第2話 バケモンにはバケモンをぶつけんだよ!①
6月11日午後4時。
閉め切ったカーテンの隙間から斜陽の漏れるのみの薄暗いマンションの一室にて、ゾンビのように目覚めた俺は起きぬけに味の濃いカップ焼きそばをすすっていた。2リットルのペットボトルの水にそのまま口をつけて水分補給。
そろそろ捨てに行ったほうが良いか。
部屋の端にきれいに積みあがったカップ焼きそばの抜け殻を眺めつつ、そんなことを考える。
俺、配信者火翅ショウの朝はいつもこんな感じだ。まあ配信者なんてみんなこんなもんだろ。知り合いとかあまりいないから知らんけど。
カップ焼きそばを食べ終え、バベルの塔をまた一段高く積み上げると、さっそく俺はPCデスクに向かい仕事に取り掛かる。
配信者とは言ったが雑談やゲーム実況などをメインとしているわけではない。Vでもなければ顔出しもしていない。じゃあお前は何なんだと。
一言で表現するなら、俺は炎上屋だ。
魚屋が魚を売るように、肉屋が肉を売るように、俺は他人の炎上を売って生活している。仕事と言うのもそれに関するものが多くで、大まかにネタ探し、ネタの仕込み、そして配信に分けられる。
とは言え、二か月前――氷室マイが俺のチャンネルにやってきた時――から怪異討伐にかまけてメインコンテンツの更新に手がつかない状態なのが実情だった。それもこれも『あのゲス野郎』のせいだ。
最近は悩みの種がもう一つ増えたのだが。
PCを立ち上げてまずやることと言ったらタレコミの確認だ。炎上屋としてやっていくうえでインターネットの集合知を活用しないのは愚かというもの。朝起きてからPCを立ち上げDMを確認するという一連の流れはもはやルーティンワークとなっていた。
ただ、インターネットの情報なんてほぼゴミだ。集合知なんてのも、言ってしまえばレア排出率0.1パーセントのガチャみたいなもので、それを選別するフィルターがなければ機能しない。それでも俺みたいな配信者がタレコミに頼るのは、自分で探しに行くよりははるかにラクだからだ。今やチャンネル登録者数は80万。初期のころは苦労したものだ。
さて、今日も今日とてポストを開いてみると、おありがたいことに皆々様からたくさんのお便りが届いていた。一通一通心を込めて読み上げていこう。
一通目。
『ショウちゃんコラボしよはぁと』
即ブロック。
二通目。
『ボクが誰だかわかってるんでしょはぁと』
即ブロック。
三通目。
『返信くれなくて寂しいなはぁと』
即ブロック。ブロック、ブロック、はぁとはぁとはぁとブロックブロックブロック……。
……。
これで一週間。我慢の限界だった。多分リアルのポストだったら経血とか入ってる。
「あああああもう死んどけよクソッタレが! マジで何なんだよあいつあいつあいつ! 毎回毎回複垢作って一通一通ご丁寧にラブレター送り付けてきやがって! これじゃ仕事になりゃしねーよ! 無視決め込んでる時点で関わる気がないってなんでわっかんねーかな!?」
もう頭を掻きむしって発狂するしかない。
本日の記録は317件。わあ、最高新記録だあ。くそが! もうスパムbotか組織的な犯行だったというほうが現実的だ。どんな執念だよ。そのモチベーションを別のところに活かしたらどうなんだ。
何を隠そうこの俺火翅ショウさん、今世紀史上最大最悪のネトスト野郎に粘着されていた。おかげで集合知のフィルターが目詰まりを起こしてしまっている。
時に、毒をもって毒を制すという言葉がある。
俺はインターネットでは敬遠される立場の人間だ。それはそうだ。こんな人を炎上させることで金を稼いで飯を食っているクソ野郎にお近づきになりたいはずもない。俺自身も嫌われているほうがちょうどいい。そのほうが後腐れなく燃やすことができる。
しかし例外というものは往々にして存在する。
ネロ=シーザー。氷室と違い、俺みたいなオペレーター役もついていない完全個人にして、単騎最強と名高い怪異ハンター。目下の悩みの種の原因はこいつだった。
ことの発端は一週間前、一匹狼のネロ=シーザー様からコラボ配信の誘いのDMがあった。お察しの通り内容は怪異討伐だ。もちろん丁重に断った。俺は炎上屋であって世界平和にも怪異にも興味はない。むしろ争いが増えたらうれしいまである。しかし、あまりに執拗だったのでやむなくブロックしたところ、こうなった。なんで?
