表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
<R15>15歳未満の方は移動してください。

珍保露倫

作者: 林泰寧

本作はほぼ全編にわたり性的表現がございますので、下ネタ等に不快感を覚える方は読むことを控えていただきますようお願い申し上げます。

 移動教室が終わって、廊下を歩いて教室に戻る。みんなペチャクチャ何か話してるが、どうせゲームとかアイドルとか大した話じゃない。チラッと横を誰か走るのが見えた。廊下を走るとか、多分常識がわからないんだろう。

「おーい廊下走るなー?」

「あっ、ごめん……」

 ファイルを持って走っていた男子は、言われたらそのまま暗い顔で歩いて教室に入った。注意されたら素直に聞けばいいのに、なんでいちいち落ち込むんだよ。ため息が出そうな気分で教室に入る。

 机に着いたらまずは次の時間の準備をして、教科書やノート、筆箱を出しておく。こっちで休み時間にするのは用意が終わってから。教科書と便覧、それからノートを出してから一息ついて、途中まで読みかけていた本を開く。

 ──ごおん。と、低い鐘の音が聞こえる。

 もう授業か、意外と早いなと思った。だが周りは相変わらずうるさい。しかも鐘は一音しか鳴っていなかったから、どうやらチャイムの音でもなかったらしい。なーんだ、と思って本を読み進める。

 だが、こんな日に限って隣の奴らがいつもよりうるさい。

「なーなー、昨日の()()ちゃん見たー?」

「見た見た! やっぱ歌もいいし演技もうまいし、オレ見沢(みえざわ)りお好きだよ!」

「わかるわー、あんなち○こみたいにスラッとしてて──」

 下ネタとか使うなよ、それも普通のテレビに出るような女優の話で。ちょっと注意してやる。

「おい汚ねえ言葉使うのやめろー?」

「は? ちん○って言うくらい別にいーじゃん。お前こそどうしたんだよ」

「いやだから、そんな言葉人前で使うと──」

「おいこっち寄ろうぜ……でさでさ、テレビ見てた時──」

 なんか、距離をとって離れやがった。男性器の名前を形容詞として使うってことに、全く抵抗がないのか。もう意味わからん。取り敢えずトイレに行って、こっちも気を紛らわせることにした。出口のドアの近くに来ると、女子がまた何か話してた。

「先週さー、駅前にアイス屋さんできたんだって!」

「へぇー! どんなアイス屋さん?」

「なんかねー、すっごくち○ぽみたいに長いのが売りなんだって!」

 またちん○だ。しかも今度は、普通なら下ネタを嫌いそうな女子が。そうか、もしかしたら何かを下ネタで褒めるのが流行ってるのかもしれない。勝手にそんな考察をして、勇気を出して声を掛ける。

「それなら君たちは、ま○このように奥が深いね」

 そう言った瞬間、水を打ったように辺りが静まり返る。気付けば会話の中にいた女子三人だけじゃなく、その周りにいた他の奴まで冷たい目を向けてきていた。女子は三人とも立ち去って、周りも自分のことに戻り始める。

「……おい、変な冗談やめろよ耕輔」

 同級生の秀二がすれ違いざまに言った。俺は「悪かった」とだけ言って、取り敢えずトイレに駆け込んだ。なんでち○こはよくてま○こはダメなんだ。

 用だけ足してから席に着いて、しばらくしたら四時間目の授業が始まる。四時間目は歴史だ。今度こそ本物のチャイムが鳴って、本をしまってから前を向く。

「起立、礼、着席!」

 授業のあいさつをしたら、まずは一昨日の小テストが返される。前から渡されたものを素早く取り、自分の名前が書かれたものだけ抜き取って後ろに送る。さて、答案を見たら今回も百点だ。そもそも、一問一答なんかとっくの昔に暗記してたから当然だ。

(……げっ)

 右下に目をやると、信じられないものを見つけた。「これからもスクスクのびてこー!」と先生の優しい字で書かれたすぐ上に、嫌にリアルに描かれた男性器の絵があった。またかよ。なんだか気持ち悪くなって、答案を小さく折り畳んでから机の奥に突っ込んだ。


 ω


「ただいまー」

 家に帰ったらまず真っ直ぐに洗面所に行って手を洗う。それから階段を登って部屋に行き、鞄から取り出した宿題を解き始める。

 国語の宿題は漢文で、嫪毐(ろうあい)という人についての文章だった。呂不韋(りよふい)という人は始皇帝の母の趙姫(ちようき)と不倫していたが、加齢のせいで精力がなくなり、自分の代わりとして嫪毐を後宮に送ったとのこと。そんな彼はもちろん偽の宦官だ。また嫪毐は宴会の余興で、自分の男性器だけで馬車の車輪を回すという芸も披露してたらしい。気分が悪くなって、解くのをやめた。

「コウちゃん、ごはんよー」

 母さんの呼ぶ声がしたから、一階に降りる。リビングに行くと、もう夕飯はできあがっていた。自分の席に座って、いただきますをしてからご飯と味噌汁に手をつける。父さんは夢中でテレビを見ていて、今日も画面を気にしていた。

