族長の俺、幼エルフとエルフの森の面倒な問題について
さて、ここは剣と魔法の世界、ドラゴンが飛び回り、魔法使いが朝と夜を入れ替え、物理法則に反した摩訶不思議な植物が多種多様に存在する。
「貴様らエルフなんぞ信用したのが間違いだったのだ!!」
「なんだと貴様!言葉を慎め!」
俺は地球からの転生者、目が覚めたらエルフの子供だった。前世では男だったが、今世では女である。転生直後はまともに鏡も見れなかった。なんか罪悪感があったし。
「我らの一員が死んでいるのだぞ!?それも矢に貫かれて!!お前らでなくてなんだというのだ!」
「森で起きた事件は全て我らの仕業だとでも!?弓も扱えん短命種は物の道理を知らんと見えるなぁ!」
俺は族長の娘だった。パパは族長、ママは美人なエルフ。そんな家庭の一人娘が俺である。名前はクララ。
「話にならん!そもそも貴様ら蛮族の協力など必要が無いのだ!飢えて死ね!」
「グッ……!き、貴様ぁ〜!」
「がははは!どうした?腹が減って言葉も出んかぁ?ドギミラよ!良い様だなぁ!」
色々あって両親が死んで、俺は今族長代理としてエルフの森で働いている。
「……ぶっ殺してやる!!!死ねえ!」
「ううおおおおお!?!?!?ほ、本気で撃ってくるとは正気か!?」
「フラモン様!貴様、フラモン様に何をするか!?」
だが、何というか……正直、自分には荷が重い。挫けそうだ。
そう思いながら溜め息を吐く、兎にも角にも、このまま戦争が始まるのは困る。一度仕切り直しだ。
***
「何故止めたのです!!クララ様!!」
「当たり前でしょ、私戦争はやだよ」
机をバンと叩きながら怒号を浴びせているのはドギミラ、エルフの副族長だ。
「戦争!上等でしょう!このまま誇りなく搾取されるくらいならば戦うべきです!」
「あのね、それを決めるのは私だよ、ドギミラが決める事じゃない」
「……ええ、ですから撃たなかったでしょう?」
射ってただろ、矢を放ってしまったのだから撃ってないもクソもないだろ馬鹿が。
という言葉を飲み込む。少し彼と付き合えば分かるが、彼は嘘を言っているつもりはないのだ、撃ってないというのは本当のつもりで、彼にとってあれは撃っているに入らないだけだ。ただ矢を放っただけ、エルフはあんなの回避するのも容易いし、当たっても大したことにはならないからノーカウント。
「私は矢を放つな、と言ったんだ、あれが当たっていたら人が死んでたよ?」
「一度当てたことがありますが死にませんでしたぞ?」
「……聞いてない」
側にいるミィムを見る。ミィムはエルフの村の厄介事は大体把握している、まあ殆ど面白がって見物して、止める事はしないが。
「言ってないからね、確か二ヶ月前だったよ、練習中にフラモンの足にうっかり当てちゃったらしいんだよねぇ、許してあげて、彼も許してくれたし」
「いや、許す許さない以前に私に伝えないで黙ってるのは良くないよね?」
それにしてもフラモン……当たっても無事だったのか、あいつ強いんだなぁ。
まあエルフの森の使節団なんてそれぐらいじゃないと出来ないのだろうか?
「……念の為確認なんだけど、被害者の彼……ルート君を殺したのが誰かは本当に分からないんだよね?」
事の発端は一年前、未曾有の大水害による作物のほぼ全滅、それに伴う食糧の減少が原因だ。
「分かりませんな、検討も付きません」
「知らない、どうでも良い」
エルフの森は食料が豊富だったが、それら全てが水に流されてしまった。非常食を保管しておいたから当面はそれで問題は無かったが、いつまでもは持たない。
だから人に頼った、使節団を招き入れ、エルフは秘匿していた魔術、秘術の類を開示して、代わりに食料を供給してもらう契約をかわしていた。
それが一年続き、今度はまた別の対価を払い、再び契約を結ぼうとした……その矢先の出来事だ。
使節団の一員、新人騎士のルート・アグレッヒが殺された。死体は族長の家の側にあり、まるで族長の家から逃げようとしているかのように家に背を向けて倒れ伏していた。
全身に夥しい数の矢が刺さっていて、恐らく最初に足を撃ち抜かれ、その後長く生きるように、長く苦しむように、じっくりと殺したのだろう。ルート君の絶望の表情からはそう読み取れた。
当然現場は大混乱。平和な話し合いの筈が死人が出て、しかもそれはどうやらエルフに殺されたようだ。極めて残虐な、拷問紛いの殺し方で、死体を隠そうともしない。
事態の究明が早急に求められた。調査の結果、凶器の矢はエルフの森が所有している物で間違いなかった。死体の場所といい、凶器といい、エルフはかなり疑われていた。
貴族の使節団は総勢300名ほど。その内貴族が5名、その内の一人、フラモンを除いた貴族は野営地に籠り、決して顔を出そうとはしない。
まあ当然である、安全でないかもしれない場所に貴族がのこのこ出て来れるわけがない。ただでさえエルフは強いのに、アウェイの環境に出ようとする筈がない。フラモンは例外だ。
だから、エルフの森が人の国と契約を結ぶには、事件の犯人を探す必要がある、フラモンはエルフに好意的だが、流石に他の貴族を無視して勝手に契約を結ぶ事はできないだろう。
「……ミィム、本当に殺してないんだよね?」
「しつこいなぁ、やってない、今度は本当だよ」
ミィムは今年15歳のハーフエルフだ、見た目も15歳前後。
エルフ達の間でも特異な力を有し、人一倍賢く、倫理観は人マイナス5倍ぐらいに無い。あと嘘つき。
俺は最初にこの事件を聞いた時、真っ先にミィムを疑ったし、今でも疑っている。というか確信している。
「今は僕が犯人かどうかなんてどうでもいいでしょ?それよりどうするの?全員殺そうか?クララが望むならやるけど」
「無い、殺す事だけは絶対に許さないし、望まない」
「チッ」
舌打ちやめろ。
「ミィム、頼みたい事がある、大丈夫かな?」
「……さあね、どうだろう?僕は忙しくってさ、悪いけど断らせてもらうよ」
「ルート君の死亡時刻は一昨日の夜だろう?その晩に外を出歩いている人が居ないかもう一度探してきてくれ。エルフだけじゃない、人間も含む。詳しい話を聞きたい」