じゃあ炎上屋らしく晒して燃やせばいいじゃないかって? 馬鹿言え。
はっきり言ってこいつはイカれている。何度ブロックしても複垢を作って一日に数百件もDMを送ってくる奴はどう考えても頭がおかしい。
こんな頭のねじが全部ぶっ飛んだような人間に炎上という手段が有効だとでも? 否、断じて否。それに一つ一つのDMが短文で終わっていることから、目的は俺に圧をかけ屈服させることだろう。いちいち反応するほうが愚かというものだ。なにこれ詰んでない?
つまるところ、俺特攻兵器がタックルしてきたわけである。ふざけやがって。氷室も別ベクトルで異常者だし、ハンター界隈にはこんなやつらしかいねーのか。『あのゲス野郎』もこんなのを頼りにしないといけないなんて、ご苦労なものだ。全員火星にでも行ってやってくれ。こちとらただの炎上屋、怪異なんてそもそもキョーミないんだよ。放っといてくれ。
どうしたものかとリクライニングにもたれていると、新規のDMが届く。立て続けに二つ。勘弁してくれ、もうオチはわかってんだよ。
しかし、炎上屋の性か、DMがたまっていくことを不快に思ったのか。諦念に反して俺の手はマウスへとのび、新規のDMをクリックする。ほらね。
『あ、今起きたんだねはぁと』
鳥肌が立った。
『お寝坊は感心しないなあはぁと』
殺意がわいた。
ブロックすると相手に伝わるの、バグだろ。いや、ミュートにしておけばよかったのかー。次からミュートにしよう。
気づいたところで遅かった。一周回って凪の境地に至っていたところに新たなDMが入ってくる。
『ツイート見てはぁと』
見なきゃいいのに、真顔でスマホの別垢でネロ=シーザーのアカウントを確認する。瞬間、ぶちりと頭の中で何かが切れる音がした。
『おねーさんとイイコトしない?』(1分前)
そんな文言とともにエロ垢だかボットだかみてーなTシャツ胸チラ上からアングルの自撮りが投稿されていた。わらわらとキモいおっさんどもが群がっていく。アレだ、こいつは無敵だ。もう手の施しようがない。
よろしい、ならば戦争だ。
登録者200万? 個人勢最強? 知ったことか。ネロ=シーザー、火翅ちゃんねるが叩き潰してやる。
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用語:怪異ネット
怪異の情報に特化したメディアサイト。怪異の発生状況や自治体が出す懸賞金の情報を地図と紐づけてリアルタイムで得ることができる、怪異ハンターやウォッチャーにとって必須のインフラ。ものとしてはヤホーニュースと災害情報アプリが複合したものに近い。過去に発生した怪異のログなども残っており、図鑑のような機能もある。もちろんアプリ版も存在する。
懸賞金は討伐にかかわった者に山分けして支払われる。ただし懸賞金の支払いにはいくつか条件があり、主に次の二つ
1.配信者の活動アカウントと紐づいた怪異ネットアカウントがあること
2.怪異討伐を行う配信のリンクを登録すること
が挙げられる。
また、配信者同士の競合を防ぐため、配信のリンクを登録すると戦闘状況は怪異ネット上で公開される。
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6月11日午後8時23分。
巨大なトレーラー、いや正確にはその形を取った超常が首都高を時速百キロオーバーで爆走中であった。
暫定等級はB。自動車系の怪異はさほど珍しくないものの、道路を自走する制御不可能の質量の塊はそれだけで人間にとって脅威となる。特殊災害において、珍しさと危険度が釣り合わないことを示す好例だ。
