スカーレット
よく見る夢だ。また今日もどこかの酒場で、俺は酒を飲んでいた。カウンターの上には空き瓶がいくつも並べられ、皿の上にはハラペーニョが盛られていた。俺の他に客はいない。いるのは俺の正面にいる女性だけだった。あなたが誰かはわかってる。でも、顔がぼやけて見えないんだ。気がつくと俺は涙を流していた。涙が俺の視界を滲ませた。でも、あなたの顔が見えないのは涙のせいじゃない。幼い頃、生き別れた母よ。父が死に、俺を置き去りにして家を出た母よ。そこにいるのはあなたなんだろ?
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タバコのシケた匂い。色の剥がれたシボレーが車体を震わせて揺れる。遠くの方で微かに見える町。俺たちが目指す場所。スピーカーから流れるイカしたロックンロールが俺の目を覚まさせた。俺は身体を起こし、大きなあくびをした。
「大丈夫か?」運転席でハンドルを握るジャパニーズが俺に言った。
「ん?」
「泣いてたぞ」
「ああ、気にするな、いつものことだ」
俺は胸ポケットから残り少ないタバコを取り出し、口にくわえた。
「そうだ、気にするな!こいつはいつも泣くんだ」
後部座席で横になっていた相棒のジョーが笑いながら運転席へ身を乗り出した。
「おまえは黙ってろ。火貸してくれ」
ジョーの持っていたマッチでタバコに火を付け、窓の外へ煙を吐いた。
「しかしあの女!まさかトーマスとデキてたなんてな!」
「まったく気づかなかったな」
島と島を繋ぐ大きな吊り橋を渡ると、目的の町が見えた。町から少し離れた場所に車を停め、俺たちは拳銃を胸元へ忍ばせた。
「よっしゃ、あの野郎、ぶっ殺してやるぜ!」
ジョーは悠々と歩き出し、俺とトシロウは呆れ顔でその後に続いた。
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バーは開店前で、まだ客はいなかった。俺たちの標的はよくこの場所に出入りすると情報を得た。俺とジョーは店へ入り、トシロウは外部からの侵入を阻止するため、店の外で待機した。
店に入るとすぐに店員らしき男が床の掃除をしていた。ジョーは背後から店員に忍び寄り、銃を突きつけ、標的の居場所を聞いた。
今回の標的はトーマスという中年の男だ。俺たちの親父、つまり町を牛耳るマフィアの大ボス、フランクの女を寝取って町を出た大バカ野郎だ。トーマスはフランクの留守の間に、金と車を盗んで女と逃げた。奴は薬の常習犯で、前々からフランクに忠告されていた。
震えながら俺たちに命をすがる店員を尻目に、ジョーは店の天井に2度発砲し、もう一度、店員に向けて銃を構えた。
「知ってるよな?」
「しっ、知りません‼︎」
両手を挙げ、跪坐くこの男は嘘を言ってるように思えなかった。
「どうする?」
ジョーは銃口を男の頭に突きつけながら、俺の方を見た。俺は少し考えた後、ジョーに目で合図をして、拳銃を下ろさせた。
それと同時に外で銃声が響いた。俺たちが出入り口の方を振り返ると、その隙に店員の男は非常口へと走り出した。
「この野郎…‼︎」
ジョーは男に向けて発砲しようとしたが、俺は腕を掴み、それを制止した。
「なにすんだよ‼︎」
「ほっとけ‼︎それよりも外だ!」
俺とジョーは拳銃を構え、外に出た。外にはトシロウが見張りをしていたはずだが、姿は見えなかった。辺りを見回し、俺とジョーは背中合わせになる。
「さっきの銃声はなんだったんだ?」
「さぁな」
「トシロウがやられたか?」
「知らねぇよ」
突然の出来事に俺たちは少し動揺していた。冷静になるため、足早に町を出て、車へ戻った。
車に戻ると、車はフロントガラスが割られ、タイヤもパンクしていた。もちろん、エンジンはかからず、俺たちは足止めをくらった。
俺は兄貴分のサムに連絡を取り、事情を説明した。兄貴は迎えをそっちに向かわせるから、しばらくそこで待機しろと言って、電話を切った。その間にジョーはトシロウを探しに再び町へ戻った。俺は迎えを待つため、車の中でシートを倒し、横になった。
