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冒険初心者がちょっと湿った初冒険をする話

――これを、登るのか。


 僕は目の前の聖樹を見上げ、その存在に思わずため息を漏らしてしまう。


 昔からここにあるのだろう。

 長い期間をかけ、少しずつ太陽に焼かれたその木は、熟しきった果実のように濃い色合いに染まっている。。

 枝は全く無いくせに、その表面はボコボコと節くれだっており、ともすれば土壁のようにすら見えた。


――あったかい。


 触れてみると、意外な程の柔らかさと、蓄えた熱のせいか――まるで人肌のように心地よささえ感じる温度だった。


 もう一度ため息。


――まあでも、指がかかる分、ツルツルよりはましか。


 僕は覚悟を決め、その複雑な凹凸を持つ幹に手をかけた。





 何とかてっぺんまで登り切る事が出来た。

 人肌近い温度で手汗が出ていたのか、聖樹の幹は妙に滑り易く、何度もヒヤッとする場面があった。


――でも、なんとか辿りつく事が出来た。


 僕が必要としているのは『聖樹の蜜』とも言われる樹液だ。

 幸いにして、それほど探す必要は無かった。


 てっぺんに着いた時から、薄っすらと香る、どこか懐かしさを感じさせる甘い匂い。

 その匂いの強い方へと進めば、どこか柔らかさを増した地面に、何かが滲んだかのような跡が残っていた。


――やっぱり、ここだ。


 地面に触れた指に少し力を込めると、指先が僅かに沈み、甘い芳香をふりまく乳白色の樹液が滲み出てくる。


――これが、聖樹の蜜。


 僕は溢れた蜜を革製の水袋に掬い、それを慎重にアイテムボックスへとしまった。


――これで、ようやく第一歩、か。


 僕は立ち上がり腰を伸ばす。


 目的に一つ近づけたと言う満足感が、僕に自然と故郷の方角を探させた。

 双子丘の北にある窪地のあたりだから、きっとあの辺だ。


――待ってろ、アイツェレ。僕が必ず聖なる卵を持ち帰ってみせる。


 僕は遠く離れた故郷を見詰めながら、決意を新たにした。


 

 僕の滾りを受け止めたアイツェレは、そのしなやかに引き締まったお腹に手をやりながら、どこか寂しさを感じる笑みを浮かべた。


「ごめんね。……ここにはね、命を宿すべき場所があるけど――私のは壊れてるみたいなの。……あなたの――シードの子供、欲しかったんだけどね」


 彼女のその泣き出しそうな微笑みが、僕を旅立たせた。


――聖なる卵だ。


 冒険者の先輩に聞いた話だ。

 潮風のダンジョンには秘密がある。


 正確なタイミングはわからない。

 けれど、25日から38日間の周期で、隠された小部屋に、願いの叶う宝玉――通称、聖なる卵が産み出されると。 


――聖なる卵なら、アイツェレを。僕の大切な恋人の悩みを解決する事ができる。


 名前をつけられない感情が、僕を突き動かしていた。


 本当か嘘かはわからない。

 けれど、聖なる卵を手に入れるには、聖樹の蜜が必要だと聞いた。


 それを手に入れる為に旅立つと告げた時の、アイツェレの喉の窪みが、コクリと動いたのを僕は忘れない。



 無事に蜜を手に入れた僕は、愛しい恋人の笑顔を思い浮かべ、潮風のダンジョンへと向かった。




――うわっ!


 潮風のダンジョンへと向かう道すがら、僕は足を取られた。

 余りにもなだらかな平原が続いていたから、僕は通り道に突如現れた、殆ど穴のような窪地に気付かなかった。


 聖樹の蜜を手に入れ、少し気が抜けていたのかもしれない。

 僕は、その凹みに足を取られてバランスを崩し、次の瞬間には空中を舞っていた。


――し、死ぬかと思った…!