ミィムが明らかに面倒くさそうな顔をする。
「それさぁ、どうしても必要な事?そりゃ僕だって協力するのはやぶさかじゃないけど、無意味な事はしたくないんだよねぇ」
無意味な事をしたくない、というのは完全に同意だ、だから今のこの状況も嫌い。
「どうしてもだよ、お願いミィム」
「……ま、そうだね、そんなに言うなら……仕方ないか」
ミィムが納得した……ふりをしている、今ので確定した、ルートを殺したのはミィムだ、ほとんど確信していたとはいえ、やはりショックだ。
ミィムは極度のめんどくさがりだ、自分が無駄だと思ったことは絶対にやらない、今回の調査もミィム視点では完全に無駄なことのはずだ。
事前に聞き取り調査などはエルフ側では済ませているし、人間の方でもやっているだろう。ミィムがやるのは二度手間だ。
それでもミィムが引き受けたのはメリットがあるから、そしてそれは恐らく目撃者への口封じだ。
ミィムは表向き今回の事件に何の関わりもない、だけどこそこそ俺に隠れて事件の聞き込みを行っていた事を俺は既に知っている。
俺に命令されたという体で今度は堂々と目撃者を探すつもりだろう。全くもって馬鹿だ。もっと上手くやってほしい、前々から思っていたがミィムは働くのを嫌がって逆に面倒な事態になる事が多い。
もっと賢く動くべきだ、ミィムも、俺も、ドギミラも……。
「クララ様、良かったのですか?私の浅慮でなければ、奴は今回のーー」
「ああ、犯人だね、間違いない、何故そんなことをしたのかについても目星をつけてあるよ」
ドギミラが目を見開く。
「そもそも使節団の一員が殺されたというのに人間側の動きが少なすぎる、彼らは私達の技術を欲しがっている筈だろう?なら今回の事件を引き合いに出して交渉すべきなんだよ」
「それをしなかったから何なのですか?」
「ルート君は私の家から逃げるように死んでいた、足跡が一つ、ルート君のもので、私の家に向かっていた。ルート君は少なくとも自分の足で歩いていたことになる」
「あの、クララ様?」
「使節団は300人、貴族も動員している大規模な集団だ、今回の交渉を重要視しているらしいね?これは人に聞いた話だが、貴族の中には私達エルフを蒐集する変態がいるらしいね」
「ええ、確かにそのような話をーー」
「300人もの人員は何のために用意されたんだろうね?エルフを攻め滅ぼす気かな?それとも別の用事のおまけで立ち寄っただけ?」
「それは恐らくーー」
「違うね、彼らは私達が反旗を翻すのを恐れているのさ、何故なら私達は知っているから、先の大水害、その原因が人間にあると。だけどそれなら何故彼らは危険を冒してまで私達と交渉など行うつもりなんだろうね?それは彼らにとって私達の技術が貴重な物だからだ。彼らの装備を見たかい?私達の秘術がたっぷり使われている」
「……」
ドギミラが黙ってしまった。捲し立てすぎたか?
「……うん、まあ纏めると、恐らくルートくんは貴族から命令されて私を攫おうとした誘拐未遂犯。でも証拠はない、人間がエルフが使節団の一員を殺した事は間違いないんだから、それを責めれば私達は不利になる、けどそれをされないのは、恐らく人間側がルート君の悪巧みを知っているからだ」
「……」
「人間は私達と争いたくないんだよ、彼らが今回の事件を理由に交渉を有利に進めるとして、もし私達がルート君の悪意を知っていた場合の事を考えない訳がない。というかエルフに殺されてるんだから私達エルフがルート君が悪いやつだと気づいていない筈が無いんだよ、本来」
「ぬぅう……よく分かりません、ルートとやらが悪人であるという仮定に寄りすぎでは?」
「まあそうだね、それは私の推測だよ。まあ根拠としては、悪人でもない人を殺すようなエルフはいない事かな……手口も物的証拠も全部エルフが犯人ですって言ってる、実際犯人はエルフであることに疑いは無いでしょ?」
ルート君を殺したのはエルフだ、それは間違いない、それでも人間がエルフに命じたのは「調査」だった。人間側で調査を行なって凶器も犯行時刻も確定してなお、人間はエルフに罰を与えなかった。
希望的観測に過ぎないが、人間に探られて痛い腹があるのなら、それを存分に利用しなくてはいけない。
「ドギミラ、私は一人で貴族と話をしてくる」
「は……?」
「貴族は臆病だからね、悪いけど君は邪魔なんだ、君強すぎるからさ」
「なりません、なりませんぞクララ様!私は先代にクララ様を守ると約束をしたのです!」
「もう死んでるじゃん、パパの方かママの方か知らないけどさ」
ドギミラが悲痛に顔を歪める。
……ああ本当、面倒だなぁ。
「クララ様……その様な事ーー」
「事実として死んでるでしょ、約束だか何だか知らないけどどうでも良いよ」
「……いくら貴方様といえど、私の誓いを汚すことは看過できませぬぞ!」
「誓いを汚すなって?とんだお笑いだね、それが本当なら私は死んでるべきだ」
ドギミラが更に顔を歪める。
「お前の誓いは壊れている、既に壊れて砕け散ったそれを、集めて固めただけだ。もう元の形には戻らない。死んだパパとママと同じようにね」
「そのような……そのようなことを……おやめください……」
ドギミラがそのでかい体躯を縮こませ、今にも泣きそうな顔をしている。
机に拳を叩きつけながら叫ぶ。
「お前が約束を守ってればパパもママも助かってたんだ!!私なんて助けるべきじゃなかった!!」
必殺のワードだ、ドギミラはこれを言われたら何も言い返せない。
1年前の大水害、被害を受けたのは食べ物だけじゃない、当然エルフも数人被害を受けた。
その数人の中に俺と俺の両親が入っていて、そしてドギミラはそのどちらかを助けられた。
結果的に、ドギミラは両親との約束を破り俺を救い、俺の両親と他数人のエルフを見捨てた。
……俺はドギミラに感謝こそすれ責める気は無い。俺が生きているのは紛れもなくドギミラのおかげだし、エルフという種の存続という観点で見ても俺の方が正解だった。
「そらドギミラ、私の両親を見殺しにしたお前が、私に意見するのか?」
「クララ様……!後生ですからお辞めください……」