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空のグラスにワインを注ぎ、俺は一気に飲み干した。酒は強くなかったが、この場所ならいくら飲んでも平気だ。俺はまた夢の中だ。いつもの酒場で、俺とあなたしかいない。母の顔は相変わらずボヤけて見えた。でも、微笑んでるのはわかる。聞いてくれよ。あなたがいなくなってから、俺はひとりぼっちだったんだぜ。暗い部屋の中で、俺はずっとあなたを待ってたんだ。「私を恨んでる?」と、母が呟いたように見えた。俺は少し間をおいて首を横へ振った。
「トニー」
いつの間にか眠ってしまった俺を起こしたのはトシロウだった。
「おまえ…無事だったか」
「ああ」
トシロウは肩から血を流していた。俺とジョーが店の中にいる時、覆面をした集団が襲ってきたという。トシロウはとっさに銃を抜き、物陰に身を潜めながら応戦したが、敵はマシンガンを持っていたため、やむおえずその場から立ち去った。
「そいつらは誰だ?」
「わからない」
トシロウはタオルで肩を縛り、止血した。トシロウの着ている白いシャツが徐々に赤く染まっていった。
「ジョーは?」
「おまえを探しに戻った。会わなかったか?」
「いや、見てない」
「それはまずいな」
俺は拳銃に残りの弾を込め、ふたたび町へ向かおうとした。
「ちょっと待て」トシロウが俺を止めた。
「なんだよ」
「さっきまた…夢を見てたのか?」
「なに?」
「いつも泣くんだろ?さっきは泣いてなかったから」
トシロウは車のボンネットに座り、俺に微笑んだ。いつも目が覚めた時、夢のことはあまり覚えてはいない。なんで泣いてるのかわからない。父が死んだから?母が俺を捨てたから?どうして父は死んだ?母はなぜ俺を捨てて家を出た?ガキの頃から何度も何度も考えては自分の心の闇に葬ってきた疑問が、歳を重ね、日を追うごとに膨らんでいった。
物心ついた頃には、俺はファミリーの中にいた。ボスが俺を引き取り、その部下たちが俺を育てた。その中でも兄貴分のサムは本当の兄弟のように接してくれた。危険なことから俺を守り、俺が寂しくないよう、いつも側にいさせてくれた。そして世の中の渡り方も、彼は教えてくれた。俺は兄貴を慕い、そしてボスであるフランクに命を捧げることを誓った。本当の両親の事なんて忘れようと思った。親父も兄貴も、本当の両親のことは一切、話さなかった。俺も聞かなかった。
大きく息を吐いて、俺はトシロウに銃を向けた。
「おいおい、なんだよ」
「おまえ、何か隠してるだろ?」
「なに?」
一歩一歩、トシロウに近づき、銃の安全装置を解除した。
「トニー、俺を疑うのか?」
「疑うもなにも、俺はおまえのことを初めから知らない」
「俺が敵のスパイだとでも?」
「可能性はあるな」
俺の手は震えていた。俺は人を撃ったことがない。いつも銃を撃つのはジョーの役目だ。俺のは脅しの道具。それを知ってか、トシロウはため息をつき、空を見上げた。そして、俺を見つめながらボンネットから腰を上げた。「おまえにはできない」と言わんばかりの表情で俺を見つめるトシロウの後ろには黄色を含んだ紅い空が広がっていた。
「……また夜がやって来るんだな」
「夜?」
俺は銃を下ろし、トシロウに言った。
「ああ、孤独な夜さ」
「孤独…」
「なぁ、トシロウ。なんでファミリーに入った?」
トシロウはその質問にしばらく答えなかった。俺もトシロウが口を開くのを待った。こいつが何者か、敵か味方か、今まで考えたこともなかった。何ヶ月か前にうちのファミリーに迎えられ、兄貴を通して俺とジョーの元で働くことになった。背が高く、無口で、腕っぷしの強いこの男は、あまり笑わない。サムライはそんなものか、そう思って日々を共にした。でも、悪い奴じゃない。それだけは確信していた。
冷たい風が吹いてきた。季節外れの風だ。
「俺は妹を探しに来た」
トシロウが静かに口を開いた。思わぬ答えに俺は動揺したが、すぐに気持ちを切り替えて、トシロウの言葉に耳を傾けた。
「この国へ旅行に来た妹が行方不明なんだ。俺も両親がいない。だから妹はたったひとりの家族なんだ」
俺はタバコをくわえたが、火を持っていないことに気づき、地面に投げ捨てた。
「この広い国の中でひとりの人間を探すのは俺だけじゃ無理だ。だからファミリーに入って、情報の流れを掴もうとしたんだ」
トシロウの話が本当か嘘かは、この際どうでもよかった。たぶん俺を殺すならとっくにやってるだろう。そう思った。少しずつ冷静になってきた俺はジョーの事が気になりはじめた。なんの連絡も無しに、すでに2時間が経つ。あいつは自由気ままで、身勝手な奴だが、仕事や仲間をおろそかにすることはなかったからだ。なにかあればすぐに連絡してくるはずだ。
