4月28日◆3
ユリを初めとする館長室に揃った面々は、小さな来客用のソファセットを囲んで、何故か立っていた。
「揃ったね。先に紹介してしまおうか。」
そう言うと、匠は時計回りに紹介を始める。
「こちらはこの美術館の館長の、菅野さん。」
ユリの左隣に立つ年配の男を紹介する。
菅野は丸く小さな眼鏡をかけ、髪を丁寧にセットした五〇代くらいの男性で、匠よりさらに痩せ細っていた。
頬はこけ、細い垂れ目と眉が、見た目を必要以上に病弱にしていた。
身なりには気を遣っているようで、丁寧にアイロンのかけられたシャツに、スラッグスとセットのベストを着、袖元に黒い硝子玉のカフスを着けている。
紹介されて、菅野が深く頭を下げる。
「こっちは私の姪の、ユリと言います。
彼女には、今回少し私の手伝いをして貰おうと考えています。」
続いてユリが紹介された。
菅野は、見た目よりも健康そうな声で「よろしくお願いしますよ」と言った。
「で…」と続けて、匠が了を紹介する。
「こちらが蕪木 了さん。警察の刑事です。」
既に菅野と了は面識があるらしいが、改めて菅野が頭を下げた。
「お世話になります。」
「よろしくお願いします。」
(刑事…。一応偉い人なのかしらね…。)
廊下での不機嫌な様子もなかったので、ユリも「改めて、よろしくお願いします」と声をかけた。
すると了は、表情をさっと不機嫌に変えて、「…どういたしまして」と答えた。
(コイツは~~~~~~。)
無愛想を通り越し、完全に嫌味を伴う態度に、ユリの怒りが再沸した。その様子を見かねて、匠が宥める。
「まぁまぁ…。
では館長、お話をお願いします。」
「承知しました」菅野が事の経緯を語り始める。
「昨日、この様な手紙が届きました。」
周りの人間に、ソファに腰をかける様促しながら、菅野は大事そうに手に持っていた赤い手紙のようなものを、真ん中のテーブルに置いた。
「あ、これ新聞にこの間載ってた!
今世界中で話題になってる、”男爵”って怪盗の予告状!」
二年ほど前になるだろうか、自ら”男爵”と名乗る怪盗が出現した。”男爵”は世界各国の豪邸や、美術館、博物館、資料館などの施設を狙い、貴重で高価な装飾品を盗み回っていた。
その際、必ず予告状が出される。その予告状は、赤い二つ折りのカードで、堂々と肉筆による犯行予告が書かれている。
本物か否かはさて置き、世界の珍事件と称する新聞の特集コーナーに、カラー写真付きで掲載されていたのを、ユリが偶然見たのだ。
「そうです。
狙いは来週うちで開催する”シリング王国”の展示会の目玉である”紅い泪”。」
「大胆!」
「コラコラ…」茶々を入れるユリを、匠が嗜める。
「でも、予告状も本物のようだね。
前の事件の時の予告状を見せて貰ったことがあるが、まったく同じものだ。
大胆にも肉筆での予告状。
筆跡鑑定をしても、少なくとも書いた人物は同一人物だと結果が出るだろうね。」
赤い予告状を手に取り、雑多にパタパタと揺らしながら、匠が言った。
「予告時間は、ちょうど一週間後の開催初日の〇時きっかり。
この予告状以外に連絡はありません。」
そこまで言って、菅野の顔が一層曇った。
「ただ、開催初日のその時間は、ちょうどオープニングセレモニーの真っ最中で、ゲストにはシリング王国の駐日大使とその娘さんが出席されているのです。
この御仁方に何らかの危害が及ばないかも危惧しておりまして…。」
「夜中にセレモニーやるんですか?」
「ええ。日中はなるべく、一般のお客様へ美術館を開放したいので…。」
「セレモニーの時間をズラすとか、出来ないんですか?」とユリが訊ねると、菅野はがっくりと肩を落として、
「それも考えましたが、ちょっとはっきりとは申し上げられないのですが、色々事情がありまして、それも難しく…。」
と、歯切れの悪い返答をした。
「予告時間、”紅い泪”はどういう状態なんですか?」
今度は了が訊ねる。
「当館には、地下五階に高いレベルのセキュリティがかかっている美術品の保管倉庫があります。その中に更に厳重なセキュリティがかけてある小部屋がありまして、展示が終わった後翌日の展示が始まるまで、基本的にはその部屋で保管をします。」
菅野は答え、そして「ただ…」と続けた。
「セレモニー中、出席者から希望があれば、会場へお出ししなければなりません。希望がなければ、そのまま動かす事もないのですが…。」
「断れないんですか?」とユリが聞くと、
「難しいですね…。
セレモニーの参加者のほとんどが、この美術館に出資して下さっている投資家の方々、云わばこの館のパトロンですから。
三か月前に展示会を企画して、短時間で資金調達など難しい事に対応して下さった方々ですし、要望があれば、お出ししない訳に行きません…。」
菅野は首を振って、言いながらため息を吐いた。
「そんなぁ…。」
ユリが声を上げると、了が平然と「ま、だから俺たちや君たちが呼ばれた訳だが…」と言う。
菅野はただ下を向いたまま「申し訳ありません…」と言うだけだった。かなり憔悴している様子なので、匠が声をかけた。
「菅野さんが謝る事ではありませんよ。
とにかく、当日の警備状況などの確認をきちんとしましょう。」
その言葉に、了が続ける。
「今、改装後の美術館の見取り図を、施工会社や工事業者に問い合わせて取り寄せていますので、警備の配置などはそれからで。
先に、その地下の保管倉庫とやらについて聞きたいのですが…。」
てきぱきと話を展開させる了に、菅野が少し顔を上げて、
「そうですね。
私よりもっと詳しい人間がいますから、彼を呼びましょう。
ちょっとお待ちいただけますか。」
と言い、席を立とうとしたので、了は手でそれを制した。
「ああ、結構です。
その”彼”は今どこに?」
「地下二階にセキュリティルームがあります。彼は随時そこに。
名前は、飛澤 康平。当館の警備責任者です。」
飛澤の名を聞いて、即座に了が立ち上がった。
「有難うございます。
私たちがそこへ向かいます。彼に連絡だけしておいていただけますか。」
「わかりました。」
了は菅野の返答を聞く間も惜しそうにユリに顔を向けた。
そして少少困惑気味の表情を浮かべ、「…えっと…」ともごついたので、「な、何よ…」とユリが身を退いた。
その様子を見かねた匠が、しかし面白そうなものを見る顔で了のフォローをする。
「ユリ、蕪木さんと一緒に、飛澤さんに会って来てくれないか。」
「ちょ! えええええええ!! こいつと二人で!?」
ユリは驚き、了は即座に不機嫌な顔をする。
「”こいつ”?」
「何か不満でも?」
「大いに。」
お互い心象が悪い者同士、しかも口が達者な者同士のようだ。似た者同士だから、言い合いも止め処なく続きそうに思えた。
「まぁまぁ。ユリも大人しくしてくれよ…。」
匠が宥めると、ユリが不貞腐れながら「…悪かったわよ…」と言い、了も黙った。そして、ふいっと踵を返して、「さっさと行くぞ」と言い、館長室を出て行ってしまった。
(えらっそうに!)
ユリは膨れながらも、了のあとを追った。