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男爵は嘲笑う  作者: 謳子
4月30日
20/87

4月30日◆1

        ◆


 目の前で、何かが強烈に光った。

 そして、遠くのほうで、どん、という音がした。

 黒い煙が、青く深く広がる青空に向かって登っていた。

 硝子越しに、何かが激しく燃えていた。


 ザワザワというささやきが、誰かが叫んだのを期に、悲鳴と怒号に変わった。

 泣き叫び、視界の端で崩れ落ちる人影も見えた。


 そんな中で…。

 足が動かなくて。

 何も考えられなくて。

 感情の一切が消えてなくなってしまった。


 瞬きをする事も出来なくて、ただただ、呆然と、目の前の炎を見つめていた。


 やがて誰かが腕を掴んで、肩を揺さぶった。

 何か言っている。

 耳に入ってくるのに、受け止めることが出来ず、そのまま逆の耳から出て行ってしまったみたいに、聞き取ることが出来なかった。


 でも微かに覚えている。


 あの人は言った。

 生きてくれ、と。

 笑ってくれ、と。


 オレが君の手足になる。

 頭にも、口にも、目にもなる。

 オレは君のために何でもする。


 君がもう一度笑ってくれるなら…

 なんでも…


        ◆


 ピピピ…、と、耳障りな機械音が聞こえる。

「ぐぅ」とも「うぅ」とも聞こえる音を喉で鳴らして、まだ目を閉じたまま、手で音源を探す。

 ひやりと固い何かが手にあたり、指先でボタンを探し、押すと、音が止んだ。

 そこでようやく目を開け、手に持っているものを見る。

「五時十五分…。」

 口に出して、また目を閉じる。

 何故こんなに早くに目覚ましがなっているんだっけ…。

 再び見出した夢の中で、ユリが考える。

 すると、耳元で、

「ダメですよ、ユリさん。起きないとまた蕪木さんに見抜かれますよ。」

 と声がした。

「それは嫌だ…。」

 ”蕪木”で思い出した。

 今日も美術館へ行くのだ。

 腫れぼったい目を開けると、目の前でクレアが笑った。

「おはようございます。」

「おはよ…。早いねぇ。」

 クレアはもうすでに、服を着替えていた。

「はい。

 ユリさんは朝弱いんですか?」

「私、朝はめっぽう弱いわ…。

 いつまででも寝ていられるもの。」

 最長記録は四日間だと言うと、クレアがくすくすと笑って、

「さっき、カナエさんが朝食の準備が出来たって、知らせてくれましたよ。」

 言われて、やっと起き上がる。

 そして思い切り伸びた。

 横になっていた事で昇っていた血が下がり、頭も冴えてきた。

「よし、ご飯食べて、支度して。

 今日も美術館に行かないといけないからね。」

「はい!」

 ユリはまず四階に添えつけられた洗面台で顔を洗い、部屋に戻るとガサガサと着替え始めた。クレアは後ろを向いて、着替えを待った。

 着替えを終え、髪を結い上げると、キャミソールもホットパンツも脱ぎっぱなしで、シーツを直す事もせず、急いで居間へ向かう。

 廊下には、カナエの作ったコーンスープの香りが漂っている。

 ユリは思いっきりその匂いを吸い込んで、居間のドアを開けた。

「おはよー。」

 そう言って、即座に唖然とする。

「…。

 ……。

 げ。」

 何事かと、ユリの陰から顔を出したクレアも、「まぁ!」と驚く。

 了が、匠とともに朝食を摂っていた。

「やあ、クレアさん、おはようございます。」

「お…、おはようございます。」

 そう言って、了はユリに目もくれずに、朝食に視線を戻した。

「私には挨拶なし!?

