追放された社内SEは辺境で「アクセス権限」を管理する~ブラック王宮からログアウトし、完全自動化された箱庭で8時間睡眠とスローライフを確保します~
第1章
「ユウト・フォン・アークライト! 貴様のような『役立たず』は我が侯爵家には不要だ。辺境の廃村『テラ』の領主として直ちに立ち去れ!」
豪奢なシャンデリアが照らす王宮の謁見の間。大理石の床に響き渡ったのは、実の父であるアークライト侯爵の冷酷な宣告だった。
隣に立つ第一王子レオンハルトも、まるで汚物でも見るかのような冷笑を浮かべて私を見下ろしている。
「攻撃魔法も回復魔法も使えない、ただの【権限管理】などという得体の知れないスキル……。王都の防衛にも、魔王軍との戦いにも一切の貢献ができない無能め。貴様のような生産性のないゴミは、魔物の餌食となる辺境の地で朽ち果てるのがお似合いだ」
周囲を取り囲む貴族たちからも、クスクスという嘲笑が漏れ聞こえてくる。
普通なら、実の家族から勘当され、死地に追放されるこの状況に絶望し、泣き崩れる場面だろう。
だが、床に片膝をつき、深く頭を垂れている私の内心は、今にも歓喜のステップを踏み出したいほどの喜びに満ち溢れていた。
(やった……! ついに、ついにこの超絶ブラック職場から合法的に『退職』できるぞ!!)
私の前世は、現代日本で働くインフラエンジニアにして社内SE、結城優人(28歳)だった。
毎日が深夜残業と休日出勤の連続。
終わりの見えないサーバー障害対応、顧客からの理不尽なクレーム、上司からの「明日までに直しておいて」という無茶振り。
そして、三日連続の徹夜明けにデータセンターの冷たい床で過労による心不全で倒れ、私の人生は呆気なく幕を閉じた。
目を覚ますと、剣と魔法のファンタジー世界にアークライト侯爵家の四男として転生していたのだが……神は私にさらなる試練を与えた。
この世界、特にこの王都の「魔力供給インフラ」は、前世のITシステム以上にスパゲッティコード化した、ツギハギだらけの欠陥システムだったのだ。
私は8歳の魔力鑑定の儀式で、対象の物理的・魔力的な事象に対して「アクセス権限(Read/Write/Execute)」を付与・剥奪できる未知のスキル【権限管理】を授かった。
しかし、火の玉を出すことも傷を癒やすこともできないこの地味なスキルは、この前線で華々しく戦いを良しとするの侯爵連中には全く理解されなかった(能力の全貌を秘密にしていたという理由もあるが)。
無能の烙印を押された私は、表向きは「部屋に引きこもっている役立たず」として扱われながら、裏では王都の魔力インフラが崩壊するたびに、(無論、他人の為ではなくシステムが崩壊すれば衣食住足る生活が失われるからなのだが)システムに最適化パッチを当て、誤操作を防止するフール・プルーフの仕組みを込んで維持する羽目になっていた。
無給の社内SEとして、深夜に魔力回路のエラー対応に追われる日々。
前世となにも変わらないではないか。
だからこそ、この「追放宣告」は私にとって、待ちに待った「退職辞令」に他ならなかったのだ。
「……寛大なるご処置、痛み入ります。辺境の地にて、静かに余生を過ごさせていただきます」
私は必死に込み上げる笑いを噛み殺し、悲痛な声色を作って一礼した。
「ふん、さっさと失せろ!」
王子の冷たい声を背に受けながら、私は足取りも軽く王宮を後にした。
もう二度と、深夜のシステムアラートに叩き起こされることはない。誰にも邪魔されない、8時間睡眠の毎日が待っているのだ。
***
王都から馬車に揺られること数週間。
辿り着いた辺境の村『テラ』は、私の想像をはるかに絶する劣悪な環境だった。
「りょ、領主様……。ようこそ、辺境の村テラへ……」
村長と名乗る痩せこけた老人が、ボロボロの衣服を震わせながら出迎えてくれた。
その後ろには、同じように栄養失調で頬の痩せこけた数十人の領民たちが、不安げな瞳で私を見つめている。
村の周囲は荒涼とした荒野。
家屋と呼べるものは隙間風が吹きすさぶ廃屋ばかりで、天井には蜘蛛の巣が張り、得体の知れない悪臭が漂っている。
「申し訳ありません……。ここは作物が育たず、魔物も頻繁に出る見捨てられた土地でして……。領主様をお迎えするようなまともな屋敷もございません」
村長が土下座せんばかりの勢いで謝罪するが、私の耳にはほとんど入っていなかった。
私の頭の中を占めていたのは、ただ一つの絶望感だった。
(嘘だろ……。こんな隙間風だらけの臭い小屋で、どうやって安眠しろって言うんだ!?)
