4月29日◆4
ブルーシートで覆われた二階の展示室を回る。
どの部屋も同じような造りで、同じようにブルーシートがかかる。
前方にも、後方にも、左右にも隣の部屋への通路があって、ミラーハウスにいるようだった。
この展示室に入って、どのくらいウロウロしていただろう。
すっかり方向感覚を見失い、ユリは途方に暮れた。
「け…結構広いわね…。しかも同じような部屋ばっかり…。」
言いながら、ユリは冷や汗をかいた。
「このパターンはもしや…。」
認めるか否か、自身の中で議論していると、突然後ろから嫌味ったらしい声が聞こえた。
「ほぅ、もう迷子か。」
(うっ…。嫌味な声…。)
嫌々ながら振り返ると、ニヤリと笑う了が立っていた。
苛めっ子のように腕組をしている。
「な、何言ってんのよ?
迷子なんかなってないわよっ。」
(くっ。迂闊だったわ!
こいつの接近を許してしまうなんて!)
ユリが腹の中でジタバタもがいていると、見透かしたように了が「ほう?」と不敵に笑う。
(この不敵な笑いがまたムカツクわ…。
いい歳のオトナのくせに…。)
ユリがキッと睨むと、了は表情を変えずに「迷子じゃないなら、手助けはいらんな」と言って、微かに躊躇いつつも同行を許して欲しいと思いかけたユリを置いて、行ってしまった。
(…ほ、ほんとに行っちゃった…。
仕方ない…。
この中を知るために回ってるんだし、もうちょっと頑張ろう…。)
心細さに早くも挫けそうになりながら、ユリはむん、と気力を呼び起こす。
よく見比べると、展示室それぞれ大きさが何パターンかにわかれている事が判った。
建物の形の都合上、完全に一致はしないものの、広さは全部で三種類ほどあるようだ。
先程の北代が広げた地図を思い起こす。
確か、展示室は三種類あったはずだ。そして、今いる部屋は、三種類のうちの中くらいのような気がする。
と言うことは、「ここは中展示室か」と、ユリは独り言を言う。
「さっきも来たのかしら?」
だが、ここでさらに地図を思い出す。
問題は部屋の大きさの違いが判っただけでは、解決しそうになかった。
というのは、その三種類の展示室、それぞれ複数あったのだ。
「中ホールって、確か三つあったような…。あれ? 二つだったっけ…。
どの中ホールなのよ…。」
結局、迷子なのだ…。
ブツブツと言いながら困り果てるユリの後ろから、また声が聞こえた。
「お前ね…。」
今度は、呆れている風だった。
振り返ると、やはり了がいた。
声のとおり、呆れている。
(くっそう…)
悔しさが溢れるものの、泣きそうな顔をしているのも事実で、ユリは素直に降参した。
「迷った…。」
「見りゃ判る。」
小学生の引率の先生のような気がして、了が首を振った。なんて手のかかる子なのだろう…。
そして、「行くぞ」と言ってユリを手招きする。
ゆっくり歩きながら、「このフロアが何階かはさすがに解ってるよな?」と問う。
「二階…。」
そう答えながら、べそをかくユリに、「泣くな」と了が呆れたまま言う。
「このフロアは、特別展示室を左下に仮に置くと、そこから楕円形状に二つの中展示室と四つの小展示室が左右対称に並んで、その楕円の中に二つの同じ大きさの大展示室があるんだ。」
了が、宙に指で絵を描きながら説明を始める。
各展示室とも、出入り口は基本的に三箇所。左右隣の展示室への入り口と、真ん中の大展示室への入り口だ。ただし、大展示室は、隣接するホールと同数の、四箇所の出入り口がある。
その楕円に含まれない特別展示室には、中展示室一つとロビーが隣接しているので、出入り口は二箇所だ。
その特別展示室の、真上の位置にエレベータホールやエスカレータ、非常階段のあるスペースがある。
構造的には、そこまでややこしくないようだった。では何故迷ったのだろう…。
「うんと…。」
「お前が迷った理由は、ぐるっと回れば判りやすい場所を、蛇行して回ってたからだ。おまけにキョロキョロと視線を動かす事で、方向感覚を失ってしまった。
同じサイズの展示室は作りもほぼ同じ。おまけにどこもまだブルーシートが貼ってあったりして、余計に見分け難い。
二階の改装が一番進行が早いから、状態は昨日よりはいいものの、同じようなものだ。
昨日お前が迷ったのも、それが原因さ。」
ただ理論的な解説をされただけなのだが、出会って初めて嫌味ではない言葉を言われて、ユリの涙腺が緩む。
「うぅ…。」
「だから泣くな…。」
了が困った。涙目に映る了を見ながら、本当は、”いい人”なのかも知れない、とユリは思う。
「次、三階行くぞ。」
ついでにか、三階も案内してくれるらしい。
二階から三階にはエスカレータはなく、エレベータか非常階段を使うしかない。
三階には、予告当日に展示会のオープンセレモニーが開催されるセレモニーホールと、夜間営業のラウンジがあるだけで、一階や二階に比べると、広さは半分にも満たなかった。
「ここがセレモニーホール。
展示会初日の開催セレモニーが行われる会場だ。
隣が新設のラウンジ。
ここはまだ他より工事が遅れてるみたいで、中には入れない。
確認したら、明日には入り口のシートが外れるらしいから、見るなら明日だな。」
了が指をさしながら説明する。
ユリはもう、ただ「うん」と返事をするだけだ。
すっかり意気消沈のユリを気遣ってか、了が一階は回ったのか訊ねると、ユリはこくりと一つ頷いて答えた。
「うん、一応。
あとは、館長室に戻れば…。」
そう言うユリに、了がニヤリと笑った。「館長室にな」
昨日の今日、なのだ。
「うっ…」と身を引くユリを、了がからかった。
「一人で戻ってみるか?」
「いやぁ! 一人にしないでぇ…。」
もうプライドもへったくれもない。今の状態では、多分また館長室に戻れないという強迫観念に囚われ始めていた。思わず了にしがみ付く。
そんな予想外のユリの様子に、了が一瞬焦って、次いで呆れた。
「そんなんで泣くやつがあるか…。」
言いながら、ユリが利き腕の袖を掴んでいるので、逆腕で行き先を指差す。
「行くぞ。はぐれるなよ。」
今のユリなら、誰かの袖を掴んでいても迷子になりそうだと思い、了はユリに見えないように、苦笑した。