けて横になるクレアの寝顔は、まだ目が腫れていて、泣き顔のままだった。

「きっと疲れてたんだなぁ…。」

 声に出すと、さらに眠気が襲ってきた。

「私も寝よ…。」

 髪は濡れたままだが、お構いなしにベッドに横になった。

 横になると、体がずんとベッドに沈んでいった。

 そしてあっという間に、意識が途切れた。

 が、耳鳴りがして目が覚めた。

 部屋の電気が点けっ放しになっていた。時計を見ると思いの外眠り込んでいて、三時を少し過ぎたところだった。

 夢を見たような気もするが、何も覚えていない。

 電気を消そうと体を起すと、喉が渇いていることに気が付いた。

「お水持ってこよう…。」

 独り言を言って、ベッドを降りると、電気だけ消して、部屋を出た。

 廊下に出ると、家の中はすっかり静まり返っていて、しかし、階段下からうっすら灯りが洩れていた。

 まだ誰か起きているのだろうか…。

 足音を忍ばせて階段を下りると、灯りは居間から洩れていた。

 ガラス張りの居間のドアの小窓から見る限り、ダイニングスペースのほうは暗闇になっているから、ソファセットの脇にある小さなスタンドが点いているのだろうと思った。

 そういえば建て付けの悪かった居間のドアの隙間から中を覗くと、ソファセットに誰かが蹲って座っていた。

 そのシルエットは、他でもない、了だった。

(あいつ…。寝ないのかな…。)

 了は、薄暗闇の中で心許ない灯りを頼りに、分厚い書類をいくつも広げ、読み耽っている。

 明日も、というか今日だが、美術館へ行かなければならないというのに、寝なくて大丈夫なのだろうか。

 もしかして、普段眠そうな目をしているのは、毎日こんな夜遅い時間まで起きているからではないのか…?

 ふと、近くに行って話がしたいと思った。

 ユリは静かに、しかし了が気付くように、ドアを開けた。

「っ!」

 突然ドアが開き、了が驚いた。

 目を見開いて、ユリを見ている。

「…ごめん。びっくりした?」

 半ば意図的にやったのだが、ユリは謝ってみせた。

 どうも了からはドア付近はすっかり暗闇になっているので、誰がいるのか判断が出来ないらしい。

 ユリの声を聞いて、了が被りを振った。

「いや、すまん。どうした?」

「目が覚めちゃって。水飲みに来たら、いたから。」

 ユリが答えると、了が「そうか」と苦笑した。

「仕事?」

 了は、「ん? ああ。」と書類に目を落とす。

「昼間は書類に目を通す暇がないからな…。」

 そういう了はソファに浅く座って、前に置かれたテーブルに置いた書類をペラペラと捲った。書類の数枚は、テーブルから落ちている。

 ユリは了の目の前の床にぺたりと座り、了を見上げた。

「ふぅん。」

 相槌を打ち、何故かは解らないが、そのまま暫く、了とユリは微動だにせず見つめ合った。

 やがて、ユリが口を開く。

「邪魔?」

 聞かれて、了が答える。

「いいや。何故?」

「手、止まっちゃったから。」

「ああ。」了が苦笑した。

「なんか話があると思ったんだよ。」

 ユリの言葉を待っていたのだ。

「ああ、ごめん。

 そっか…。」

 ユリはユリで、了の言葉を待っていた。

 ユリは、了が持っている書類に目をやった。

「何読んでたの?」

「これか? これは、”男爵”の資料。

 オレが現場にいる間に、部下と後輩がまとめたものとか、海外の特捜部から取り寄せたものとか、色々だな。」

 何の淀みもなく説明をする了に、ユリが少し驚いた。

 はぐらかされると思っていたのもあるが、それ以上に『部下』という単語が引っかかったのだ。

「部下なんかいるの?」

「名目上、な。

 オレ個人は後輩としか思ってないが、肩書き上は部下だな。」

 ”後輩と部下”という言い別けはしているが、実質、全員が部下なのだろう。

 ユリは再び「ふぅん」と言い、背筋を伸ばした。

「あんた、やっぱりナゾだなぁ…。」

「そうか?」

 ユリの言葉に、了がきょとんとする。

「そうよ。どのくらい上の人なのかは知らないけど、警察の人でもあそこまでおっきなマンションに住んだり出来る人、いないんじゃない?

 車だっていいのに乗ってるしさ。

 ”男爵”の事にもすごく詳しいし。」

 そこまで言うと、了が何故か切ない顔をし、そして哀しそうに笑った。

「”男爵”は…、専門分野みたいなものだからな。」

「じゃあやっぱり、専任捜査官みたいな?」

 ユリが了の顔を覗き込むと、「似たようなもんだな」と了が答えた。

「たまに美術館にいる警備員の人とかがさ、あんたの事『蕪木さん』って、刑事とか付けないで呼ぶじゃない?

 あれは何でなの?」

 美術館で了を探していたとき、『蕪木刑事』と言ったユリに対し、わざわざ『蕪木さん』と言いなおした警備員の事を思い出した。

 些細な事なのかもしれないが、気になったのだ。

「……。」

 ユリの問いに、了が手を顎に添えて考え込んだ。

 そして、ちらりとユリを見て、いつものニヤリ顔をする。

「まだ秘密。」

「ケチ。」

 ユリが悪態を吐く。

 すると、途端に了が不機嫌な顔をした。

「ケチとは何だ、無礼なヤツめ。

 疲れてるんだから、さっさと寝ろ。」

「疲れてないもん。」

「クマ出来てるぞ。」

「え!!!?」

 ユリが、バっと目の下を抑えた。

 それを見て、了がまたニヤリとする。

「嘘。」

「な…!!!」

 すっかりキレてしまったユリは、一気に立ち上がり頬を膨らませた。

「心配して損した!

 寝るわ、おやすみ!」

 ぷいと踵を返し、ドアを開けて廊下に出るユリの背中に、了が小さく囁いた。

「おやすみ…。」

 その表情が悪戯心いっぱいのニヤリ顔ではなく、目一杯愛おしい気持ちの溢れた微笑だったことを、ユリは見ていない。

 ただ微かにだが、了の声は聞こえていた。

 その声だけで、了がどんな表情をしていたか、手に取るように解った。

 ドアを閉め、廊下を半分歩いたところで立ち止まる。

 急に肌寒くなって、腕を摩る。

 不意に、了に手を握られた感覚を思い出す。

 そして改めて、守られていると、確信した。

 多分、了はユリの事を”知っている”のだ。

 調べたのかは解らないが、間違いなく、ユリの事を深く知っているのだ。

 だから、守る対象に入っているのだ。

 そして、先程思った感覚も、確信しかけている。

 きっと、了に関する何かを、忘れているのだ…。

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