そして今回は、場所と車種が最悪だった。
藍の帯が風を切る。
全長20メートル、全高は4メートル。後ろから眺めると普通のトレーラーと見分けがつかない。情報によると、某きかんしゃト〇マスみたいに牽引車のヘッドに顔がついているらしい。
両者の距離は200メートルほどか。氷室マイの姿を取り、私は自らの足で件のトレーラーに接近していく。
走るというより滑るように。
人の理を超越した高速移動は、幻装による身体強化に加え、冷気を操作し空気中の水分を凝結させて生成した薄い水の膜を靴底に張ることによって可能になる芸当だ。これでどんな場所でもスケートリンクになるというわけである。AI制御の撮影ドローンたちも並走するようについてきている。
とはいえ、泣きたくなるくらいには怖かった。ごまかすようにマイクに向かって叫ぶ。
「私、まだ免許持ってない!」
『この状況でそれを気にしていられるのはお前くらいだろうな。怪異ネットを見る限り、他の車は避難してるはずだぜ。事故っても死ぬのはお前一人だから安心しな。……つーかあのトレーラー、一体何が入ってるんだ?』
「何を安心しろって!? 今はあなたの指示通りに動いてるんだから、少しは励ましや労りの言葉があっても良いと思うのだけどッ!」
『そりゃ視聴者が代わりにやってくれてるからな。……ああ、氷室には見えないんだったか。しゃーねえコメント読み上げるか。あ、5000円あざーっす。氷室パイセンがんばれー!おじさんも教習の時は怖かったぞー! だってさ。なんかVの配信みたいでキモイな。ブロックしていい?』
いつか会う日が来たらぶっとばしてやると固く心に誓う。
しかし彼の言う通り、頭上を通り過ぎていく電光掲示板は首都高でのB級特殊災害の発生と、それに伴うこの一部路線の封鎖を知らせていた。
『暫定B級だが注意しろ。作戦はさっき伝えた通り。まずは少しずつ接近し、できれば追い越すところまで行けるとベスト。横付けしてタックルされると危ねーからな。そしたら駆動輪の表面を凍結させて推進力を奪う。完全に静止してからトドメといこう。十五分……いや十分で終わらせるぞ』
「わ、わかったわ」
妙だ。
高速道路でスケートをするのも慣れてきた。少しずつスピードを上げつつ、自分の中に生じた違和感を咀嚼する。
今日の火翅はいつになく真面目だ。改心したのなら喜ばしいことではあるのだが、二か月に渡る経験がそれを完全に否定している。はっきり言って不気味だった。
思えば、さっきもそう。
今日のパトロール配信を提案したのは彼、怪異ネットから首都高暴走トレーラーの案件を取ってきたのも彼。いつもは全部私に任せっきりで雑談しているというのにだ。そしておまけに、戦闘前から文句なしの作戦立案までこなしてくるときた。
そういえば、パトロール場所を変えていたのもおかしい。
絶対に何か企んでいる。もしくは別人だ。そうとしか思えない。
とは言え、特に反論すべき点もないのでひとまずは従うことにする。
『残り110メートル、105メートル……』
「気持ち悪い! 誰よあなた! そういうキャラじゃないでしょう!」
限界だった。
本物のオペレーターみたいに距離を刻んできたところでダメだった。
『ひゃk……なんだよ。俺がまじめに働いていることに文句でもあるってのか。おいお前らまで同じようなことを言うのかよ』
「普段とのギャップが気持ち悪いの! 普段ゴミくずの火翅が見る影もない、今や頼りがいしかないぴかぴかのオペレーターじゃない! 泉の女神さまもびっくりよ! できるなら普段からちゃんとy
