シーン8:章末・静かな確定 ― ディアナ自身の変化 ―
何も起きていない。
少なくとも、記録上は。
大会は再開され、
笛は予定通りに鳴り、
観測装置は静かに数値を刻んでいる。
リリアは無事だ。
転倒も、被弾もない。
医療班が呼ばれることもない。
だが――
彼女は、もう以前のリリアではなかった。
リリアの視線は、前より低くなった。
射線を追う癖がつき、
一拍、判断を遅らせる。
誰かが言葉にしたわけではない。
制度が変わったわけでもない。
ただ、
「大丈夫かどうかは判断されるが、
守られるかどうかは別だ」
その事実が、
彼女の中に沈んでいる。
安全は、与えられるものではない。
選ばれるものでもない。
たまたま、外れることがある。
それだけだ。
リリアはまだ言語化できていない。
だが、
戻れない地点を越えたことだけは、
身体が理解している。
ディアナは、後方配置のまま動かない。
表情は変わらない。
視線も、呼吸も、平常通りだ。
後悔はない。
選択肢は、あれしかなかった。
沈黙すれば、
次は彼女が壊れる。
説明すれば、
自分が壊れる可能性が生まれる。
どちらを選ぶかは、
ずっと前に決まっていた。
それでも、
ディアナは理解している。
(私は、もう安全ではない)
規定に従っていないわけではない。
誰かを直接救ったわけでもない。
だが、
正しくない側に立った。
世界が管理したがるのは、
行動だ。
世界が最も嫌うのは、
理解だ。
説明は、
助言でも救済でもない。
それは、
世界を知る責任を、
他人に渡す行為だ。
知った者は、
もう同じ場所に立てない。
そして世界は、
それを最も嫌う。
だから、
何も起きていない今この瞬間に、
すでに確定している。
ディアナは、
もう“何もしていない人間”ではない。
世界の側から、
そう判断されたのだから。