私の行動原理は「世界を救うこと」でも「実家に復讐すること」でもない。「完璧なスローライフと、快適な睡眠環境の確保」である。
生理的欲求の根底を脅かされるこの劣悪な環境は、絶対に許容できなかった。
「村長、謝らなくていい。ただちに住環境の改善を行う」
私は腕まくりをし、村の中心に立った。
領民たちがざわめく中、私は脳内に広がるシステムウィンドウ──【権限管理】のマスターコンソールを開いた。
まずは「水」だ。衛生環境の悪化は、質の高い睡眠を妨げる最大の要因である。
私は村の地下深くを流れる水脈のデータにアクセスした。
『対象:地下水脈』
『設定:不純物の混入権限を【Deny(拒否)】。水圧の解放権限を【許可】』
ゴゴゴゴゴ……!
地響きと共に、広場の中央にあった枯れ井戸から、透き通るような清らかな水が勢いよく噴き出した。
「な、水が!? 枯れていたはずの神聖な泉が復活したぞ!」
驚愕する村人たちをよそに、私はさらにコマンドを打ち込み続ける。
まるで内部監査のチェックリストを埋めるかのように、生活に必要な項目を一つ一つ機械的に確認し、修正していく。
次は「住居」だ。
私は周囲に転がっている廃材や石材、土の塊に対して、物質の「結合権限」を強制的に書き換えた。
『対象:指定範囲内の建材』
『設定:構造強度の維持権限を【最高】に設定。自動組み立て(クーロン)を実行』
ズガガガガッ!
廃材が宙に浮き上がり、まるで早送り映像のように組み上がっていく。ほんの数分の間に、隙間風一つない、断熱性と防音性に優れた頑丈で広々としたログハウス(私の自邸)が完成した。
「おおお……なんという奇跡だ! 呪文の詠唱もなしに、一瞬で屋敷が建ってしまった!」
「領主様は、神の御使いに違いない!」
領民たちが地面にひれ伏し、熱狂的な祈りを捧げ始めた。
「いや、別に神とかじゃないから。ただのインフラ整備だから」
私は呆然とする村人たちに向かって宣言した。
「いいか、これよりこの村のルールは一つだけだ。俺の睡眠時間を邪魔しないこと。それさえ守ってくれれば、衣食住の面倒はすべて俺の『システム』が保証する」
こうして、私の一切の残業を排除した、完全自動化スローライフのための箱庭作りが幕を開けた。
その日の夜、私は丹念に計算して作った、史上最高のふかふかのベッド(材質の弾力権限を最適化した)で、完璧な8時間睡眠を貪ったのだった。
第2章
翌朝。
私は小鳥のさえずりと、窓から差し込む柔らかな朝日によって目を覚ました。
久しぶりに現世の夢を見てしまった。
締め切りが迫るなか寝落ちしてしまい、朝日に照らされて跳ね起きる夢。
その夢の延長で、ついつい枕元を探り、スマートフォン(アラーム)がないことに一瞬焦ったが、すぐにここがファンタジー世界であり、さらには私を急かす上司も、鳴り響く障害を知らせるコールもないのだと思い出す。
「……最高だ。目覚まし時計をセットせずに眠れることが、こんなにも幸福なことだったとは」
私が【権限管理】のスキルで即席で構築したログハウスは、断熱性も遮音性も完璧だった。
昨晩は前世を含めても記憶にないほど深く、そして長く眠ることができた。
これぞ真のスローライフの幕開けである。
しかし、快適な睡眠から覚めると、当然ながら腹が減る。
着替えて一階の居間へ降りると、村長が恐縮しきった様子でお盆を掲げて待っていた。
「りょ、領主様、おはようございます。あの……大変申し訳ないのですが、当村でお出しできる朝食はこれが精一杯でして……」
お盆の上に乗っていたのは、石のように硬い黒パンの欠片と、具がほとんど入っていない薄い塩味のスープだけだった。
清潔な水が確保できたとはいえ、この村『テラ』の絶対的な食料不足は深刻なままだったのだ。
(そうか……インフラの基盤は構築したけど、コンテンツ(食料)がないんじゃ快適な生活は送れない。それに、硬いパンを噛み砕くのに体力を使うなんて、スローライフの理念に反する)
私が「ふかふかのパン」と「新鮮なサラダ」を要求するためのシステム要件定義を頭の中で組み始めたその時だった。
「た、大変だぁぁっ!!」
村の青年が、血相を変えてログハウスに駆け込んできた。
「村長! 領主様! 西の『魔の森』から、魔物の群れがこっちに向かってきています! その数、およそ五十! おそらく、昨日領主様が湧かせた清らかな水の魔力に引き寄せられたんだべ!」
「な、なんだと……!? 終わった……我々の村は、ようやく救われたと思ったのに……っ!」
村長がその場にへたり込み、絶望の涙を流す。
外からは、パニックに陥った領民たちの悲鳴と、遠くから地響きのように近づいてくる魔物たちの咆哮が聞こえてきた。
だが、私の内心は焦りよりも、激しい「苛立ち」に支配されていた。
(ふざけるな。せっかくの休日の朝を、アポなしの訪問者に邪魔されるだと? トラブルシューティングで休日が潰れるのは、前世でもう一生分味わったんだよ!)