『おいおいおいおい待て待て待て待てッ! うそだろなんだありゃあ!? 怪異ってのはあんなもんまでアリなのか!? 馬鹿にすんのも大概にしておけよ! 氷室、ちゃんと前見ろ!』
ハッと視線を前に戻す。
100メートルのラインを切ったその瞬間だった。
「な、な……」
開いた。
直方体のボディーが左右に、まるでリボンを解かれたプレゼントボックスのようにパッカーンと。
中から現れたのは、左右に2対計4門の半球にガトリングを突き刺したようなターレットに、ハチの巣みたいな多連装ロケット砲、おまけに真ん中には怪獣映画にでも出てきそうな原理不明の光学兵器っぽいやつまで搭載されている。もうめちゃくちゃだった。
しかし、それが認知から生じるモノ故か。機械として観察すると要所要所で構造が破綻しており、AI生成イラストのような歪さがある。
サーッと全身から血の気が引いていくのがわかった。
「なによあれ――――――ッッッ!!!」
それでも、動く。
絶叫へのアンサーは弾丸で。
胸のあたりにしまってあるスマホが通知を鳴らす。目の前の脅威がA級特殊災害へと格上げされた瞬間だった。
ぎゅりんと。
車体の左右に展開されたターレット群の射線が一斉にこちらに向いた。視線が合ったかのような緊張が走る。100メートルの距離を保ちつつ、回避の姿勢を取る。火翅による介入か、撮影ドローンが散開した。
『来るぞ! 気をつけろ!』
そして放たれる。
ズガガガガガガガガガガガガガガッッッ!!! と。
空間そのものを掘削するような轟音が響き渡った。
まるで走る要塞だ。
100メートルの距離があってもぎりぎりだった。単純に弾数が多いし、何より狙いは正確だがブレがひどい。射線を見切るだけでは足りなかった。
回避できないとは一言も言っていないけれど。
頬を掠める弾も、脇の間を抜けていく弾も。
左右に蛇行しつつ、時には射線を潜り抜け、時には身を翻し、舞を踊るように紙一重で死線をかいくぐる。
アスファルトに刻み込まれていく弾痕を見るに、いくら幻装が丈夫だと言え一発でも貰ったら無事ではすまないだろうが、当たらなければなんてことはない。
ただ、このままではジリ貧だった。現状維持が精いっぱいで攻めに転じるビジョンが見えない。
あのモンスターは後方への攻撃と自走能力に長けている。障害物のない高速道路でむやみにアレに追いつこうというのは自殺行為に等しい。無理を通して近づけたとしても50メートルが限界だ。その先は時速100キロを維持したままだと、弾丸を見切ることはできても物理的に回避が間に合わないと思う。
それに加え私は遠距離への攻撃手段に乏しい。まったくできないこともないが、刀や氷柱を投げつけるくらいだ。当てるにももっと近づきたいし、もしその状況まで持って行けたとしてもあのトレーラーを倒しきれるとは到底考えられない。
状況と相性が悪すぎる。
「火翅! どうしたらいい!」
『そもそもA級まで来るともう俺たちの手に負える代物じゃないと思うが』
「それでも何とかしなくちゃならないでしょう。早々に諦めてどうするの!」
回線の向こうで息をつくのが聞こえた。
『あれだけ乱射しているんだ。どこかで止まるタイミングがあるはずだ。リロードとか弾切れとか、ワンチャンジャムったりとかな。そのタイミングで近づきつつ、様子を見るしかないだろう』
「……そうね」
『奇想天外な策が出てくるとでも期待したか? 残念だったな。悪いが俺は不思議なぽっけではないもんでな。叩いても良い案が出るとは限らねーぞ。こういうのって複数人で相手するもんなんだろ』
そうだ。火翅は悪くない。