「それでは、次のニュースです。日本時間の昨夜〇時にアメリカ・ワシントンで開催された主要国亀頭会議にて、今年二月に就任したばかりの貝部(かいぶ)総理大臣が──」

 一瞬、空耳かと思った。まさかテレビで、亀頭なんて言葉が使われる訳ないと思ったからだ。でも現実は、そんな予想を軽々と裏切ってくれた。テレビに映った世界各国のトップたちが、みんなズボンもパンツも履かないで会議に出席していたからだ。ある三人の毛むくじゃらなそれがアップになった時は、味噌汁とご飯が胃から食道を通って畳へ落ちそうになった。

「父さん、リモコン貸して」

「ニュースくらい真面目に見ろ、時事問題とか出てくるぞ」

「いいから貸せ!」

 意固地な父さんからリモコンを奪い取って、汚い汚物(モノ)など絶対に映らないはずの子供番組にチャンネルを変える。明るい色の野原の画面には、犬とウサギの指人形が映っていた。

「すっごーい! 犬さんのおっきなち○ぽ!」

 全てがどうでもよくなった。


 ω


「ねえ柳田くん。今日佐藤先輩の優勝お祝いパーティがあるけど、来る?」

 休み時間に宿題の解き直しをしていたら、こんな風に裕美から声を掛けられた。佐藤先輩には一年の時からお世話になってたし、断る理由もないから出席することにした。

 そうして放課後には俺と裕美、それから秀二とピッチャーの村岡、エースの藤田とが佐藤先輩の家に集まった。

「それじゃあ、佐藤先輩の大会優勝を記念して──カンパーイ!」

 スプライトとかファンタとか、思い思いの飲み物の缶をぶつける。先輩のチームが優勝したことは、やっぱりどこまでも喜ばしかった。他の奴等も、佐藤先輩と思い思いのことを口々に話し出す。

「やっぱスゲェよ佐藤先輩!」……と、秀二。

「本当にねえ、おち○ちんみたいに断トツトップで!」……と、裕美。

「僕も、佐藤先輩がいたから頑張れたっス! 教えられたとおりにしたら、もうち○ぽみたいに力も伸びてきて!」……と、藤田。

「もうすぐ引退されて淋しくなりますが、僕たち、次の珍宝戦(ちんぽうせん)にむけて絶対頑張ります!」……と、村岡。

 黙って聞いてればち○こ、○んぽ、ち○ちん、おちん○ん。祝いの席で、こんな男性器の俗称を連呼して恥ずかしくないのか。先輩に対する敬意はあるのか。一緒に頑張ってきた先輩への感謝の気持ちはあるのか。お前等が祝福されるときにち○こだのま○こだの言われてみろ、どんな気持ちだ。

 スッと、目の前の光景から心が一歩退く。そうして胸の中にザラザラと、ギラギラと、トゲトゲとしたものが沸き上がってくる。ついにそれは喉に詰まって、火山のように口から溢れ出した。

「お前等(めエら)いいかげんにしろよ!」

 席にいる全員がピシャリと黙って止まる。だが火山から出た溶岩は、そう簡単なことでは冷めない。

「……どうして怒ってるの?」

 と、何もわかっちゃいない裕美が言う。

「その態度だよ! 先輩に感謝の念も尊敬もない、その人のことクソなめた態度だよ! 人のことち○ことかクソとかう○ことか! ンな言葉は人を貶す時しか使わねェんだよ!」

「ちょっと落ち着いて──」

 村岡もこの侮辱大会を続けようと俺を止める。だが、木のバリケードに溶岩は止められない。

「そうやって汚ねえ言葉に閉じ込めてたら楽だよなあ! う○ことかち○ことか言ってる方がいいよなあ! でもそんな言葉は人を汚すんだよ! 相手だけじゃなくて、お前等自身も!」

「おいやめろよ──」

 秀二まで裏切って俺を止めようとする。

「本気で言えよ! 人が本気でものを言ったらどうなンのかわかってんのか! こ・う・な・る・ん・だ・よォ!」

 振り向くと、先輩も顔が硬直していた。

「先輩も先輩で、そんな汚い言葉真に受けないでくださいよ! 祝いの席でずっと貶されるくらいなら、一人くらい追い返したって構いませんよ!」

 肩を掴んで精一杯ゆする。明らかに顔が慌てている。

「お前等もンなふざけたマネ、二度としてくれるな! 今日は解散だ解散!」

 そう言い終わるか終わらないかの瞬間、突然裕美が立ち上がる。

「じゃあ言わせてもらうけど、柳田くん。君が出ていってくれる?」

 ──それから、こっちが本当に追い返されてしまった。佐藤家の庭から見たみんなの顔は、心から楽しそうに笑っていた。


 ω


 さて、ついにこの日がやってきた。全校委員長総選挙。ここでは全校生徒が集まる体育館で第二学年各クラスの学級委員長がプレゼンをし、その内容から学校中の委員会の委員長を選出する。俺もクラスの委員長だから、当然ここでプレゼンを披露する。他の奴等が一週間前から原稿を書き始めるよう言われるところを、こっちは二週間、いや三週間前から用意していた。だから今回は、運がよければ俺が生徒会長に取って代わることもできる。この時にあたり、俺はステージの裏で暗誦の練習をしていた。二組が終われば三組、つまり俺の番が来る。だが、ほとんど問題ないだろう。暗誦の練習といっても最終確認程度のものだし、今更間違える所なんてないからだ。

