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序章 もったいないおばけ(XL)

 悲鳴、怒号、そしてけたたましいサイレンの音が夜の渋谷を覆いつくしていた。アニメや映画の中じゃあこんな光景はさもありなん。しかし、この地獄は紛れもない現実だった。


 だとすれば、それは地獄に咲く花だろうか。

 結わえた青銀の髪をたなびかせ、風を切りながら人垣を飛び越えていく。白い着物の袖をはためかせるその様はまるで白鳥のよう。身体の要所にあしらわれた現代的なプロテクターと、右手に携える彼女の背丈ほどのサイズのブレードがその異質さを際立たせる。

 誰が見ても明らかだ。その花は造花だった。しかし、あまりにも精巧に作られた造花は、それゆえに誰も虚構であることを気に留めない。


 そして降り立つ。


『えーこほん……火翅ちゃんねるの配信をご覧の皆さん、こんばんは。ハンターの氷室マイです。ただいま現場に到着しました。これよりもったいないお化けの討伐に移ります』


「なあ、お前、リポーターにでもなりたいのか? やっぱ配信下手だろ」


 モニターの向こう、綺麗な水色の目をぱちくりさせながら、わざわざご丁寧に撮影ドローンのカメラをのぞき込む氷室に、俺は思わずそう突っ込んだ。



《デッッッッッッk》

《ちょっと待ってこれ本当にもったいないお化け?》

《東京はもったいないお化けも大きいの?》


 配信のチャット欄がざわついているが、無理もない。

 もったいないお化け。夜の飲食店やコンビニに発生する代表的なC等級怪異の一種だが……被害といえばごみを荒らすカラスのようなもので、生ごみや廃棄食品を食い漁って成長するだけのありふれた怪異だ。

 そう、成長するのだ……。


『モッ…イ……、モッダイナイ……!』


 怨嗟にも似た唸り声をあげながら、やつは夜の街を進撃していた。

 ここは渋谷の繁華街。コンビニも飲食店もすべてが十二分にそろっている。もったいないお化けにとっては、さながらビュッフェのように見えただろう。

 今やあいつは幸せ太りでトラックほどの大きさにまで肥大化している。その姿はまるで生ごみでできたキングスライム、200万の値札がかかった賞金首だ。

 まあ、この成長具合はそれだけではないだろうが。


「6月10日、今日の昼、渋谷で環境デモ……か。なるほどな。この情報は伏せかなー」


 ヘッドセットから怒鳴り声が響く。

 配信画面、撮影ドローンからの映像。顔を蒼くして交差点の角から飛び出す氷室の姿が映る。後ろからはやつがのそりのそりと迫ってきている。

 ビビッて後退してきたらしい。


火翅(かばね)! 一体どうなってるのよ、もったいないお化けがこんなに大きくなるなんて私聞いてない! ていうか臭いし……うわ、これ変な汁とか出てこないでしょうね』


「知るかよ、食い意地が強いんじゃねーの? さて、ツイートするか。氷室が渋谷に出現した超巨大もったいないお化けとの戦闘を開始したぜ、っと。配信のリンクも貼って、ついでに切り抜き映像も載せとくか」


『って何これ、もったいないお化けの飛び道具とか本当に聞いてない! ねえ、ちょっと! こんの薄情者!!!』


 そんなことを言いつつも、手持ちの刀剣で的確に攻撃を弾いているのだからさすがだ。

 ツイートついでに、俺はチャット欄に目をやった。


《クズ過ぎワロタ》

《火翅は戦わないんですか?(定期)》

《っていうかもったいないお化けって何ですか?》


「もったいないお化けって何ですか、と。その名の通りだよ。日本人のもったいない精神から生まれた怪異だな。お前らもさ、魚の骨を捨てる時、思うだろ? まだ少し身があるのもったいないなーって。でも捨てちゃうんだよ。そういう小さな罪悪感の積み重ねがあの暴食の王を生んじまったというわけさ」


《あー確かにわかるかも》

《じゃあこいつの親ワイかもしれん》

《↑認知してあげて》


『ねえ!!!』


 ガカカカカカカカカ――ッッッ!!! と。

 ヘッドセットから剣撃の音が連続する。


 さすがの暴食の王といえどもプラスチックは消化できないようで、やつの通った後にはタッパーやら弁当箱やらが散乱していた。やつはそれらを亜音速で吐き出して攻撃手段へと転化している。まるでポ〇モンの種マシンガンだ。

 それでも氷室は傷一つない。マシンガンのように迫るプラスチック片をすべて叩き落している。おっかないのはどっちだろう。

 チャット欄の皆々様もドン引きであった。


《氷室パイセンさすがっす》

《恐ろしく速い……あれはなにを発射しているの?そして氷室パイセンはなんであれと切り結んでいられるの?》


 とはいえ、このままだとちときつそうか。両者の距離は10メートルほど。あと一歩詰め切れない間合いだった。さすがの氷室にも疲労の色が見えてきている。肉体的と言うより、精神的にだろうが。


