4月29日◆3
「おはようございます。」
館長室に入り、匠が挨拶をすると、ソファに腰掛けていた菅野が立ち上がった。
「ああ、芳生さん、おはようございます。
ユリさんも、今日もよろしくお願いします。」
「はい!」
「それから…」と言って、菅野は、立ち上がったために自分の陰になってしまった人物を振り返った。
「こちらが北代警部補です。」
紹介された人物は、のっそりと立ち上がって、「北代です。よろしくお願いします」と言った。
少し小太りで背の低い、目つきのやや悪い中年男性だった。
「こちらこそ、お世話になります。」
匠が挨拶をする。
ユリも合わせて頭を下げる。
(なんか、如何にもって感じの人。)
何となく頑固者っぽい気もする風貌の北代に、ユリはイマイチ好感を持てずにいた。
「蕪木君と一緒だと聞きましたが?」
北代がふてぶてしく訊ねた。
匠はにこにこしながら、「蕪木クンなら、車を駐車場に停めるんで、後から来ますよ」と答える。
「そうですか。
では、彼が来てから、警備についてのご説明を始めます。」
「ああ、そうでしたね!
その話がまだだった。」
言って大笑いをする匠を、北代がジロリと睨んだ。
どうやら、匠も北代は好かないらしい。
睨み付ける様子が、またなんとも嫌な感じだ。
(あいつとはまた違う感じの悪さね…。)
ユリがむくれると、背中のドアが開いた。
「遅くなりました」と言って、了が入ってきた。
「遅いぞ、蕪木。」
苛ついた様子で北代が言うと、了は一言「失礼」と言って、菅野に視線を移した。
「館長、おはようございます。」
「おはようございます。
今日もよろしくお願いします。」
菅野がにこやかに言う。
心なしか、昨日より血色がいいように見える。
「ではさっそく、警備についてのご説明を始めます。
よろしいかな?」
場を仕切ろうとする北代に、菅野と、争いごとを好まない匠は素直に従ったが、了は表情を不機嫌に変えた。
(何? 急に不機嫌になったわ…。)
了も北代が嫌いな様だ。
ソファセットを全員で囲み、北代がテーブルに美術館の全体設計図を広げる。
「まず、美術館の全体地図です。改装工事後の設計図になっております。
展示物が置かれるのは、二階のみです。」
そう言って、二階の図を指す。
「三階のセレモニーホールは、展示会初日、つまり予告日時に開催セレモニーが行われているパーティ会場にあたります。
ここの警備は、当日、会場内に四人配置予定です。
因みに、会場への出入り口は一つしかありません。」
早口に説明は続く。
「監視カメラなどは、常時作動している訳ですね?」
匠が訊ねる。
「そうです。
三階には、その他にラウンジが新設されますが、こちらには一人配置します。」
指さしながら、そそくさと話を進めていく。
ユリはもちろん指を追うだけだ。
匠と了は、恐らく理解しながら話を聞いているのだろう。了は、表情は不機嫌なままだが…。
北代は細かに警備の配置についての説明を行っていく。三階の次は二階、次は一階…と続くのだが、要約すると、ありとあらゆる出入り口に警官を配置する、という、工夫も何もないものだった。
ここまで細かく、多くの人員を割いたと言う事を誇張したいのが見え見えで、途中からは、時折ちらりと隣の了を見ては、了と目が合いそうになると視線を戻す、という暇つぶしをしていた。
ただ、警備、という点に於いて、抜けがない事だけは明確に解る配置にはなっているので、北代の功績は、この人数の警官を手配した、というところが大きいのだろうと思う。
セキュリティ・ルームのある地下の警備の話になると、北代が眉間に寄せていた皺をさらに深く寄せた。
地下だけは警官のみ、という訳には行かず、飛澤を始めとする、美術館の警備員たちが混ざって担当するという。
当然といえば、当然とも思うが、北代にとっては気に入らない事のようだ。
「事務所や、館長室の警備はどうなっているんですか?」
一通り説明が終わった頃に、匠が尋ねた。
「職員の事務所と館長室の一帯は、各入り口に一人ずつ待機させます。
巡回は一階の巡回役が回る予定です。」
答えて、「どうですかな?」と北代が全員の顔を見やった。
「お任せします。
ずいぶん人手も割いて頂いているようですし、うちのセキュリティシステムも同時に動作していますから、今のところ特に心配な事は何もないですね。」
菅野が、恐らく北代が一番言って欲しいであろう言葉を返す。
菅野の返答に、北代は予想通り満足げな顔をして、了を見た。
「蕪木君はどうかな?」
「警備については一任していますから、特にありません。」
了は北代と目を合わせず、地図を見つめたまま、不機嫌な顔を崩さずに答えた。そして、「口を出すほど、うちからも人員は出せませんし」と付け加える。
(「うち」?