私は冷めたスープを一口だけ飲み、ため息をつきながら外へ出た。
村の西側に広がる荒野の向こうから、土煙を上げて巨大なイノシシの魔物――『マッドボア』の群れが猛烈な勢いで突進してくるのが見えた。
鋭い牙と血走った目は、村を蹂躙する気満々だ。
「領主様! 逃げてください! あんな数、王都の騎士団でもなければ止められません!」
「いいから、全員俺の背後に下がっていろ」
私は右手を軽く前に出し、脳内のマスターコンソールを開いた。
物理的な城壁を石で作るのは時間がかかるし、保守運用も面倒だ。
ならば、論理的な防御壁を構築すればいい。
私は村の周囲半径一キロメートルの空間座標を選択し、アクセス制御リスト(ACL)の設定を書き換えた。
『対象ディレクトリ:辺境村テラ 全域』
『認証リスト:現在村に存在する領民53名、および私自身の固有魔力IDを【ホワイトリスト】に登録』
『ファイアウォール基本ポリシー:ホワイトリスト以外のすべての物理的・魔力的干渉、侵入アクセスを【Deny(拒否)】に設定』
『実行』
ズガァァァァン!!
バキィィッ! グシャァッ!
村の境界線に到達したマッドボアの群れが、突如として空中に現れた「見えない壁」に次々と激突した。
時速八十キロ近い突進のエネルギーが、彼ら自身にそのまま跳ね返る。
先頭の数十頭は文字通りひしゃげて即死し、後続の魔物たちは見えない防壁の前でパニックを起こして逃げ惑い、やがて同士討ちを始めて自滅していった。
「……な、何が起きたんだ……?」
「魔物が、空中の『何か』に弾かれた……? 領主様は、指一本動かしていないのに……っ」
呆然とする領民たちを振り返り、私は淡々と言った。
「不審なアクセス(魔物)はすべて弾くように設定しておいた。これで夜中に魔物の鳴き声で起こされることもない。俺の安眠は保証されたというわけだ」
「あ、あああ……!」
村長が震える手で天を仰いだ。
「神の領域に等しい絶対不可侵の結界……! 領主様は一目でこの地の地勢を読み切り、我々を永遠に守る完璧な城塞都市の基盤を築いてくださったのだ!」
「万歳! ユウト様、万歳!!」
(いや、ただのファイアウォール設定なんだけどな……。まあ、静かになったからいいか)
私は彼らの過剰な熱狂をスルーし、次のタスクに移ることにした。
一番の問題は「朝食」である。
村の裏手にある、カチカチに干からびた不毛の畑に向かった。
「領主様、その畑はもう何年も作物が育たず……」
「問題ない。農業の手順を『自動化(バッチ処理)』するだけだ」
前世の私は、手作業でのデータ入力や更新が大嫌いだった。
人間がやらなくてもいい単純作業は、すべてシステムにやらせるべきなのだ。
農業も同じである。土を耕し、種を撒き、毎日水をやり、雑草を抜く……そんな重労働を休日にやりたくはない。
私は枯れた土壌のデータにアクセスした。
『対象:指定区画の農地および種子』
『設定:作物の【成長権限:許可】』
『魔力供給網の構築:地下水脈と大気中の魔力を、土壌へ24時間体制で自動供給(クーロン設定)』
『実行』
途端に、土壌がまるで呼吸をするかのように脈動を始めた。
カチカチだった土が自動的にふかふかの黒土へと変わり、倉庫から持ってきた小麦や野菜の種を撒くと、目にも留まらぬ速さで芽吹き、茎が伸び、葉が茂り始めたのだ。
「ひぃっ!? 植物が、恐ろしい速さで育っていく!?」
「奇跡だ……命の根源すら操る真の賢者様だ!」
ものの数十分で、畑は黄金色の小麦と、瑞々しいトマトやキャベツで埋め尽くされた。
本来なら数ヶ月かかるプロセスを、成長権限の解放と魔力の自動供給によって極限まで「最適化」した結果である。
「よし、これで食料問題は解決だな。収穫の権限は村人に付与しておくから、あとは適当にやってくれ。俺はもう疲れたから、昼寝する」
私が大きく欠伸をしてログハウスに戻ろうとすると、背後で村人たちが一斉に地面に平伏した。
「おおお……領主様! 我々に一切の労働を強いることなく、永遠の豊かさと絶対の安全をお与えくださるとは!」
「我々は一生、いえ、末代までユウト様に従い、この御恩に報います!」
「我らが神! ユウト様!!」
(……ん? なぜ泣いているんだ?)
