VR時代の夜明けと、僕の鈍った身体
夜の部屋は、いつもより静かだった。
薄暗い空間で、スマホの光だけが男の顔を青白く照らしている。
仕事帰りで疲れきった体をソファに預け、
彼は惰性でYouTubeの動画を漁っていた。
別に観たいものがあるわけじゃない。
ただ、頭を空っぽにして時間を流したかった。
スクロールする指が止まったのは、本当に偶然だった。
「フルダイブVR時代のスタートダッシュ入門」
場違いなくらい未来的で、少し胡散臭いサムネイル。
タイトルも大げさで、いかにも“夢物語”みたいな雰囲気を漂わせている。
もちろん、フルダイブVRなんて現実にはまだ存在しない。
意識ごと仮想世界へダイブする技術は、まだラノベ作品の中にしかない。
今のVRといえば、
コアなプレイヤーが重たいヘッドセットをかぶり、
ゲームやアプリを楽しむ程度のものだ。
「自分が生きてるうちに実現するなんて、
まあ無理だろうな……」
男はそう思っていた。
いや、思い込むようにしていた。
けれど、完全にあきらめていたわけじゃない。
どこかで、心のどこかで、
“いつか本当に来るんじゃないか”と
期待してしまっている自分がいた。
そんな中で出会った、この馬鹿げた動画。
笑えるくらい夢見がちで、
現実味なんてほとんどないはずなのに──
なぜか、男はそのサムネイルから目を離せなかった。
気がつけば、
親指は再生ボタンの上に止まっていた。
その動画は、未来的な光のエフェクトこそ使っていたが、内容はどこか手作り感があった。
投稿者の声も、プロのナレーターというよりは素人に近い。
だが──なぜだろう。
再生ボタンに指が吸い寄せられた。
男は動画を開き、ぼんやり眺めるつもりだった。
ところが、冒頭の数十秒で目が離せなくなった。
「VRでのコントローラーは、あなたの身体そのものです」
なんでもない言葉なのに、胸の奥が少しだけざわついた。
運動不足だ。
分かっている。
昔みたいに軽やかに動けなくなっていることも、よく知っている。
けれど、誰かにそう言葉にされると、なぜか妙に刺さった。
次の章では「武器とは、やりたいことそのもの」と語られていた。
戦いたいわけじゃない。
別にヒーローになりたいわけでもない。
でも、もし本当にフルダイブVRが実現したら──
自分は何をしたいのだろう?
動画を見ながら、そんなことを初めて考えた。
第三章では「最初期は高額な設備になる」という話が出てきた。
二千万、三千万。
笑えるくらい非現実的な金額なのに、
不思議と“ありえない話じゃないのかもしれない”と思えてしまう。
動画そのものは、夢物語だった。
未来への妄想。
どこか厨二じみていて、現実味も薄い。
──けれど。
画面を見つめる男の目には、
ほんのわずかに光が宿っていた。
疲れ切った夜のなかで、
そこにだけ、確かに“未来”があった。
動画が終わると、男はゆっくりと息を吐き、スマホを置いた。
「……悪くないな。こういうのも」
口に出してみると、少しだけ気持ちが軽くなった。
そして、男は思った。
バカげているけれど、どこか懐かしい。
子どもの頃に抱いていた、あの“いつか未来が来る”という期待感を思い出した気がした。
翌朝。
男は珍しく、いつもより早く目を覚ました。
なんとなく身体を伸ばし、軽くストレッチをしてみる。
「……さて、今日は少し歩くか」
昨日見た動画が背中を押していた。
まさか本当にフルダイブVRを目指すわけじゃない。
でも──
少しだけ未来を信じてみるには、
これくらいでいいのかもしれない。
お読みいただきありがとうございました。
ちょっと短いですが、思いついたので投稿してみました。
この短編で主人公が見た動画をYouTubeに用意してみました。
ランキングタグにリンクを張っていますのでよかったらご視聴ください




