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男爵は嘲笑う  作者: 謳子
4月28日
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4月28日◆1

        ◆


 あの日出会ったあの子は、とても朗らかに笑い、優しく温かな風を纏っているように見えた。

 恐らく海外出張に向かうのであろう両親は、空港の搭乗口の前で、離陸時間の迫るアナウンスに慌てながら、娘に色色と声をかけている。そんな両親を、あの子は「大丈夫、大丈夫」と笑って見送っていた。


 だから…。

 だから、あの時、あの爆発音が聞こえ、悲鳴と怒号が飛び交う中、目を見開いたまま、涙も流さないで呆然と立ち尽くすあの子は、避難を促すボクの腕の中で、ひたすら、現実を忘れてしまおうと思っていたに違いない。


 だから…、だから…。


        ◆


「…あれ?」

 さっきから同じところを廻っている気がする。

「あれ?」

 何度見回しても、大して景色が変わらない。

「…迷っちゃった…かも…。」

 自慢にもならないが、迷子は芳生(よしお)ユリの専売特許だった。

 今年、二四になった。

 訳あって大学を一年休学した後、昨年何とか卒業し、今は育ての親である叔父が経営する探偵事務所の仕事を無理矢理手伝っている。

 無理矢理というのは、叔父がそれを許してくれないからだ。

 就職する気がないのではなく、叔父と一緒に仕事がしたかった。

 今日もその叔父にくっついて依頼人に会いに来たのだが、好奇心からきょろきょろと見回っているうちに叔父と逸れてしまった。

 それに気がついたときには、既に自分の現在地までよく判らない状況になっていて、さらに自ら追い討ちをかけるように叔父を探し回った結果、迷子という敗北宣言を自身に向けて行わなければならなくなってしまった。

 訪れたのは、都内で最近建てられた、財団法人 大鳥純忠会が運営する”(すみ)・美術館”。”(すみ)・フォーラム”という広大な敷地を有する多目的エリアの一角にある美術館で、都内の施設の中でも、最も大きな物である。

 大正や明治を想わせる白茶のレンガ造りの外見で、正面右側に聳える六角形の塔がなんとも味のある建物だ。

 館内も床が市松模様になっていたり、展示室にも窓のある、一見美術館とは思えない造りなのだが、いったん展示物が搬入されれば、その窓には重厚な遮光カーテンが何枚も重ねてかかり、真っ暗闇の中にライトアップされる美術品は、建物の雰囲気とあいまって、より一層味わい深く輝く。

 だが今は、近々開催される”シリング王国”の国宝を展示する展示会を期に、少し古くなった館の内装をリニューアル中という事で、今はところどころがブルーシートで覆われている。

 決して大き過ぎる施設ではないのだが、同じような展示室が並び、同じようにブルーシートが敷かれているので、ユリのような”迷子スキル”の高い者ならば、十分迷うであろう状況ではある。

 依頼主は、この美術館の館長だという話は聞いていた。

 だから、「館長室に行けば、会えると思うのよね」と考え、館長室を探していたのだ。

 だが、その館長室の場所が館内案内図のどこにも載っていないものだから、歩き回って探す他なかった。

 そして結局、迷子、という事になったのだった。

「どこかに人いないかな…。あ。」

 きょろきょろとしながら更に歩いていると、二人の人陰が見えた。

 一人はどうやら警備員のようだった。

 もう一人は、特に制服を着ている訳ではないが、偉そうに警備員に指示をする仕草をしたり、紙を見合ったりしている。背の高い、若い男だった。

「今改装工事中で一般人の出入りは一切禁止だから、ここにいるって事は、美術館の関係者の人かも。あの人に聞いてみよう。」

 警備員ではなくその男に尋ねようと思ったユリは、真っ直ぐ男に歩み寄った。

「あのぅ…。」

 声が聞こえるくらいまで近付いたところで、ユリが男の背中に声をかけた。

 男は首だけをこちらに軽く向け、さらに横目で睨み付けるようにユリに振り向いた。

 丹精な顔立ちだが、少し眠たそうな目元の奥で、鋭さを帯びた瞳が光っていた。

 髪は整えられてはいるのだが、雑多に荒れているようにも見えた。

 薄グレーのジップアップのジャケットの襟を、長い襟足に負けないくらいの長い首元で立て、濃いグレーのジーンズを穿いている。そのジーンズも、長い脚に合わせて作ったかのようにぴったりと形良く穿きこなされていて、恐らく一般的に”格好のよい”と言われ、もてはやされるタイプのその男は、偉そうに腰に手をやったまま、ユリを一瞥して、「ん?」と素っ気無く言った。

 見るからに不機嫌なその男の表情に、ユリは一瞬身動ぎをした。

「すみません、迷ってしまって…。

 館長室へ行きたいんですけど、どう行ったらいいんでしょう?」

「館長室? なにしに?」

「連れが、この美術館の方とお話してるはずなんですけど、一緒について来て、はぐれちゃって…。」

 答えると、男は少し間を置いて、

「あ、そう。」

 と言って立ち去ってしまった。

「え? あ! ちょっ…。」

 そのあまりに素っ気無さすぎる対応に、ユリはムっとして、こんな短いやり取りで人を嫌う事があるのかと、思わず「何よ、不親切ね!」と口に出して言った。

 すると、突然後ろから「すいませんね、不親切で」と声がした。

 慌てて振り返ると、さっきの男が不機嫌な表情のまま、腰に手を当てて立っていた。そして、バツの悪い表情を浮かべるユリに、

「こちらも仕事中でね。

 館長室までご案内しましょう。ついて来なさい。」

 と言い、足早に歩き出した。

「よろしくお願いします。」

 低い声で答えて、ユリはその背中を追いかけながら、

(何なのよこいつ、えらっそうに!)

 と、心の中で悪態を吐いた。

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