私は首を傾げた。
私はただ、「自分が草むしりをしたくないから全自動化パッチを当てた」だけなのだ。
しかし、過酷な労働と飢えに苦しんできた彼らにとって、私の行った「極端な効率化」は、神の如き慈悲と恩寵に他ならなかった。
こうして、私が「なるべく働かずに寝ていたい」という卑近な欲求を満たせば満たすほど、村の防衛力と生産力はチート級に跳ね上がり、領民からの崇拝(勘違い)は宗教の域にまで達していくのだった。
「まあいい。昼飯は新鮮なトマトのスープと、ふかふかのパンで頼むよ」
私はそれだけ言い残し、最高の二度寝を満喫するためにベッドへとダイブした。
第3章
村の完全自動化から一ヶ月。俺の生活は、完璧なルーティンとなっていた。
朝はふかふかのベッドで目覚め、自動収穫された新鮮な野菜とふっくら焼けたパンを食べる。
昼は木陰で昼寝をし、夜は星空を見ながら特製のログハウスで寛ぐ。
誰も俺の睡眠を邪魔しない。
急な仕様変更を押し付けてくる上司も、深夜に鳴り響くアラートもない。
まさに至高のスローライフだった。
ある日の午後、俺は日課となっているシステムの「ログ確認」を行っていた。
前世の職業病というやつで、システムが正常に稼働しているか、異常なエラーログを吐いていないかを確認しないとどうにも落ち着かないのだ。
村の中心に設置した、滑らかな黒曜石の石板(システムモニター代わり)にアクセス権限の履歴を表示させる。
『アクセス拒否(Deny):マッドボアの群れ ×42』
『アクセス拒否(Deny):ゴブリンの斥候 ×3』
うんうん、今日もファイアウォールは完璧に仕事をしている。
画面をスクロールしていくと、ふと見慣れない、そして桁違いの魔力反応を示すエラーログが目に留まった。
『Error: 重大な接続拒否。対象:超高密度魔力熱線(氷炎ブレス)』
『User: イグニス(魔王軍最高幹部・氷炎の竜姫)』
「……魔王軍の幹部?」
俺は眉をひそめた。
どうやら数日前、俺が爆睡している間に、とんでもない大物が村の結界に攻撃を仕掛けていたらしい。
だが、ファイアウォールは対象のステータスに関わらず「指定ID以外は全て弾く」という絶対ルールで動いているため、最強のドラゴンのブレスだろうが問題なく無効化していた。
面白いのは、そのエラーログの備考欄(パケットの残滓)に、攻撃者の「念」のようなものがテキストデータとして残されていたことだ。
魔法世界ならではの現象だろう。
強い感情を伴う魔法が壁に弾かれた際、その感情が思念としてログに焼き付いていたのだ。
そこには、こんな文字が刻まれていた。
【信じられない! なんで私の全力のブレスが、こんな辺境の名もなき村の結界に跡形もなく弾かれるのよ!? あり得ないわ! ――ああもう、ただでさえ今日の幹部会議、魔王様の方針がブレブレで現場は疲弊してるっていうのに、こんな理不尽ってないわ! 胃が痛い……!】
「…………」
俺は、そのテキストを三回読み返した。
そして、深く、深く頷いた。
(わかる……! 痛いほどわかるぞ、その気持ち……!)
