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告白

視線の月曜 ~告白

作者: 時司 龍
掲載日:2026/03/08

 月曜の朝。


 (あや)は、いつもより少しだけ早く出社した。

 理由は自分でもはっきりしない・・・という事にしておきたかった。ただ、家にいるより仕事をしていたほうが楽だった。パソコンを立ち上げ、メールを確認する。未読を一つずつ処理していく。

 いつも通りの業務。いつも通りの数字。


 なのに。


 落ち着かない。

 背中が、ざわつく。・・・気のせい? 一度目はそう思った。二度目で、少しだけ気になった。

 三度目で、確信に近くなる。


 見られている。

 顔を上げる。


 向こうの席。大樹(だいじゅ)と目が合った。

 一瞬の間。

 それから、ぱっと向こうが笑う。


「おはようございます」


 いつもの、人懐っこい笑顔。

 彩も小さく返す。


「・・・おはよう」


 土曜の夕暮れと同じ人とは思えないくらい、いつも通りだ。

 それなのに。

 何かが違う。

 視線が逸れるのが、ほんの一拍遅い。その一拍が、妙に重い。背中に残る感触のような、視線。


 気にしすぎだろうか。


 午前中。

 フロアはいつものように騒がしい。


「いやあ昨日さ、完全に飲みすぎたわ」


 誠が椅子を揺らしながら言う。


「またですか」


 葵が苦笑する。


「だってあの店、日本酒うまいんだって」

「それ、先週も聞きました」

「言ってない言ってない」

「言いました」


 そのやり取りの向こうで

 大樹が笑う。


「誠さん、それ三回目ですよ」

「嘘だろ」

「ほんとです」


 誠が肩をすくめる。


「葵さん、メモ取ってんの?」

「取ってません」

「絶対取ってるだろ」


 小さな笑いが広がる。

 いつもの空気。

 彩はモニターを見ながらマウスを動かす。


 けれど。


 ふとした瞬間。


 また視線が来る。視線が絡みつく。


 画面から顔を上げる。


 大樹。

 今度は、目が合う前に逸らされた。


 ・・・え。

 ほんの一瞬、胸の奥がひっかかる。


 見ていたのに。

 見られたくないみたいに。


 逸らされた。


 仕事に戻る。数字を入力する。


 それでも。


 視線は、ときどきふれてくる。・・・確実に見られている。見られているというより、追われている。否、確かめられているような。


 昼過ぎ。

 顔を上げると、(せい)(あおい)がモニター越しに小声で話していた。


「あれ、今日静かじゃない?」


 誠の顎が、わずかに動く。

 葵がそちらを見る。

 ほんの一瞬だけ。

 それから視線を戻す。


「気のせいじゃないですか」


 さらりと言う。

 でも、その後、葵の視線がふっと彩の方に寄る。

 すぐに戻る。


「誠さんそういうの好きですよね」

「観察?」

「観察」


 誠が笑う。


「葵さん、わかってきたか」

「長いですから」


 軽いやり取り。


 でも、葵はもう一度だけ彩の方を見た。

 ほんの一瞬、気遣うみたいに。

 

 私、何かした?

