4月30日◆3
三階へ上がり、セレモニーホールを覗く。
三階は、一、二階とは違う構造になっていて、特別展示室のある塔の後ろに聳える二本目の塔にのみ、三階というフロアがある。
三階には、セレモニーホールと呼ばれる多目的ホールと、今回の改装で新設されたラウンジのみがある。
セレモニーホールは、二階のロビー部分の天井を低くする事で作った中二階と三階を半々に別け、ロフト付きのホールになっている。
が、窓は東側の壁に、通常三階の高さにしか備わっていない。これは、手前にある塔の屋根に安易に出られないようにするための配慮だと思われるが、結果として、メインの空間には直接日の光が差さない、日中でもとても過ごしやすい空間となったようだ。
ホール内を少し歩き、菅野がいない事を確認する。
「位置的に、あのベランダから上がって来られるのかな?」
後ろにずれてはいるが、ほぼ真上に位置する部屋だ。
窓がないので入り込めはしないが、屋根に登ることは出来そうだと考える。
そして、ふいに在らぬ事を思いつく。「あ、あのカフスって…。」
「まさか、館長、ベランダからセレモニーホールによじ登ろうとして、そのときにカフスが…。」
「んな訳あるか。」
ユリの独り言に、即座に突っ込みが入った。
「む。」
振り向くと、了が立っていた。
またいつもの一言を言われる前に、先に否定しなければ。
「ま…、迷子じゃないわよ!」
ユリが言うと、了が呆れた。「判ってるよ…。」
「館長、見付かったか?」
「ううん、どこにも…。」
聞かれて、ユリが首を振ると、了は「そうか」と言って、出会って初めて神妙な顔をした。
(?
なに…、その顔は…。)
ユリが眉を顰めると、了がすぐに表情を戻した。
「ラウンジは見たか?」
「まだだけど…。」
「そうか。」
そう言って、三階ロビーへのロフトに登る階段を駆け上がって行った。
ユリも追いかけ、ともにラウンジを覗くが、菅野の姿は確認できなかった。
「よし、戻ろう。」
一通り探して見付からないのだ。館内にいない可能性が高い。了が言った。
「北代が新しい地図を持って来たらしい。」
「あ、見る見る!」
ユリも同意した。
その後、念の為館内をもう一周したが、結局菅野は見当たらなかった。
館長室に戻ると、まず北代の姿が目に入った。
「ただいまー。」
「戻りました。」
声をかけると、「おかえりなさい」とクレアが答える。
匠と北代も振り返るが、菅野はいない。
「館長、まだ戻ってないの?」
「ああ。」
おかしいと感じるのは誰もが同じで、普段笑い顔の匠も考え込んでいる。出勤している職員に頼み、菅野の自宅へ連絡をしてもらったらしいのだが、結局留守だったらしい。
財団へも問い合わせたが、今日は来てはいないという事だった。
「どこに行ってしまったのかしら…。」
クレアも困惑を隠せない。
「あ、そうそう。」
菅野も心配だが、昨日と違う状況なら、館内でも見つけた。
「中で色々拾っちゃったんだけど…。」
そう言って、ユリがポケットから、二階で拾ったタイピンとカフスを取り出す。
「ん? これは…。」
匠がカフスに反応する。
「館長が着けていたカフスじゃないか。」
「やっぱりそうだよね?」
すると、指でカフスを指しながら独り納得をするユリの後ろで、拾得物を覗き込んだ了が、目を見開き、息を飲んだ。
そして、突如タイピンを掴み上げる。
「お前、これをどこで拾った!?」
「えっ、な…なによ、いきなり…。
二階の中展示室で拾ったの。
部屋の隅に落ちてて…。」
突然の事にしどろもどろに答えると、了が、バっと北代を見る。
顔が強張っている。
「北代警部補!」
「!?」
いきなり大声で呼ばれて、北代もたじろぐ。
「捜査員、借ります!」
言うが早いか、了は館長室を走って出て行ってしまった。
その背中に、北代が叫ぶ。
「あ!?
おっ、おい! 蕪木!」
「ど…どうしちゃったの?」
呆然とするユリの横で、匠だけがニヤリと笑った。
「どうやら、あのタイピン、ただの落し物じゃないみたいだね。」
「え?」
ユリが聞き返すと、匠は、まぁ聞けば判るよとでも言うような顔で笑い、「ユリ、蕪木君のところに行ってくれ。ボクはクレアさんとここで待つよ」と言った。
まだ状況を把握出来ていないユリは、ただ言われるまま「うん」と頷いて、館長室を出た。が、了が行き先告げずに出て行ってしまったので、今度は了を探す羽目になった。
一階をぐるりと周ったがいなかったので、エスカレータで二階へ上がる。
すると、さきほど見回っていたときとは一変して、二階は少し慌しい空気に変わっていた。
見慣れないスーツ姿の男が数名、警官に指示を出したり、小走りに走り回ったりしている。
(あいつ、どこだろう…。)
何となく声のかけ辛い雰囲気に、ユリが不安げに辺りを見回しながら、取り敢えず中展示室へ入ろうとすると、
「ああ、そこの人、入っちゃダメですよ。」
と止められた。
振り返ると、見覚えのある警備員がいた。
初日に了の傍にいた、そして翌日に、一階の喫茶店でユリに挨拶をした、あの警備員だった。
「え? ああ、すみません。
あの、蕪木…刑事は…?」
”刑事”と付けるのに違和感を覚える。
ユリが問うと、警備員が首を捻った。
「蕪木刑事…?」
数秒だが悩んだ警備員は、「ああ!」と言い、
「蕪木さんなら、地下のセキュリティ・ルームに行きましたよ。」
と、下を指差す。
(蕪木”さん”?)
警備員も了の素性を知らないのかと思い、やや疑問は残るものの、ユリは会釈をして地下へ向かった。
「えっと、一昨日歩いたときは、確かこっちのほうへ…。」
一階の職員通路へ戻り、途中にある階段を下る。
本当にこの階段でいいのか不安なまま歩いていると、曲がり角で飛澤に出会った。
「お! お嬢ちゃん!」
「飛澤さん!」
「このあいだ嬢ちゃんと一緒にいた刑事さんがな、お前さんが迷子になってるだろうから迎えに行ってくれってよ。」
ユリを見た飛澤は、にこにこしながら言った。
「えっ…。」
言われて、ユリが驚く。
「早いとこ手を貸して欲しいんだとさ。」
飛澤が急かした。そして、さっさと行ってしまう。
「あ、はい。」
飛澤を、ユリが追いかけた。
そして、了が気遣ってくれた事に、ほっと胸を撫で下ろし、即座に自分に突っ込む。
(なんで、ほっとしてるのよ…。)