魔王軍の幹部といえば、人間を滅ぼす恐ろしい存在のはずだ。
だが、このログから伝わってくるのは、絶対的な悪のカリスマなどではない。
「無能なトップの思いつきに振り回され、中間管理職として現場の尻拭いをさせられている、哀れな一人の労働者」の悲痛な叫びだった。
前世で、営業トップの無茶な「明日までにこの仕様追加して!」というブレブレの方針に何度泣かされたことか。
俺の胸の内に、敵対陣営であるはずの彼女に対する強烈な同情と、社畜としての連帯感が湧き上がってきた。
気がつけば、俺は石板のインターフェースを操作し、その思念の送信元(IPアドレスのような魔力波長)に対して、「返信」を打ち込んでいた。
『システム管理者より:あなたからの不正なアクセスはファイアウォールにより拒否されました。それはそうと、お疲れ様です。上司の方針がブレると現場は本当に苦労しますよね。温かいハーブティーでも飲んで、今日は早く休んでください。無理は禁物です』
送信、と。
まあ、ただのエラーの返り値だ。
相手に届くかどうかもわからないし、届いたところで怒り狂うだけかもしれない。
俺はそう思って、ログアウトしようとした。
ピコン。
その時、石板に新着メッセージの通知音が鳴った。
驚いて画面を見ると、先ほどの『イグニス』から、信じられないほどの長文がリアルタイムで送られてきていた。
【な、なによ貴方!? この結界の主!? そもそもシステムカンリシャって何!? ――って、そんなことより……っ! そうよ、そうなのよ! 魔王様ったら「とりあえず人間どもに恐怖を与えてこい」なんて曖昧な指示しか出さないくせに、後から「もっと派手な絶望感が足りない」とか文句ばかり言うのよ! 私の苦労も知らないで! あなた、敵のくせになんでそんなに話がわかるのよ!?】
俺は思わず吹き出した。
完全に、居酒屋で愚痴をこぼすOLのテンションではないか。
俺は石板の上に指を滑らせた。
『曖昧な要件定義からの、後出しの仕様変更……。IT業界、いや、どこの世界でも一番やってはいけない最悪のパターンですね。そういう時は、事前に「ここまでしかやりません」という合意を文書で固めておくことが防衛策になりますよ』
【文書で……なるほど、確かに口約束だから後からひっくり返されるのね。でも、四天王の他の連中も自分の手柄しか考えてなくて、面倒な書類仕事は全部私に押し付けてくるのよ。もう辞めたい……でも私が抜けたら、魔王軍の補給線は三日で崩壊するわ……】
『典型的な「業務の属人化」ですね。あなたが有能すぎるから、すべてがあなたに依存している。それは組織として完全に欠陥品です。一度、思い切ってサボってみてください。システムが崩壊して初めて、上層部はあなたの本当の価値と、自分たちの無能さに気づくはずです』
【サボる……! 悪の幹部たる私が、仕事を放棄するなんて……! でも……そうね。私ばかりが胃を痛める必要なんてないわよね。……なんだか、貴方と話していたら、すごく心が軽くなったわ。ありがとう。貴方、人間よね? 人間にも、こんなに私のことを理解してくれる人がいたなんて……】
文字だけのやり取り。互いの顔も見えないし、直接声を聞くこともない。
だからこそ、何のしがらみもなく本音を吐き出せる。
対面でのコミュニケーションが持つプレッシャーや、種族という垣根を完全に排除した「安全な距離感(非同期コミュニケーション)」。
それは、前世でSNSの裏垢に愚痴を書き込んでいた時の感覚に非常に似ていた。
【ねえ、システム管理者さん。また……明日も、ここに愚痴を書き込んでもいいかしら?】
少しだけ遠慮がちな、相手のテキスト。
俺にとっても、このやり取りは決して不快なものではなかった。
村人たちからは「全知全能の神」のように崇められていて、少し息苦しさを感じ始めていたところだ。
ただの「苦労を分かち合える同僚」のような存在は、俺のメンタルヘルスにとっても有益だった。
『ええ、いつでもどうぞ。俺の安眠を妨害しない範囲のテキストメッセージなら、アクセス権限を【許可(Allow)】しておきます』
こうして、辺境の村でスローライフを満喫する俺と、人類を滅ぼす魔王軍の最高幹部との間で、エラーログを通じた奇妙な「文通」が日課となった。
それからというもの、イグニスは毎晩のように石板へアクセスしてきた。
【聞いてよ! 今日、部下のオークどもが指示書を全く読まずに出撃して全滅したの! 「命令書を読め」ってあれほど言ったのに!】
『マニュアルは読まれないものとしてシステムを組むのが基本です。どうしても読ませたいなら、承認ボタンを押さないと出撃ゲートが開かない仕組みを導入しましょう』
【天才ね! さっそく明日から魔法陣に組み込んでみるわ!】