「断る、私は一人で行く、ドギミラは留守番だ、悪いけど意見を変えるつもりは無い」
ドギミラが涙をボロボロと溢しながら、ですが、でも、しかし等言っている、論理的に考えて両親を殺そうが約束を破ろうがドギミラに大人しく留守番をしておく道理はないのだが、ドギミラは感情的で、頭に血が上ると冷静に考えられない所があった。
椅子から立ち上がりドギミラを避け出口に向かう。
「ま……お待ちください、どうか!どうかお待ちください!クララ様!」
俺はそれを放って足早に部屋を出た。
***
さてドギミラをおいて一人寂しくエルフの森を歩いていた俺だが、途中で見かけた青年に声を掛け、人間の貴族のいる野営地までの行き帰りでの護衛を頼んだ。
貴族と一人で交渉するといっても道中まで一人でいる必要は無い、当たり前の話だ。ドギミラは頑固だから途中で抜けるという事をしない、最初から諦めさせない限り。
「いやーありがとうね、忙しい中付き合わせてごめんね?」
「いえクララ様、先代にもクララ様にも返しきれない恩があります、この程度であれば幾らでも」
「うひひ、パパが褒められるのは気分がいいけど、私まで同じように扱うのはおべっかが過ぎるよ」
青年が微妙そうな顔をしているのが分かる。だが事実だ。
俺の治世はそれほどいいものじゃない。食料問題は解決していないし、その他にも問題が山積みだ。
……さっきドギミラにはたっぷり根拠を話したが、その殆どが根拠の薄い妄想に過ぎない。
ルート君は悪人ではないかもしれない、人間は意外とエルフの事を重要視していないかもしれない、300人もの使節団は偶然ここに寄っただけかもしれない。
それでも俺は貴族と交渉を行う、そうしなければエルフは滅ぶから。
エルフの問題は食料問題だけではない、最近は動物が凶暴化してエルフ単独で動くと大怪我を負うことがある。子供が数人行方不明になった事もあった。妖精の協力も渋られ、綺麗な水を得るのにも一苦労だ。
エルフは追い詰められている。まだちょっと頑張れば何とかなる問題ばかりで、村人は誰一人としてエルフが滅ぶなんて考えもしない。俺の両親もそうだった。
だけど確実に、着実に、エルフは絶滅に進んでいる、それが何者かの意思によるものなのか、あるいは超自然的な力か、偶然かは分からない。
明らかに、あるいは目に見えぬ所で、エルフの数は減っている、俺に出来るのは目前の問題を解決し、リスクを減らす事だけ、そしてその為なら分のいい掛けなら当然受けるべきだ。
あるいは全てが間違いで今回の交渉で貴族の怒りを買うだけでも、犠牲となるのは俺一人、そうなるように動ける。もし上手く行けば得られるのは莫大な食料と貴族とのパイプ。
天秤にかけるまでもない、ローリスクハイリターンな一手だ。
「おっと……ここまでで良いよ、もし良ければここで待っててくれ、帰りまでどれくらい掛かるか分からないけど……ああ、用事があれば帰って良いよ?」
「待っています」
「む、そう?普通帰ると思うけどなぁ、絶対退屈だし」
俺がはははと笑いながらそう言うと、青年は真面目そうな顔で返した。
「クララ様、俺は先代にもクララ様にも恩があると言いましたが、あれは間違いでした」
「ん……?」
「俺が恩があるのはクララ様、貴方です。先代にもお世話にはなっていましたが……それでも、返しきれない恩があるのはクララ様だけです」
……。
「俺はクララ様に本当に感謝しています、お世辞ではなく、尊敬していて、俺の命よりも重い恩義があります。ですから……」
何となく、俺の身を案じている事は理解した、だから人差し指を立て青年の口に当てて「シー」とする。
青年が目を丸くして驚いている。
「君の言う事は理解してるよ、でもそれ以上は口にしなくて良い、私はそんな価値のあるものじゃないよ。私なんかよりやっぱり、パパの方が凄い人だ」
青年が否定をしようとしているのが分かったので、言葉を被せる。
「まあでも、君の言う事も一考の余地はある、だからまあ、その話は帰ってきたらまたしよう」
青年はその言葉を聞いて納得するだろうから、指を離して一人歩き出す。
……多分あの青年は俺が危険な事をしていると感じ取ったのだろう、もし返答を誤ればミィムやドギミラ辺りに突き出されていた可能性があった。
必要十分な言葉を使えば信頼なんて簡単に稼げる。今回の場合だと俺に死ぬ気がない事を伝えればそれでいい。
あるいはミィム辺りならば虚偽を見抜いて無理やり貴族との交渉の場についてきたかもしれないが、ミィムは今いない。
エルフの森を抜けた、といってもまだ森の中だが。
内心でため息を吐きつつ人間の野営地に進む、かなりしっかりとした野営地だが、所詮は急造、明確な入り口は無い。ただ、見張りの兵はいる。
「おーい!そこの人!ちょっといいかな?」
「ああ?エルフ?……おい、笛を鳴らせ、目ぇ離すな」
厳つい兜で顔を覆った軽装の兵士が警戒した様子でもう片方の兵士に命令する。
相方の兵士はすぐに懐から笛を取り出し、思い切り吹いた。
どうやら随分警戒されているらしい、やはり一人で来て正解だった。
「ん……そんな警戒しなくて大丈夫さ、私はエルフの森を統べる者、族長のクララだ。今回はそちらの族長……貴族の方々と話をしたくて来た」
「そんな事俺たちは聞いてねえぞ、そもそも族長だぁ?ガキじゃねーか、ふざけてるのか?」
「ガキだよ?貴族の……いや、フラモンに聞けば分かるはずだよ」
「フラモン様だと……?」
ヘラヘラ笑いながら一歩踏み出す。
「止まれ!動くんじゃねえ!!」
「はい分かった、止まるよ、次は何をすれば良い?」
兵士がどこか拍子抜けしたような雰囲気を出しながらもすぐに気を引き締める。油断はしないタイプらしい。
遠くから足音が聞こえる、さっきの笛のおかげだろう、中にフラモンか俺を知っている兵士がいれば良いが……。
俺はそんな事を思いながら兵士に笑いかけた。
***
ミィムはハーフエルフだ、エルフの中でも特異な力を有し、知恵比べでも大抵の相手に負けない。
気まぐれで、怠け者で、人をおちょくるのが好き、それがミィムという自分の全てだと認識していた。