彼は普段怠けていることは多いが、いざというときにはちゃんと結果を出す人間だ。私もそこだけは評価している。そこだけは。
歯がゆかった。火翅に頼ることしかできない自分が。あの時仲間を置いて事務所を出て、一人でやっていくと息巻いて、結局一人では何もできない自分が。
普通じゃダメだった。
ネロ・シーザー、単騎最強と言わしめるあのハンターなら、この状況を打破するのだろうか。
「わかってるわよ……」
フラストレーションに思わず悪態が漏れる。誰かに憧れたって何にもならない。
その時、火翅の言う通り、ターレットの掃射が止まった。リロードに入ったのか。
走りださない理由はなかった。
『おいちょっと待……チッ、仕方ない』
重心を落として地面を蹴りだし、一気に加速した。火翅の操作で撮影ドローンも合わせてついてくる。
しかし、黒光りするハチの巣のような砲台がこちらを向いていた。どう考えてもその兵装の適性距離じゃないだろう。しかし怪異にそんなツッコミは通じない。
誘われていたのか、リロードの隙を打ち消すためかは定かではない。
だけど、私は心底ほっとしていた。
腹を殴るような鈍い発射音が連続し、十数発の小型ミサイルが殺到する。もちろん弾頭は爆発性だろう。いくら幻装の補助があるとはいえ、個人を圧殺するには十分すぎる戦力だ。
眼前に、白煙と閃光をまき散らしながら死が迫る。
遮音壁の隔てた向こうには、いまだに光の灯るビルが立ち並ぶ。夜の暗闇を煌々と照らすそれは私に守るべきものを再認識させてくれる。
だから、心底ほっとした。私を狙ってくれて。
「吹雪ノ舞ッ!」
叫ぶが同時、両手で柄を握りしめ、地面を蹴る。斜め上へと、自らミサイルの群れへと身を晒す形で飛び出した。刀身が絶対零度の輝きを放つ。
眼前、もはや目と鼻の先までそれが迫る。起爆寸前だろう。しかし関係ない。
私を狙う攻撃なら、見切れる。
まずは一つ。
身を翻し、すれ違いざまに切り落とす。音もなかった。分断されたミサイルは瞬時に凍り付き、その意味を失って墜落する。
あとは流れる水のように。極寒の刃は螺旋を描き、残りすべてのミサイルを輪切りにした――
「どう!? 私もけっこうやるでしょう!」
――はずだった。
ヘッドセットから慌てたような声が響く。
『チッ、クソッ! やられた! 後ろだ!』
それは火翅の注意を聞き届けるより先に訪れる。
「ッ!」
巨大なハンマーで殴られたようだった。背後から爆音が響き、思わぬ衝撃にアスファルトへと叩きつけられる。すぐさま受け身を取ってリカバリー。時速100キロとは言え、路面を凍結させてしまえば人間おろしになることはない。
どうやら一機見逃していたらしい。なんで? と考える暇はなかった。たった一つのミス。だけど、そこから生じた一瞬の隙を見逃してくれる相手ではないようだ。
『スマンミスった! 下がって仕切りなおせ!』
そんな言葉は耳に入らなかった。
再び弾丸の嵐が吹き荒れる。受け身を取っていたことで身体の反応が遅れ、刀で弾くという選択を余儀なくされる。
隙を見て転がるように脱するも、次はミサイルだった。景気が良いことに増量して20発。うち漏らしは3発に増えた。致命傷は避けたが、軽い脳震盪で視界が揺れる。
次は、次は、その次は?
リカバリーに次ぐリカバリー。歯車の狂いは累積し、しわ寄せ、いつの間にか負債は膨れ上がり、やがてそのツケを払うときがやってくる。
それでも、誰かが矢面に立たなければならない。
『おい、いったん距離取れ! 死にたいのか!?』
「……だけどッ、私が抑えるしかないじゃない」
戦場のそばは市街地だ。
ここで下がったらどうなる?