俺の社畜経験に基づく「業務効率化アドバイス」は、魔王軍の組織運営に劇的な改善をもたらしたらしい。
イグニスは俺からの返信を心待ちにするようになり、その依存度(あるいは好感度)は日に日に増していった。
【ねえ、貴方みたいな人が魔王軍のトップなら、世界征服なんてすぐに終わるのに。……いっそ、私が貴方をさらいに行っちゃおうかしら】
冗談めかしたそんな言葉に、俺は苦笑しながら返した。
『勘弁してください。俺の望みは、定時で仕事を終えて、ふかふかのベッドで8時間寝ることだけですから』
だが、この時の俺はまだ知らなかった。
俺が辺境で優雅な非同期コミュニケーション(文通)を楽しんでいる間、俺という「無償のシステム管理者」を失った王都が、取り返しのつかない崩壊の危機に瀕しているということを。
第4章
その頃、王都の中枢である王城は、未曾有のパニックと大混乱に陥っていた。
「レオンハルト殿下! 王立魔導研究所のメイン魔力炉が停止しました! これにより、王都全域を覆う絶対防衛結界の出力が、規定値の三割を割り込んでいます!」
「第3ブロックの魔力供給網もダウンしました! 貴族街の照明が全て落ち、浄水システムも停止しています!」
次々と飛び込んでくる悲報に、第一王子レオンハルトは謁見の間の玉座をバンッと叩きつけた。
「ええい、静まれ! 予備回路はどうした! 復旧手順書があるだろうが、さっさと再起動しろ!」
「それが……手順書通りに魔力を流しているのですが、各所の魔力中継器で『アクセス権限がありません』という謎の思念に弾かれてしまい、全く魔力が通りません! さらに強制再起動を試みたところ、未知の不具合を吐き出して完全に沈黙しました!」
「ふざけるな! 莫大な予算を投じて維持している王都のインフラだぞ! 魔導技術部の連中は何をしている!」
レオンハルトの怒声が響く中、傍らに控えていたアークライト侯爵(ユウトの父)も青ざめた顔で額の汗を拭っていた。
そこへ、王宮のシステムを統括する白髪の魔導技術長が、フラフラとした足取りで駆け込んできた。その顔には、何日も徹夜を重ねたような色濃い疲労と、深い絶望が刻まれている。
「殿下……原因が、判明いたしました……」
「遅い! で、どこの配線がショートしたのだ。すぐに直せるのだろうな!」
「……直せません。いえ、我々の手には、もはや負えないのです」
魔導技術長は血走った目で、信じ難い事実を口にした。
「王都の魔力運用は、数百年前の建国時代から増改築を繰り返してきた、いわば迷宮のように複雑怪奇な仕組みです。本来であれば、とうの昔に自重で崩壊していてもおかしくありませんでした」
「何を言っている! 今までは問題なく動いていたではないか!」
「ええ。ですが記録を解析した結果……数ヶ月前まで、何者かが裏でこの老朽化した欠陥システムに、神業のような『修正術式』を当て続けていた形跡が見つかりました」
技術長は震える手で、一枚の羊皮紙を差し出した。
「絡み合った魔力回路を信じられないほど綺麗に整理し、不具合が起きても自動で迂回する完璧な演算術式。我々が気づかないうちに、誰かが一人で王都の都市運営を保守・運用してくれていたのです。しかし……」
「しかし、なんだ!」
「その『管理者』による更新が途絶えたことで、蓄積した不具合が一気に許容量を超え、一斉に崩壊したのです。現在、演算術式は完全に解読不可能となっており、我々ではどこから手をつけていいか全く分かりません」
謁見の間に、重苦しい沈黙が落ちた。
レオンハルトは苛立ち気に舌打ちをした。
「……そんな神の如き保守管理を、一体誰がやっていたというのだ。大賢者か? それとも伝説の宮廷魔導師か? そいつは今、どこにいる?」
「……記録に残された、実行者の魔力波長を照合しました。このシステムをたった一人で支えていた真の天才。それは……」
魔導技術長は、アークライト侯爵の方を振り向いた。
「アークライト侯爵家四男、ユウト様です」
「なっ……!?」
侯爵は素頓狂な声を上げ、目をひん剥いた。
「あの『役立たず』がだと!? 馬鹿な、あいつは攻撃魔法の火の玉一つ出せない無能だったのだぞ!」
「いいえ! ユウト様が持つ【権限管理】というスキル……あれは単なる魔法ではありません! 世界の物理・魔力法則そのものの行使する権限を握る、絶対的な『管理者の力』です! 彼は無意識のうちに、自分が王宮で快適に過ごすためだけに、この国の社会基盤を丸ごと最適化していたのです!」
技術長は泣き崩れんばかりの顔で叫んだ。
「我々は……この国の命綱を握る最高位のシステム管理者を、あろうことか『無能』と罵り、自らの手で追放してしまったのです……っ!」