クララが現れ、力以外の全てでミィムを負かすまで、自分はそれで満足していたのだ。
明かりの無い真っ暗な洞窟の中、目の前に女エルフが捕らわれている。名前はメノウ、エルフの中でも特に強く、気まぐれな戦士。
今はエルフの秘文『戒束』により捉えられている。
「……クララ様に言いつけるぞ、下郎」
「ハハッ面白いねぇ、君何歳?僕みたいな子供に掛ける脅し文句が「クララ様に言いつける」だってぇ?」
「……ッ……黙れ……!」
自分でも恥ずかしいとは思っているのか羞恥に顔を染める友人の姿に、思わず笑ってしまう。
「安心しなよ、僕もいつまでも君をこうしておくつもりは無い、クララに怒られるからね」
「ハッ!クララ様の子供か貴様は!オラばぶばぶ言ってみろ!あの方のおっぱいでも吸ってるのか!?まあクララ様には吸うほど無いが!」
「うげえ……」
げんなりする、ミィムはまだ子供だ、だが性のあれこれについてもある程度知っている、その上で断言するが、今の冗談は最低の物だった。
「君、もう少し慎ましやかに出来ないの?性別、女性で合ってる?ゴーランの方がお淑やかじゃない?」
「……貴様に貞淑を語られるとはな、どちらかと言えば獣寄りの貴様に」
「獣?僕が?どこに獣の要素がーー」
「一昨日の貴様はまさしく獣だったぞ?あれ程猛る事ができる者は我が部族でも二人といまい、ドギミラは嫌に冷静なところがあるからな」
不規則な機嫌、思考、恥じたと思えば怒り、怒りを唐突に沈め冷静さを覗かせる。
(乱されるな、怒るな、冷静になれ)
メノウはそういう女だ、人間なら感情やテンションには波があるが、メノウは特別それが強く、それ故に相対する人間の精神を削る。
意識的に感情を沈めメノウに向き合う。
「……まあそれはさておいて、メノウ、この前の件、考えてくれたかな?」
「断る、ルート・アグレッヒが哀れにすぎる、貴様の甘言に乗るつもりは無い」
「甘言とかじゃないよね、クララを裏切るの?」
メノウについて特筆すべき点がもう一つある。
バカなのである。
本当に、底抜けに、呆れる程にバカなのである。
一昨日ルートを惨殺していた時、影で見ていたメノウはこう思ったらしい。
『ルートは苦しんで死んだ、全く可哀想な事だ……この前クララ様が言っていたが、平等というのは大事だ。そうだ、ルートが苦しんだ分エルフを殺そう』
ドン引きだ、しかも殺そうとしたのは最も簡単に殺せるエルフ、要するにクララだった。本当の本当にありえない、思考が理解出来ない。
「ああ……クララ様には申し訳ないが、今回の貴様の所業を伝えたあと、死んでもらう」
「意味不明だね、何考えてるの君?」
「貴様のせいで無実のエルフが死ぬのは道理が通っていないだろう、だがクララ様は応報、報復、平等について語った時、一族の責任は長が取るべきだと言っていた」
「報復なら僕にすべきでしょ」
「出来るものなら貴様にしているがな……」
拘束されている自らの体を見て、不愉快そうに眉を顰めるメノウは、はっきり言ってシラフとは思えない言動をしているが、これが標準だ。
クララならばメノウを言葉で誘導して操れる、無軌道、無秩序なメノウを、ただの言葉で。
歯噛みする、クララに出来てミィムに出来ない事が分かる度、ミィムは自らの力不足を嘆いている。
クララは自己の価値を低く見積もる癖がある、困難な問題や不確定の事象、すぐに解決しそうにない問題に、すぐ自分の身を危険に晒す。
メノウに語った「責任は長が取る」という話もそれの最たる例だ。まわりで見ている人の事も考えて欲しい。
メノウに背を向けエルフの秘文が刻まれた一枚の布に触れる。
「……まあいいや、諦めないというのなら今日も解放はしない、また明日来るよ」
「来なくていいぞ、このまま朽ちるのも悪くはない」
「は……笑えないジョークだよ、ほんと」
エルフの秘文『到来』を逆に作用させ、洞窟から脱出する、移動先はミィムの自宅の屋根裏だ。
埃臭い屋根裏の中、ミィムは思案する。
メノウは気まぐれであまり気の長いタイプじゃない、だから突然失踪しても誰も疑問に思わない、だがそれも長くは続かないだろう。
否、本来ならば一日でもクララに気づかれる可能性もある、今は貴族との交渉で忙しいから誤魔化せているだけだ。
「クララに頼るしか無いかなぁ……やだなぁ」
クララにバレればルートを殺した事を咎められるだろう、彼がクララに何をしようとしていたかを言ってもどうにもならない、クララは慈悲深すぎるから。
「……そろそろ戻って目撃者を探そうかな……面倒だけど」
あまりメノウに構いすぎても本来の仕事が出来ずクララに疑われる。全く面倒な事だ。
***
ミィムが違和感に気づいたのは三人目の話を聞き終わった後だった。
長話を終えたエルフのおば……妙齢の女性が去っていくのを見て、ふと辺りを見渡す。
周囲が静かすぎる。いつもならクララか、クララの代わりにドギミラが何かを叫ぶ頃合いだ。
クララはトラブルか何かしらの問題に対する対処にずっと追われている、その解決のために日に一度は皆に声を掛けるはずだ。
森がざわりざわりと音を鳴らす、焦っているような、警告しているような音だ。
(何かあったのか?)
大抵の危険はクララが事前に察知して止める、そうでなくともミィムが止める、それでも漏らす危険はドギミラがクララを守る事で最悪の事態は防げる。だからクララを害すことは難しい。
……今日は何もない筈の一日だった、否、何かあるにしてもクララはドギミラと行動を共にする、問題は何もない、筈だ。
焦燥感を胸に抱き、クララの家に向かう事とする。
クララの家は村の中心だ、一番立派で、一番大きな屋敷。前族長の遺産だ、クララは広すぎて落ち着かないと言っているが、一日の半分以上をその家で過ごす。
元々それほど広い村でも無い、すぐにクララの家に着いた。
すぐに気づく、中にクララはいない。気配がしない。
目論見が外れたかと思ったが、ドギミラはいる様子だ。椅子に座って項垂れている。
ドギミラは馬鹿で短慮だが、クララに対する忠誠心だけは評価できる。
そんなドギミラがなぜ一人なのだろうか?