私は頭の中で嫌なビジョンが膨れ上がっていくのを止められなかった。
一瞬でもアレに隙を与えて、ミサイルの一発がマンションやビルに突き刺さったら? その人たちの生活はどうなる。
怪異と戦うということは、そういう責任を自ら背負うということだと思う。面白半分で手を出して、ダメだったから逃げますなんて言われて、そこで普通に生きて暮らしていた人は納得するのか? 何より私はそんな人間にはなりたくない。
結局のところ、これは意地の問題なのだ。
だったら、死んでも食らいつくしかない。
ジジ、と。切れかけの豆電球のように空気がひりつく感覚があった。
極光だ。視界の奥、トレーラーの荷台の中央に鎮座するアンテナのようにも見える部位が青白く輝いていた。まるで某怪獣映画の主人公が熱線を吐き出す直前の予備動作。プラズマ、熱線、それとも放射線? 何が飛び出すかわかったものじゃなかった。
だけど、どうにかするしかない。イチかバチかだ。柄を握る手にギュッと力を込める。閃光を睨みつけ、そして――
ガスッと後頭部に鈍い衝撃が走った。思わず気の抜けたような声が漏れる。
「あうっ」
見ると、マニュアル操作に切り替えられた撮影ドローンだった。
『落ち着けバカ』
『あいつはおそらく周囲には攻撃しない。追跡者を排除するようにできている。なぜなら前方への攻撃手段が乏しいのに対して、不自然なまでに後方への圧かけに特化しているからだ。そうだな、100メートルライン当たりが境界なんじゃないか?』
……。
これは私ではなく彼の視聴者に向けた言葉だ。火翅の意図は理解したが、逡巡する。これで怪異の性質が書き換わったのか確かめるすべはない。良いのだろうか、ゆだねてしまっても。
『良いぜ。少し頭冷やせ』
私の心でも読んでいるかのような物言いにふっと息が漏れる。少し安心している自分に腹が立ってきた。
でも、彼が良いと言うのならそれに従おう。力を抜いて減速し、120メートルラインまで後退。すると、あのモンスターは今までの暴れっぷりが嘘のように、元のトレーラーの形へ収まっていた。青白い発光もない。
「ごめんなさい。少し意地になっていたわ」
『……少し? 本当に?』
「はあ、盛・大・にの間違いだったわ」
『お、おう……』
意地になっていた。それは認めざるをえない。少しバツが悪くて、撮影ドローンから顔をそらしてしまう。
『ま、視野狭窄ってやつだな。どうせ氷室のことだから一人でどうにかしようとか考えてたんだろ。カーッ若いねー。19だっけ、そんな歳にもなってまだ思春期してんのかよ』
「火翅のくせに生意気ね。こっちはいろいろあるのよ……」
『万年思春期のお子様には言われたかないな。それよか良い報告と悪い報告がある。どっちから聞きたい? ……いやーコレ言ってみたかったんだよなー!』
「ふ、どっちがお子様なのかしら。では、悪い報告から」
『オーケーそっちのタイプね』
どっちのタイプよ。というか、私は火翅の年齢すらよく知らない。声や普段の言動を見ている限り、私より子供な気がするのだけれど、実際どうなのだろう。
『まず悪い知らせだが、ドローンが1機撃墜された。残り2機。ここまで来ちまったらもう補充はできない。残機が減ったと考えろ』
いつになく真面目なトーンに生唾を飲む。撮影ドローンとは、いわば怪異ハンターの生命線だった。それが撃墜されたという事実は重い。火翅の言う通り、本当に本当のゲームオーバーまで一歩近づいたということだ。
これは幻装の性質にかかわる問題だ。
人はチャームという変身アイテムを用いて幻装を展開することでキャラクターを着こなし、怪異に対抗する力を得る。変身によって得られる恩恵は、身体強化に武具の具現化、そして認識阻害。はっきり言って万能だ。今頃軍事転用されていなければおかしいだろう。だけどそうならないのには理由がある。
幻装の展開には重大な条件が存在するのだ。それは、『そのキャラを知る複数の人間に観測されていること』だ。配信が継続できなければ変身は強制的に解除されてしまう。
つまりだ。
この高速戦闘中にすべてのドローンが撃墜されることは、すなわち死を意味していた。
『最初にお前がうち漏らしたミサイルあっただろ? ドローンがタゲもらっちまってたみたいだ。ちょっと操作ミスってな。お前が危なくなったのは半分俺の責任だ。スマン。ちなみにもう半分はお前な』
火翅が止めなければ、今頃私は赤黒い道路の染みになっていたかもしれない。その事実を深く胸に刻む。
「いえ、私が後先考えず飛び出してしまったのがすべての原因よ。頭に血が上りすぎていたわ。ごめんなさい……それで、良い知らせというのは?」
道路の先で走行する憎たらしいトレーラーを見やる。うまく擬態しているように見えるが、そういえば前に某きかんしゃのような顔があったのかしら。それ以外はいたって普通のトレーラーに見える。
『ヤツを倒す方法を思いついた。今までの戦いは無駄じゃないぜ』
ここまで読んでいただきありがとうございます!
読んで後悔しない面白さをお届けできるよう頑張らせていただく所存ですのでよろしくお願いします!
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