8話 団結/信じられる仲間
スタークの身長はスグルよりも頭1つ低い程度。しかし四肢は彼の倍以上だ。左足は2倍、右足は4倍の太さを誇る。アンバランスではあったがスタークは無言のまま安定した走りを始めた。対してスグルはその場を動かず2つの拳を構える。鍛え上げられた皮膚は人造人間のボディを思い切り殴りつけても傷つかない。はずだった。2人の拳同士が打ち付けられると、スグルの指から鈍い音と共に赤い血が飛び散った。
「……ほう」
この程度の痛みではスグルを怯ませる事は叶わない。しかしスタークの行動の方が早く、左足による強烈なキックがスグルの腹部に打ち込まれた。縦回転しながら吹き飛ばされたものの綺麗に足から着地する。未だ余裕の表情を見せる彼の腹部には何重にも重ねられたイノリの糸が巻き付けられていた。キックの瞬間、イノリがこっそりと背後から射出していたものだ。
「助かった、イノリ」
「手と足にもつけるね」
傷を負った右手だけでなく、打撃に使う四肢全てに糸が巻かれていく。だがスタークは先程のパンチを受けても傷1つない。すると挨拶が済んだと判断したのか、スタークは透き通った女性の声で語る。
「争いは止められない……知能のある種族が複数存在する限り、必ずどちらかが略奪を始める」
「何が言いたい?」
「“私達”の体験談だ。お前達もいずれ争い合うことになるだろう」
「イノリとスグルが戦う理由はない」
真っ先に食い気味で反論したのは意外にもイノリだった。相変わらず緩急のない声色ではあるがスグルの隣に立つ事で信頼を表す。対してスグルは会話を楽しみたいようで。
「待てイノリ。“お前達”の意味は自分とイノリの2人、というものではないだろ。種族、いやこの地に住む命全てを指して言っているのかもしれない。それなら合点がいく」
「……スグルが傷つけられるところ、見たくない」
「傷つける側には回らないと信じてくれてるんだな。かなり嬉しい」
スタークから目を逸らさず警戒を続けたまま喋っていた。仲睦まじい様子を見せつけられたスタークは何も発さず再び右手を2人に向ける。と同時にスグルは両手を衝突する事で巻きついていた糸を緩くさせ、絡ませると両手を引き離し細い盾を作り出した。射出された空気はその糸の盾を貫く事はできず勢いを失った。
「これで遠距離攻撃は無駄だと分かったか? さあ殴り合いといこうじゃないか」
「それでも“私達”には勝てない」
妙に引っかかる言い回し。今回は走らずにゆっくりと距離を詰めてきたスタークに対し、2人は立ち止まって待ち構える。
*
スグルの後を追うために歩き出したハリマがすぐさま異変に気がついた。周囲の空気の流れの変化から、何者かが空気を圧縮させ射出させた事を察知。
「マリモ、急ごう」
「え? あぁうん」
人造人間の残骸を調べていたマリモを肩に乗せて走り出した。速度を合わせ共に走るのではなくハリマの全力を出す。ただ事ではないとマリモも認識する。1分と掛からずに辿り着いたその先では、スグルとスタークの接近戦及び後方から支援するイノリの姿があった。ハリマの姿に気がついたスグルは険しい表情を見せる。
「木偶の坊……お前は手を出すな」
糸で強化された打撃はスタークにも通じていた。厚く硬いボディにも傷や凹みが生まれている。ハリマと協力すれば勝利は確実かと思われる状況だったがスグルは歓迎しない。
「一緒に戦いましょう! そうすれば誰も怪我しないで済みますよ!」
「黙れ……! これは自分とイノリで勝たなきゃいけない戦いなんだ!」
聞く耳を持たない彼の動きは段々と鈍く、荒くなっていく。対応したスタークがスグルのパンチを回避した直後。右手による掌底が腹部へと襲いかかった。空気の射出も同時に行われており派手に吹き飛ばされる。予期していない不意の一撃だったため無様に転がってしまった。
「スグルさん!? 僕も戦います!」
スグルを守ろうと前に出たハリマ。マリモも同時に足を動かしスタークの元へ。倒れたスグルの元に急いだのはイノリだけだった。苦しみながら起き上がり地に膝を着く。
「駄目だ……2人で成し遂げなければ意味がない! 一族の皆に、憎むべき奴らはもういないと証明させるためには……他人を殺すような者達ではないと証明させるためには!」
珍しく感情を露わにするスグルからは少しの本音が垣間見える。この発言を聞いたスタークはハリマの体当たりを避けると同時に語った。
「やはり憎悪を向けられているか。生きていればどんな人柄であろうと誰かから憎まれるんだ。小さな悪意が塵となって積もり、蝕んでいき……殺される。私達と同じように」
不可解な言動を真に受けてしまったスグルは歯を食いしばり何も言えなくなってしまう。
「僕は……それでもスグルさんと分かり合いたいです! だから一緒に、戦ってください!」
「くっ……」
ハリマを直視できていなかった。純粋さ故の優しさに近づけず、後ずさりするように顔を背ける。そばに居たイノリは何も言わず隣に座ると背中をさすった。
いくらスタークといえどもハリマの身体に有効打を与える事はできない。そう理解していたスタークは精神的に追い詰めるためにマリモを狙った。迫ってくるハリマの隣で走っていたマリモへと空気を射出する。空気の流れから攻撃を察知していたが2回の発射だった。1発目はハリマが前に出た事により防御したもののそれは陽動。2発目がハリマの足の間を通りマリモの頭部に迫る。
「───間に合ったな」
その声と共に、空気へと矢が直撃した。勢いがかき消されマリモの頭に優しい風が当たるに留まる。声の主は近くの家屋の上に立っていたヨドミ。彼女の手には金属製の弓が握られていた。専用の矢は補充の必要がなく持つ者の意思に従い弓から生成される。すると彼女の背後から細長い棒状の武器を持ったサルダもやってきた。
「どう?」
「矢筒を持ち運ばなくて済む。よさそうだ」
「じゃあ俺もこれを試そうか。“ロッド”ってやつを」
軽い態度を続け飛び降りたサルダはスタークの背後を狙う。挟み撃ちの形となり、更には上からヨドミの射撃が。スグルとイノリがいなくとも勝負が決まりそうなものだ。その事実がスグルを更に追い込む。
「くそっ……」
嫉妬していた。強大な力を持ち、マリモと進んでいくハリマに。一族の掟に縛られず打破しようと行動しているのはスグルも同じだが彼は追い込まれていた。常に前向きで失敗を知らないハリマが眩しすぎた。このままではスグルとイノリの力を証明できない。脳裏には他のエルフの声が響く。
あの蛮族と組むだと? 両親が殺されたのを忘れたのか?