扉を開け家に入る。話を聞けばクララの場所が分かるかもしれない。
ドギミラがいるのはリビングだった。
「やあ、ドギミラ、何やってるの?」
「……ああ、ミィム、貴様か」
「クララは?」
その名を聞いたドギミラは顔を悲痛に歪ませる。
「あの方は……人間の所だ、交渉をするらしい」
「は?それで君は?なんでこんな所にいるの?」
「それは……クララ様が……わ、私は……」
何やらもごもごと話しているのを話しているのをイライラしながら聞く。
「……という訳だ」
「……あのさぁドギミラ、クララに言われようと着いてきなよ、何やってんの?」
「いや、だが……私は先代を、クララ様の両親を、見捨てたのだぞ」
「それ今関係無くない?もう死んだんだからどうしようもないよ、諦めな」
ドギミラが眉を顰める。
「しかし」
「しかしもでもも無い、君の誓いはクララを救って、他を見捨てた時点で切り替わってるんだよ、クララを守るって事にね」
ドギミラは強い、ミィムがクララから離れて単独行動をするのはドギミラがいるからだ、ドギミラならばクララを守れると確信しているからだ。
だがクララに弱みを握られて今回のように単独行動を許すのは良くない、それでは万が一がある。
「ドギミラ、もう一度言う、君の役割はクララを守る事だ、それ以外はどうでもいい。例えクララ本人に何を言われようと関係ない」
「……」
「もしも万が一クララが死んだら、絶対に後悔する、君だけは何がなんでもクララに着いて、クララを守らなくちゃいけない」
このまま誘導してクララのお守りマシーンにしよう。前々から思っていたがドギミラの人格は邪魔だ。数ヶ月程掛かるが、その間はクララにドギミラは休んでいると適当に誤魔化して……。
そんな風に考えていた所、玄関からエルフの青年が入ってきたのを感知した。
どたどたと走り回り、息を切らしてリビングの扉を勢いよく開く。
「ドギミラ様!!」
「何かあったのか!?」
青年の口から言葉が出る前に、ミィムは危惧していた万が一が起きた事を理解した。
「クララ様が……攫われました!!」
***
俺は今馬車の中、ガタンガタンと揺れる床に下着姿で寝転んでいる。
事態は数分前、貴族との交渉を完璧に成功させ、数年分の食料を供給させる約束を取り付け終わった後に起こった。
人間の野営地から抜け、エルフの森に入る直前、突如として現れた黒衣の人間に引っ掴まれ、攫われたのだ。
エルフの青年の目の前で行われた犯行だ、鮮やかすぎて誰も反応できなかった。
道中薬を嗅がされ四肢が麻痺、数分程森を走ったのち、馬車に乗せられた。
……計画的な犯行だ、油断した。結果論的に言えばドギミラを留守番させたのは失敗だった。
手を握る、薬は短期的な物だったらしい、もう動く。腕と足は縄で結ばれて動かない。
服は下着を除いて全部捨てられた。エルフの秘文対策だろう、どれか一着でも残っていれば転移して家に帰れたが、今は森の中だ。
下着は無事、こっちはエルフの秘文「不脱」のおかげだ、普通の手段では絶対に脱げない。まだお嫁には行けそうだ。
……いや、下着でもダメなんだっけ?ちょっとよく覚えていない。
どの道このままだと貴族に売られて奴隷コースだ。何とか出来ることをしなければ。
目を開き、狸寝入りをやめ口を開く。
「……やー、こんにちは?言葉は通じるか?」
「起きた……?おい、しっかり寝かせろっつったろ」
「……薬は使った、エルフだからか?」
馬車の中には男が二人、一人は黒衣で全身を覆い、もう一人は剣を腰に据えている。御者は二人、両方多分男だが、今の姿勢ではよく見えない。
「君達は誰だ?目的は?」
「お前の……エルフの族長クララの誘拐だよ、どうやら本人みたいで何よりだ」
しまった、何も知らない子供のふりをするべきだったか。
……いや、まだ間に合うか?
「ふええ……ここはどこ?ぱぱ!まま!誰か!私はクララじゃないよう」
「……そうかい、そりゃ良かったな」
剣を持った男の白い目が辛い、やらなきゃよかった……。
「……ふええ、あなた達の目的は?」
「黙れ、口を閉じろ、布かなんか無いか?」
「無い」
目を必死に動かし情報を探す。だが男達の装備の特徴はバラバラだ、意図的に情報を隠されている。装備からどこの人間か探るのは不可能だ。
「お金が目的なら払うよ、これでもお金持ちだ」
「おい、黙れ」
「……」
黒衣の男がピクリと反応した。金か?依頼でもされたのか、それとも身代金目的か。
「分かるよ、依頼されたんだろ?私なら提示された額の倍ーー」
剣を持った男に腹を蹴られる。突き刺すような痛みが鋭く体を貫く。骨でも折れただろうか?