「おい、いつもみたいにずばっとやっちゃえよ」


『見てわからない!? 受けきるので精一杯!』


「どーだか。まあ俺の見立てだともうちょいで弾切れじゃねーかな? その瞬間を狙ってみろ」


『やってみる!』


 素直なやつである。


 案の定、しばらくするとプラスチックの弾丸の嵐がぴたりと止んだ。無論、その一瞬の隙を逃す氷室ではない。大きく踏み込んで、その巨体の懐へと弾丸のように飛び込んでいく。

 彼女の刀身が青白いオーラをまとう。

 生き残った電飾に照らされて、周囲の空間が煌めいた。見る者が見ればそれがダイアモンドダストであることがわかるだろう。空気中の水分が圧倒的な冷気によって結晶化しているのだ。

 それこそが『氷室マイ』という幻装(キャラクター)の力。

 再び地面を蹴り、肉薄する。


《おお!》

《やったれ氷室パイセン!》


 決着に沸くチャット欄。ツイートの影響で同接も伸びに伸びて3万人だ。

 しかし、好機には罠が潜むもの。

 3カメ、上空からの映像に小さな動きを感じた俺はとっさに叫ぶ。


「氷室、右だ!」


 死角、そして氷室ともったいないお化けの位置取りからすればありえない方向からの奇襲だった。俺の注意もむなしく、彼女はビルの壁面へと勢いよく叩きつけられる。

 画面の中で粉塵が舞った。あまりの轟音にヘッドセットが悲鳴を上げる。


《!?》

《パイセン吹っ飛んだ!?》

《ピンチじゃねこれ》


 それは粘質な触手だった。やつは地下の排水設備を伝って、体の一部を伸ばし、道路わきの排水口からの奇襲のチャンスを伺っていたのだ。

 だがこれは本命じゃない。

 氷室の着弾点へと向かって、さらに太く質量のある、本体からの触手が飛ぶ。

 再びの轟音とともに、ビルが揺れる。避難は終わっているようで、中から人が出てくる気配はない。


「おーい、一応聞くけど無事か?」


 俺の言葉に先回りするようにドローンが氷室に近づいていく。粉塵が晴れると、直径50センチはあるだろう触手と競り合っていた。


『……平気っ。油断したわ。もろに食らったら危なかった。5G様様、ねっ!』


 そう言って触手を払いのける。俺が奇襲に気付いたその一瞬で、身体を強引に捻って受け止めていたらしい。うーんすばらしい反射神経だ。


「氷室、一人で攻略するのが難しそうだったら一度撤退して応援を待ってもいいんじゃねーの?」


 懸賞金は惜しいが、俺とてビジネスパートナーの命を使いつぶして炎上するほど愚かではない。そこらへんの線引きはちゃんとしている。だからこれは、合理的な自己保身に基づく提案だ。いや、アリバイ作りといったほうが正確か。

 まあ、答えはわかっているのだが。


『ダメよ。応援が来るまで30分。その間にこの怪異はもっと成長するでしょうね。そうしたら応援があっても手遅れかもしれない。応援を呼ぶにせよ、撤退はなしよ。動きを止めてこれ以上の成長を阻止するわ』


「そうかい。まあわかってたけどな。聞いただけだよ」


《でた氷室節》

《さすがヒーロー》


 ヒーローか。同意せざるを得ないな。面倒だ。本当に面倒。

 だけど言質は取ったし、少し手伝ってやるくらいならまあ、良いか。


「しゃーねえ。こうなったらとことんやるぞ。撤退はなしだ。応援要請もなし。俺ら二人でぶっ殺すぞ。わかったらお前らも伝書鳩するなよ。この配信だけ見とけ。あ、拡散はよろしく」



 もったいないお化けの巨体から大小無数の触手が生えてくる。蛇が獲物を前にして鎌首をもたげるような予備動作。


「くるぞ」


『わかってる』


 言い終えるや否や、まるで砲弾の雨のように、複数の触手が氷室に向かって殺到する。中には排水口からの不意打ちも混ざっていた。あらゆる方向からの飽和攻撃が始まった。

 対して、氷室は剣を構えることさえしなかった。

 まるで縄跳びのように、最小限のステップで攻撃をいなしていく。彼女の衣装も相まって、それはまるである種の舞のようにも見えただろう。


《う、嘘だろ……?》

《ナニコレ》

《バケモンやん》


『余裕ができたわ。火翅がああ言ったからには策があるんでしょ。どうしたらいい?』


 こればっかりはチャット欄に同意せざるを得ない。こいつは一体何になろうとしているんだ……? あとで切り抜いて動画化しておこう。とはいえ今は事態の収拾を急がねばならない。