 それとも・・・胸の奥に土曜の光景がよぎる。笑い声。いつもよりラフな服装、それこそピンクの髪に似合うような。そして、女の子の腕。距離の近さ。


 彩はキーボードを打つ手を止める。

 ・・・やっぱり、勘違いだったんだろうか。完全に否定しなくちゃいけないと思う自分と、そういうのにまだ憧れたいと思う自分がいる。


 夕方。

 彩は立ち上がった。


「すみません、今日の客先なんですけど」


 何人かが顔を上げる。


「鈴木さん、同行お願いできますか」


 奥の席にいる鈴木は、モニター越しに片手を上げた。

 短く整えられた白髪交じりの髪。目元には笑い皺が刻まれ、軽くジャケットを羽織った姿はそろそろ風格が漂っている。


「んー」


 椅子を少し回す。


「今ちょっと手が離せないんだわ」

「そうですか」

「俺の担当の話はだいたい終わってるはずだろ?」

「はい、一通りは」


 鈴木が腕を組む。


「じゃあさ」


 軽く笑った。


「今日は誰か適当に連れてってくれるか~」

「え?」

「ついでに顔合わせしといた方がいい奴はいるか~?」


 誠が口を挟む。


「お、接待デビュー?」

「接待ってほどじゃないけどな」


 鈴木は肩をすくめる。


「軽く飯でも食ってきてくれ」


 夕飯。

 その言葉がなぜか耳に残る。

 彩は小さく息を吸う。


「・・・わかりました」


 誰かが椅子を引く音。


 その時。

 誠が、ほんのわずかに体勢を変えた。

 机の下で足を組み直す。


 視線は最初から、大樹の方。


「俺・・・」


 大樹が立ちかける。


 その瞬間。

 誠の手が机の下で肘を押さえた。

 自然な動き。

 でも、迷いがない。


「お前座っとけ」


 低い声。

 小さく。

 大樹が誠を見る。

 誠は笑っている。


 でも。

 目が、笑っていない。


 ほんの一瞬。


 三人の視線が交差する。


 やがて。

 別の同僚が手を挙げた。


「俺行きますよ」

「お、助かる」


 鈴木が頷く。話はそれで決まった。彩は会釈する。


「ありがとうございます」


 鞄を取る。


 視線。

 視線が、まだある。


 背中に触れるように。

 振り向かない。

 振り向いたら、何かを認めてしまいそうで。



 ●●



 夕飯。

 その単語が、耳の奥に残る。


 客先と。

 顔合わせ。

 軽く、夕飯。

 軽く?

 何が軽い。

 誰と座る。

 誰と向かい合う。

 誰の前で、あの落ち着いた声を出す。


 想像が、勝手に具体的になる。


 知らない男が、あの人の向かいに座る。料理を取り分ける手元を見る。笑ったときの目元を見る。その距離を、共有する。


 胸の奥が、じわりと焼ける。

 俺が行くはずだった。

 立ち上がった瞬間、もう決めていた。


 ・・・連れて行かせない。


 理由なんてどうでもいい。フォローだとか、補足説明だとか。全部、後付けだ。本当はあの人を、知らない男の隣に座らせたくなかった。

 誠の指が食い込む。


「やめとけ」


 低い声。

 机の下。

 逃げ場のない圧。やめろ。その圧に、現実へ引き戻される。


 わかってる。


 ここで名乗り出たら露骨だ。


 あの土曜の後で。

 あの視線のあとで。

 今、動いたら、全部ばれる。


 それでも。


 止められた事に、腹の奥が冷たくなる。

 俺が行けばよかった。

 俺が隣にいればよかった。

 他の男に、あの人の時間を渡したくない。


 そんな権利はない。

 わかってる。

 わかってるのに。


 想像が止まらない。店の照明。テーブルの距離。「今日はありがとうございました」と頭を下げる姿。その横顔を、俺じゃない誰かが近くで見る。


 嫌だ。


 喉の奥が、ぎり、と鳴る。


「顔に出てるぞ」


 誠の声。

 大樹は笑う。


「何がですか」

「夕飯って聞いた瞬間」


 誠がコーヒーを飲む。


「目、変わった」

「気のせいです」

「嘘つけ」


 誠は小さく笑う。


「お前、そんなわかりやすい奴だったったけか?」


 大樹は肩をすくめる。


「普通ですよ」


 誠は机を指で軽く叩く。


「普通の奴は」


 一拍。


「立ち上がりかけない」


 言葉が返せない。

 誠はちらりと横を見る。


「焦るな」


静かな声。


「雑に動くな」


 それだけ言って、コーヒーを置く。

 オフィスの向こうで笑い声が上がる。いつもの会社の音。


 大樹は視線を落とす。

 奪いたいわけじゃない。

 縛るつもりもない。

 そんなことしたら、あの人は離れる。


 でも。


 俺の見えないところで、笑うな。

 俺の知らない場所で、時間を使うな。

 その考えに、自分で一瞬ひるむ。


 ・・・重い。

 わかってる。

 だから誰にも見せない。

 机の下で、指先が無意識に握り込まれる。

 血が引くほど強く。

 誠が横目で見る。


「ほらな」

「何がです」

「その手」


 大樹は慌てて力を抜く。

 誠は笑う。


「ほんとわかりやすい」

「・・・」


 声も表情もいつも通り。完璧だ。

 誰も気づかないはずだった。


 でも視線だけは、ずっと追っていた。コートを羽織る動き。鞄を持つ手。ドアへ向かう背中。

 行くな。

 行かせたくない。

 せめて、終わったらすぐ連絡しろ。

 誰とどこにいるか教えろ。


 そんな言葉が、喉元までせり上がる。


 飲み込む。

 まだだ。

 今はまだ、壊せない。壊したら、あの人は俺を選ばない。


 だから。


 笑う。

 見送る。

 そして心の奥で、静かに決める。

 ・・・次は、俺が隣にいる。

 誰にも渡さない。

 その決意が、じわりと根を張る。


読んでくださってありがとうございます(*_ _)

ポイントを入れてもらえると、嬉しいです。

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― 新着の感想 ―
 時司 龍さん、こんにちは。 「視線の月曜 ~告白」拝読致しました。  落ち着かない気持ちのままの、彩さん。  いつも通りの自分に戻りたい。  大樹に、見られている。見つめられている。  何度も、何…
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