「ぐ……げぇ」
「黙れ、三度めだ、次はもっと痛くする」
腹の痛みを意識的に客観視する。この体も、心も、所詮は他人の物、俺の物じゃない。
痛みに耐えるコツは、出来る限りそれを意識しない事だ、意識しない事を意識する事だ。そういう意味で、肉体と精神にズレがある俺は意識しやすい体質かもしれない。
俺の場合は痛みという感覚そのものではなく痛がっているという状態に注視する事で……今はいいか。
想定していたよりも腹の痛みは大きい……商品に傷が付くのは避けたいはずだから貴族に売るっていうのはハズレかもしれない。あるいは治療の手段があるのか。
「は……悪いけど、私は痛いのには強いよ、死んでしまうのは嫌だけれどね」
「……黙れないか?」
「無理だね」
顔を蹴られる。口に血の味が広がり、舌を転がせば歯の破片が見つかった。
当てずっぽうでいいか、取り敢えず仮定で買い主がいると想定する。
「……雇い主に、怒られるよ……?」
「問題ない、ベレド伯爵はサディストだからな、お前みたいなエルフのガキが傷だらけになってんのが好きらしいぜ?」
これは嘘だ。ベレド伯爵は知っているし、そいつの嗜虐趣味も知っているが、ベレド伯爵は傷だらけが好きなのでは無く、無傷の人間を傷つけるのが好きなのだ。
彼の言を借りれば、白紙のキャンバスにメチャクチャに傷を残すのが好きなのだ、そんなベレド伯爵が依頼主だというのなら、無傷で捕らえる方が良い。
何より、剣を持った男は慎重で狡猾だ、多分こいつが誘拐依頼の受託者だろうが、依頼人についてペラペラ喋るタイプじゃ無い。
「……ベレド伯爵じゃないんだ、そうか」
「……」
剣を持った男が眉を微かに上げ動揺を露わにする。やはりそうか。
剣を持った男は精鋭で、依頼主は金持ちか有力者、ベレド伯爵ではない。しかし男がベレド伯爵に罪を着せようとした事から、ベレド伯爵以上の貴族というのはあるかもしれない……。
そう思考を巡らせていると、剣を持った男が黒衣の男に語りかける。
「腕の縄を解け、腕を押さえつけろ、こいつは徹底的に黙らせる」
「……分かった」
ひや汗をかき、拭えぬままに背筋を冷やす。痛みに強いとは言え苦痛は苦痛、あまり受けたい物でも無い。
「もう言葉では注意してくれないのかな?」
「……お前はイカれてる、生半な痛みじゃ止まんねぇだろ」
「私は至って正常だよ?ねえ頼むよ、君たちもこんな事はしたくないだろう?私を助けてくれ」
「その歳で、痛めつけられても恐怖を微塵も浮かべねぇ、正常な訳あるかよ、悪魔か何かだって言われた方が納得できるぜ」
黒衣の男が腕の縄を解く。久々の解放を喜ぶ間も無く左腕を掴まれ床に押さえつけられる。左手は動くが、それだけだ、剣を持った男の足元でうにゃうにゃと動かすことしかできない。
……それにしても、黒衣の男はわざわざ左腕を取った、もしや利き腕を庇ってくれたのだろうか?
「俺は両腕を、って意味で言ったつもりだったんだが……」
剣を持った男がジロリと黒衣の男を睨む、黒衣の男は気まずげに目を逸らした。
……俺への罪悪感か?それとも今後裏切るつもりでその時の俺からの心象を良くしようとしたのか?どちらにせよ吉報だ、こっちは懐柔しやすそうでちょろそうだ。
「まあいい、最後に、これは俺の警告を無視し続けたお前への罰だ、精々悔いろよ」
「はは、悪いけど後悔なんて生まれて――」
ゴッ。と剣を杖のように両手で持ち、突いた。床ではなく、俺の手に向けて。
「ぐっ」
「苦悶の声が漏れたな、人間のようで安心したぜ」
痛いな、かなり痛い、左手の骨は無事じゃないな、これは黒衣の男の配慮に感謝すべきかもしれない。
再び、剣が下される。先と変わらない一撃。こちらは手心を加える気は無いらしい。まあ剣が鞘に入ったままなのを手心と呼べばそうかもしれない。
「うッ……!ぐぅ……」
客観視、客観視だ、痛みは肉体の悲鳴、俺には関係が無い。
三度、剣が下される。もう既に砕かれた骨がぐちゃぐちゃになる、筆舌に尽くせない痛みだ。
「ッ……!!」
こんなもん客観視できるかボケ!そもそもこの体は俺の体でもあるから関係無い訳ないだろアホ!
無意味な思考で痛みを散らす。
四度、剣が下される。今度は比較的骨が原型を保っている箇所に向けて。
痛みに歯を食いしばりながら叫ぶ。
「ぎッ……!エルフの里はメアド、ギョースペ、ガートン、ホルスト、フラモンと契約を交わした!金ならある!」
話している最中に剣を更に三度突かれたが、俺には超我慢という必殺奥義がある。何より、もはや痛すぎてこれ以上痛くなりようが無い。
「裏切るなよ、こっちが先に金を払ったんだ」
「……」
黒衣の男が不気味に沈黙している。剣を持った男が舌打ちする。間髪入れずに再び口を開く。
「私の末路を教えて、そうすれば口を閉じる」
「……お前やっぱりイカれてる」
「おまけしてあげる、私の秘密を教えるよ、君達にとって致命的な秘密だ、知っておいた方がきっといい」
剣を持った男が逡巡する。その目に危険な色が見える。
「ここでお前殺して終わりってのも考えたが辞めだ、致命的な秘密ってのを教えろ」
そういう選択肢をとっても問題ない立場なのか。
「交渉成立……で良い?じゃあ先に私の末路を教えて」
「ベレド伯爵に売る、頭をパーにする薬を使った後にな」
「怪我は?ベレド伯爵は無傷が好きなはずだよ、あと依頼主」
「フィルガー公爵だ、怪我はエリクサーがある」
フィルガー公爵!とんだビックネームだ、万物を治すと言われている霊薬エリクサーについても嘘じゃ無いだろう。
「何故?動機は?あと頭をパーにするっていうのも気になるね」
「そのまんまの意味だよ、お前は頭をぶっ壊されて廃人になってベレド伯爵のペットとして生きる」
あまり愉快な末路では無さそうだ、散歩も許可して貰えなさそうだな。
「動機は単純、お前らエルフは栄えすぎた、人間にとって危険な程にな、だからここらでエルフを繁栄させた奇跡の族長クララ様にはご退場願いたくてね」
「殺せば良いじゃん、なんで生かしてるの?」