違う部署なのかな?)
ユリが首を傾げると、了がちらりとユリを見て、小さく肩を竦めた。
深くは訊ねるな、という意味なのか、ユリには見当がつかない。
「探偵さん…、は意見の在り様がないですな?」
最後に、嫌味のように匠に尋ねる。
「ええ、完全に不得意分野ですから。」
匠が笑いながら答えると、北代は深く頷いて、
「結構。
では、私は早速当日までの警備配置の検討に向かいますので、これで失礼しますぞ。」
と言って、「ありがとうございました。」という菅野に目もくれず、さっさと館長室を出て行ってしまった。
北代の足音が聞こえなくなるまで、みな暫く何も言わなかったが、やがて、ふぅと溜め息をつきながら、了が口を開いた。
「で、実際のところはどうなんです、芳生さん?」
「うん」と、匠が答える。何を考えているのか、顔は笑いっぱなしだ。顔の造りがそうなのだから仕方がないのだが、匠は往往にして、緊張感がないと咎められる。
「死角があるかどうかは、改装工事が終わってみないとなんとも言えないかな。
地図上では完璧でも、今の時点では机上の空論に過ぎないから。」
実際、配置してみるまでは、本当に見えない場所があるかどうかも判らない。
「そういうもの?」
「そうさ。」
ユリの問いに答えて、匠はニヤリとした。
「だから、どこかで予行演習がしたいなぁ、と思ってるんだけどね。」
匠の提案に、ユリが食いつく。
「え!? じゃ、じゃあ、男爵役やりたい!」
興奮するユリに「お前じゃダメだ」と言いかけた了を、「意外に適役かも知れませんよ」と菅野が遮った。
「館長…。」
了が困惑する。これ以上、要らぬことでユリを興奮させたくなかった。どことなく、トラブルメーカーのような空気を感じているのだ。
「男爵の予期せぬ行動を、無意識に再現する事が出来るかも知れませんからねぇ。」
「しかし…。」
すっかり困り果てた了に、菅野が笑った。
「いえいえ。
第一、万が一やる場合は、の話でしょ?」
菅野なりの、お茶目だったようだ。
菅野の言葉に、了が胸を撫で下ろし、匠が大笑いをする。
「な、何よみんなして!」
菅野にまで弄られて、むくれたユリに、匠がにひひと笑って、話を切り替えた。
「まぁ、取り敢えずは、下見だな。」
「そうですね」と、了が頷く。
「改装工事のシートやら何やらが取れない限り、当日の想定は難しい。
とはいえ、改装も、今は細部を残すのみとなっているようだから、位置関係や距離感を覚えるには不都合はない。
今のうちに、美術館の空間に慣れておかないとな。
取り敢えず、各自適当に歩き回ってみようか。」
「二時間くらいを目処にしましょうか。」
了が言う。
「そうだね。
では、菅野館長はここに残っていただいて、ボクらは二時間後、ここに集合。」
パン、と手を叩いて、一時解散となった。