その事実の重さに、周囲の貴族たちは息を呑み、静まり返った。
普通であれば、ここで自分たちの愚かさを悔い、ユウトに対して深い謝罪の念を抱く場面だろう。
だが、権力というぬるま湯に浸かりきった彼らの思考回路は、致命的なまでに腐りきっていた。
「……なんて、生意気な奴だ」
レオンハルトが、ギリッと歯を鳴らした。
「王家に無断でシステムの根幹を弄り回すなど、許されざる大罪! その上、自分が去ればシステムが崩壊することを知りながら黙って出て行ったのだな! どこまで陰湿で腹黒い男だ!」
侯爵も慌てて王子に同調した。
「お、仰る通りです殿下! あの親不孝者め、アークライト家の面汚しが……!」
「侯爵! 貴様の責任だぞ、すぐにあの『部品』を連れ戻せ!」
レオンハルトは血走った目で立ち上がり、マントを翻した。
「辺境ごときでサボっている暇はない! 王都の近衛軍を一万動かせ。無理矢理にでも王都へ引きずり戻し、一生魔力炉の地下室から出られないよう、鎖で繋いででも死ぬまで働かせてやる!」
「ははっ! 直ちに手配いたします!」
彼らはユウトを一人の人間としてではなく、壊れたシステムを直すための「便利な代替パーツ」としか見ていなかった。
その無自覚な傲慢さが、自らを破滅の淵へと追いやることになるとも知らずに。
そして、理不尽極まりないブラック企業(王宮)の論理を振りかざした王都軍一万の兵が、ユウトの眠る「絶対不可侵の箱庭」へと向けて進軍を開始したのだった。
第5章
村の完全自動化とインフラ整備が完了してから数ヶ月。
辺境の村『テラ』は、もはや村とは呼べないほどの発展を遂げていた。
全自動で収穫される黄金の小麦、尽きることのない清らかな水、そして見えない絶対防壁に守られた、世界で最も安全な城塞都市。
俺の目論見通り、誰も俺の睡眠を邪魔しない、究極のホワイト労働環境が完成していた。
そんなある日の、夕方16時55分。
そろそろ業務(という名の昼寝と散歩)を終了し、ふかふかのベッドに入る準備をしようとしていた俺の耳に、システムモニターである石板の激しいアラート音が飛び込んできた。
『Warning:大規模な魔力接近を検知。』
同時に、日課となっているイグニス(魔王軍幹部)からの非同期メッセージが、ものすごい勢いで画面に表示される。
【緊急事態よ! 魔王軍の強硬派が、貴方の村の防壁を破ろうと一万の軍勢でそっちに向かったわ! しかも、東からは王都の騎士団一万も進軍してるみたい! お願い、すぐに逃げて! 貴方一人じゃどうにもならないわ!】
文面から彼女の切迫した焦りが伝わってくる。
俺は画面を見つめ、ゆっくりと息を吐き出した。
そして、キーボードを叩くように石板へ返信を打ち込む。
『忠告ありがとうございます。でも、逃げる必要はありません。それに、定時(17時)を過ぎてからのアポなし訪問は、どこの軍勢であろうと「アクセス拒否」する主義なので』
【えっ……? ちょっと、貴方、一体何を――】
イグニスの返信を待たず、俺はログハウスの扉を開けて外に出た。
村の広場はパニックに陥っていた。
無理もない。東の荒野からは、王家の紋章を掲げた完全武装の騎士団一万が砂埃を上げて迫り、西の森からは、禍々しい瘴気を放つ魔王軍のモンスター一万が地響きを鳴らして突撃してきていたのだ。
「りょ、領主様ぁぁっ! お逃げくだせえ! あんな大軍、結界があってもいつかは破られちまいます!」
村長が涙ながらにすがりついてくる。
俺は「大丈夫だ」とだけ言い残し、村の境界線のすぐ内側まで歩みを進めた。
東から迫る王都軍の先頭には、豪奢な鎧を着込んだ第一王子レオンハルトと、実の父であるアークライト侯爵の姿があった。
彼らは村の境界線でピタリと止まり、見下すような視線を俺に向けてきた。
「見つけたぞ、ユウト! 貴様の無礼な家出のせいで、王都のシステムはガタガタだ! だが、今すぐ王都に戻り、魔力炉を直すというなら追放処分を解いてやってもいい!」
レオンハルトが傲慢な声で叫ぶ。
「そうだ! 貴様のような役立たずの分際で、殿下からのお慈悲を無下にするな! さっさとそのふざけた結界を解いて、馬車の前で土下座しろ!」
侯爵も血走った目で喚き散らす。
彼らの背後では、西から迫る魔王軍が「人間どもを皆殺しにしろ!」と雄叫びを上げていた。
両軍合わせて二万の殺意。
普通の人間ならショック死してもおかしくないプレッシャーだ。
だが、俺の胸の内に湧き上がっていたのは、恐怖ではなく、底知れぬ「疲労感」と「苛立ち」だった。
(……なんで、どこの世界のクライアント(上層部)も、営業時間外になってから無茶な仕様変更やトラブル対応を押し付けてくるんだ? しかも、自分たちが追い出したくせに「戻ってきて直せ」だと?)