 落下は短くも重かった。

 背中から叩きつけられた地面の柔らかさに、一瞬安堵する――けれど、その直後に襲ってきたのは、ねっとりとした湿気と、鼻をつく土のような臭いだった。


――な、なんだここ……それに、この臭い……


 平原のど真ん中に、不自然に穿たれた窪地。

 まるで、何かがかつてここに棲んでいたかのような――人工的にすら見える、すり鉢状の空間。


 足元から壁の縁に向かって、幾筋もの溝が放射状に走り、それぞれの縁には、黒々とした苔のような物がこびりついている。


 風が通らないせいか、空気が淀んでおり、臭いも強く――湿った耳垢のようなそれに、僕は思わず顔をしかめた。


――けど、なんだろう……


 その臭いは、決して心地よいものではないはずなのに。胸の奥の、遠い記憶を揺さぶるような、妙な懐かしさがあった。


 僕はそっと壁に触れてみた。

 不思議な感触だった。


 しっとりと湿っているようで、表面は土のように固まっている。

 強めに力を入れると、ポロリと崩れる。

 またあの臭いが、ふっと鼻をくすぐる。


――そんな事より、ここから出ないと。


 何故だかアイツェレの顔がふと浮かび、やるべき事を思い出した僕は、妙に脆いその壁に手をかけた。



 なんとか窪地から抜け出し、南下を続ける。


――なんだ、この草


 双子丘から、落っこちてしまった窪地までと、同じくらい歩いた頃だろうか。


 僕の目に映ったのは、葦のような、生命力の強さを感じさせる草の茂みだった。


――先輩冒険者は、そんな事言ってなかったのに


 ギルドで聞いた話では、この先はなだらかに下っており、目印の突起がある以外は、何もないという事だったのに。


――諦めてたまるか


 けれど僕におめおめと帰るという選択肢なんか無い。

 覚悟を決めて、その茂みへと足を踏み入れる。


 びっしりと茂った草は、妙に背が高く、複雑にうねりながら生えているせいで、視界が酷く悪い。

 歩を進めるたびに、身体のあちこちに絡まり、時には抜けた草を引きずりながら歩く羽目になった。


――うわっ!


 気持ち地面が下り始めたと感じた頃、僕は不意に現れた突起に足を取られ、またも転んでしまう。


 相変わらず足の踏み場も無いほどに生い茂った草が、まるでクッションのように受け止めてくれたから、怪我はしないで済んだ。


 目印の突起の先は更に急に下っている筈だから、ここで止まれたのは運が良かったかもしれない。


――けどこれ、身体中、草だらけだな


 僕は倒れ伏したまま、全身を確認する。

 うねった草がそこら中に絡まってしまっており、立ち上がったら大変な事になっていそうだ。


――負けるもんか


 僕の足を引っ掛けた、妙にツルリとした目印の突起には、塩の結晶なのか、白い何かがこびり付いていた。

 何故かぷっくりとそそり立つその突起に、笑われている気がした。


 草のせいで風が通りにくいのか、空気は妙にムアっとしている。どこか香ばしい草の植物臭がする生暖かい空気に、潮の匂いが微かに混ざっている。


――もうすぐだ


 目印の突起のすぐ下が入り口だと聞いている。

 つまり潮風のダンジョンは目の前だ。


 絡まる草に折れそうになる気持ちに活を入れ、先へと急いだ。



 突起の先の、崖のような斜面を下ると、聞いていた通り、ダンジョンの入り口が見えた。


 象牙のような色合いの、巨大な二枚の扉。


――これが、潮風のダンジョン……聞いていたよりちょっと怖いな。情報が古かったのかな


 聞いた話では、以前はピッタリと重なるように閉じていたらしいそれは、少しばかり開いていた。


 開いた隙間からは、キノコの傘のように膨らんだ複雑な形状の、岩肌のような物が顔を出していた。


――ビビってても仕方ない。僕はアイツェレを救うと決めたんだ。


 年月を感じさせるその威容に、僕は背筋を伸ばす。


 覚悟を決め、覗き込むようにして顔を近づければ、ダンジョン特有の生暖かい風が頬を撫でた。


 潮の匂いが交じる湿った匂いに、僕は無意識にゴクリと唾を飲み込んでいた。


 潮風に濡れているのか、僕は妙に滑る扉を必死になってこじ開け、僅かに拡がった隙間に、身体を放り投げるようにして、ダンジョンへと侵入を果たした。




 扉の奥は一本道だった。


――しかし、暗いし狭いな


 けれど決して楽な道では無かった。


 しばらく誰も来ていなかったのか、灯りのような物はなく、道幅は酷く狭い。

 時には中腰にならないと進めないような道さえあった。


――それに、やっぱりちょっと怖いな


 ヒダのように複雑に折り重なった壁は、潮の満ち引きによって湿り、ランタンの光で、まるで生きているかのように浮かび上がっている。


 長いこと侵入者がいなかったせいか、ところどころに、先ほどの突起と同じような、白い塩の結晶のような物がこびり付いていた。


――まるで生きてるみたいだ

――うん?