他人の考えに横槍を入れるようで悪いんだけど……やめた方がいいよ
バカじゃねーの!? お前のその考え方以外は好きなんだけどな〜
誰1人協力しようとしなかった。けれども妨害を加えてくる事もなかった。あくまでも本人の意思を尊重する彼らの事をスグルは愛していた。
*
3日前。ハエトリグモ族の集落へと足を運んだスグルは子供達に囲まれていた。薄暗い洞窟の中、見慣れない他種族の大人に対し興味津々。誰なの、おっきぃ、何しに来たの。無垢な子供を適当にあしらう訳にもいかず、しゃがんで目線を合わせてから頭を撫でた。
「いきなり来てすまない。君たちのお母さんはどこに?」
「ここにいますよ」
間を開けず上から声が降りてきた。洞窟の天井を這っていた母親はその場から動かずに対応する。
「なんの用で?」
「単刀直入に言おう。あなた方の一族の中で最も優れた身体能力を持つ者を紹介してほしい。自分は『光』の一員だ。地下の開拓を進めるための人材を探している」
「なるほど……イノリ」
その名が呼ばれた瞬間、集まっていた子供達が無言で離れていく。その中で唯一残っていた少女こそ。イノリだった。彼女は何も発さないままスグルの正面に移動した。いや、発せなかったから行動で示した。生後4日の彼女はまともな言語能力を持ち合わせていない。
「この子は他と比べても段違いの運動能力を持っています。もちろん、私よりも。地下を切り開くためだけにこの命を使ってください」
頷いたイノリが手を伸ばした。迷う事なく繋がれた。
「……ありがとう。開拓のためであればこの子に何をしても構わないと捉えても?」
「ええ。それが未来のためだと思っています」
それからスグルは地下に向かうのではなく、言葉を教える事にした。エルフの村から少し離れた林の中。何も持たず2人きり。発声の練習から始まった勉強ではあったが日が暮れる頃には受け答えができるようになっていた。
「ねえ、スグル」
「なんだ?」
「おしえてくれて、ありがとう。すごく……たのしい」
おぼつかない小さな声。口角の上がらない真顔。しかしスグルの頬に右手を添えて感謝を表していた。スグルは何も言葉を返せず、ただイノリの頭を撫でるだけだった。
*
イノリに与えられた時間は約1年間。ハエトリグモ族が2年以上生きた記録はない。対してスグルは既に80年の時を過ごしている。価値観が違い過ぎると分かっているにもかかわらず、楽しそうにしているイノリの事を大切に思い始めていた。だからこそ2人の力を他のエルフに示したかった。他のエルフよりも能力が優れているから、という単純な理由で『光』に加入したスグルに生まれた、特別な感情。
「なのに……」
立ち上がれない。協力を約束するとハリマに告げた癖に自分の感情を優先し拒否、挙句吹き飛ばされ蚊帳の外。自信を失った、そんなスグルの前にイノリは立っている。
「立って、スグル」
「イノリ……お前は優しいな」
「今のスグルは、自分で自分を傷つけてるように見える」
ここでようやく頭を上げたスグル。イノリはしゃがんで目線を合わせてくれていた。
「言ったでしょ? スグルが傷つけられるところは見たくないって。だから立って。皆と、イノリと一緒に」
小さな手指が差し出される。スグルはゆっくりと手を伸ばし応じた。繋いだ手から熱と脈動を感じ、2人は立ち上がる。
「自分が情けないな。生まれたばかりのお前に心配されて、励まされるなんて」
「年は関係ない。スグルが傷ついてて、イノリはそれを見るのが嫌だっただけ」
「そうか。ならもう少し……頑張るか」
自嘲気味に微笑んだスグルは両手を握りしめると思い切り叫んだ。戦っているハリマ達に届かせるために。
「ハリマ!!」
「え? スグルさん、名前で」
「突き放して悪かった。はっきり言ってお前に嫉妬してたが……倒れてたままじゃイノリに嫌われそうだ。それに、そのスタークって奴の言いなりになるのも嫌だからな。争いが起こらない未来を作るためには種族や年齢、性別なんて差異関係なく力を貸さないといけないだろ」
「……ありがとうございます! 皆で、力を合わせましょう!」