 なんであんたがいるのよ!」

「僕が呼んだんだよ。

 迎えに来てもらうお礼にね。」

 突っかかるユリに匠が答えると、了が嫌味なほどの哀しげな表情を浮かべた。

「すみません、お邪魔だったようですね。」

「ユリさんにとっては…」と付け加えて、ふぅ、と溜め息を吐く。

「なっ!」

「あらあら、なぁに、ユリ…。お客様に失礼でしょ?」

 大騒ぎするユリを、キッチンからスープを運んできたカナエが叱る。

「ごめんなさいね、粗忽な娘で…。」

「いえいえ、奥さんがお気になさる事では…。」

 尚も言う了の座る椅子の背凭れを、ユリがバンと叩いた。

「んもおおお! みんなして朝から何なのよう!」

 皆がからかっているのは明確で、ふくれるユリの横で、クレアは腹を抱えて笑った。

 それから早々と朝食を摂り終え、家を出る。

 今日はほんのりと雲がかかって、陽が柔らかく、涼しい一日になりそうだった。

「クレアさんはうちにいてくれてもよかったんだよ?」

 みなについて出てきたクレアに、匠が言った。

「はい。

 でもおじさまにも会いたいし。」

 クレアが答えると、匠が一瞬顔を曇らせ、すぐにいつもの笑い顔になった。

「ああ、そうだったね。」

(?)

 ユリが首を傾げると、目の前に了の車が停まった。

 事務所の駐車場に停めてあったのを、取りに行っていたのだ。

「お待たせしました。」

 今日は降りずに、助手席側の窓から、運転席からひょいと顔を出して、了が言った。

「ほんっと待ったわ。」

 ユリが言うと、了は即座に不機嫌な顔を造って、「気に入らないなら、乗らなくていいぞ」と言い返す。

「むっ!

 …乗せてください…。」

 ユリが折れ、了がニヤリする。

(何度見てもムカツクわ、あの笑顔。)

 ユリがふくれるのを、また面白そうに見ながら、了が助手席のロックを外した。匠が席を倒し、後部座席にクレアとユリを乗せる。

 そして席を戻し、車に乗り込んだ。

 完全にドアが閉まるのを確認して、了が車を発進させる。

「クレアさん。」

 徐に了がクレアに声をかけた。

 バックミラーでちらりとクレアを見る。

「は、はい。」

「気分が悪くなったら、言ってください。

 すぐ停めますから。」

「はい。ありがとうございます。」

 了の気遣いに、クレアが照れた。

「なんで私にはそういう事言ってくれない訳?」と、すかさず突っ込むユリに、「君は車酔いしそうに見えない」と了も即答し、匠が大笑いした。

 最早お決まりとなったやり取りに、クレアも笑う。

「叔父さんはなんで、自分の姪がこれだけ言われてて笑ってるのよ!?」

 ユリが匠の耳たぶを引っ張った。「いてて」と言いながら、匠が笑いを堪える。そして、くふふと笑い締めると、匠は穏やかな顔で言う。

「蕪木クンの悪態には、そこはかとなくユリへの愛情が感じられるからねぇ。」

「どこによ!? 寛容すぎよ!」

 今しがたの表情はどこへやら、匠はまた大笑いを始める。

 すると、匠の笑い声に消されそうなほど小さな声で、クレアが言った。「でも…。」

「ん?」

「匠おじさまのいう事、何となく判ります。」

「クレアまで!?」と、ユリがクレアに顔を近づける。

「あ、違いますよ。

 私の兄も、無口で、時々口調もきつかったけど、その分、相手の事、心配してたから。」

 もじもじと指をいじるクレアに、ユリがさらに詰め寄る。

「クレアの立派なお兄さんと、コイツは比べちゃダメよ!」

 言われて、それまで黙っていた了がぽつりと呟いた。

「まったく、みんなで勝手な事ばかり…。」

 了の愚痴に、匠がまたまた笑った。

 笑われて、了がちらりとバックミラーを見る。

 後方確認のついでに、ユリの顔が見えた。

 おたふく風邪でもひいたように、頬を膨らませて、窓の外を眺めている。

 ふと、ユリが了の視線に気付いた。

 一瞬だけ、ミラー越しに目が合う。

 出会って三日目、ずっと思っていた。

 凛と、光の差した瞳だ。

 真っ直ぐにものを見つめ、穢れを知らない。

 だからたまに、見つめられるのが怖い。

 射抜かれそうになるから。

 だが、怖い理由はそれだけではない。

 了は溢れ出しそうになった記憶をぐっと仕舞い、ユリの視線から逃げるように、ミラーから目を背けた。

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