「そっちは俺の都合だ、俺の依頼はエルフの族長クララを確実に機能不全に追い込む事、手段は問われてないが……俺はお前らエルフに恨まれたくなくてね」
恨まれたく……ああ、そういう事か、ベレド伯爵の情報を集めたのは数ヶ月前、ずいぶん簡単に集まったと思っていたが、こいつの采配か。
要はこいつは自分が仇打ちの対象となるのが嫌だったんだ、それでスケープゴートのベレド伯爵を用意したんだな。
「これで満足か?お前は今ので納得出来るか?」
「……うん、そうだね、まだ聞きたい事はあるけど、これ以上は良いよ、満足だ」
フィルガー公爵のエルフに対する危険視はいつから始まっていたのかとか、もしかして今まで起きていたエルフに対する絶滅の危機はフィルガー伯爵のものなのかとかもしかして前の大水害は事故じゃなかったのかとか色々聞きたい事はあるが、それはもう「私の末路」から離れた事だろう。俺の今聞く事ではない。
「次はお前だ、教えろ、致命的な秘密ってのは一体なんだ?俺は何を見逃してる?」
「うん、それはまあ、簡単な事だ、エルフの秘文は知ってるだろう?」
衣服、というか布に縫い付ける特殊な幾何学模様だ、特別な力を持っている。
「知ってる、だからお前の服は剥いだ、下着は脱がせられなかったが、サイズ的にそっちには何も無いだろう」
「そこだ、サイズ的に……という事はやっぱり、君は人間に伝えた分しか秘文について知らない訳だ」
「……燃やした方が良かったな」
「それも違うね、下着の方は燃やせない脱がせない切れない破けないだけの普通の下着だよ、私の上着のポケットに脱着の秘文があったから、それを使えば脱がせられた、そういう万が一が起きそうな場所に非常事態用の秘文は隠さない」
秘文のサイズは俺が改良して当初のサイズの最大10分の1まで縮小出来ている、といっても転移はまだ男の背中二つ分くらいの面積がいるから服に仕込むのは困難だ。
加えて言うと、秘文は広げていないと効果が無い、面を曲げるのは良いが、折るのは駄目だ。
「エルフの秘文はね、手のひらよりも小さく出来たんだ、居場所を知らせるもの、意識を常に保つもの」
「……!」
「私のお腹の中を掻っ捌いて吐き出させるにはもう遅すぎる」
剣を持った男が弾かれたように御者の方を向き、鋭く声を上げようとして。
――既に御者が二人、消えている事に気づいた。
「……ッ!!やられた!エルフだ!!次は馬だ!警戒しろ!!」
「……警戒?ど、どうやって!?ここはまだ森の中だぞ!」
剣を持った男が剣を横に持ち、しゃがんで構える。
黒衣の男が狼狽える内に、馬車を引いていた二頭の馬が矢で胴と頭を貫かれ即死する。バランスを崩し倒れ、馬車は慣性に従い進む。
横倒れになった馬を轢き、いまだに馬と縄が繋がれているが為に車体が曲がる。
それでも慣性は衰えず、今度は車体がひっくり返る、中の俺はなんの抵抗も出来ずにそこらじゅうに体を打ち付けられた。
剣を持った男は事もな気に姿勢を維持した、黒衣の男はかろうじて受け身を取った。
混乱する黒衣の男と剣を持った男に、馬車の壁を突き抜け矢が飛び込んできた。
黒衣の男は何も出来ず即死した、剣を持った男は危う気なく剣で防いで見せた。俺はゲロが出そうだった。
「……ッ!クソが!この程度で死んでんじゃねえよボケ!警戒しろっつったろ!!」
「……おええ」
「クソ!吐くな、汚ねえぞ!」
剣を持った男が懐から何かの瓶と赤い石を出して床(天井?)に置く、同時に俺の首を引っ掴んで壁に向けて掲げた。
続いて放たれた矢は威力が非常に弱く、俺の体を貫いたが、貫通しなかった。
「……は?おいおいおいクララさんよぉー!外のエルフはお前の味方だよなぁー!!ふざけんじゃねえぞお前盾にも使えねえのか!?」
「げふッ……いや、そう言われると私も困っちゃうね、でも朗報だ、手加減はしてるみたい」
まさか俺の体をものともしないとは……これはミィムかな?メノウあたりは手加減できないから有り得ないし。
矢が刺さっている腹部がじんわりと痛みを主張してきた、客観視、客観視。
「聞けえー!お前らエルフの族長クララは死にかけてる!治療薬はここにあるものだけだ!」
剣を持った男が声を張り上げる。
「5秒後に爆発する!」
男が赤い石を叩き、剣で馬車の壁を切り抜け俺を持ちながら勢いよく脱出する。
早い、剣を持った男は左に俺を抱えながらも健脚だ、脱出してから三つ数えた瞬間背後から爆発音がした、五秒は嘘か。
走る、走る、走り続ける、しかし突如として放り投げられた、地面に打ちつけられながら男の方を見れば、ちょうど右腕に矢を受けた所だった。
尋常な受け方では無い、腕の骨と矢が粉々に混ざり合っている、正面から矢を受けたのだろうが、もはやあれでは右腕は使い物にならないだろう。
それでも男はすぐさま無事な左手で俺を掴みまた走り始めた。速度は少しも衰えていない。
景色を見て、気づく、森は終わりを迎え、草原が始まっていた、小さく、緩やかな坂をひとっ飛びに飛び越え、不意に止まり、振り返る。
「はっ……はっ……はは、ここまで来りゃ、ええ?こっちのもんだな?」
「……人間が」
そこにいたのはやはりミィムだった、少しの傷もなく、髪の毛一本すら乱さず、片手に弓、もう一方の片手に瓶……恐らくエリクサーを持ち、森と草原の境界線に立っている。
「話をしようぜ?ここで争ってもしょうもねえだけだ」
「無理だね、クララはその傷じゃ長持ちしない」
長持ちって言い方はすごく嫌だな。
「なら殺し合うか?ここは森じゃない、今まで通りとは行かねえぞ」
「勝てるとでも?」
強い怒りを滲ませながらミィムが凄む。だがまあ実際、エルフは森の外では弱体化する。厳しいかもしれない。
まあ平時のエルフを考えれば森の外では弱体化というより森の中だと強化なのだろうが。
しかし男は右腕を使えず左腕は俺で埋まっている、負ける事は無いだろう。
「剣は左で持てばいい、剣があるなら、ああ、負ける気はねえなぁ」
そう言いながら男は右手で俺を抱え直し左手で剣を抜く、おい右腕使えてるじゃないか、誰だ使えないとか言ったのは?