「そうか…疑って悪かったな」
「いや…いいんだ」
「じゃあ、ジョーの野郎でも探しに行くか?」
「そうだな」
俺はトシロウに背を向け、歩き出した。
「トニー」
俺が振り向くと、トシロウがジッポライターに火をつけて差し出してきた。
「使うか?」
「持ってたのかよ」
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夜の町は昼間とは違って賑わっていた。どこにこれだけの人間がいたのかと思うほど、大勢の人間が町に溢れていた。
「まさかあの野郎、女でも買ってモーテルでも行ったか?」
「さすがにそれはない…だろ」
トシロウもジョーの性格は理解していたので、完全には否定できなかった。ひとまず、俺たちは昼間のバーに戻ることにした。
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開店前とはうってかわって、バーには多くの人間が集まっていた。俺たちは向かいの家の物陰から様子を伺った。
「どうだ?」
「いや、見当たらない」
俺たちがジョーの姿を探していると、入り口から男が出てきた。
「あいつ…」
「ああ、トーマスだ」
トーマスは数人の男を引き連れ、店の裏路地へと消えていった。俺はトシロウに見張りを任せ、単身でトーマスの後をつけた。トシロウは止めたが、後をつけるだけなら大丈夫だと思った。「ジョーがいたら縄で縛っておいてくれ」そう言い残してトーマスたちを追った。
表の通りとは違い、裏路地は薄暗い細い道だった。俺は足音を忍ばせ、胸元の拳銃を掴み、距離をとって奴を追った。やがてトーマスは小さな公園の前で立ち止まり、周りの男たちに何かを話し始めた。俺は近くで聞こうと、さらに進もうとした時、突然、頭に激痛が走った。目の前がぼやけ、意識が朦朧とし、その場に膝をついた。
振り返ると、ジョーが俺を見下ろし「悪いな」と言った。俺は状況が理解できなかったが、トーマスの「よくやった」の一言で、ある程度を理解できた。
「ジョー…」
トーマスは俺に近づき顔面を蹴り上げた。口が切れ、鼻血が飛び出た。
「こんなクソガキに捕まってたまるかよ」
俺は力を振り絞って立ち上がり、ジョーに向かって血ヘドを吐いた。そして渾身の力を込め、叫んだ。
「ジョー!てめぇどういうつもりだこの野郎‼︎」
俺の声は虚しく夜の闇へ吸い込まれていった。
「うちのファミリーは終わりだ。親父はもうすぐ死ぬ」
ジョーは俺を諭すように喋りだした。俺は頭に血が上っていて、ジョーの言葉など聞いてはいなかった。怒りと同時に、今起きている状況が嘘であれとも願った。
「これからはトーマスたちの時代だ」
俺は必死で奥歯を噛み締め、意識を失わないようにした。ここで気絶したら終わりだ。いや、どっちみち死ぬかもしれない。死ぬのが怖いのか?違う…死ぬことなんざ、この世界に入った時から覚悟してる。
「相棒、最後のチャンスだ。俺と一緒にトーマスたちの傘下に入ろうぜ」
「なにバカなこと言ってやがる…親父への恩はどうすんだ…」
「親父は俺のことなんて何とも思っちゃいねえよ」
本当にジョーなのか?これが俺の相棒なのか。バカだけど仲間思いの男。口は悪いけど優しい目をした男。それがどうだ。今俺の前にいるこの男は死んだ目をして俺を見下ろしている。
ジョーは持っていた金属棒を茂みに投げ捨て、拳銃を俺の頭に突きつけた。冷んやりとした銃口が、頭の神経を伝い、全身に回った。俺は目をつぶって、呼吸を止めた。そしてゆっくりと息を吐き、ジョーに言った。
「ジョー、答えはこれだ」
俺はジョーに向けて中指を立てた。
「おまえの答えはわかった。残念だ」
闇の中で渇いた銃声が響いた。
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カウンターにうつ伏せで寝ていた俺を誰かが肩を叩いて起こした。
「トニー、起きなさい」
俺は目をこすり、起き上がると、イスの背もたれに寄りかかった。
「もう帰る時間よ。お代はいらないから早く帰りなさい」
女性はそう言いながら店の奥へと入っていった。俺は立ち上がり、女性に向かって叫んだ。
「母さん!」