 一度マイクをミュートモードにして氷室にだけ聞こえるように話しかける。


「氷室、質問だ。そいつは『必殺技』でどうにかできそうか?」


『おそらく無理ね。競り合った時に試したけれど、通りが悪かったわ』


「じゃあ、こいつの水分含有率が上がったらどうだ?」


『……倒せると思う。けれどどうやって?』


 ここでミュートを戻す。


「そいつ誘導できそう?」


『たぶんできると思う。けれど、どこまで?』


「さっき良いもの見つけてな。消火栓だ。そこから道路をまっすぐ行ったところにある。そこまで誘導して破壊しろ」


『任せて』


 そう言うと、彼女は刀を構え、触手を何本かぶった切る。怒らせて誘導するつもりらしい。


《消火栓?水で何かするの?》

《洗い流してもどうにもならなくない?》

《なるほど、でも水かけたくらいで効くのか?》

《てかなんで炎上屋が怪異と戦ってんの?》


 コメントを見るとやはり新規が多い。ミュートにしておいて正解だ。必殺技というのは事前知識がなければないほど刺さるものだ。

 俺は唇をなめた。

 幻想を幻想で塗り替える時間がやってきた。


「お前らバカか? 洗い流すとか水かけるとか言ってるやつがいるが、そんなんであの化け物が倒せるわけねーだろ」


 怪異を生み出すのは、怨念でも、罪悪感でも、死者でもない。

 もったいないお化けがここまで肥大化した理由は最初から分かっていた。昼間の環境デモ。渋谷で行われたというからにはそれなりの人数が集まったのではないか。


 人の認知が怪異を生む。


 俺が経験則的にたどり着いたこの世界のルールであり、口にしてはならない禁忌の一つ。

 大方、デモで束ねられた活動家の認知がもったいないお化けの性質に何らかの変化を与えたのだろう。


 であれば、俺が行うのはその逆。

 人の認知を改変し、怪異をハックしてやればいい。

 俺は氷室の様子ではなく、チャット欄を注視する。登録者5割、新規4割、残りがキッズと荒らしといったところか。だけど、同接は5万超え――普段の10倍以上に膨れ上がっている。観客のほとんどが物言わぬ浮動層なのだ。

 誘導するのは難しくない。


「もったいないお化けがどういう怪異なのかもう一度よく考えてみろよ。察しの良い俺の視聴者なら、これだけでもわかるかもしれねえな」


《どういうこと?》

《ごめんなさい、わかりません》


「お前らが小学生のころのことを思い出してみろよ。友達と遊んで、外から帰ってきて、お母さんに言われて手を洗った」


《結局何が言いたいの?》

《あ、なるほど、確かに!》

《え、わからん》


「で、そのあと水を出しっぱなしにしちゃったと。そうしたらお前らのお母さんはなんて言ったよ! ここまで言えば分かんだろ? ほら、言ってみろ!」


《あ、そうか! もったいない!》

《もったいないって言ってた!》

《もったいないお化け!》


 こういうのは自分で気づかせるのが重要だ。

 そして、時はきた。


『火翅! 連れてきたわ!』


「よーし、ぶっ壊せ!」


 消火栓の開け方なんか知らない。また誰か直すだろう。

 氷室の刃がうなり、アスファルトをえぐり取る。破砕音とともに瓦礫が舞い、破壊された消火栓から噴水のように水が解き放たれた。


「水の出しっぱなしはもったいねーってな!」


 怪異という幻想のルールが変わる。


 極上の餌を得たとばかりだった。

 氷室を狙っていたもったいないお化けは操られたかのように挙動を変え、アスファルトの裂け目から間欠泉のごとく噴き出る水に飛びついた。その巨体の水分の含有率がみるみる上昇する。

 これで俺の仕事は終わりだ。


「氷室、あとはやっちまえ」


『ええ』


 空間に氷の微粒子が形成され、淡く煌めいた。周囲のアスファルトの路面に真っ白な霜が降り、局所的な異世界が顕現する。

 氷室の身体から青白いオーラが吹き荒れ、刀身へと集約した。

 構え、そして蹴りだす。


《勝ったな》

《ああ》

《↑ネ〇フに帰って》


 すれ違いざまの一刀。

 液体窒素すら生ぬるい。

 横なぎに振るわれた白く優美な斬撃は、確かにその怪異の芯をとらえた。トラックほどあった巨体は根元から音を立てて内側から凍り付き、巨大な樹氷へと変貌する。

 彼女は口にする。

 物理法則を超越した剣技の名を。


『氷華』


 必殺技は認知へと大きく作用する。怪異は倒された、その事実を人の認知へと叩き込む、いわば現代風のおまじないだ。

 直後に、散る。

 根元から触手の一本に至るまで、瞬く間に崩れ去り、白い花吹雪となって夜に溶けていく。

 渋谷を地獄へと変容させていた歪んだ幻想はここで一つの終焉を迎えた。


 氷室マイ、必殺技名は後から言う派である。

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