「ああ?おい、ヤンだろ?お前ぶっ殺してこいつもぶっ殺して俺は金を持って帰る、そういうのも、ああ、悪くねえよな」
……声に震えがある。加えて男は震えている、そうか、まあそりゃあそうか、恐ろしいに決まっているか。
そう思って男の顔を見て、すぐに気づく、男の目に恐れは無い、否、恐れはあるが、それは生き死にに直結するものでは無い。
俺がそれに気づいた事に気づいたミィムが動く、森の外でも素早いが、だがやはり数段落ちる、俺の目でもかろうじて視認できてしまう程度の速さだ。
男の反応は素早かった、左手の剣を俺の心臓に正確に刺し貫き、同時に俺を投げ飛ばす。
「こっちが本物だッ!取ってこい!!」
同時に何かの液体が入った瓶を少し角度を変えて投げながら逃げるのが見える。中空を舞う俺にはどうする事も出来ない。
一瞬の浮遊感、直後の落下、それほど高さはない、剣はいまだに心臓に刺さってて、まだそれほど時間も経っていないのに意識が薄れてきた。死んでしまう。
地面に落ちるより先に誰かに抱き抱えられ、同時に液体をかけられる。すぐに薄くなった意識が元に戻る、視界内に映ったのは、心配しているミィムの顔だった。
ミィムが俺の剣を抜く、矢は勝手に抜けた。エリクサーの効果だろう。
「クララ!!クララ!!無事!?息を……!」
喉に詰まった血を咳で吐き出そうとして失敗した。ミィムはすぐに気づき俺の口に口を当てて息を吸う。
吸い出した血を横に吐き、俺の息を確認し、すぐにエリクサーを口に含む。
あれ?ミィムが飲むの?味が気になったのか?とすっとんきょうな事を考えている俺の口にミィムはエリクサーを口移しした。
少しして、口を離し、ミィムがなおも心配しながら俺を見つめる。
「無事?意識は?痛い所は?」
「あー、無いよ、私は全く無事。そんな事よりミィム、キスは好きな人としかしない方が良いよ?エリクサーは掛けるだけで効果があるだろう?最後のは必要なかった」
「……良かった……!良かった……!」
「いや良くないよ、一個前の血の吸い出しも必要だったかな?私なら自分で吐けたよ」
「全然今言う必要ない余計な一言……確実にクララ本人だ!無事で良かった!」
余計な一言とは失礼な、子供に必要な情操教育をしているだけだ。
そう言おうとしたが不意に吐き気に襲われた。本能的に分かる、これはまずい。
「ミィム、奴は?」
「え?ああ、ごめん、逃した、あいつの投げたエリクサーを取るので精一杯だったよ、念の為両方使ったけど、どっちも本物だったみたいだね」
「うん、そうか、ミィムを騙す偽物なんて作れないと思ってたけど、両方本物だったか。ああミィム、私はそろそろ眠るよ」
「え?」
ポカンとしているミィムの前で、嘔吐する、吐いたものは血、肉片、胃液あたりだろう、エリクサーで体内を治して、余った肉や血が逆流してきたんだろう。
そしてその中に恐らくエルフの秘文「覚醒」が紛れてる。今まで意識を保てていたのはそれのおかげだ。
緊張の糸が途切れた事、吐瀉物の据えた臭い、連日の不眠不休の労働による極度の疲労により、俺は気絶した。吐瀉物の海を視界いっぱいに広げながら、せめてミィムが俺を支えてくれると良いなと、最後に思いながら。
***
「ん……」
目が覚めると室内だった。背中には柔らかいベッドの感触、恐らく自宅だろう。
起き上がり辺りを見渡せば、側にミィムが突っ伏して眠っていて、部屋の扉のそばには、ドギミラがいた。
「起きられましたか」
「や、ドギミラ、おはよう」
お互いに何となく気まずい、まあ別れる時のアレがあったのだから当然だ。
まあでもアレが無ければ貴族との契約はもっと時間が掛かっていた、結果的には最良だったと言えるかもしれない。
「……貴族との交渉は上手く行った、今後もすり合わせの必要はあるだろうが、食糧一年分と、非常時の援助を約束させたよ」
結果的に、今回のルート君は悪人だったらしい、俺の予想は大部分が的中、貴族側は及び腰だった。
「それは、良かった」
対するドギミラの声は硬い。本来ならば俺からドギミラを許すべきなんだろうが、そういうわけにもいかない。
……俺の体のクララは生きている。いやそりゃあ生きているんだが、体ではなく、精神が、生きている。
この体には、俺の魂と、クララの心が同棲している。「クララの心」というのはそのままの意味だ、この世界では魂以外にも精神が別で存在してる。
魂の観測結果は俺のものだけだ、あるいは俺とクララ両方の物かもしれないが。
話が逸れた。クララの心は今も生きているが、ある事件依頼ずっと閉ざしている。ある事件というのは当然クララの両親の死だ。
ほんの一年前まで俺はクララと楽しくおしゃべりする脳内のイマジナリーフレンドだった。クララが心を閉ざし、沈黙してからは体の主導権が俺に渡された。
クララは何も言わず、ただドギミラへの強い怒りを持ったまま眠っている。
ドギミラは許されていない、未だ本人と言葉すら交わしていない。こんな状態では何もどうしようもない。
「……クララ様」
「うん?何?ドギミラ」
「私は、先代を見捨てました、クララ様を選びました、その事に後悔はありません」
そうか、ドギミラはそういう道を選ぶか。ああどうするか……。
「元より全て終わった事、死人は蘇らないのです。私は、過去にとらわれる事はもうしませぬ」
「……」
「私は、クララ様、あなたを必ず守り抜く、今回のような事は決して……決して起こさせません。そう誓います」
ドギミラが決意を秘めた目でこちらを射抜く。
「ですからどうか、どうかあなた様をお守りする事をお許しください」
……そこで俺の許可を求めるのか……。
「別に許可なんて良いよ、勝手にすれば良い」
ただし、と続ける。
「覚えておくと良いドギミラ、君が過去から目を背けても、過去は消えない、君が私の両親を殺したという事実は消えはしない」
「元より、承知の上です」
ドギミラはそう重々しく頷いた。しかし本当に理解しているだろうか?もし本当のクララが目覚めた時、彼女に責められたとして、彼は本当に大丈夫だろうか?
……まあいいか、俺の気にする事じゃない、何より問題が起きるのはしばらく先だ、まだクララは目覚めない。
「まあいいか、分かったよドギミラ、守ってくれるんならよろしくね」
「はい!クララ様!必ずや御身を守り抜きます!!」
「んぅ……うるさい……」
俺の足元で眠っているミィムが目覚める。外を見れば明るいようなので、一発チョップを喰らわして眠気を覚ます。
「ミィム、起きて、仕事するよ」
「……おはようクララ、痛い所は無い?今回僕は結構仕事したと思うんだけど、褒めてはくれないの?」
「無い」
ショックを受けているミィムを尻目にベットから降りる。ドギミラが慌ててこちらに駆け寄ってきた。
「起きたばかりなのです、今日ぐらいは眠っていては?」
「いや、まだまだだ、ドギミラ、報告がまだだったね、今回の事件の首謀者はフィルガー公爵だった」
驚くドギミラを連れ、寝ぼけ眼のミィムの手を引く。
ドギミラに仔細を話しながら、今後の身の振り方について簡単に説明し、続いてミィムに仕事を割り振る。
エルフの森はこれからも続く、俺が続かせてみせる。
さてその為に、まず必要な物は――。