返事は無かった。振り返ると、店の出入り口のドアが開いており、外の景色が見えた。俺は千鳥足でドアの方へ歩いた。気がつくと俺はまた、涙を流していた。「元気でやりなさい」と母の声が微かに聞こえた気がした。店の中の灯りが少しずつ消えていく。そして、ドアの向こうは数時間前に見た空の色と同じだった。
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銃弾はジョーの腕に当たり、同時にトーマスの心臓を貫いた。
「ぐぁぁ‼︎」っと腕を押さえ、倒れ込むジョー。トーマスを取り巻いていた男たちも次々に弾丸に倒れた。
「トニー!」
トシロウが俺に駆け寄ってきた。気を失っていたのか、一瞬のことで何が起きたのかわからなかった。俺はトシロウに手を借り立ち上がった。
「大丈夫かトニー」
トシロウの後ろからスーツを着た男が歩いてきた。兄貴のサムだ。兄貴は部下を引き連れ、俺たちを迎えに来てくれた。
「危なかったな」と兄貴は俺にハンカチを手渡し、悶えるジョーを見下ろした。それに気付いたジョーは呼吸を整え、兄貴を睨みつけた。
「ジョー、残念だ」
「兄貴……殺してくれ!」
兄貴はジョーに銃を向けた。
「待ってくれ!」
俺は兄貴を止めた。殺されかけたが、やっぱり目の前でジョーが撃たれるのは見られない。裏切られても、俺はジョーを恨むことはできなかった。
「兄貴…殺さないでやってくれ」
俺は頭を下げて頼んだ。頭の傷口から血が流れ、地面にポタポタと落ちた。それでも俺は兄貴に頭を下げた。そんな俺を見て、トシロウも兄貴に頭を下げた。しばらく沈黙した後、兄貴は銃を仕舞い、俺たち二人に頭を上げるよう言った。
「おまえらの気持ちはわかった」
「すみません、ありがとうございます!」
「そのかわり、おまえら2人は波紋だ」
俺は耳を疑った。俺たちが波紋?なぜ俺たちが?
「兄貴!」
最初に声をあげたのはジョーだった。
「なんでこいつらが波紋なんですか‼︎」
兄貴はジョーを睨みつけ、タバコに火をつけた。
「同罪だ」
「裏切ったのは俺だ!」
ジョーは腕から血を流していることも忘れ、必死で兄貴を説得した。俺とトシロウはただ呆然と立ち尽くし、兄貴とジョーのやりとりを傍観していた。
「じゃあ、おまえが死ねばこいつらの波紋は無しだ」
「じゃあ早く撃ってくれ!」
ジョーは両手を広げ目をつむった。兄貴は俺たちの方へ視線をやり「いいのか?」と言った。俺とトシロウはすぐに首を振った。
「わかりました、今日でファミリーを抜けます」
「俺もそうします」
俺とトシロウは兄貴に頭を下げた。ジョーは崩れ落ち、うつむいて涙を流した。
トーマスたちの死体は組員たちが処理をし、俺たちは兄貴に「退職金だ」と言って、札束をもらった。ジョーは波紋にならず、殺されはしなかったが、それなりの禊を済ませるため、ファミリーに残ることになった。
「オヤジに伝えてください。今までお世話になりましたと」
「もちろん伝える」
兄貴たちを見送り、俺とトシロウは歩き出した。ジョーはその場から動こうとせず、俺はジョーに札束の半分を渡し、その場を去った。
「なんか急なことで整理がつかないな」
トシロウは空を見上げながら指で星を数えた。
「これからどうする?」
「とりあえず、医者に行こうぜ…」
俺はタオルで頭を押さえながら、フラフラと歩いた。
「そういえば俺も肩を撃たれてたな…ハハッ」
トシロウの笑い声が響いた。
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大通りに出て、先ほどのバーの前を通ると、大きな歓声が聞こえた。それと同時に曲がかかり、店の外まで流れてきた。俺たちは立ち止まり、曲に耳を傾けた。聴こえてきた歌声は、どこかで聴いたような声で、なぜか俺の心にすっと入ってきた。その間だけは傷の痛みが消え、俺は大きな優しさに包まれたように安心感を覚えた。トシロウもまた歌声に浸っており、気のせいか目元に涙のようなものが見えた気がした。曲が終わり、さらに大きな歓声が聞こえた。
「いい曲だ」
「そうだな」
店から出てくる客に俺は尋ねた。
「なぁ、今のはなんて曲なんだ?」
「今の曲?…ああ、シボの曲ね!」
「シボ?」
「彼女の歌声は最高よ。ちなみに今の曲は ”スカーレット”っていうの」
夜の風と共に、その歌声はこの街をすり抜けていった。