「次期図書委員長の石井さん、ありがとうございました。では次、三組の柳田耕輔さん」

 大勢の拍手が鳴り止まないうちに、名前を呼ばれた。「はい」と返事をして、ステージの真ん中の台に立つ。目の前には大勢の顔がずらりと並んでいて、改めてこれが全校生徒の前の発表だと実感させられた。だけど、負けるもんか。ここで実力を発揮できるかどうかで、今後の学校生活がまるっきり変わるのだ。

「では柳田さん、発表をお願いします」

 そうして頭の中で原稿の文字を追って、文をつなぎ合わせる。

「はい。私は今回の総選挙に於いて、皆さまが安心して学校生活を送れるようある心構えを誓って参りました。その心構えとは──」

 背筋を伸ばして、目線も前を向いて、声も体育館の隅まで届くよう張り上げた。なあに、全て当たり前なことだ。それに原稿も推敲に推敲を重ねて、十分いいものになっているはずだ。当たり前のことを積み重ねていれば、目指すものには手が届くんだ。

「──というわけで、ぜひとも私に一票をお願いします」

 言い終えた後、大きな拍手が一斉に湧き起こった。きっといい所の委員長になること、間違いなし。これまでの努力を振り返って、誇らしい気持ちになった。

「柳田さん、発表ありがとうございました。それでは皆さん、これから委員会の名前を言いますので、ふさわしいと思った委員会名で手を挙げてください」

 よかった、本当によかった。このために勉強を頑張り、校則を守り、周りのことも引っ張ってきた。途中で困難がなかった訳でもないが、ここまでのことを振り返れば、その全てが積み重なって今回の結果を掴む土台となっていたのだ。そっと撫で下ろした胸の中には、もう小さな熱い火が点き始めていた。

「ただいま集計が終わりました。これを以ちまして、柳田さんは『ち○ぽ委員長』に就任されることとなりました」

 小さな火は、一瞬にして消された。そして、もう二度と燃えることはなかった。ちん○委員って何だ。何をする委員会なんだ。からかうのも大概にしてくれ。だがそれ以上に驚いたのは、周囲の反応だった。みな大歓声をあげ、それこそ俺が生徒会長に当選でもしたかのような、いや、それ以上の役職に当選したかのような熱狂具合だった。

「では次期ち○ぽ委員長の柳田さん、珍保露倫(ちんぽろりん)をお願いします」

 もう訳がわからなかった。珍保露倫なる謎の行為を命じられたが、まずそれが何なのかがわからない。だが、周囲は珍保露倫、珍保露倫と、一斉に声を上げてコールを行っていた。

「おい、珍保露倫って何だ!」と、舞台裏にいた誰かに問いただす。

「勘弁してくれよ、ち○ぽ出すんだよ○んぽ!」と返される。

 もう終わりだ。この大勢の前で、ついに自分の性器をさらす日が来るとは。大人しく従うか、それとも逃げ出すか。この二つの選択肢がせめぎ合い、ついにぶつかり合った瞬間、ある考えが頭をよぎる。

 ──今日までみんながおかしいと思っていたが、本当におかしかったのは俺の方じゃなかったか。みんなは当然のようにち○ぽ○んぽと笑っていた中、独りそれを拒んでいた俺の方こそ、本当はおかしかったのではないか。思えば今日まで、力をつける度に下の誰かを見下していた。ちょっとでも誰かの間違いを見つける度、それを厳しく問いただしていた。自分の考えが通らないと、無理にでもそれを押し通そうとしていた。思い返したら、明らかにこっちの方が酷いことをしていた。意固地なのはニュースを見ていた父さんでもなく、パーティにいたみんなでもなく、しぶしぶ速度を落としながら教室に向かったあいつでもなく、俺の方だったんだ。

 なら、今からそれをやめよう。今日から生まれ変わるんだ。どうしても通したい意見が通らない時は、強行突破するんじゃなくて折り合いをつける。ある程度のブレがあっても、支障がない限り許容する。自分の価値観こそ絶対だと思わず、他人の考えや事情も積極的に聞く。その寛容な心構えこそ、よき委員長への第一歩じゃないのか。

 さて、前を向き直す。みんな変わらず珍保露倫のコールを続けている。ここで逃げ出してしまえば、ち○ぽ委員長はおろかクラスの委員長としても失格だ。なら堂々と覚悟を決め、珍保露倫をしてやろう。自分の腹之中(ちんぽ)を見せてやるんだ。

 呼吸を整えて、ベルトの金具に手をかけ、ズボンとパンツを一緒に掴んでつま先まで下ろした。

 ──ごおん。と、低い鐘の音が聞こえる。


(了)


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