 ふとダンジョン内を漂っていた、生暖かい空気に、どこか甘酸っぱいような匂いが混じった気がした。


 予感がして脚を止めると、まるで僕の内心を肯定するように、粘液状のそれが、壁から滲み出るようにして現れた。


――これが、ウェットスライム


 侵入者を酸性の身体で包み込む、潮風のダンジョン固有の魔物。


 そいつは、見るからに滑りそうな粘液の跡を残しながら、這うようにしてこちらへ向かってきた。


――負けるものか!


 初めて見る魔物に、震えそうになる脚を抑え付け、僕はウェットスライムに立ち向かった。



 なんとか粘体に対処し、妙に狭くなっているところや、ザラついた突起などを越え、僕はとうとうダンジョンの最奥へと脚を踏み入れた。


――嘘だろ……行き止まり……?


 そこには何も無かった。

 足元に海水と思しき液体が溜まっているのと、ムアっとした空気が漂っているだけ。


――いや。


 薄暗くて気が付かなかったけど、良く見れば正面の、妙に膨らんだ壁の中央に、小さな穴が空いていた。


――ここを、進むのか…?


 人が通れるとは思えない、穴を前に僕は立ち尽くした。


 けれどその時、呆然とする僕の前で、壁に空いた穴から、白みがかった液体が、溢れるように滲み出てきていた。


――まだ、終わっていない


 その液体を見て思い出した。

 アイテムボックスの中にある聖樹の蜜の存在を。


――きっと、使うのは今だ


 聖樹の蜜の効果はわかりやすい。使用者を子供へと回帰させる事だ。


 思い付いてからは早かった。

 僕はアイテムボックスから出した聖樹の蜜を飲み込む。


――甘い


 薄っすら甘さを感じさせるそれは、どこか懐かしい味に感じる。胸の内にあった焦りが安らいだ気がする。

 なるほど子供へと回帰させるとは良く言った物だ。


 子供へ戻った僕は、改めてその狭い穴を見る。


――なんだか行けそうな気がする


 さっきまで窮屈に見えていたそれは、不思議と僕を受け入れてくれそうに見える。

 穴から滲み出る液体が、縁をゆっくりと濡らしていた。


 僕は息を整え、穴の縁に指先を添える。


――温かい

――よしっ行くぞ


その感触を確かめながら、そっと身を滑り込ませた。





 穴を潜り抜けた僕を待っていたのは、それまでより広い空間だった。


 これまでの道よりも温度も湿度も高い。今まで誰も脚を踏み入れていないのか、空気が淀んでいるようで、生臭さが鼻についた。


――暗い、な


 ランタンを持ってこれなかったので、薄暗くて良く見えないが、壁は先程までより赤黒さを増しているように思えた。


――でも、不思議と怖くない


 けれども、温かさを感じさせるその壁は、妙に僕の心を落ち着かせた。


 左手法でぐるりと回ってみた。


 奥に空間がありそうな小道が、入口の穴から見て左右に一つずつあるのを確認出来た。


――きっと、この先に


 僕は殆ど這うようにしてその小道を進む。


 無理な体勢のせいで、全身が痛くなってきた頃、ようやく終点が見えた。


 辿り着いたその先で、僕はそれを見つけた。


 まるで生命を凝縮したかのような宝珠。

 

――間違い無い。これが聖なる卵だ。


 ふと見れば、奥にはまだ育ちきってない聖なる卵の子供たち、というべき塊が見えた。

 一瞬これがあれば、という思いが脳裏を過る。


 けれど――


――これは後から来る者に残しておくべきだよな。


 そう考え、僕は目の前の成熟した聖なる卵だけをアイテムボックスへと慎重にしまい、ゆっくりとこれまで来た道を引き返していった。



 こうして僕の初冒険は幕を閉じた。

 やけに湿った冒険だったけど。



――さあ、アイツェレにどうやってこれを渡そうか。



 帰路の間、僕はずっとプロポーズの言葉を考えていた。

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