「定時退社」を何よりも愛する俺にとって、この状況は許しがたい暴挙だった。
俺は大きな欠伸を一つ噛み殺し、右手で脳内のマスターコンソール(管理者画面)を展開した。
「おい、ユウト! 聞いているのか! 今すぐ結界を――」
「うるさいな。就業時間はもう終わってるんだよ」
俺は冷たい声で言い放ち、空中に浮かぶ不可視のウィンドウに向かって、淀みなくコマンドを入力し始めた。
これまでは「ファイアウォール(侵入拒否)」で弾くだけだったが、今回は相手がしつこすぎる。
根本的な「権限の剥奪(アカウント停止)」が必要だ。
『対象:指定範囲内(東の王都軍一万、西の魔王軍一万)の全エンティティ』
『抽出:対象の武装、魔力回路、および身体強化スキル』
カチッ、と頭の中でエンターキーを押す音が響く。
『設定変更:対象が保有する事象の【Execute(実行権限)】を完全剥奪(Revoke)』
『強制上書き(オーバーライド)、実行』
その瞬間――世界から、あらゆる「力」が消失した。
「な、なんだと……っ!?」
真っ先に異変に気づいたのはレオンハルトだった。
彼が腰から引き抜こうとした伝説の聖剣が、まるでただの鉛の塊のように重くなり、彼の手からボトリとこぼれ落ちたのだ。
「馬鹿な! 剣が、魔法が……っ! 体に魔力が全く練れないぞ!?」
パニックは王都軍全体に広がった。
魔法使いの杖からは火花一つ出ず、騎士たちの鎧は彼ら自身の体を押し潰すただの鉄屑と化した。
それは魔王軍も同じだった。
炎を吐こうとしたドラゴンの喉からはただの空気が漏れ、鋭い爪を振り上げたオーガは、自らの腕の重さを支えきれずに地面に倒れ伏した。
物理法則と魔力法則の「実行権限」を根本から書き換えられた彼らは、もはや一歩を踏み出す力すら失っていた。
「き、貴様……一体何をした! 何の魔法を使った!!」
馬から転げ落ち、泥にまみれたレオンハルトが、恐怖に顔を引き攣らせながら叫ぶ。
俺はポケットに手を突っ込んだまま、冷酷に見下ろした。
「魔法じゃない。俺はただ、お前たちの『アクセス権限をBAN(追放)した』だけだ。ここは俺のプライベートな箱庭だ。王都のシステムが崩壊しようが、知ったことか」
「あ……あ、ああ……っ」
レオンハルトも侯爵も、自分たちが手放した「役立たず」が、実は世界の理そのものを支配する神の如き存在であったことを、ここに至ってようやく理解したのだ。
絶望と恐怖に染まった彼らの顔を見て、俺は最後通告を突きつけた。
「二度と俺の安眠を邪魔するな。次はないぞ。――さっさと帰れ」
俺の一瞥だけで、二万の大軍は悲鳴を上げながら、這うようにして逃げ出していった。
王都のシステムはこのまま完全に崩壊し、レオンハルトも侯爵も破滅の運命を辿るだろうが、俺の管轄外(スコープ外)だ。
広場に再び、静寂と平和が戻ってきた。
「……あーあ。まさか、本当にたった一人で二万の軍勢を無力化しちゃうなんて」
ふと、背後から呆れたような、それでいて鈴を転がすような美しい声が響いた。
振り返ると、そこには立派な竜の角を生やした、燃えるような紅髪の美女が立っていた。彼女は呆然とする村人たちの間を抜け、俺の前に歩み寄ってくる。
「はじめまして、システム管理者さん。エラーログの文通相手よ」
「……イグニスか。まさか直接来るとは思わなかった」
「当然でしょ。あんな無能な上司(魔王)の下で働くのはもう限界だったの。それに……」
イグニスはふわりと微笑み、俺の顔を覗き込んだ。
「貴方のその圧倒的な有能さと、私を気遣ってくれる優しさに、完全に惚れ込んじゃったみたい。ねえ、履歴書は持ってないけど、この村で雇ってくれない?」
俺は少しだけ目を見開き、やがて苦笑して頷いた。
「面接は免除だ。セキュリティ担当(警備員)としてなら、三食昼寝付きの好待遇で歓迎するよ」
「ふふっ、最高のホワイト職場ね。その条件、受け入れましょう」
かくして、理不尽なブラック王宮からログアウトした社内SEは、最高の理解者(元魔王軍幹部)と、誰も侵入できない完全自動化された箱庭を手に入れた。
西の空に太陽が沈んでいく。時計の針は17時15分を回っていた。
「よし、今日はもう店じまいだ。美味しいご飯を食べて、たっぷり8時間寝よう」
俺の理想の「定時退社スローライフ」は、ここから永遠に続いていくのだった。




