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男爵は嘲笑う  作者: 謳子
4月29日
19/87

4月29日◆10

 シャワーのせいか、汗を掻くほど火照った体から湯気を立ち昇らせて、ユリは自室に戻った。

 クレアは、本棚の近くに座り、積み上げてあった雑誌の一冊をぱらぱらと捲っていた。

「お待たせー!」

「おかえりなさい。」

 戻ったユリに、クレアが微笑む。

「あいつ、帰ったみたい。」

 了の帰宅を報告すると、クレアは何度目か、照れ笑いをした。

「そうですか。

 もうちょっとお話してみたかったけど…。」

 その様子を確認して、ユリが切り出す。

「うーん。やっぱり、そうか。

 クレアさんて、あいつのこと、気になるんでしょ?」

 ズバリ言われて、クレアが手にしていた雑誌をばさりと落とした。

「あ…。」

 暫し止まった後、ユリが予想したのとは全く違う、悲しげな笑顔をして、落とした雑誌を閉じなおし、元の場所に戻した。

(ん…? あれ? 予想と反応が違う…。)

 きょとんとするユリに、クレアがゆっくりと話し始める。

「あの方、兄に少し似ていて…。」

「お兄さん?」

「はい。

 私には、十歳違いの兄がいるんです。

 あ、いた、というほうが、いいかしら…。」

 手持ち無沙汰な手で、逆の腕を摩るクレアに、ユリが慌てた。

「あ、なんか、話し辛かったら、無理に話さなくてもいいからね?」

「いえ、大丈夫です。」

 態度とは真逆の、穏やかな笑顔で、クレアが答える。

 何となしに話したがっているような気がして、ユリが訊ねる。

「『いた』っていうのは…?」

「行方不明なんです」と、クレアがさらりと答える。

「え?」

「六年くらい前です。

 突然家を出て、そこから行方知れずです。」

「手がかりもないの?」

「はい。

 手紙も寄越さないし、目撃情報すらありません。

 アメリカやイギリス、フランスを始め、各国の情報機関などにもご協力いただいて、何か情報があれば寄せて下さるようにお願いはしているのですが…。

 失踪当時も、国内をくまなく捜索してもらったにも拘らず見付かりませんでしたし、なのにシリングからの出国記録も、他国への入国記録もなくて…。」

 クレアが困ったような笑顔のまま、話す。

「そうなの…。

 いなくなる理由とか判れば、少しは情報になるのにね。」

「はい。でも私も父も何も…。

 兄は無口な人でしたけど、とても優しくて穏やかで、でも厳しくもあり。

 蕪木さんを見ていたら、急に兄を思い出して、それで…。」

 そこまで聞いて、ユリがクレアの前にペタンと座った。

「そうだったのね…。

 事情を知らなかったとはいえ、誤解しちゃってごめんなさい。」

 無粋な想像をした自分を恥じた。

「とんでもない。

 ユリさんといると、なんだか凄く安心出来るんです。

 私、人見知りで、あまり人付き合いも上手じゃないから、こちらに来ても、きっと一人だろうなぁって思ってました。

 でも、このおうちへ誘っていただいて、今日会ったばかりなのにこんなによくしていただいて、とても嬉しいんです。」

 にっこりと笑うクレアに、ユリが苦笑する。

「よかったわ。

 実は、ちょっと心配してたんだ。私突っ走っちゃうから…。」

 自身の性格は、弁えているつもりだ。

 俯いたまま言うユリを、クレアが笑った。

「お姉さんが出来たみたいな気持ちです。」

「私も!

 なんだか、妹が出来たみたいな気持ち!」

 一転、満面の笑みで言うユリが、しかし即座に項垂れた。

「姉の私よりよく出来た妹、だけどね…。」

 ユリの言葉に、クレアが大笑いした。釣られて、ユリも笑う。

「あ、ねぇ、クレアさんの事、私もっと知りたいんだ!」

 そう言って、手を握る。

「はいっ。

 あ、私の事は、呼び捨てにして下さい。」

「え? でも、大丈夫なのかな…。」

 心配するユリに、クレアが言う。「だって、お姉さんだもの」

「そうか…。そうね!」

 何故こんなに調子が合うのだろう?

 寂しさが、共通しているからかも知れない。と、ふと思った。

 思いながら、ユリはベッドに腰かけ、隣に座るように促す。クレアは言われるままユリの隣に座り、話し始める。

 昼間の印象と変わらない、華奢な体には、来客用のパジャマは大き過ぎていた。

 まだ水分の残る髪を結い上げ、触っただけで折れそうな首が露わになっている。

「シリングは、国土の半分が砂漠の、とても暑い国です。

 でも、カーネリアンと呼ばれる、真っ赤な鉱石が豊富に採れる地下鉱脈があって、それを中心に、鉱物売買で国費を賄う国です。

 十年程前には、長くお独りだった国王がご婚約を発表されて、そのときに私の伯母でもある王妃に贈った”紅い泪”も、特産品であるカーネリアンで出来ているんですよ。」

「へぇ。

 カーネリアンって、”夕日色の宝石”って呼ばれてる石の事よね?」

 宝石にはあまり詳しくないユリが聞く。

「そう例える国もあるようですね。濃い朱色のとても美しい石です。

 国自体はとても小さくて、人口も少ないですが、物価も安定していますし、治安も悪くありません。

 生活水準は高いほうではありませんが、世界の貧しい国々に比べたら、とても恵まれた豊かな国です。

 私は、大使館の職員で外交員でもあった父と、国でも有数の資産家の娘だった母との間に生まれました。」

「スーパーお金持ちね」と、ユリが驚くと、クレアは「そうでもないんですよ」と苦笑した。

「日本のそう言われる方々に比べたら、全然質素ですもの。」

 言って、窓の外を見る。

 昼間歩いたホテルや警視庁の明かりが、幻想的に輝いている。

 その光景に暫し見入って、クレアはまた哀しそうに笑った。

「兄弟は、先程お話した兄以外はいません。

 親族は逆に数え切れないくらい。でも、滅多に会いません。」

「なぜ?」

「解りません。

 十年前くらいから、徐々に交流がなくなって、ここ二、三年はまったく…。」

「ふーん…。

 でもそんなものかもねぇ。

 うちもそんなに親戚との付き合い多くないもの。」

「大人になると、疎遠になってしまいがちですね。」

「うん」と、ユリは頷いて、しみじみしてしまった空気を変えようと、話を切り替える。

「お友達とか、学校は?」

「シリングには、日本で言う”義務教育”に似た制度があって、五歳から八年間その義務教育機関に通います。

 それから、”大学”に近い学校へ進んだり、働き始めたりします。義務ではないですが、兵役制度があるので、希望者は軍で訓練を受けたり、そのまま軍に就職する人もいます。

 でも最近は、圧倒的に学校へ進学する人が増えて、働き手が減ったと一時問題になったくらいです。」

「日本じゃ学校離れが深刻化してるっていうのに、人柄かしらね?」

「どうでしょうか…」と、ユリの相槌に、クレアが笑いながら肩を竦めた。

「進学する事と勤勉な事はイコールではないとは思いますけど、でも、学校制度がきちんと確立したのも私が生まれる前後くらいでしたから、まだ真新しくて、可能性を探っているところなのかも知れませんね。

 大学には、義務教育終了から最低三年制。機関によっては五年というところもありますが…。

 私は三年の学校に通って、今年卒業なんですよ。」

「おお! おめでとう!」

「ありがとうございます。」

「やっぱり、卒業論文の提出とかあるの?」

「簡単なレポート提出はあります。

 でも、基本的には単位が足りていれば卒業できますよ。」

「いいなぁ。」

 ユリも大学は卒業しているが、ずいぶん卒業論文には手を焼いた。

 結局ギリギリで、教授の好意によって論文を受け取ってもらえたようなものだ。

「ねぇっ、どんなコがお友達にいるの?」

「私の学校は、その、いわゆる上流家庭向けの学校だったので、裕福な家庭の子が多いです。

 でも、みんな明るくて素直で優しい子ばっかりですよ。」

「うんうん。男の子のお友達は?」

「私には、残念ながら一人もいません。」

「えぇ!? 声かけられそうなのに!」

「そんな事まったく…。

 みんな、将来のために猛勉強している子ばっかりでしたから。

 家の家業を継ぐとか、使命のある子が多かったですし。」

「ああ、そうなんだぁ。」

 ユリが少しがっかりした。女の子だ。浮いた話は大好きだ。

「今年卒業して、そのあとはどうするの?」

「まだ、何も決めていないんです。

 日本で生活しようとも考えていましたし…。」

「へぇ! お父さんのお手伝いとかで?」

「いえ、仕事はまだ決めてないんです。」

「そっかぁ。

 困ったらうちに来るといいわ!

 きっと叔父さんなら雇ってくれる!」

 冗談ではあるが、多分、拒否はしない。

「はい、是非!」

 クレアが乗った。

 笑いながら、視界に入った時計が、〇時を指そうとしているのに気付いた。

「そろそろ寝ようか。」

 明日も早い。

 ベッドが大きいから添い寝のつもりだったので、ユリはシーツを捲って、入るように言う。

「はい。おやすみなさい。」

 クレアは滑り込むように体勢を変え、遠慮がちに横になった。

 ユリは遠慮なくばたりと倒れる。

「おやすみ。」

 誰かと寝るのなど、何年ぶりだろう。

 暫しの”妹”の顔を見ながら、ユリはふふっと笑って目を閉じた。

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